私を見下していた婚約者が破滅する未来が見えましたので、静かに離縁いたします

ほーみ

文字の大きさ
4 / 7

4

 王都に戻ったのは、使者の到着から二日後だった。

 かつては穏やかな空気に満ちていたこの地も、今や別物だった。街には重苦しい沈黙が漂い、衛兵の数も明らかに増えている。住民たちは口を閉ざし、広場の噴水のそばで子供たちが遊ぶ姿も、すっかり見られなくなっていた。

「……まるで戦時下ですね」

 エリオットの言葉に、私は深く頷いた。

 王宮を覆った“魔力障害”――それは魔法を封じ、通信を断絶し、空間そのものを歪めるほどの強大な干渉だったらしい。
 王太子であるレオンは一時的に幽閉状態となり、王は政務を摂れぬまま寝込んでいるという。

 その混乱に乗じて姿を消したのが、セリア・ノルマンだった。

(彼女はただの令嬢ではない。未来では、魔鉱石の力を操る“器”になるはずだった)

 だが今、その未来すら変わりつつある。
 ならば、セリアに代わる“器”が現れた可能性も……ある。

「リシア様。まずは王宮の調査からですか?」

「ええ。レオン殿下の部屋を調べるわ。彼が何をしていたのか、知る必要がある」

 かつては婚約者だった部屋。そこに向かうことに、わずかな迷いはあった。
 だが今の私は、すでに彼に未練などない。

(でも……あの人が破滅する未来を、私は一度、視てしまった)

 だからこそ、知る。防ぐ。進む。





 王宮に入るための許可は、思ったより容易に下りた。

 それだけ、王宮は混乱していた。
 指導者不在。統率の取れない侍従たち。私は“元婚約者”という肩書きだけで、調査官としての立場を得た。

 レオンの部屋は、以前と変わらぬ整頓ぶりだった。整えられた書類、手入れされた調度品。だが、その中に明らかに“不自然”なものがあった。

「……魔導書?」

 机の引き出しから出てきたのは、漆黒の装丁の魔導書だった。
 表紙には王国語ではない“文字”が刻まれている。

「これは……封印魔術?」

 私が知る中でも、特に禁忌とされている魔法だ。
 命を繋ぐ代償として“魂”を刻印する術。未来視で見たセリアの魔力暴走も、これに似ていた。

「レオン……あなた、こんなものを……」

 その時、背後で扉が軋む音がした。反射的に魔法を構える。

「待ってください! 私です!」

 現れたのは、王宮魔導師の一人――アデル・クロードだった。
 彼は私に会うなり、深々と頭を下げる。

「リシア様……無事でよかった。実は、貴女にお見せしたいものがありました」

「私に?」

 彼はポケットから一枚の紙片を差し出した。
 それは、王宮の魔力測定装置が最後に記録した“異常反応”の記録だった。

「この値……! 常識の範囲を超えている!」

「はい。しかも、これが発せられたのは……セリア嬢が消える直前の夜です」

「つまり、彼女がこの反応の主である可能性が?」

「……高いです。そしてもう一つ。これは未確認情報ですが……セリア嬢、ある“男”と密会していた形跡があります」

「男……?」

 私の中で、過去の未来視が交錯する。
 王都の崩壊、黒衣の男、光の裂け目。そして“私しか止められない”という声。

「その男……黒衣を身に着けていませんでしたか?」

「……なぜ、わかるのです?」

 私は、そっと魔導書を閉じた。

「視たのです。未来で、あの男が世界を壊すところを」




 それから数日、私は王都に潜む“黒衣の男”の痕跡を追った。
 彼は公の記録に残らず、噂だけが町をさまよう。
 “夢の中に現れる”“言葉で人を惑わす”“目を合わせた者は正気を失う”――どれも真実かどうか分からない。けれど、確かに“何か”は存在している。

 そんな中、私は王宮の裏庭で再び彼と出会った。

「久しいな、リシア・エルフォード」

 黒衣の男。
 その姿は漆黒のローブに包まれ、顔はフードに隠されていた。だが、瞳だけは――まるで空のように澄んだ銀だった。

「……あなたが、セリアを唆したの?」

「彼女は望んだのだ。力を、未来を。……そして君も、そうではないのか?」

「……違う。私は、“破滅を止める力”を望んでいる」

「ならば手を貸そう。君の力を、完全に開放する術を知っている」

 私は一歩、後ずさる。

「その代わりに……“代価”が必要だろう?」

 彼は笑った。

「当然だ。君の魂の一部――記憶を、貰う」

 記憶――?

「何を企んでいるの?」

「君の中には、“忘れているもの”がある。それが今の鍵だ。君は覚えていないかもしれないが、我々は……“昔、出会っている”」

 鼓動が早まる。
 私の中に、確かに――名前のない、懐かしさのようなものが震えた。

(この人を……私は、どこかで?)

