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王都に戻ったのは、使者の到着から二日後だった。
かつては穏やかな空気に満ちていたこの地も、今や別物だった。街には重苦しい沈黙が漂い、衛兵の数も明らかに増えている。住民たちは口を閉ざし、広場の噴水のそばで子供たちが遊ぶ姿も、すっかり見られなくなっていた。
「……まるで戦時下ですね」
エリオットの言葉に、私は深く頷いた。
王宮を覆った“魔力障害”――それは魔法を封じ、通信を断絶し、空間そのものを歪めるほどの強大な干渉だったらしい。
王太子であるレオンは一時的に幽閉状態となり、王は政務を摂れぬまま寝込んでいるという。
その混乱に乗じて姿を消したのが、セリア・ノルマンだった。
(彼女はただの令嬢ではない。未来では、魔鉱石の力を操る“器”になるはずだった)
だが今、その未来すら変わりつつある。
ならば、セリアに代わる“器”が現れた可能性も……ある。
「リシア様。まずは王宮の調査からですか?」
「ええ。レオン殿下の部屋を調べるわ。彼が何をしていたのか、知る必要がある」
かつては婚約者だった部屋。そこに向かうことに、わずかな迷いはあった。
だが今の私は、すでに彼に未練などない。
(でも……あの人が破滅する未来を、私は一度、視てしまった)
だからこそ、知る。防ぐ。進む。
王宮に入るための許可は、思ったより容易に下りた。
それだけ、王宮は混乱していた。
指導者不在。統率の取れない侍従たち。私は“元婚約者”という肩書きだけで、調査官としての立場を得た。
レオンの部屋は、以前と変わらぬ整頓ぶりだった。整えられた書類、手入れされた調度品。だが、その中に明らかに“不自然”なものがあった。
「……魔導書?」
机の引き出しから出てきたのは、漆黒の装丁の魔導書だった。
表紙には王国語ではない“文字”が刻まれている。
「これは……封印魔術?」
私が知る中でも、特に禁忌とされている魔法だ。
命を繋ぐ代償として“魂”を刻印する術。未来視で見たセリアの魔力暴走も、これに似ていた。
「レオン……あなた、こんなものを……」
その時、背後で扉が軋む音がした。反射的に魔法を構える。
「待ってください! 私です!」
現れたのは、王宮魔導師の一人――アデル・クロードだった。
彼は私に会うなり、深々と頭を下げる。
「リシア様……無事でよかった。実は、貴女にお見せしたいものがありました」
「私に?」
彼はポケットから一枚の紙片を差し出した。
それは、王宮の魔力測定装置が最後に記録した“異常反応”の記録だった。
「この値……! 常識の範囲を超えている!」
「はい。しかも、これが発せられたのは……セリア嬢が消える直前の夜です」
「つまり、彼女がこの反応の主である可能性が?」
「……高いです。そしてもう一つ。これは未確認情報ですが……セリア嬢、ある“男”と密会していた形跡があります」
「男……?」
私の中で、過去の未来視が交錯する。
王都の崩壊、黒衣の男、光の裂け目。そして“私しか止められない”という声。
「その男……黒衣を身に着けていませんでしたか?」
「……なぜ、わかるのです?」
私は、そっと魔導書を閉じた。
「視たのです。未来で、あの男が世界を壊すところを」
それから数日、私は王都に潜む“黒衣の男”の痕跡を追った。
彼は公の記録に残らず、噂だけが町をさまよう。
“夢の中に現れる”“言葉で人を惑わす”“目を合わせた者は正気を失う”――どれも真実かどうか分からない。けれど、確かに“何か”は存在している。
そんな中、私は王宮の裏庭で再び彼と出会った。
「久しいな、リシア・エルフォード」
黒衣の男。
その姿は漆黒のローブに包まれ、顔はフードに隠されていた。だが、瞳だけは――まるで空のように澄んだ銀だった。
「……あなたが、セリアを唆したの?」
「彼女は望んだのだ。力を、未来を。……そして君も、そうではないのか?」
「……違う。私は、“破滅を止める力”を望んでいる」
「ならば手を貸そう。君の力を、完全に開放する術を知っている」
私は一歩、後ずさる。
「その代わりに……“代価”が必要だろう?」
彼は笑った。
「当然だ。君の魂の一部――記憶を、貰う」
記憶――?
