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これは二十代前半の男性、樋口さんの談である。
遊ぶ金をもう少し増やすためにアルバイトをしたいが、アルバイトのせいで遊ぶ時間がなくなると本末転倒だ。大学生の樋口さんは週に二日だけアルバイトをすることにした。
そうしてコンビニの面接を受けたのだが、シフトは時給が割高である深夜を希望した。コンビニの店長から採用の知らせがあったのは数日後だった。
そのバイトの初日である。
時刻は深夜の二時を少し過ぎていた。樋口さんはレジの使い方のあれこれを、改めてMさんに教えてもらっていた。
Mさんは樋口さんより五歳年上の男性で、アルバイト歴は約三年だという。バイト代が目標額貯まると、二週間ほど休みを取って、長期の海外旅行に出かけるそうだ。
「なんか自由ですね」
樋口さんがそう言うと、Mさんは自分を卑下しながらも、嬉しそうに笑った。
「定職に就かずにぶらぶらしてるだけや」
商品購入時のレジ打ちは比較的簡単で、何人かの客に対応すればもう覚えた。しかし、公共料金や宅配便の受付業務は少々ややこしかった。
不安を抱いている樋口さんに、Mさんは軽い口調で告げた。
「大丈夫大丈夫。これも何回かやったら勝手に覚える」
「ほんまですか。覚えられる気がしないんですけど……」
「大丈夫やって。誰でも覚えられるもんやから」
Mさんがそう返してきたとき、出入り口の自動ドアが開いた。
樋口さんたちは反射的に声を揃えた。
「いらっしゃいませ」
だが、自動ドアが開いただけで、客は入ってこなかった。
Mさんは得心したように呟いた。
「ああ、いつものやつか……」
「いつものやつ?」
樋口さんが尋ねると、Mさんは頷いた。
「毎日こうやねん。二時を少し過ぎるとな、ドアが勝手に開くんや。たぶん、あと十回くらいは開くで」
はたしてMさんの言うとおりになった。自動ドアは一旦閉まったものの、数秒してからまたすうっと開いた。そして、しばらくすると再び閉じて、数秒後にまたもすうっと開いた。それを十回ほど繰り返すと、もうドアは開かなくなった。
「日によって開く回数が少し変わるねん。少ないときは八回くらいで、多いときは十五回くらいかな」
深夜のシフトに入っているのはMさんだけではない。他のバイトのメンバーも深夜二時過ぎに、自動ドアが十回ほど開閉する現象を知っているという。
「俺がここでバイトをはじめた頃からこうやった。みんなS亭の呪いやって言うてるな」
MさんはS亭の呪いについて詳しく話した。それは以下のような内容だった。
S亭とはコンビニの近くにあるラーメン屋のことだった。S亭は深夜の一時が閉店時間であり、S亭の店長は必ず閉店後にコンビニに寄った。閉店作業をしてからコンビニやってくると、二時過ぎという時間になるらしかった。店長が購入するものは毎日同じで、缶ビール一本とタバコ一箱だった。
その店長があるとき殺されてしまった。閉店後、いつものようにS亭からコンビニに向かっている最中に、運悪く通り魔に襲われて命を落としたのだという。
「それからなんやって、自動ドアが二時過ぎに開くようになったのは。だから、みんなS亭の呪いって言うてんねん。死んだ店長が今でもここにきてるってことやな。でも――」
Mさんは苦笑いを樋口さんに向けた。
「S亭なんてどこにもないんやけどな」
Mさんの話によると、S亭という名前の店は、このコンビニの近くにないという。ラーメン屋は一軒あるのだが、S亭とはかけ離れた店名だった。
「S亭がないのに、S亭の呪いって、どういうことやねん」
そう言って笑ったMさんは、S亭の呪いを信じていないようだった。
「たぶん、俺以外のやつも本気では信じてないと思うで。怖い話をして楽しんどるだけちゃうかな。本当は自動ドアが壊れてるだけって、みんなちゃんとわかってるわ」
樋口さんは初日のバイトが終わって家に帰ると、インターネットを使って怪現象について調べた。そして、霊道というものがあるのを知った。
霊道はその名が示すとおり、霊の通り道のことをいう。
どうやらMさんはあれがまったく見えていないようだった。きっと他のバイト生たちも見えていないのだろう。
だが、なぜか樋口さんには見えてしまったのである。
深夜二時過ぎにコンビニの自動ドアが開いたとき、客の姿はいっさいなかったが、人型の黒い影のようなものが店に入ってきた。しかも、影はひとつだけではなく、複数がぞろぞろと連なっていた。
それらはそのまま真っ直ぐ進んでいき、突き当たりの壁の中に消えた。
しかもその現象は一度だけではなかった。自動ドアは十回ほど開いたが、開くたびに複数の影がぞろぞろと入ってきて、突き当たりの壁の中に吸いこまれるように消えていったのである。
