婚約破棄されたけど、元婚約者が泣きついてくるのは予定外です

ほーみ

文字の大きさ
2 / 6

2

しおりを挟む
王都との契約が決まり、新しい紅茶の仕入れが始まってからというもの、私の店《ティールーム・リュミエール》は、以前にも増して賑わうようになった。

「リリィさん、今月の売上、すごいですよ! わたしたち、頑張ってますね!」

「ええ。ミラもルカもよくやってくれてるわ」

「うへへ~。えへへ~……んっ、あっ……!」

「ルカ、何で顔を赤くしてるのよ」

「だ、だって……あのお客さん、また来てる……!」

ミラの視線の先を追うと、いつもの窓辺の席に、見慣れた姿があった。

――黒髪に銀縁の眼鏡、少し癖のある前髪。口元に浮かべた柔らかな微笑。

あの人が現れたのは、アレクが姿を消してから三週間後のことだった。

彼の名は、ユーリ・クローネ。

商業ギルドに所属する監査官であり、王都の貴族社会とも繋がりがあるという噂の人物。最初は契約関係の視察として訪れただけだったのだが――それ以来、彼は常連客になった。

「今日のおすすめは“林檎とキャラメルのアールグレイ”です。いかがですか?」

「素晴らしいですね。リリィさんの選ぶ香りは、いつもどこか人を癒す。まるで貴女そのもののようだ」

「……またそんな口説き文句を」

「事実ですよ?」

からかうような視線。けれど、その奥にある知性と品格は、決して軽薄ではなかった。

彼はどこか、私のことをじっと観察しているような眼差しを向けてくる。

それが嫌ではないことに、最近ようやく気づき始めた。

けれど、私はまだ——その一歩を踏み出す勇気がない。

「ユーリさん」

「はい?」

「……どうして、そんなに私に構うんですか?」

「うーん、どうしてでしょうね」

彼は紅茶を口に運び、ふわりと笑った。

「……気になります?」

「ええ、少し」

「じゃあ、お答えしましょう。貴女のような女性は、放っておけない。……特に、過去に痛みを背負った人はね」

「……見抜いていたんですね」

「見抜くまでもない。貴女の瞳には、色んな感情が隠れている。でもその奥に、まだ燃え尽きていない炎がある。……その光が、僕は好きなんです」

彼の言葉は、どこかくすぐったくて、けれど、胸の奥にじんと沁みた。

そのとき、店の扉が開いた。

「あ、リリィさん、またあの人……!」

ルカがそっと耳打ちしてきた。

私はふと視線を上げる。

そこに立っていたのは、アレク――ではなかった。

けれど、その姿にはどこか見覚えがあった。

「……王宮付きの従者?」

私がまだ公爵令嬢だった頃、何度か顔を合わせたことのある青年だった。彼は私に頭を下げた。

「突然のご訪問、失礼いたします。……元第一王子アレク様より、伝言を預かっております」

「……元?」

「はい。アレク様は、王族の籍を外されました。現在は爵位も持たず、隠居のような生活をされています」

店内が静まり返る。

ユーリも、珍しく紅茶を置いてこちらを見た。

「……伝言というのは?」

「“一度だけ、話を聞いてほしい”と。……あのとき、言い切れなかったことがあると仰っていました」

私は唇を噛んだ。

「……いまさら何を」

「アレク様は、貴女に対して真剣でした。……婚約破棄の裏には、王家内部の事情が絡んでいたようです」

「……」

「一度だけで構いません。お会いになっていただけませんか」

答えは出なかった。私はただ、黙って従者の去っていく背を見送った。





その夜、私は久しぶりに夢を見た。

あの夜会で、アレクが私の手を取り、「君の笑顔が、世界で一番美しい」と囁いたときの夢。

今となっては、偽りのように思える言葉。

けれど、それでも、心のどこかが疼いた。

――彼に、会うべきだろうか?

「迷っているんですね」

翌日、ユーリが静かに告げた。

「アレクという男に、まだ心を残しているのか。あるいは、きちんと終わらせたいのか」

「……どちらも違います。ただ、過去と向き合うのが怖いだけ」

「それなら、僕が付き添いましょうか?」

「え?」

「君がどこへ向かうとしても、君が望むなら、僕は傍にいます」

また、彼はさらっと、重たいことを言う。

「……どうしてそこまでしてくれるんですか」

「それは、君が僕にとって特別だからですよ」

そのとき、心臓が跳ねた。

私は今、分岐点に立っている。

元婚約者アレクとの過去を断ち切るか、あるいは向き合うか。

そしてもう一方には、新たに差し伸べられたユーリの手。

どちらの手を取るのか――答えはまだ出ない。

けれど、時は確実に進んでいる。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

地味令嬢の私ですが、王太子に見初められたので、元婚約者様からの復縁はお断りします

有賀冬馬
恋愛
子爵令嬢の私は、いつだって日陰者。 唯一の光だった公爵子息ヴィルヘルム様の婚約者という立場も、あっけなく捨てられた。「君のようなつまらない娘は、公爵家の妻にふさわしくない」と。 もう二度と恋なんてしない。 そう思っていた私の前に現れたのは、傷を負った一人の青年。 彼を献身的に看病したことから、私の運命は大きく動き出す。 彼は、この国の王太子だったのだ。 「君の優しさに心を奪われた。君を私だけのものにしたい」と、彼は私を強く守ると誓ってくれた。 一方、私を捨てた元婚約者は、新しい婚約者に振り回され、全てを失う。 私に助けを求めてきた彼に、私は……