「何を企んでいるの?」
「君の中には、“忘れているもの”がある。それが今の鍵だ。君は覚えていないかもしれないが、我々は……“昔、出会っている”」
鼓動が早まる。
私の中に、確かに――名前のない、懐かしさのようなものが震えた。
(この人を……私は、どこかで?)
「会いたくば、王都東の“忘却の森”へ来るがいい。君の真実を教えてやろう」
男はそう言い残し、魔力の奔流と共に姿を消した。
その夜、私は一人、王都の塔の上で風に吹かれていた。
背後に気配を感じた瞬間、誰よりも安心する声が届いた。
「こんな場所で、一人きりになるなんて」
「……エリオット」
彼は無言で私の隣に立つ。
この数日間、私はどこか彼との距離をとっていた。
その理由は、自分でもはっきりしなかった。
「……私、きっともう普通の公爵令嬢には戻れない」
「……それがどうしたんです?」
「……?」
「リシア様が何者になっても、私はずっと“あなたの護衛”です。……それだけは変わりません」
目を見開いた。
彼はまっすぐ、私の瞳を見ていた。
「たとえあなたが世界を救おうとする英雄でも、崩壊を呼ぶ存在でも。……私は“あなたの剣”でいさせてください」
その言葉に、胸が苦しくなるほどに温かくなった。
「……本当に、変な人ね」
「ええ、よく言われます。特に“あなたの前では”」
私は思わず笑ってしまった。
エリオットといると、重たい運命も、ほんの少しだけ軽くなる。
(この人がいてくれるなら、私はきっと、立ち向かえる)
そっと、彼の腕に触れる。
言葉にできない思いを、静かに伝えた。
夜明けが近づいていた。
私はついに決意する。
「……“忘却の森”へ向かうわ」
「はい。共に参りましょう」
リシアの物語は、まだ始まったばかりだった。
かつては穏やかな空気に満ちていたこの地も、今や別物だった。街には重苦しい沈黙が漂い、衛兵の数も明らかに増えている。住民たちは口を閉ざし、広場の噴水のそばで子供たちが遊ぶ姿も、すっかり見られなくなっていた。
「……まるで戦時下ですね」
エリオットの言葉に、私は深く頷いた。
王宮を覆った“魔力障害”――それは魔法を封じ、通信を断絶し、空間そのものを歪めるほどの強大な干渉だったらしい。
王太子であるレオンは一時的に幽閉状態となり、王は政務を摂れぬまま寝込んでいるという。
その混乱に乗じて姿を消したのが、セリア・ノルマンだった。
(彼女はただの令嬢ではない。未来では、魔鉱石の力を操る“器”になるはずだった)
だが今、その未来すら変わりつつある。
ならば、セリアに代わる“器”が現れた可能性も……ある。
「リシア様。まずは王宮の調査からですか?」
「ええ。レオン殿下の部屋を調べるわ。彼が何をしていたのか、知る必要がある」
かつては婚約者だった部屋。そこに向かうことに、わずかな迷いはあった。
だが今の私は、すでに彼に未練などない。
(でも……あの人が破滅する未来を、私は一度、視てしまった)
だからこそ、知る。防ぐ。進む。
王宮に入るための許可は、思ったより容易に下りた。
それだけ、王宮は混乱していた。
指導者不在。統率の取れない侍従たち。私は“元婚約者”という肩書きだけで、調査官としての立場を得た。
レオンの部屋は、以前と変わらぬ整頓ぶりだった。整えられた書類、手入れされた調度品。だが、その中に明らかに“不自然”なものがあった。
「……魔導書?」
机の引き出しから出てきたのは、漆黒の装丁の魔導書だった。
表紙には王国語ではない“文字”が刻まれている。
「これは……封印魔術?」
私が知る中でも、特に禁忌とされている魔法だ。
命を繋ぐ代償として“魂”を刻印する術。未来視で見たセリアの魔力暴走も、これに似ていた。
「レオン……あなた、こんなものを……」
その時、背後で扉が軋む音がした。反射的に魔法を構える。
「待ってください! 私です!」
