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四章 その風刺画を描いた画家の名

四章④

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 静水城からの帰り道。
 春菊は夕焼け色に染まる大街大通りから一歩仄暗い小道にれた。
 そこで思いもよらぬ人物、蘇華文に声をかけられたのだが、いつも以上に苛ついた態度が気になる。

「よぉ、偶然だな。……もしかして、仕事の帰りか?」
「そうだよ。えーと、僕、画院の臨時画家として働かせてもらってるから」
「らしいな。……っち、ふざけやがって」

 華文は元々画院に雇われていた。
 しかし今はどこにも所属せずに、誰かから依頼があればそれをこなすような生活をしていると聞く。
 画院を辞めたのか、辞めさせられたのか、どっちなのかは分からない。知りたくもない。
 だけど本人の態度で苛立ちの理由を一つだけ察する。
 春菊が画院で働くようになったのをここ数日中に知ったから、気に入らない気分になっているんじゃないだろうか。
 この人は気に入らない事があると周囲に当たり散らす性格なので、会話を続けるのがおっくうでしかたない。

 おかしな絡まれ方をされるだろうとの予感は的中した。

「お前の筆の速さからすると、もう俺が依頼した画は出来上がったんじゃないか?」
「出来上がってないよ。あれは一度描いてみてから、依頼を引き受けるかどうか答えるって言ったはず。ちょっと苦手な感じだったから、かなり練習してからじゃないと、対価としてお金を貰っていいような出来栄えにはならないかなって」
「なんだその肯定とも否定とも判別し難い回答は。くっそ苛々するぜ。お前が判断できないってなら、この俺がまともかどうかこの俺が判断してやる。見せてみろ!」
「嫌だよ」

 抱えていた木箱を咄嗟とっさに背中に隠すが、その行動が悪かった。

「ふーん? その箱に入れてるってわけか。寄越せ!!」
「絶対駄目!」

 春菊はそのまま後退あとずさりして大街の人混みの中に紛れようとする。しかし、後ろ歩きする足元はおぼつかなくて、地面のくぼみに足をとられてしまう。

「わわぁ!!」

 後ろむきに派手にすっ転び、手から落ちた木箱が大街側に滑って移動する。
 春菊は木箱をそのままにしておきたくなくて、慌てて立ち上がろうとする。だが、それはうまくいかなかった。
 華文が横を通り過ぎる時に春菊を蹴ったので、小道の横にのけられたのだ。

「痛ぁ!! なんて事するのさ、今日の君、酷すぎるよ! 街使に訴え出たら縄がかかるんだからね!」
「お前が大人しく渡さないのが悪い。画しか能がないくせに勿体ぶりやがって」
「それって自分のことじゃないか!」
「ほざいてろ!」

 体の痛みに耐えながら春菊が上半身を起こす。
 その間に華文は地面に落ちた紙を拾ってしまう。紙に何が描かれているのかは逆光で良く見えない。だけども止めないといけないと、何故か彼自身の為に思う。
 風にはためいた紙を見てぞっとする。
 自分の直感は当たっていた。
 紙の表面が黒く染まっていたのだ。
 これは陰陽の画なのだ。他の人の手には渡さないように気をつけていたはずなのに、何故か今日は木箱に入っていた。

「うぁ……、まずい」

「こっちはくそ親に鬱陶しいくらいに風刺画の原画を急かされてるんだ。描けないならさっさと家を出ていけとか……、頭にくるぜ」

「蘇華文。早くその紙を手放した方がいいよ」

「はぁ? なんだこの画、ほぼ真っ黒じゃねーか。気色の悪い画を描きやがって」

「危険な気がしてならないんだよ……」

「知らねーよ! ってかよぉ、この前の黒ずんだ画を見た時も思ったけど、お前の才能大したことねーよな。たまたま上手く描けた画で成り上がっただけだ。さて、この目障りな画は、駄作に相応しい処分法をだなー」

「……」

 華文は甲高い笑い声を上げながら陰陽の画を真ん中から勢いよく破いて二等分にし、それらを重ね合わせてもう一度割き……、どんどん細かくしていく。
 最終的には一枚あたりが親指ほどの大きさになったそれらを派手に空中に撒き散らした。

「あー、するぜ!」

「あ……黒いもやが……、地面に」
「は?」

 日没の為に暗くなっていく周囲よりも黒い靄のようなものが、ゆっくり、ゆっくりと地面に下降する。
 土に吸い込まれはしない。
 地面に到着した靄は一つ所に集まり、やがて華文の足元で凝縮する。

 華文を多少心配していた春菊だったが、その後の成り行きの方に興味がいってしまい。少しの間、声を出すのも忘れて黒い靄に見入る。

 靄は黒い鶏のような形状となった。

「何だよ、これ……。こんな、化け物みてーな……」
「君、逃げた方がいいかもしれない。急がないと、大変なことに」
「当たり前だ! この忌々いまいましい画家が!」

 転げるようにして駆け出した華文だったが、黒い鶏の方が数段早かった。
 華文のふくらはぎの辺りに体当たりするように突進し、消失してしまう。
 鶏はどこに消えたのだろうか?

 大街に出た華文は立ち止まる。恐怖のためか目を見開いたまま後ろを振り返る。
 春菊の目を、そして自分の足元を見……そして地面に崩れ落ちた。

「っ……、ああああああああああ!!!! 脚が、脚が、脚がぁぁああああ!!!!」

「華文!?」

「痛い痛い痛い痛い!! 痺れるぅ、脚が、手が!! 指が! 震える!! お前、何しやが……、––––––––––––––––こけっこっこー!」
「こけこっこ?」

 春菊は唖然としてしまう。
 こんな時に遊んでいる場合なのかとこの男に腹が立つ。

「ちょっと、君。痛いならもっと、痛いように振る舞ってくれないと!」
「ごげー!!!!! ごげごっごー!!」

 華文は昨夜の春菊よりも酷い鶏の鳴き声を発しながら、静水城の逆側に駆け去って行った。

 何事かと遠巻きにしていた市中の人々は「馬鹿につける薬は無い」などと呆れながら、再び歩き出し。一刻もたたぬうちに普段のこの時間の人の流れに戻る。
 
 華文が戻って来るかもしれないからと、その場に留まり続けていた春菊だったが、時間が経つにつれて、今の華文が鶏鬼に化してしまったかもしれないと思うようになる。

「うーん、どうしよ。……今晩は放っておこうかな」

 そんなことよりも、今見た黒いもやで出来た鶏が大事だ。
 記憶が薄れる前に画にしてしまいたい。
 春菊は華文のことなど一旦忘れ、いそいそと楊家へと帰った。
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