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五章 水都の風景

五章③

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 天佑は春菊が描いた似顔絵や呂壮(天佑の従者)のまとめた犯人情報を楊家の全使用人に回し見させた後、白都の治安責任者である巡使に渡した。それらを元に、今朝の盗人を捜査してもらいたいようだ。

 春菊も自分が描いた似顔絵に対する既視感の理由がはっきりしたなら、天佑か呂壮に伝えようと心に決める。

 しかし、巡使に捜査依頼をかけても、急激に犯人捜査が進むわけではなかった。
 ただ単に、街使《≒警察》数人や何故か禁軍から数人が楊家に派遣され、屋敷の周りを巡回するようになっただけだ。
 おかげで、庭の石の上などで画を描く春菊は不審者のように見えるらしく、何度も何度も事情聴取される羽目になった。

 そんな状況下にあって、さすがの春菊も自分が所有する物に対する守備的な意識が働くようになる。
 現在楊家から貸与されている水都の画が盗まれてしまっては、天佑に顔向け出来なくなるだろうし、何よりも自分が悔しい。
 だから、手っ取り早く木箱の中に入れ、似たような形状の木箱の中に紛れ込ませてしまう。
 こうしておいたら、易々と水景の画を盗み取られてしまうなんてことにはならないだろう。
 
 楊家では間諜騒ぎや盗人騒ぎが立て続きに起き、士大夫層の住宅なのにずっと安全がおびやかされている反面、静水城では石蠱の後は特に大きな事件は起きていない。
 全体的に緩んだ空気が漂っているし、今春菊が居る画院は輪をかけてまったりとした空気である。
 そのお陰で春菊は創作活動に集中していられる。

 本日も画院の院長から静水城内にある太医院(医事行政などを行う組織が入る建物)を飾る山水画を描くように指示を受けた。
 画院に採用された当初の話では後宮での作画の仕事が殆どとのことだったけれど、石蠱の事件で画家が数人亡くなったことから、画院では人手不足に陥りがちとなり、最近では春菊にも様々な機会が与えられている。

 太医院を飾る山水画の画題について、画院長から説明を聞いていると、恰幅の良いデブな中年男性が画院に入室した。
 彼を見た画院長は少し慌てたようだ。

「こ、これは郭殿! このような雑然とした場にまいられるとは、何用ですかな!?」

 郭殿と呼ばれた人物は少し居心地が悪そうにしながらも、「このくらいの汚らしさなら許容範囲である」とと言う。

「郭殿、こちらの卓に座られよ。その体格では、立ち続けているだけで膝が痛かろう」
「いや、ここでいい。そう長く話をするつもりはないのでな」
「余計な気遣いであったか。許されよ」

 忙しい中来ているのか、郭殿はすぐにここに来た要件を口にする。

「実はお主等画家に頼みたいことがあってきたのだ」
「頼みたい事とは、はて?」
「実は後世に遺すべき我が屋敷の家宝を、よその家に譲り渡してしまってな……、こちらの不手際ゆえ、向こうの要求を跳ね除けること叶わず……、無念である。こうなってしまえば、返してくれとも言いづらいのだ」
「金品で解決したわけですな」
「うむ」

 気温はそれほど高くないのに、彼の額には汗が滲んでいる。
 言葉をかなり選ばなければならないのか、数秒ぱくぱくと口を動かす様が、まるで池の中の鯉そのものだ。

「––––本当にうっかりしていたのだ。あの画にまさか、そんなしるしがあったとは……。死にかけの爺さんがそのことを思い出さなければ、大変なことになっておった」
「そ、それはどんな?」
「その画に描かれた河には龍神が封じられているらしいのだ。で、その封印場所の印が、画の中にある。なので……、あの画がない状態では治水工事をやるには危険すぎる! まずい場所を掘られたり、爆破などされでもしたら、儂の先祖の故郷が龍神に滅ぼされてしまう!!」
「ちなみにその印の場所はその画の中にどのように示されておるのか?」
「我が家の機密情報であるぞ! 言えるわけがなかろう!」
「左様か、許されよ」

 話を聞いているうちに、だんだん気の毒になってきた。
 彼の言う治水工事というのがどの程度の規模なのかさっぱり分からないけれど、うっかり龍神が封じられている箇所を掘ってしまったなら、やっぱり危険なことが起こりそうに思う。
 怒りを買ったなら、近くの土地が龍神に荒らされてしまうだろう。
 きっと、そこに住む民達への配慮もあるから、この焦りようなのだ。
 だから春菊は名乗りをあげた。

「じゃあさ、僕がその画を描こうか? 風景を描くのは得意なんだ!」
「菜春菊、この件はやめておきなさい」
「え? そうなの?」

 画院長はぎょっとしたような表情で春菊の方を向き、両手を小さく下に振る。これは落ち着けという意味がこもっていそうだ。
 しかし、春菊が引き下がるより前に、訪問者の方が早く反応した。

「そこの者、名を菜と言ったか、画院長よ、まさかとは思うが、菜青梗老師の血縁者ではあるまいな!?」
「画家の菜青梗は僕の父親だよー。僕はあの人に遠い山に捨てられてしまったけれど、ずっと画の練習をしていたから、それなりに描けると思ってる!」
「おおお、それはいい!! 実はくだんの画の描き手は菜青梗老師なのだ。あの方の子であれば、同様の画を描けるに違いない! わはは!! 再び我が家の宝が得られようぞ!!」
「へぇ、父上がその画を描いたんだね。すっごい偶然だー」
「そうとも! 菜青梗老師は絹に水景を描いて下さったが、近年の流行を踏まえ、お前さんは上等な紙に描くと良い」
「絹に、水景。あれ?」

 春菊は内心引っ掛かりを覚え、内心冷や汗をかいた。
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