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ベルセリオ王都の南区、貴族の邸宅が立ち並ぶ一角に、真新しい屋敷が建っていた。
そこはリリアーナが最近購入した、新たな居住兼社交用の拠点。社交界への本格復帰と、王都の市場拡大を見据えた拠点でもあった。
「今日の予定は、午後から第二商会の会合よね? あとは王宮からの使者……面倒だけど、断れないわね」
書斎で書類に目を通していたリリアーナは、疲れたように肩を回す。
「そんなに頑張らなくても、王宮なんて君なしでは成り立たないさ。向こうが下手に出るべきだろ」
ソファに座っていたジークが気だるげに言いながら、差し入れた紅茶のカップを彼女の前に置く。
「ありがとう。けど、手を抜いて良いほど余裕はないわ」
「……あいつに見せつけた手前、引けないってか?」
図星を突かれ、リリアーナはわずかに表情を曇らせる。
「……彼のことなんて、もうどうでもいいわ」
「でも、お前は怒ってる。――本当は、まだ納得してないんだろ」
ジークの言葉は、優しいけれど容赦がなかった。
「……納得なんて、できるはずがないわ。あの時、私は全てを捨てて彼に尽くした。家の名誉も、王都の評判も、全部失って……でも、信じてたの。彼だけは、最後まで私を選んでくれるって」
「それで、あのセリフだ」
『君とは結婚できない』
「捨てられた瞬間に、私の中の何かが終わったの。けど……」
「けど?」
リリアーナは視線を窓の外へ向けた。
「心のどこかでずっと、証明したかったの。あの時の私は“捨てられるような女”じゃなかったってことを」
ジークは静かに頷く。
「十分、証明できてると思うけどな」
リリアーナは紅茶をひと口すする。だが、胸の奥のざらつきは消えなかった。
そのとき――
「失礼します、お嬢様」
侍女が扉をノックして入ってきた。
「エリオット・レインハルト様がお見えです」
部屋の空気が、一瞬で張り詰める。
「……帰ってもらって」
「それが……どうしても、とのことで――」
「リリアーナ」
続く声は、すでに部屋の中にいた。
使用人を押しのけて入ってきたエリオットは、以前とは違う、焦燥と切実さを顔に浮かべていた。
「話がしたい。君と、二人きりで」
「お断りします。ここは私の家です。無断で立ち入るのはやめていただけます?」
「でも、聞いてほしい。……君と過ごした日々のこと、僕は……」
「“君とは結婚できない”って言ったのは、そっちでしょ?」
ぴしゃりと冷たい声が割って入る。
「都合のいい時だけ、思い出を持ち出さないで。今さら、後悔してるからって許されるとでも?」
「リリアーナ、僕は……君が王都に戻ってきて、こんなにも堂々としてる姿を見て、ようやく気づいたんだ。僕が捨てたのは……誰よりも誇り高くて、賢くて、美しい女性だったって」
ジークがゆっくりと立ち上がり、エリオットと向かい合う。
「そうだな。今さら気づいても遅い。彼女はもう、お前の元に戻るつもりはない」
「黙ってろ。これは彼女との話だ!」
「彼女の傍にいるのは俺だ。お前が口出しできる立場か?」
一触即発の空気が走る。けれどリリアーナは、どちらにも目を向けなかった。
「エリオット様」
静かに、けれど確かな声でリリアーナが言う。
「私があなたに未練を抱いているように見えるなら、勘違いです。今の私は――あなたに愛されたかったあの頃の私ではありません」
「でも……僕は君を、今でも――」
「だったら、どうしてあの時、私を信じてくれなかったの?」
沈黙。
エリオットは言葉を失い、握りしめた拳を見つめるだけだった。
「それに、私には……もう別の未来があるわ」
ジークがその言葉に微かに微笑む。
「君は、俺を選んだのか?」
リリアーナは答えなかった。ただその瞳は、まっすぐジークを見つめていた。
「お引き取りください、エリオット様。これ以上、私の時間を奪わないで」
その言葉に、エリオットは絞り出すように「……わかった」とだけ言い残して去っていった。
重たい扉の音がして、部屋には再び静けさが戻る。
「ふぅ……追い返せたのはいいけど、また来そうね。あの様子じゃ」
ジークはため息をつきつつも、ふっと笑う。
「だろうな。だが、俺がいる限り、あいつには指一本触れさせない」
「……頼りにしてるわ」
ジークはその言葉に満足そうに頷いた。けれどリリアーナの胸には、別のざわめきが生まれていた。
(彼を選ぶって、どういう意味だったのかしら)
ジークは確かに信頼できる。頼りがいもある。けれど「恋」なのかは、まだはっきりしない。
だけど――
「リリアーナ、お前……」
「なに?」
「いや、なんでもない。変に顔が赤かったから」
「はっ?」
「そっか、あの男のこと、やっぱ気になって――」
「気になってないわよっ!」
リリアーナの頬がますます紅く染まる。
ジークは笑いながら「冗談だよ」と肩をすくめたが、どこか複雑な目をしていた。
(でも、もし彼女が本当に俺を選んでくれるなら――)
その想いはまだ、口に出すには早すぎた。
けれど、二人の関係は確実に変化し始めている。
王都に戻ってきたリリアーナ。かつての婚約者の後悔。そして、新たな“恋”の予感。
