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アレクからの伝言を受け取ってから、私は数日間ずっと考えていた。
あの人は今、王族の地位を捨てているという。自らの意志でなのか、それとも追放されたのかは分からない。だが、少なくとも今の彼は「王子」ではない。ただの一人の男にすぎない。
「……話すだけなら、いいのかもしれない」
ぽつりと、誰にともなくつぶやいた。
ただ、それは過去に戻りたいという意味ではない。ただ、終わらせるために。私の心の中にまだくすぶっている、あの人への“何か”を、はっきりと断ち切るために。
そう思った矢先、また店の扉が開いた。
「やあ、リリィさん」
「ユーリさん……」
微笑みながら、彼はいつもの窓際の席に腰を下ろす。そして、こちらを見ずにさらりと言った。
「……アレクに会うんですね?」
私は言葉を返さなかった。
彼はしばらく沈黙を保ったあと、少しだけ視線を上げた。
「君が迷ってるのは分かります。彼に未練があるからじゃない。“彼が本当は何を思っていたのか”、それをちゃんと聞かなかったことが心に引っかかっているだけでしょう?」
「……ええ」
「だからこそ、会ってください。そうしないと、いつまでも心に影を落とす」
「……ユーリさんは、本当にお人好しですね」
「そう見えるなら嬉しいですよ。僕は君が前に進むのを、ただ見ていたい」
本当に不思議な人だった。
こうして毎日のように通ってくるのに、私に近づこうとしすぎない。けれど、その距離感がむしろ心地よかった。
「明日、行きます。アレクのところへ」
そう告げると、ユーリは優しくうなずいた。
「分かりました。……僕は君の帰りをここで待ってます」
そして翌日、私は店をミラたちに任せ、ひとり馬車に揺られていた。
目的地は、王都から少し離れた山あいの別荘地。
アレクが隠遁生活を送っているというその場所は、かつて私たちが婚約者だった頃、夏の避暑として訪れた記憶のある建物だった。
懐かしさと胸の痛みが同時に襲ってくる。
馬車を降りた私を出迎えたのは、あの従者の青年だった。
「リリィ様……いえ、今は“様”は必要ありませんね。お越しいただきありがとうございます」
「ええ、久しぶりですね」
「アレク様は、離れにいらっしゃいます。お通しします」
通されたのは、木々に囲まれた静かな離れ。
扉を開けた瞬間、あの人の姿がそこにあった。
「……リリィ」
低く落ち着いた声。以前より少し痩せたように見えるが、変わらぬ瞳の色。
「ご無沙汰しています、アレク様」
「もう、“様”なんて呼ばないでくれ。俺はただのアレクだ」
「そうですね。では……アレク。話を聞かせてください。あなたが“言えなかったこと”を」
彼は静かにうなずいた。
そして、しばらく沈黙のあと、ぽつぽつと語り始めた。
「……あのとき、俺は君との婚約を自分の意志で破棄したわけじゃなかった」
「……!」
「王家の中で、第二王女エミリアを正妃に推す動きが強まっていた。父王の健康が思わしくない今、後継者争いは水面下で激化していて……俺は“王位に相応しいふるまい”を強制された」
「……だから、私を捨てた?」
「捨てたんじゃない。守れなかったんだ」
悔しげにアレクは拳を握った。
「君との婚約を続けることは、政治的に“足を引っ張る”とされた。……俺は迷ったよ。でも……エミリアとの婚約を承諾すれば、父からの支持を確保できると言われた。だから……君に冷たくすることで、君が自ら身を引いてくれたらと……そんな馬鹿な期待をしていた」
「……最低ですね」
「……ああ、本当に。君が何も言わずに受け入れたとき……俺は、自分の浅はかさを呪った」
言葉に詰まる。
確かに、私はあのとき、何も言わずにその場を去った。でも、それはアレクに対する失望があったからだった。今さらそんな理由を聞かされても、過去は変わらない。
「だからといって、あなたがしたことは許されることじゃない」
「分かってる。でも、それでも……君に伝えたかった。君を傷つけたままで終わらせたくなかった」
「それを聞いて、私がどうすると……?」
「何も求めない。ただ、本当のことを知っていてほしかった。君が、過去のことで自分を責めないように」
私はアレクの顔を見つめた。
かつて私を王宮で一番美しいと称えた瞳は、今もまっすぐに私を見ている。
だけど。
「……私の居場所は、もうあなたの隣ではありません」
アレクの瞳に、静かに影が落ちた。
「そうか……」
「私は今、自分の力で店を持ち、働いて、生きている。あの頃の私ではありません」
「……君は、強くなったね」
「あなたが教えてくれたのかもしれません。皮肉なことに」
アレクは小さく笑った。どこか哀しげに。
そのとき、離れの外から馬のいななきが聞こえた。
「……誰か来たようですね」
扉が開かれ、従者が一言だけ告げた。
「――申し訳ありません、客人がもう一人いらっしゃっています」
「……誰?」
従者の後ろに現れたその人影を見て、私は息をのんだ。
「……ユーリさん?」
そこにいたのは、黒髪の男――ユーリ・クローネ。
けれど、その服装はいつもの穏やかな商人のそれではなく、王都の高位貴族が着るような格式ある正装だった。
彼は一礼し、静かに言った。
「すみません、リリィさん。貴女のことが、心配で……どうしても来てしまいました」
アレクが立ち上がる。
「……君は、まさか“クローネ侯爵家”の……」
「ご存知で?」
「……“王家監査室”の実行権限を持つ男が、なんの用だ?」
「ただ一つ。貴女を、迎えに来ました」
――空気が一瞬、凍りついた。
私の目の前で、過去と未来の狭間に立つ二人の男。
そのどちらの言葉も、嘘ではなかった。
