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夜会の後、わたしたちはしばし庭園で言葉を交わしていた。
けれど、駆け込んできた侍女の報告で、すべてが一変する。
「王太子殿下が……逆恨みして、何かを企んでいるようです!」
胸の奥がざわめく。嫌な予感がして、思わずアルベルトの袖を掴んだ。
彼は落ち着いた表情のまま、しかし目には鋭い光を宿して言った。
「案ずるな、アイリス。殿下が何を仕掛けようとも、私が君を守る」
「……はい。でも、また皆の前であんなふうに言われたら……」
「むしろ好都合だ。愚かさを自ら証明してくれる」
その言葉に少し安心するが、心臓はまだ早鐘を打っていた。
数日後。
王城で行われる政務評議の場に、わたしはアルベルトとともに招かれた。
そこで待ち構えていたのは、エドワードだった。
「おや、公爵。……そしてアイリス。まだ貴様は公爵の後ろに隠れて生きるつもりか?」
彼はわざと周囲に聞こえるような声で言い放つ。
評議の場に集まった貴族たちがざわめいた。
「公爵様のお相手は、あの元王太子妃候補か……」
「無能と罵られて破棄されたと聞いたが……」
その視線が突き刺さる。わたしは拳を握りしめた。
逃げたくなる気持ちを必死に押し殺し、胸の奥でアルベルトの言葉を思い出す。
――「君は誇り高い女性だ」
わたしは一歩、前に出た。
「殿下。わたしが無能だとおっしゃいましたね」
「事実だろう?」
「……ならば、お見せします」
そう言って、わたしは持参した書簡を広げた。
それは以前、婚約者として政務を手伝っていた頃にまとめた農政改革の提案書。
誰も顧みなかったけれど、公爵領で実際に取り入れられ、収穫高を大きく伸ばしていた。
アルベルトがわたしの隣で言葉を添える。
「これはアイリスが立案したものだ。無能どころか、領地を豊かに導く才覚を持っている」
ざわ、と評議の場が揺れる。驚きと賞賛の声が漏れ始めた。
エドワードの顔色が見る見るうちに青ざめていく。
「そ、そんなはずは……!」
「証拠はここにある。公爵領の実績を調べれば、すぐにわかることだ」
さらにアルベルトが冷酷な声で告げた。
「王太子殿下。自らの婚約者を無能と断じ、国の益をもたらす才を見抜けなかった。……その愚かさこそ、無能と呼ぶに相応しいのではないか?」
空気が一気に変わる。
視線はすべてエドワードに向けられ、侮蔑と失望の色を帯びていた。
「殿下が、間違っていたのか……?」
「無能はアイリス嬢ではなく……」
エドワードは必死に弁解しようとするが、もう誰も耳を貸さなかった。
国王までもが深いため息をつき、冷たく告げる。
「エドワード。お前にはまだ王太子としての自覚が足りぬようだ。……謹慎を命ずる」
「父上! 私は――!」
「黙れ!」
その叱責に、彼は顔を歪め、悔しげに睨みつけてきた。
けれど、もう遅い。立場は完全に逆転したのだ。
評議の後。
城を後にしたわたしたちは、公爵邸の庭園で並んで腰掛けていた。
夜風が心地よく吹き、花々の香りが漂う。
「……終わりましたね」
「ああ。殿下は二度と君を侮辱できまい」
アルベルトの言葉に、胸がじんわりと温かくなる。
あのとき一歩踏み出せたのは、彼が隣にいてくれたからだ。
「アルベルト様……わたし、本当に無能ではなかったのでしょうか」
「愚かな質問だな。君は誰よりも賢く、強い女性だ。……そして、私にとってはかけがえのない存在だ」
彼がそっとわたしの手を取る。
大きく温かい掌に包まれて、胸が高鳴った。
「アイリス。君を失いたくない。……私の妻になってくれ」
「……っ!」
涙が溢れそうになる。
かつて「無能」と捨てられたわたしが、今こうして大切にされている。
その事実が、何よりも嬉しかった。
「わたしで……いいのですか?」
「君以外はいない」
迷う理由など、どこにもなかった。
わたしは涙をこぼしながら、笑って頷いた。
「はい……喜んで」
次の瞬間、彼の腕に強く抱きしめられる。
冷酷と恐れられた公爵の胸は、驚くほど温かかった。
「ありがとう、アイリス。必ず幸せにする」
「わたしも、幸せにします」
見上げた先で、彼の瞳が優しく細められる。
唇が近づき、そっと重なった。
――それは甘く、切なく、そして確かな約束の口づけだった。
後日。
王都では「無能」と罵られた令嬢が公爵夫人として迎えられた噂でもちきりだった。