それぞれの思惑が交差し、まだ何も終わっていない物語が、ゆっくりと熱を帯びていく。
そこはリリアーナが最近購入した、新たな居住兼社交用の拠点。社交界への本格復帰と、王都の市場拡大を見据えた拠点でもあった。
「今日の予定は、午後から第二商会の会合よね? あとは王宮からの使者……面倒だけど、断れないわね」
書斎で書類に目を通していたリリアーナは、疲れたように肩を回す。
「そんなに頑張らなくても、王宮なんて君なしでは成り立たないさ。向こうが下手に出るべきだろ」
ソファに座っていたジークが気だるげに言いながら、差し入れた紅茶のカップを彼女の前に置く。
「ありがとう。けど、手を抜いて良いほど余裕はないわ」
「……あいつに見せつけた手前、引けないってか?」
図星を突かれ、リリアーナはわずかに表情を曇らせる。
「……彼のことなんて、もうどうでもいいわ」
「でも、お前は怒ってる。――本当は、まだ納得してないんだろ」
ジークの言葉は、優しいけれど容赦がなかった。
「……納得なんて、できるはずがないわ。あの時、私は全てを捨てて彼に尽くした。家の名誉も、王都の評判も、全部失って……でも、信じてたの。彼だけは、最後まで私を選んでくれるって」
「それで、あのセリフだ」
『君とは結婚できない』
「捨てられた瞬間に、私の中の何かが終わったの。けど……」
「けど?」
リリアーナは視線を窓の外へ向けた。
「心のどこかでずっと、証明したかったの。あの時の私は“捨てられるような女”じゃなかったってことを」
ジークは静かに頷く。
「十分、証明できてると思うけどな」
リリアーナは紅茶をひと口すする。だが、胸の奥のざらつきは消えなかった。
そのとき――
「失礼します、お嬢様」
侍女が扉をノックして入ってきた。
「エリオット・レインハルト様がお見えです」
部屋の空気が、一瞬で張り詰める。
「……帰ってもらって」
「それが……どうしても、とのことで――」
「リリアーナ」
続く声は、すでに部屋の中にいた。
使用人を押しのけて入ってきたエリオットは、以前とは違う、焦燥と切実さを顔に浮かべていた。
「話がしたい。君と、二人きりで」
「お断りします。ここは私の家です。無断で立ち入るのはやめていただけます?」
「でも、聞いてほしい。……君と過ごした日々のこと、僕は……」
「“君とは結婚できない”って言ったのは、そっちでしょ?」
ぴしゃりと冷たい声が割って入る。
「都合のいい時だけ、思い出を持ち出さないで。今さら、後悔してるからって許されるとでも?」
「リリアーナ、僕は……君が王都に戻ってきて、こんなにも堂々としてる姿を見て、ようやく気づいたんだ。僕が捨てたのは……誰よりも誇り高くて、賢くて、美しい女性だったって」
ジークがゆっくりと立ち上がり、エリオットと向かい合う。
「そうだな。今さら気づいても遅い。彼女はもう、お前の元に戻るつもりはない」
「黙ってろ。これは彼女との話だ!」
「彼女の傍にいるのは俺だ。お前が口出しできる立場か?」
一触即発の空気が走る。けれどリリアーナは、どちらにも目を向けなかった。
「エリオット様」
静かに、けれど確かな声でリリアーナが言う。
「私があなたに未練を抱いているように見えるなら、勘違いです。今の私は――あなたに愛されたかったあの頃の私ではありません」
「でも……僕は君を、今でも――」
「だったら、どうしてあの時、私を信じてくれなかったの?」
沈黙。
エリオットは言葉を失い、握りしめた拳を見つめるだけだった。
「それに、私には……もう別の未来があるわ」
ジークがその言葉に微かに微笑む。
「君は、俺を選んだのか?」
リリアーナは答えなかった。ただその瞳は、まっすぐジークを見つめていた。
「お引き取りください、エリオット様。これ以上、私の時間を奪わないで」
その言葉に、エリオットは絞り出すように「……わかった」とだけ言い残して去っていった。
重たい扉の音がして、部屋には再び静けさが戻る。
「ふぅ……追い返せたのはいいけど、また来そうね。あの様子じゃ」
ジークはため息をつきつつも、ふっと笑う。
「だろうな。だが、俺がいる限り、あいつには指一本触れさせない」
「……頼りにしてるわ」
ジークはその言葉に満足そうに頷いた。けれどリリアーナの胸には、別のざわめきが生まれていた。
(彼を選ぶって、どういう意味だったのかしら)
ジークは確かに信頼できる。頼りがいもある。けれど「恋」なのかは、まだはっきりしない。
だけど――
「リリアーナ、お前……」
「なに?」
「いや、なんでもない。変に顔が赤かったから」
「はっ?」
「そっか、あの男のこと、やっぱ気になって――」
「気になってないわよっ!」
リリアーナの頬がますます紅く染まる。
ジークは笑いながら「冗談だよ」と肩をすくめたが、どこか複雑な目をしていた。
(でも、もし彼女が本当に俺を選んでくれるなら――)
その想いはまだ、口に出すには早すぎた。
けれど、二人の関係は確実に変化し始めている。
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