「愛することはない」と言った冷徹公爵様、やり直しの人生は溺愛が重すぎます!~王宮が滅びるのは記憶を隠した旦那様と幸運な息子のせい?~

ソラ
恋愛
王宮の陰湿な包囲網、そして夫であるアリステア公爵の無関心。心身を削り取られたセラフィナは、孤独と絶望の中でその短い一生を終えた。 だが、彼女は知らなかった。 彼女の死を知ったアリステアが、復讐の鬼と化して王宮へ反乱を起こし、彼女を虐げた者たちを血の海に沈めたことを。そして彼もまた、非業の死を遂げたことを。 「……セラフィナ。二度と、君を離さない。この命、何度繰り返してでも」 気がつくと、そこは五年前――結婚三日目の朝。 セラフィナが「今度は期待せずに生きよう」と決意した矢先、飛び込んできたアリステアは泣きながら彼女を抱きしめた。 前世の冷淡さが嘘のように、甘く、重すぎるほどの愛を注いでくるアリステア。 さらに、前世には存在しなかった息子・ノエルまで現れ、セラフィナを苦しめるはずだった敵は、彼女が知らないうちに裏で次々と社会的に抹殺されていく。 アリステアは記憶がないふりをして、狂気的な執着を「優しさ」という仮面で隠し、今度こそ彼女を檻のような幸福の中に閉じ込めようと画策していた。 知っているのは、読者(あなた)だけ。 嘘から始まる、究極のやり直し溺愛ファンタジー! (本作品はAIを活用して構成・執筆しています)

婚約破棄された令嬢は“図書館勤務”を満喫中

かしおり
恋愛
「君は退屈だ」と婚約を破棄された令嬢クラリス。社交界にも、実家にも居場所を失った彼女がたどり着いたのは、静かな田舎町アシュベリーの図書館でした。 本の声が聞こえるような不思議な感覚と、真面目で控えめな彼女の魅力は、少しずつ周囲の人々の心を癒していきます。 そんな中、図書館に通う謎めいた青年・リュカとの出会いが、クラリスの世界を大きく変えていく―― 身分も立場も異なるふたりの静かで知的な恋は、やがて王都をも巻き込む運命へ。 癒しと知性が紡ぐ、身分差ロマンス。図書館の窓辺から始まる、幸せな未来の物語。

婚約破棄、ありがとうございます。どうぞお幸せに。

有賀冬馬
恋愛
「君のような地味な女は、僕の隣にいるにはふさわしくない」――そう言って、婚約者のエリックは私を捨て、美貌の令嬢を選んだ。 社交界で“風景”と呼ばれた私は、絶望の淵に突き落とされる。 だが、森で怪我をした旅の男を助けたことで、私の人生は一変した。 その男の正体は、なんと変装した若き国王陛下ヴィクトル! 「君は私の王妃にふさわしい。誰よりもね」国王陛下に見初められた私は、王妃候補として注目の的に。 一方、舞踏会で再会したエリックは、選んだ令嬢の放蕩に苦しみ、見る影もなく落ちぶれていた。 今更、私に縋りついてくるなんて、遅すぎます。 婚約破棄、本当にありがとうございました!

婚約破棄? 国外追放?…ええ、全部知ってました。地球の記憶で。でも、元婚約者(あなた)との恋の結末だけは、私の知らない物語でした。

aozora
恋愛
クライフォルト公爵家の令嬢エリアーナは、なぜか「地球」と呼ばれる星の記憶を持っていた。そこでは「婚約破棄モノ」の物語が流行しており、自らの婚約者である第一王子アリステアに大勢の前で婚約破棄を告げられた時も、エリアーナは「ああ、これか」と奇妙な冷静さで受け止めていた。しかし、彼女に下された罰は予想を遥かに超え、この世界での記憶、そして心の支えであった「地球」の恋人の思い出までも根こそぎ奪う「忘却の罰」だった……

『聖女失格と追放されたけれど、神に選ばれた私は、最強魔導師に拾われました』

春夜夢
恋愛
「おまえは聖女失格だ」 突然そう告げられ、王太子に婚約破棄された公爵令嬢のリアナ。 傷心のまま聖女の役目からも追放された彼女は、ひとり森に捨てられる。 ……が、その夜。 リアナの中に眠っていた“真の力”が目覚め、神々の声が響いた。 「本物の聖女よ、そなたこそ我らが選んだ巫女――」 そして彼女を拾ったのは、冷酷無比と恐れられる最強の氷の魔導師・ゼファルだった。 「俺の妻になれ。……世界を共に壊そう」 偽物の聖女が残った王国。 裏切った王太子たちをよそに、リアナの“真なる覚醒”が始まる──!

今さら遅いと言われる側になったのは、あなたです

有賀冬馬
恋愛
夜会で婚約破棄された私は、すべてを失った――はずだった。 けれど、人生は思いもよらない方向へ転がる。 助けた騎士は、王の右腕。 見下されてきた私の中にある価値を、彼だけが見抜いた。 王城で評価され、居場所を得ていく私。 その頃、私を捨てた元婚約者は、転落の一途をたどる。 「間違いだった」と言われても、もう心は揺れない。 選ばれるのを待つ時代は、終わった。

婚約破棄されて捨てられた私が、王子の隣で微笑むまで ~いえ、もうあなたは眼中にありません~

有賀冬馬
恋愛
「君には魅力がない。だから、婚約はなかったことに」 そう言って私を捨てたのは、騎士のエドガー。 私は町に出て、孤児院を支援する活動を始めました。 そのとき――私のがんばりに気づいてくれた人がいたの。 やさしくて、頼もしくて、国中の人から愛されている第二王子。 「君の笑顔が、世界で一番好きだよ」 一方で、セシリアを捨てた元婚約者は、公爵令嬢に貢がされ、借金地獄へ転落。 やがて、王子に愛されるセシリアと再会し――

処理中です...