あの影がこの世のものであるはずがない。霊に違いないと樋口さんは確信していた。
S亭の呪いなんてものは幼稚な作り話だろうが、深夜二時になるとあのコンビニには霊がやってくるのだ。あれだけぞろぞろやってくるのであれば、単に霊がやってくるというだけの話でもないだろう。
おそらく、あのコンビニは霊の通り道になっている。
インターネットで調べた霊道だ。
さすがに霊道になっているコンビニで働くなんて無理だ。
樋口さんは一日しか働いていないことを後ろめたく思いながらも、翌日の昼にコンビニに向かい、バイトを辞めたいという旨を店長に伝えるつもりでいた。
しかし、いざコンビニに着いてみると、あいにく店長は休みを取っていた。早くバイトを辞めたいとばかり考えていた樋口さんは、事前に番号を聞いていた店長のスマホに電話をかけた。
「休みの日にすみません。申しわけないんですがバイトを辞めたいんです」
人型の黒い影や霊道の話をしても、どうせ信じてもらえないだろう。辞める理由は適当に嘘をつき、一日ぶんのバイト代は辞退すると伝えた。
すると、店長は短い沈黙のあとこう尋ねてきた。
「もしかして樋口くん、あれが見えた?」
「え……」
思わぬ問いだったため、樋口さんは返答に窮した。
あれとは人型の黒い影のことを示しているのだろうか。
もしかして店長もあの影が見えているのだろうか。
だとすれば霊道のことも知っていたりするのだろうか。
店長は樋口さんのだんまりを、肯定と取ったようだった。
「そうか見えたんやなあ。見えたんなら仕方ない。見える子は怖いやろうから、そりゃあ働けんわなあ……」
樋口さんは恐る恐る尋ねた。
「やっぱりあれは霊道なんですか?」
「霊道?」
店長は不思議そうな口ぶりで尋ね返してきたが、すぐに「いやいや、そうやない」と否定した。
「ただの霊道やったらええんやけど……」
ため息のらしきものが聞こえたあと、
「とにかく、樋口くんが辞めるのは了承したから。ほかにバイトさがすんやんな? だったら、次のバイトが早く決まるとええな。じゃあ、がんばってね」
なにか急いでいることでもあったのか、店長は一方的に電話を切ってしまった。
その後、樋口さんは正式な退職手続きを済ませて、無事にアルバイトを辞めることができた。だが、今でも店長の話が気になっているという。
「ただの霊道やったらええんやけど……」
あのコンビニは霊道以外のなんだったのだろうか。
了
遊ぶ金をもう少し増やすためにアルバイトをしたいが、アルバイトのせいで遊ぶ時間がなくなると本末転倒だ。大学生の樋口さんは週に二日だけアルバイトをすることにした。
そうしてコンビニの面接を受けたのだが、シフトは時給が割高である深夜を希望した。コンビニの店長から採用の知らせがあったのは数日後だった。
そのバイトの初日である。
時刻は深夜の二時を少し過ぎていた。樋口さんはレジの使い方のあれこれを、改めてMさんに教えてもらっていた。
Mさんは樋口さんより五歳年上の男性で、アルバイト歴は約三年だという。バイト代が目標額貯まると、二週間ほど休みを取って、長期の海外旅行に出かけるそうだ。
「なんか自由ですね」
樋口さんがそう言うと、Mさんは自分を卑下しながらも、嬉しそうに笑った。
「定職に就かずにぶらぶらしてるだけや」
商品購入時のレジ打ちは比較的簡単で、何人かの客に対応すればもう覚えた。しかし、公共料金や宅配便の受付業務は少々ややこしかった。
不安を抱いている樋口さんに、Mさんは軽い口調で告げた。
「大丈夫大丈夫。これも何回かやったら勝手に覚える」
「ほんまですか。覚えられる気がしないんですけど……」
「大丈夫やって。誰でも覚えられるもんやから」
Mさんがそう返してきたとき、出入り口の自動ドアが開いた。
樋口さんたちは反射的に声を揃えた。
「いらっしゃいませ」
だが、自動ドアが開いただけで、客は入ってこなかった。
Mさんは得心したように呟いた。
「ああ、いつものやつか……」
「いつものやつ?」
樋口さんが尋ねると、Mさんは頷いた。
「毎日こうやねん。二時を少し過ぎるとな、ドアが勝手に開くんや。たぶん、あと十回くらいは開くで」
はたしてMさんの言うとおりになった。自動ドアは一旦閉まったものの、数秒してからまたすうっと開いた。そして、しばらくすると再び閉じて、数秒後にまたもすうっと開いた。それを十回ほど繰り返すと、もうドアは開かなくなった。
「日によって開く回数が少し変わるねん。少ないときは八回くらいで、多いときは十五回くらいかな」
深夜のシフトに入っているのはMさんだけではない。他のバイトのメンバーも深夜二時過ぎに、自動ドアが十回ほど開閉する現象を知っているという。
「俺がここでバイトをはじめた頃からこうやった。みんなS亭の呪いやって言うてるな」