現れたのは、王宮魔導師の一人――アデル・クロードだった。
彼は私に会うなり、深々と頭を下げる。
「リシア様……無事でよかった。実は、貴女にお見せしたいものがありました」
「私に?」
彼はポケットから一枚の紙片を差し出した。
それは、王宮の魔力測定装置が最後に記録した“異常反応”の記録だった。
「この値……! 常識の範囲を超えている!」
「はい。しかも、これが発せられたのは……セリア嬢が消える直前の夜です」
「つまり、彼女がこの反応の主である可能性が?」
「……高いです。そしてもう一つ。これは未確認情報ですが……セリア嬢、ある“男”と密会していた形跡があります」
「男……?」
私の中で、過去の未来視が交錯する。
王都の崩壊、黒衣の男、光の裂け目。そして“私しか止められない”という声。
「その男……黒衣を身に着けていませんでしたか?」
「……なぜ、わかるのです?」
私は、そっと魔導書を閉じた。
「視たのです。未来で、あの男が世界を壊すところを」
それから数日、私は王都に潜む“黒衣の男”の痕跡を追った。
彼は公の記録に残らず、噂だけが町をさまよう。
“夢の中に現れる”“言葉で人を惑わす”“目を合わせた者は正気を失う”――どれも真実かどうか分からない。けれど、確かに“何か”は存在している。
そんな中、私は王宮の裏庭で再び彼と出会った。
「久しいな、リシア・エルフォード」
黒衣の男。
その姿は漆黒のローブに包まれ、顔はフードに隠されていた。だが、瞳だけは――まるで空のように澄んだ銀だった。
「……あなたが、セリアを唆したの?」
「彼女は望んだのだ。力を、未来を。……そして君も、そうではないのか?」
「……違う。私は、“破滅を止める力”を望んでいる」
「ならば手を貸そう。君の力を、完全に開放する術を知っている」
私は一歩、後ずさる。
「その代わりに……“代価”が必要だろう?」
彼は笑った。
「当然だ。君の魂の一部――記憶を、貰う」
記憶――?
「何を企んでいるの?」
「君の中には、“忘れているもの”がある。それが今の鍵だ。君は覚えていないかもしれないが、我々は……“昔、出会っている”」
鼓動が早まる。
私の中に、確かに――名前のない、懐かしさのようなものが震えた。
(この人を……私は、どこかで?)
「会いたくば、王都東の“忘却の森”へ来るがいい。君の真実を教えてやろう」
男はそう言い残し、魔力の奔流と共に姿を消した。
その夜、私は一人、王都の塔の上で風に吹かれていた。
背後に気配を感じた瞬間、誰よりも安心する声が届いた。
「こんな場所で、一人きりになるなんて」
「……エリオット」
彼は無言で私の隣に立つ。
この数日間、私はどこか彼との距離をとっていた。
その理由は、自分でもはっきりしなかった。
「……私、きっともう普通の公爵令嬢には戻れない」
「……それがどうしたんです?」
「……?」
「リシア様が何者になっても、私はずっと“あなたの護衛”です。……それだけは変わりません」
目を見開いた。
彼はまっすぐ、私の瞳を見ていた。
「たとえあなたが世界を救おうとする英雄でも、崩壊を呼ぶ存在でも。……私は“あなたの剣”でいさせてください」
その言葉に、胸が苦しくなるほどに温かくなった。
「……本当に、変な人ね」
「ええ、よく言われます。特に“あなたの前では”」
私は思わず笑ってしまった。
エリオットといると、重たい運命も、ほんの少しだけ軽くなる。
(この人がいてくれるなら、私はきっと、立ち向かえる)
そっと、彼の腕に触れる。
言葉にできない思いを、静かに伝えた。
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私はついに決意する。
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