「会いたくば、王都東の“忘却の森”へ来るがいい。君の真実を教えてやろう」

 男はそう言い残し、魔力の奔流と共に姿を消した。





 その夜、私は一人、王都の塔の上で風に吹かれていた。

 背後に気配を感じた瞬間、誰よりも安心する声が届いた。

「こんな場所で、一人きりになるなんて」

「……エリオット」

 彼は無言で私の隣に立つ。

 この数日間、私はどこか彼との距離をとっていた。
 その理由は、自分でもはっきりしなかった。

「……私、きっともう普通の公爵令嬢には戻れない」

「……それがどうしたんです?」

「……?」

「リシア様が何者になっても、私はずっと“あなたの護衛”です。……それだけは変わりません」

 目を見開いた。
 彼はまっすぐ、私の瞳を見ていた。

「たとえあなたが世界を救おうとする英雄でも、崩壊を呼ぶ存在でも。……私は“あなたの剣”でいさせてください」

 その言葉に、胸が苦しくなるほどに温かくなった。

「……本当に、変な人ね」

「ええ、よく言われます。特に“あなたの前では”」

 私は思わず笑ってしまった。
 エリオットといると、重たい運命も、ほんの少しだけ軽くなる。

(この人がいてくれるなら、私はきっと、立ち向かえる)

 そっと、彼の腕に触れる。
 言葉にできない思いを、静かに伝えた。





 夜明けが近づいていた。

 私はついに決意する。

「……“忘却の森”へ向かうわ」

「はい。共に参りましょう」

 リシアの物語は、まだ始まったばかりだった。

あなたにおすすめの小説

「いらない」と捨てられた令嬢、実は全属性持ちの聖女でした

ゆっこ
恋愛
「リリアーナ・エヴァンス。お前との婚約は破棄する。もう用済み そう言い放ったのは、五年間想い続けた婚約者――王太子アレクシスさま。 広間に響く冷たい声。貴族たちの視線が一斉に私へ突き刺さる。 「アレクシスさま……どういう、ことでしょうか……?」 震える声で問い返すと、彼は心底嫌そうに眉を顰めた。 「言葉の意味が理解できないのか? ――お前は“無属性”だ。魔法の才能もなければ、聖女の資質もない。王太子妃として役不足だ」 「無……属性?」

婚約破棄でかまいません!だから私に自由を下さい!

桗梛葉 (たなは)
恋愛
第一皇太子のセヴラン殿下の誕生パーティーの真っ最中に、突然ノエリア令嬢に対する嫌がらせの濡れ衣を着せられたシリル。 シリルの話をろくに聞かないまま、婚約者だった第二皇太子ガイラスは婚約破棄を言い渡す。 その横にはたったいまシリルを陥れようとしているノエリア令嬢が並んでいた。 そんな2人の姿が思わず溢れた涙でどんどんぼやけていく……。 ざまぁ展開のハピエンです。

聖女の妹、『灰色女』の私

ルーシャオ
恋愛
オールヴァン公爵家令嬢かつ聖女アリシアを妹に持つ『私』は、魔力を持たない『灰色女(グレイッシュ)』として蔑まれていた。醜聞を避けるため仕方なく出席した妹の就任式から早々に帰宅しようとしたところ、道に座り込む老婆を見つける。その老婆は同じ『灰色女』であり、『私』の運命を変える呪文をつぶやいた。 『私』は次第にマナの流れが見えるようになり、知らなかったことをどんどんと知っていく。そして、聖女へ、オールヴァン公爵家へ、この国へ、差別する人々へ——復讐を決意した。 一方で、なぜか縁談の来なかった『私』と結婚したいという王城騎士団副団長アイメルが現れる。拒否できない結婚だと思っていたが、妙にアイメルは親身になってくれる。一体なぜ?

これまでは悉く妹に幸せを邪魔されていました。今後は違いますよ?

satomi
恋愛
ディラーノ侯爵家の義姉妹の姉・サマンサとユアノ。二人は同じ侯爵家のアーロン=ジェンキンスとの縁談に臨む。もともとはサマンサに来た縁談話だったのだが、姉のモノを悉く奪う義妹ユアノがお父様に「見合いの席に同席したい」と懇願し、何故かディラーノ家からは二人の娘が見合いの席に。 結果、ユアノがアーロンと婚約することになるのだが…

知らぬはヒロインだけ

ネコフク
恋愛
「クエス様好きです!」婚約者が隣にいるのに告白する令嬢に唖然とするシスティアとクエスフィール。 告白してきた令嬢アリサは見目の良い高位貴族の子息ばかり粉をかけて回っていると有名な人物だった。 しかも「イベント」「システム」など訳が分からない事を言っているらしい。 そう、アリサは転生者。ここが乙女ゲームの世界で自分はヒロインだと思っている。 しかし彼女は知らない。他にも転生者がいることを。 ※不定期連載です。毎日投稿する時もあれば日が開く事もあります。

婚約破棄が成立したので遠慮はやめます

カレイ
恋愛
 婚約破棄を喰らった侯爵令嬢が、それを逆手に遠慮をやめ、思ったことをそのまま口に出していく話。

婚約破棄のたった一つの条件は

あんど もあ
ファンタジー
カルロスは、婚約者のローゼリアの妹マリナに惹かれて、婚約破棄とマリナの婚約をローゼリアに申し出た。あっさりと受け入れるローゼリアに、カルロスは「何かお詫びの品を渡したい」と希望を訊くのだが、ローゼリアが望んだ物は……。

学園では婚約者に冷遇されていますが、有能なので全く気になりません。〜学園でお山の大将されてても、王宮では私の方が有能ですから〜

織り子
恋愛
王都カラディナにある国立魔術学園では、満十六歳の生徒たちの社交界デビューを兼ねた盛大なパーティーが開かれていた。 侯爵令嬢タレイア・オルトランは、婚約者である第二王子アスラン・オグセリアの迎えを待つも、結局ひとりで会場へ向かうことになる。 学園では身分の差がないとはいえ、アスランが公然とタレイアを侮辱し続けてきたことで、彼女は生徒たちから冷笑と蔑視の的となっていた。しかしタレイアは、王城で政務を担ってきた聡明さと矜持を失わず、毅然と振る舞う。