でも、私の心は……まだ、揺れていた。
あの人は今、王族の地位を捨てているという。自らの意志でなのか、それとも追放されたのかは分からない。だが、少なくとも今の彼は「王子」ではない。ただの一人の男にすぎない。
「……話すだけなら、いいのかもしれない」
ぽつりと、誰にともなくつぶやいた。
ただ、それは過去に戻りたいという意味ではない。ただ、終わらせるために。私の心の中にまだくすぶっている、あの人への“何か”を、はっきりと断ち切るために。
そう思った矢先、また店の扉が開いた。
「やあ、リリィさん」
「ユーリさん……」
微笑みながら、彼はいつもの窓際の席に腰を下ろす。そして、こちらを見ずにさらりと言った。
「……アレクに会うんですね?」
私は言葉を返さなかった。
彼はしばらく沈黙を保ったあと、少しだけ視線を上げた。
「君が迷ってるのは分かります。彼に未練があるからじゃない。“彼が本当は何を思っていたのか”、それをちゃんと聞かなかったことが心に引っかかっているだけでしょう?」
「……ええ」
「だからこそ、会ってください。そうしないと、いつまでも心に影を落とす」
「……ユーリさんは、本当にお人好しですね」
「そう見えるなら嬉しいですよ。僕は君が前に進むのを、ただ見ていたい」
本当に不思議な人だった。
こうして毎日のように通ってくるのに、私に近づこうとしすぎない。けれど、その距離感がむしろ心地よかった。
「明日、行きます。アレクのところへ」
そう告げると、ユーリは優しくうなずいた。
「分かりました。……僕は君の帰りをここで待ってます」
そして翌日、私は店をミラたちに任せ、ひとり馬車に揺られていた。
目的地は、王都から少し離れた山あいの別荘地。
アレクが隠遁生活を送っているというその場所は、かつて私たちが婚約者だった頃、夏の避暑として訪れた記憶のある建物だった。
懐かしさと胸の痛みが同時に襲ってくる。
馬車を降りた私を出迎えたのは、あの従者の青年だった。
「リリィ様……いえ、今は“様”は必要ありませんね。お越しいただきありがとうございます」
「ええ、久しぶりですね」
「アレク様は、離れにいらっしゃいます。お通しします」
通されたのは、木々に囲まれた静かな離れ。
扉を開けた瞬間、あの人の姿がそこにあった。
「……リリィ」
低く落ち着いた声。以前より少し痩せたように見えるが、変わらぬ瞳の色。
「ご無沙汰しています、アレク様」
「もう、“様”なんて呼ばないでくれ。俺はただのアレクだ」
「そうですね。では……アレク。話を聞かせてください。あなたが“言えなかったこと”を」
彼は静かにうなずいた。
そして、しばらく沈黙のあと、ぽつぽつと語り始めた。
「……あのとき、俺は君との婚約を自分の意志で破棄したわけじゃなかった」
「……!」
「王家の中で、第二王女エミリアを正妃に推す動きが強まっていた。父王の健康が思わしくない今、後継者争いは水面下で激化していて……俺は“王位に相応しいふるまい”を強制された」
「……だから、私を捨てた?」
「捨てたんじゃない。守れなかったんだ」
悔しげにアレクは拳を握った。
「君との婚約を続けることは、政治的に“足を引っ張る”とされた。……俺は迷ったよ。でも……エミリアとの婚約を承諾すれば、父からの支持を確保できると言われた。だから……君に冷たくすることで、君が自ら身を引いてくれたらと……そんな馬鹿な期待をしていた」
「……最低ですね」
「……ああ、本当に。君が何も言わずに受け入れたとき……俺は、自分の浅はかさを呪った」
言葉に詰まる。
確かに、私はあのとき、何も言わずにその場を去った。でも、それはアレクに対する失望があったからだった。今さらそんな理由を聞かされても、過去は変わらない。
「だからといって、あなたがしたことは許されることじゃない」
「分かってる。でも、それでも……君に伝えたかった。君を傷つけたままで終わらせたくなかった」
「それを聞いて、私がどうすると……?」
「何も求めない。ただ、本当のことを知っていてほしかった。君が、過去のことで自分を責めないように」
私はアレクの顔を見つめた。
かつて私を王宮で一番美しいと称えた瞳は、今もまっすぐに私を見ている。
だけど。
「……私の居場所は、もうあなたの隣ではありません」
アレクの瞳に、静かに影が落ちた。
「そうか……」
「私は今、自分の力で店を持ち、働いて、生きている。あの頃の私ではありません」
「……君は、強くなったね」
「あなたが教えてくれたのかもしれません。皮肉なことに」
アレクは小さく笑った。どこか哀しげに。
そのとき、離れの外から馬のいななきが聞こえた。
「……誰か来たようですね」
扉が開かれ、従者が一言だけ告げた。
「――申し訳ありません、客人がもう一人いらっしゃっています」
「……誰?」
従者の後ろに現れたその人影を見て、私は息をのんだ。
「……ユーリさん?」
そこにいたのは、黒髪の男――ユーリ・クローネ。
けれど、その服装はいつもの穏やかな商人のそれではなく、王都の高位貴族が着るような格式ある正装だった。
彼は一礼し、静かに言った。
「すみません、リリィさん。貴女のことが、心配で……どうしても来てしまいました」
アレクが立ち上がる。
「……君は、まさか“クローネ侯爵家”の……」
「ご存知で?」
「……“王家監査室”の実行権限を持つ男が、なんの用だ?」
「ただ一つ。貴女を、迎えに来ました」
――空気が一瞬、凍りついた。
私の目の前で、過去と未来の狭間に立つ二人の男。
そのどちらの言葉も、嘘ではなかった。
でも、私の心は……まだ、揺れていた。
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