命の痕 ―キズナ―

ふみかん

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寄り添う肩①

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 ――あいつとの出会いは19歳の春、高校2年の初日だった。

  俺――斉藤祐一さいとうゆういちは、少し変わった私立の学校に通っていること以外、容姿も成績も平凡な学生だ。素行や交友関係も悪目立ちしていることはなく、マンガの背景にいるモブや主人公の友人枠というのが相応しい表現だ。
  家庭環境は普通のサラリーマンの父と教師の母と探せば何処にでもある家庭環境だった。
  ……だった。
  過去の話。もう二人ともいない。
  離婚だとか、病気だとかではなくて……五年前、この街に住んでいる人なら誰もが知っている市内で起きた凄惨な交通事故に巻き込まれて両親は亡くなった。
  実のところ、俺もその事故に巻き込まれた被害者だ。奇跡的に一命を取り留めて何とか普通の生活を送っている。
  あの日のことは今でも覚えている。両親と外食の待ち合わせで駅に向かっていた俺の目の前で、猛スピードで信号を無視して交差点に進入した大型トラックが横転、次々に他の他の車両を巻き込んで連鎖的に多くの車両が玉突き事故を起こしていった。
  そして歩道に玉突き事故を逃れようと回避、しかし、それを失敗して歩道に乗り上げて来た乗用車に俺は撥ねられた。
  ここで俺の意識は暗転する。
  それが幸か不幸か……その後に起きた地獄を見ずに済んだ。
  その大型トラックというのは、背中にたんまりとLPガスを積載したタンクローリーで……大爆発を引き起こしたのだった。周辺の建造物のガラスは割れ、外壁が崩れ落ちたところもあったそうだ。更に言えば事故発生時は帰宅ラッシュで人口密度が多かったことが災いし、事体が収束した時には数百人の命が奪われ、怪我人は三千人を超えていたと新聞記事に残っていた。
  当然ながら横転したトラックの運転手は死亡。爆心地の最も近くにいた為、人としての原型は留めておらず、車両照会から芋ずる式に特定されていったらしい。事故の詳細はトラックの運転手の居眠り運転や突発的な心臓発作などと色々な憶測が未だに飛び交っている。
  それはそうと乗用車に撥ねられた俺だが、爆心地の比較的付近に居たにも関わらず、撥ねた車が壁になったことで昏睡状態に陥るも奇跡的に一命は取り留めていた。
  そして一年後、二度目の奇跡が起きて俺は目を覚ました。目を覚ました場所は、24時間監視態勢が敷かれた厳重な集中治療室を思わせる病室で、あまりの光景に夢でも見ているのかと度肝を抜かれたのを覚えている。とは言っても、一年もの間昏睡状態にあったことで起き上がることは愚か、驚きの声を上げることさえも出来なかったが……。
  それからはトントン拍子だった。足の治療とリハビリで1年、更に1年リハビリと並行して勉強をし3年遅れの高校進学を果たした。特にリハビリが一年もかからずに完了したのはある大手企業が懇意に援助してくれたことが大きい。
  後遺症として残ったのは、普通では分からない程度に両腕の骨が内側に反ってしまったことと足に負担を掛かるような激しい運動が出来なくなってしまったことを除いては五体満足でヨロシクやっている。

 「んじゃ、行ってきます」

  返事の帰ってこない部屋に挨拶をして玄関扉に鍵を掛けた。両親を失った俺は、保護者兼後見人になってくれた母親の妹であるすみれ義姉さんに引き取られ、賃貸マンションで二人暮らしをしている。ちなみにすみれ義姉さんの仕事は教師だ。それも俺のクラスの担任というおまけ付き。何やら裏で手を回されたような気もしなくはないが……深入りしたらダメなのだろう。更に付け加えれば母方の家系は殆どが教職に就いているという生粋の先生一家。右を向いても左を向いても「先生」と呼べば全員が振り返る奇妙な光景が味わえる。
  俺は自転車の籠にカバンを乗せて、いつもと変わらない通学路を漕ぎ出した。

