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第五話 幻の秘薬と奇跡の姫
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しおりを挟む貧民街はティアの想像を超えて欝蒼としていた。
所々に人が寝転がり、建物も黒く汚れている。何だか空気も何かに汚染されているように薄暗い。
「―――ここだよ、俺んち」
古い小屋の一軒家をさしてパティーが言う。
「入りなよ。―――母ちゃん、帰ったよ」
中に入ると部屋の隅にパティの母が横たわっていた。寝台と言うには余りに粗末な板の台。毛布ではなく藁が掛けられている。
「―――パティー、何でこんな……」
「だから金がないんだって。何とか食いものを手に入れる為に家にある物は全部売り払っちまった。もう薬買う金もない。医者にも見て貰えない。原因が分からないんじゃどうする事も出来ない。だから……」
「………」
原因が分かってもこんな子供に何が出来るのか?
こんな環境を当たり前に話すパティーを見て、ティアは息が詰まった。
何と言えばいいのか分からない。
事はティアが考える様な簡単なことではなかった。
「ティア様?もう帰られますか?」
後ろを見るとコールが労わるような目で見ていた。
ティアが何も分かっていなかったという事を彼は知っていたのだろう。
――――――私は何も出来ない…‥。
固まってしまったティアを見てパティーが笑う。
「……住む世界が違うんだから気にしなくていいよ。何も出来なくてもお姫様を恨んだりしないよ。いいから、もう帰りなよ?お城の人達が心配しているよ」
「―――――…っ、み、診るわよ!そのために来たんだから。私だって出来る事……」
「負けず嫌いだなあ…」
ティアは動かない足を動かして寝かされているパティーの母親の傍に行く。
彼女の目は虚ろで意識があるかないかのぎりぎりの状態のようだ。
「……あのっ、私ティアと申します。魔法使いではないですけど弟子みたいなもので、少しだけ医者の知識もあるので診させて下さい。分からないかもしれないけど後で教えて貰う事も出来るし……力になれるかは分からないのですけど…」
彼女が微かに微笑んだような気がしたのでティアは泣きそうになった。
魔法使いの塔から道具を色々持ってきた。道具箱を開けてランプを取り出す。
「暗くちゃ分からないからちょっと明るくしますね」
ランプを付けると明るい光が部屋全体とパティーの母を照らす。
ランプを照らしても彼女の顔色は青白く暗い。目の下が青黒く唇は紫。時々指や足が痙攣し、口内から異臭がする。
「………」
この症状は。病気なのだろうか……?
これは本物の医者でなければ判断できない。
「…‥ねえパティー、この辺りにお医者はいる?」
「貧民街に医者はいないよ。商売にならないもん」
「あのね、やっぱりお医者に一度見せた方がいいと思うの」
「だから医者は見てくれないって」
「……でもこの症状は。お医者でなければ判断できないけど…‥。見せるだけでも……、ねえコール、どうにかならない?」
「……駐在所の牢医者でよければ。でも中心街にいますから呼ぶには時間がかかりますよ?その人を動かすのも難しいのでしょう?」
「お願い、急いで連れて来て。私では判断できないの」
「姫様はどう思っているのです?一応お聞きしますが?」
「………」
ティアはパティーにも聞こえないようこっそりコールの傍へ行き呟く。
「毒、だと思う」
「………すぐに呼んできます。姫はここから動かないで下さいよ?」
「もちろんよ、ちゃんとあの人見てるわ」
コールは頷いて即座に走って行った。
ティアは彼女に付いて看病を始める。
「……ねえちゃん、母ちゃんどうなのか分かった?」
「―――私、お医者じゃないから。でも多分、お医者に見せれば何とかなるかも知れない」
「お医者…、でも俺お金……」
「お金なんて後でどうとでもなるでしょう?お医者に見せさえすれば助かるならなんとしても見て貰わなきゃ」
「それはそうだけど…」
「それに駐在所のお医者は国から給料貰っているのだからそんなに高いわけないと思うわ」
「それは分かんないけどさあ。助かるならまあいいや」
「……」
パティーは笑ってそう言うがティアは笑えない。
彼女の状態は素人目に見ても悪い。もう時間の問題かと思う程に顔色も悪く、動く力もない。
毒はとっくに彼女の体を蝕み、生きているのが奇跡のような状態に見える。
この彼女にティアはどうしていいのか全く分からなかった。
「……もうすぐお医者様が来るからどうか頑張って」
手を握って声をかける。かすかに彼女の指が震える。
―――私は何にも出来ない…。
薬の勉強はしている。ゾフィーについて薬品の作り方や効能なども覚えて実験なんかもして…。でもその薬が外に出回る事はない。ティアだけでなくゾフィーの薬でさえもけして公にされることはない。それはけしてしてはいけないと言われている。
―――お医者はまだなの……?