MさんはS亭の呪いについて詳しく話した。それは以下のような内容だった。
S亭とはコンビニの近くにあるラーメン屋のことだった。S亭は深夜の一時が閉店時間であり、S亭の店長は必ず閉店後にコンビニに寄った。閉店作業をしてからコンビニやってくると、二時過ぎという時間になるらしかった。店長が購入するものは毎日同じで、缶ビール一本とタバコ一箱だった。
その店長があるとき殺されてしまった。閉店後、いつものようにS亭からコンビニに向かっている最中に、運悪く通り魔に襲われて命を落としたのだという。
「それからなんやって、自動ドアが二時過ぎに開くようになったのは。だから、みんなS亭の呪いって言うてんねん。死んだ店長が今でもここにきてるってことやな。でも――」
Mさんは苦笑いを樋口さんに向けた。
「S亭なんてどこにもないんやけどな」
Mさんの話によると、S亭という名前の店は、このコンビニの近くにないという。ラーメン屋は一軒あるのだが、S亭とはかけ離れた店名だった。
「S亭がないのに、S亭の呪いって、どういうことやねん」
そう言って笑ったMさんは、S亭の呪いを信じていないようだった。
「たぶん、俺以外のやつも本気では信じてないと思うで。怖い話をして楽しんどるだけちゃうかな。本当は自動ドアが壊れてるだけって、みんなちゃんとわかってるわ」
樋口さんは初日のバイトが終わって家に帰ると、インターネットを使って怪現象について調べた。そして、霊道というものがあるのを知った。
霊道はその名が示すとおり、霊の通り道のことをいう。
どうやらMさんはあれがまったく見えていないようだった。きっと他のバイト生たちも見えていないのだろう。
だが、なぜか樋口さんには見えてしまったのである。
深夜二時過ぎにコンビニの自動ドアが開いたとき、客の姿はいっさいなかったが、人型の黒い影のようなものが店に入ってきた。しかも、影はひとつだけではなく、複数がぞろぞろと連なっていた。
それらはそのまま真っ直ぐ進んでいき、突き当たりの壁の中に消えた。
しかもその現象は一度だけではなかった。自動ドアは十回ほど開いたが、開くたびに複数の影がぞろぞろと入ってきて、突き当たりの壁の中に吸いこまれるように消えていったのである。
あの影がこの世のものであるはずがない。霊に違いないと樋口さんは確信していた。
S亭の呪いなんてものは幼稚な作り話だろうが、深夜二時になるとあのコンビニには霊がやってくるのだ。あれだけぞろぞろやってくるのであれば、単に霊がやってくるというだけの話でもないだろう。
おそらく、あのコンビニは霊の通り道になっている。
インターネットで調べた霊道だ。
さすがに霊道になっているコンビニで働くなんて無理だ。
樋口さんは一日しか働いていないことを後ろめたく思いながらも、翌日の昼にコンビニに向かい、バイトを辞めたいという旨を店長に伝えるつもりでいた。
しかし、いざコンビニに着いてみると、あいにく店長は休みを取っていた。早くバイトを辞めたいとばかり考えていた樋口さんは、事前に番号を聞いていた店長のスマホに電話をかけた。
「休みの日にすみません。申しわけないんですがバイトを辞めたいんです」
人型の黒い影や霊道の話をしても、どうせ信じてもらえないだろう。辞める理由は適当に嘘をつき、一日ぶんのバイト代は辞退すると伝えた。
すると、店長は短い沈黙のあとこう尋ねてきた。
「もしかして樋口くん、あれが見えた?」
「え……」
思わぬ問いだったため、樋口さんは返答に窮した。
あれとは人型の黒い影のことを示しているのだろうか。
もしかして店長もあの影が見えているのだろうか。
だとすれば霊道のことも知っていたりするのだろうか。
店長は樋口さんのだんまりを、肯定と取ったようだった。
「そうか見えたんやなあ。見えたんなら仕方ない。見える子は怖いやろうから、そりゃあ働けんわなあ……」
樋口さんは恐る恐る尋ねた。
「やっぱりあれは霊道なんですか?」
「霊道?」
店長は不思議そうな口ぶりで尋ね返してきたが、すぐに「いやいや、そうやない」と否定した。
「ただの霊道やったらええんやけど……」
ため息のらしきものが聞こえたあと、
「とにかく、樋口くんが辞めるのは了承したから。ほかにバイトさがすんやんな? だったら、次のバイトが早く決まるとええな。じゃあ、がんばってね」
なにか急いでいることでもあったのか、店長は一方的に電話を切ってしまった。
その後、樋口さんは正式な退職手続きを済ませて、無事にアルバイトを辞めることができた。だが、今でも店長の話が気になっているという。
「ただの霊道やったらええんやけど……」
あのコンビニは霊道以外のなんだったのだろうか。
了
応援ありがとうございます!
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