「お前との婚約はなかったことに」と言われたので、全財産持って逃げました

ほーみ

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 ローゼリア・フォン・カーヴェス。

 王都で最も注目される令嬢の一人。第三騎士団長の娘にして、王太子エドワルド殿下の“新しい婚約者”だ。

 かつて私を侮辱し、殿下に取り入り、そして——王都中に私の“敗北”を印象づけた張本人。

「その女が……この港町に来る?」

 信じられなかった。いや、信じたくなかった。

 だが手紙の情報は間違いなく、カイルも「俺の筋からも同じ報告が上がってる」と言った。

 どうやら、私が“港町で活動している”という情報が王都に流れているようだ。正確な名前は伏せていても、エル商会の名前と成果が目立ちすぎたのだろう。

「ローゼリアが来て、何をする気かしら」

「偵察か、懐柔か、直接の嫌がらせか……あるいは、“処理”だ」

「処理、ね」

 私はソファに深く座り込み、腕を組んだ。彼女が来ること自体は怖くない。むしろ、好都合だ。

 私はあの女に直接会って、問いたださねばならない。あの日、エドワルドの口から出た“婚約破棄”の裏に、どれだけ彼女の影があったのかを。

 舞踏会から一夜明け、私は行動を開始した。

 



 

 ベリスの港には、王都からの使節団が小型船で入港した。

 ローゼリアの名は出されていなかったが、カイルの人脈から、彼女が偽名を使って訪問していることが判明した。

「リリア・クラウス嬢、だと?」

「ああ。“王都商会の投資視察”って名目らしい」

「随分とご立派な“視察”ね」

 笑ったが、内心では苛立ちが募っていた。私のことをここまでしつこく調べるというのは、もはや敵意そのものだ。

 だが、正面から敵意をぶつけるのは愚か者のやることだ。今の私はただの商人、“リナ・エル”なのだから。

「彼女が訪れる予定の店、すでにいくつか抑えてある。エル商会も視察対象に含まれてるらしい」

「……来る気ね。なら、こちらも準備しましょう」

 

 

 三日後、ローゼリアは、仮面も偽名も外してエル商会に姿を現した。

「初めまして。リナ・エル様、でしたかしら?」

 その笑顔は、あの日、私に“もうあなたの居場所はないのよ”と囁いたあの表情と、まったく同じだった。

 こちらも当然、笑顔で応じる。

「ええ。ようこそいらっしゃいました、ローゼリア様。港町へようこそ」

 内心、吐き気がするほど嫌悪しているのに、言葉は完璧だった。商人としての顔を貫く。ここで感情を乱しては、負けだ。

「まあまあ、素敵なお店。……噂には聞いていたけれど、本当に成功しているのね。港町に逃げたにしては上出来だわ」

「光栄です」

「殿下も驚いていたわ。まさかレイナ・エルンストが、こんなところでしぶとく生きているなんてって」

 彼女は挑発してくる。わかっている。だが、挑発に乗ったら終わりだ。

「王太子殿下とは、もう何の関係もありません。私はただ、自分の力で生きているだけですから」

「ふふ……そうね。“王太子妃の座”を自ら手放した女とは、もう無関係だものね」

 私は、ふと視線を上げた。

「ええ。けれど、手放したのではなく、“奪われた”のだと、今も思っています。そう思わせる何かが、あったのでは?」

 一瞬、ローゼリアの目が鋭く光った。だが、すぐに表情を取り繕う。

「妄想はほどほどにね。あなたはもう、“過去の女”なのだから」

「では、その“過去の女”に、なぜ会いに来たのです?」

 沈黙が落ちる。私の微笑みが深まる。彼女の唇がわずかに引きつった。

「……殿下があなたの行方を案じておられたのよ。だから私が、代わりに来たの」

 ——その言葉の裏に、エドワルドの“焦り”がある。

 彼は今、政治的に苦境に立たされている。王都の有力商会や貴族たちが、私との婚約破棄によって失われた投資先や取引網に不満を抱き始めているのだ。

 つまり——私が王都にとって“重要人物”になりつつある。

「ローゼリア様。私に忠告なさるために来られたなら、もう十分ですわ」

 私はゆっくりと立ち上がり、彼女の正面に立った。

「エドワルド殿下のことは、お返しいたします。どうぞ、大切にして差し上げてください」

「……っ」

「ただし、彼が失ったものの価値に気づいた時、あなたはきっと、彼を疑うでしょう。私はそれが——とても楽しみです」

 ローゼリアは何か言いかけたが、結局何も言わず、その場を後にした。

 

 

 その夜、私はひとり、昔の手紙を開いていた。

 王都にいた頃、父と交わした手紙の一通——婚約破棄の直前に届いた、最後の手紙だった。

『レイナ。貴族の娘として、愛ではなく誇りを忘れるな。
婚約者に裏切られたとしても、決して涙を見せてはならない。
それが、お前の母の最期の願いだ。』

「……お父様……」

 私は声にならない声を漏らしながら、そっと手紙を抱きしめた。

 王都を出る時、家は沈黙した。家名を守るために、私は“独断で婚約を破棄された恥”を一身に背負わされた。父も兄も、私に何も言えなかった。

 けれど、それでも——

 私は、彼らの誇りだった。

 ならば、ここで倒れるわけにはいかない。

 私は、もう一度立ち上がった。

 


 

「カイル」

「ん?」

「……王都に、仕掛ける準備を始めましょう」

 彼は目を細めた。

「ついにその時が来たか」

「ええ。まずは王都の商人会議の一角に、エル商会を“正式に乗り込ませる”。そのための準備を、最短で整えてほしいの」

「了解。……ただ、王都の奴らが黙って見てるとは思うなよ。暗殺者を送る可能性だってある」

「だったら……返り討ちにするだけよ」

 私の目には、迷いなどなかった。

 ローゼリアが動いたことで、状況は加速する。
 私の過去も、敵も、味方も、すべてが動き出す。

 これはもう“逃げた令嬢”の話ではない。
 裏切られた女の、復讐と再生の物語。

 次は私が仕掛ける番。

 

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