コールはついさっき出て行ったばかりなのに、とても時間が長く感じる。
握っている彼女の手が次第に体温を失っていくような気がして、ティアは背筋が冷え冷えとして焦りを感じる。
「……間に合わないかもしれないな…‥」
呟いたのはパティーだ。ティアはぎょっとして子供を見た。
「何を言うのよ?もうすぐお医者が来るから…」
「もう五日も前からこんな状態だったんだ。お金もないしろくに食べ物も食べてないし。どんどん悪くなる。母ちゃんに何が出来るかって俺ずっと考えた。でも、出来る事、あんまりないし…‥ねえちゃん、何か俺に出来る事ないかな?」
「……祈るしかないわ…‥」
「……何にだよ?」
パティーの笑みが泣きそうに歪む。ただ母親の手を握り、祈るしかない。
―――このままでは間に合わない…。
少し、ほんの少しだけでもこの毒を和らげることができれば……。
術はあるが実際それを試した事はない。
本物の病気にティアの薬品を使うなど考えられない。使い方を誤れば死に至るような危険薬を本物の病人に使えるわけがない。
「……母ちゃん…」
ティアの見立てがあっているかどうかなど本物の医者でなければ分からない。
間違っていた場合、ティアが彼女を殺してしまう。
「………」
彼女の手にはもう力もない。目にも光をともしていない。体温も次第に失っていく。
「母ちゃん、死なないでよ。俺を独りにしないでよ」
「―――――――っ……!」
もう間に合わない。ティアは限界だった。
死んでしまったら全てが手遅れだ。そのくらいなら……。
「…‥ねえちゃ…?」
ティアは彼女の頭を起こし、持っていた液体を一滴口に含ませた。
「………」
「何を…‥?」
彼女を寝かせてしばらく様子を見るとささやかだが落ち着いた呼吸が聞こえてきた。
「母ちゃん?」
苦しそうに歪んだ顔が少し和らいだ気がする。
「……」
それから一刻ほどしてようやくコールがお医者を連れて戻ってきた。
医者はすぐに病人の状態を見る。
「―――これは、毒だ。どこからか少しずつ摂取して少しずつ侵食されていったな。これはもう末期、よくこんな状態で生きていたものだ」
「……お医者様…‥」
「しかし彼女は生きている。しかも、回復の兆しがある…」
「それじゃ、母ちゃんは……?」
「奇跡的に命を取り留めている。坊や、患者に何かしたか?毒を中和させる何かを呑ませたとか?」
「…あ、さっきねえちゃんが何かの液体を飲ませてた!」
「……」
「すげえ!ねえちゃん、さっきの何?魔法使いの秘薬?」
「……ただの毒消しよ…‥」
ティアは顔をこわばらせて呟く。パティーは喜んでいるが医者もコールも深刻な顔をする。
「―――――ティア様、帰りますよ。お医者様あとはよろしくお願いします」
コールはティアの道具を纏めて、ティアにフードを被せて腕をとる。
「すぐ帰るんだ。貴方はここにいてはいけない」
「コール…」
コールに引っ張られて外へ出ると馬車が待っていて驚いた。
問答無用で馬車の中に押し込まれ、コールも乗り込む。
「急いで出してくれ」
「はい」
すぐに馬車が走りだした。
「ちょっと!こんな強引に!」
「とんでもない事をしてくれたな。魔法使いの秘薬を使うとは」
「……ただの毒消しだってば」
「何でもいい、問題は国のお姫様がそれをしたという事だ」
「―――――――だって……」
「言い訳はいい。ただの一度の間違いがあらぬ誤解を生むことになる。助けを求めれば姫様が無償で助けてくれるのだと思う連中が出てくるぞ」
「………」
「慈悲深い姫様に助けを求めに城に人が押し寄せる」
「……そんなつもりじゃ…」
「お姫様は奇跡の薬を持っているのだという輩が出てくるぞ」
「ただの毒消し……」
「死ぬはずの人間を生き返らせたんだ。それで済むはずがない。魔法使いの秘薬を持つお姫様が街で人を助けた。奇跡だと騒がれても仕方ない」
「……そんな大袈裟な、まさか…?」
「なぜ街へ出たんだ。危険だといわれていたろう?しかも一人でのこのこと。みんなに心配と迷惑をかけて」
「……」
「くれぐれも言っておくが自分は間違ってないとか、人を助けたのだからいい事をしたなんて思うなよ。大人しく医者を待っていればよかったものを、余計な事をしていらぬ混乱を招いた。ティア姫がした事はそれだけだ」
「―――――――………そんな言い方…」
「軽はずみな行動もほどほどにしてほしいよ全く。城内だけで飽き足らず街の中にまで面倒をかけて。……何か反論があるか?」
「……‥」
コールが怒っている。怒ると口が容赦なく悪くなるのが彼の特徴である。
ハリスやルウドのようにティアを甘やかしたりはしない。
「…‥悪かったわよ…」
「ホントにそう思うなら当分城の奥に籠って大人しくしている事だ」
「……」
ティアは黙った。口を開けば毒舌コールに責められるので黙って大人しくすることにした。
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