人々は口々に、王太子の愚かさと、公爵の慧眼を語り継ぐ。
けれど、駆け込んできた侍女の報告で、すべてが一変する。
「王太子殿下が……逆恨みして、何かを企んでいるようです!」
胸の奥がざわめく。嫌な予感がして、思わずアルベルトの袖を掴んだ。
彼は落ち着いた表情のまま、しかし目には鋭い光を宿して言った。
「案ずるな、アイリス。殿下が何を仕掛けようとも、私が君を守る」
「……はい。でも、また皆の前であんなふうに言われたら……」
「むしろ好都合だ。愚かさを自ら証明してくれる」
その言葉に少し安心するが、心臓はまだ早鐘を打っていた。
数日後。
王城で行われる政務評議の場に、わたしはアルベルトとともに招かれた。
そこで待ち構えていたのは、エドワードだった。
「おや、公爵。……そしてアイリス。まだ貴様は公爵の後ろに隠れて生きるつもりか?」
彼はわざと周囲に聞こえるような声で言い放つ。
評議の場に集まった貴族たちがざわめいた。
「公爵様のお相手は、あの元王太子妃候補か……」
「無能と罵られて破棄されたと聞いたが……」
その視線が突き刺さる。わたしは拳を握りしめた。
逃げたくなる気持ちを必死に押し殺し、胸の奥でアルベルトの言葉を思い出す。
――「君は誇り高い女性だ」
わたしは一歩、前に出た。
「殿下。わたしが無能だとおっしゃいましたね」
「事実だろう?」
「……ならば、お見せします」
そう言って、わたしは持参した書簡を広げた。
それは以前、婚約者として政務を手伝っていた頃にまとめた農政改革の提案書。
誰も顧みなかったけれど、公爵領で実際に取り入れられ、収穫高を大きく伸ばしていた。
アルベルトがわたしの隣で言葉を添える。
「これはアイリスが立案したものだ。無能どころか、領地を豊かに導く才覚を持っている」
ざわ、と評議の場が揺れる。驚きと賞賛の声が漏れ始めた。
エドワードの顔色が見る見るうちに青ざめていく。
「そ、そんなはずは……!」
「証拠はここにある。公爵領の実績を調べれば、すぐにわかることだ」
さらにアルベルトが冷酷な声で告げた。
「王太子殿下。自らの婚約者を無能と断じ、国の益をもたらす才を見抜けなかった。……その愚かさこそ、無能と呼ぶに相応しいのではないか?」
空気が一気に変わる。
視線はすべてエドワードに向けられ、侮蔑と失望の色を帯びていた。
「殿下が、間違っていたのか……?」
「無能はアイリス嬢ではなく……」
エドワードは必死に弁解しようとするが、もう誰も耳を貸さなかった。
国王までもが深いため息をつき、冷たく告げる。
「エドワード。お前にはまだ王太子としての自覚が足りぬようだ。……謹慎を命ずる」
「父上! 私は――!」
「黙れ!」
その叱責に、彼は顔を歪め、悔しげに睨みつけてきた。
けれど、もう遅い。立場は完全に逆転したのだ。
評議の後。
城を後にしたわたしたちは、公爵邸の庭園で並んで腰掛けていた。
夜風が心地よく吹き、花々の香りが漂う。
「……終わりましたね」
「ああ。殿下は二度と君を侮辱できまい」
アルベルトの言葉に、胸がじんわりと温かくなる。
あのとき一歩踏み出せたのは、彼が隣にいてくれたからだ。
「アルベルト様……わたし、本当に無能ではなかったのでしょうか」
「愚かな質問だな。君は誰よりも賢く、強い女性だ。……そして、私にとってはかけがえのない存在だ」
彼がそっとわたしの手を取る。
大きく温かい掌に包まれて、胸が高鳴った。
「アイリス。君を失いたくない。……私の妻になってくれ」
「……っ!」
涙が溢れそうになる。
かつて「無能」と捨てられたわたしが、今こうして大切にされている。
その事実が、何よりも嬉しかった。
「わたしで……いいのですか?」
「君以外はいない」
迷う理由など、どこにもなかった。
わたしは涙をこぼしながら、笑って頷いた。
「はい……喜んで」
次の瞬間、彼の腕に強く抱きしめられる。
冷酷と恐れられた公爵の胸は、驚くほど温かかった。
「ありがとう、アイリス。必ず幸せにする」
「わたしも、幸せにします」
見上げた先で、彼の瞳が優しく細められる。
唇が近づき、そっと重なった。
――それは甘く、切なく、そして確かな約束の口づけだった。
後日。
王都では「無能」と罵られた令嬢が公爵夫人として迎えられた噂でもちきりだった。
人々は口々に、王太子の愚かさと、公爵の慧眼を語り継ぐ。
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