  私立桜花学園は少し変わっている。
  山一つを丸々切り開いて作られた小中高一貫の盛大に自然破壊をしている学校という時点で中々のインパクトはあるが、それ以上にこの学校はお祭り好きとして世界的に有名なのだ。どの程度、お祭り好きかと言えば、春夏秋冬に大きな学祭が催され、細々としたイベントやプチ祭りのようなものも数えれば年間行事数は20を超える。
  一般的な学校での祭りごとと言えば文化祭or学園祭の年一回くらいなものだとすれば、とんでもない数だ。
  この学校に入学した理由は、入院中に知り合った藤堂英二とうどうえいじ、この学院の理事長をしている青年の薦めだ。と言ってもコネや裏口入学というワケではない。他の受験生と同じように試験を受け、正規の手続きで合格した。
  他と違う点は、学費がタダ同然と言っていい額で通わせて貰っていることくらいだ。
  一つ誤解を招くので訂正しておくと俺だけが特別なのではなく、あの事故に巻き込まれて留年などに見舞われた全員が対象にされている。
  これは英二自身も同じく境遇にあるからこその慈善事業だと言っていた。

  はてさて、進級初日。誰もが旧友と同じクラスことに成れたことを喜び、また新しいクラスメイトたちと友好を結び新たな人脈開拓を行う喧騒の中、惰眠を貪ろうと机に突っ伏していた俺の隣に誰かが立ち塞がった。窓から差し込んでいた春の木漏れ日を遮られた。
  俺の友人なら同時に何らかのアクションを起しているはずなので、隣近所の誰かの知り合いだろう。
  そんな高を括っていた俺だったが……喧騒に包まれていた教室が静寂へと変化していることに顔を上げて見た。木漏れ日を遮っていたのは立派な双丘を持つ可愛い女生徒だった。
  女生徒が無言で握手を求めるように手を差し出した。
  俺の頬は自然と引き攣った。
  その女生徒は学内でも一二を争う有名人。
  来栖川美影くるすがわみかげ。大企業の来栖川エレクトロニクスのご令嬢で、容姿端麗、成績優秀、大抵のことはそつが無くこなす絵に描いたような天才肌の人間。天才ゆえか、自由気ままに行動することが有名で遅刻欠席早退の常習犯。またお祭りごとは大好きで、催事の際は主導となって周囲を巻き込み、ブラック労働をさせることで悪名高い。通称:血統書付きのノラネコ。
  彼女に目を付けられたら最後、トラウマが芽生えるまで徹底的に扱き使われ、骨の髄までしゃぶられて残りかすとなったら捨てられる。そんな噂が出回っているくらいだ。
  昨年の桜花学園を揺るがした二大悪徒の片割れ。
  もう一人の方は詳しくは知らない。噂によれば裏で暗躍する"影の帝王"などという恥ずかしい名前で呼ばれているそうだ。
  手を差し出したままの来栖川が、ずいっと手を更にこちらに突き出して来る。

 「斉藤祐一くんだよね。桜花祭、一緒にがんばろっ!」

  そんな彼女の可愛らしい笑顔は、平穏を求める俺にとっては死刑宣告以外の何物でもない。
  どこからか声にならない悲鳴とむせび泣くような嗚咽が教室内をざわつかせる。
  悲鳴を上げて泣きたいのはこっちだ。

 「何方かとお間違えじゃありませんか? 俺は斉藤信一ですよ?」
 「ウソいくないよ。下調べはバッチリだから! それに"祐"も"信"も画数一緒だから誤差だよ誤差」

  この女やべえ。
  突発的に目を付けられたのではなかった。事前調査によって外堀は完全に埋められているだけに留まらず、クラスの視線を集めることで退路も塞がれている。どう足掻いても逃げ場はない。
  ここで無駄に抵抗すれば逆に目立つだけだ。
  俺は仕方なく、差し出された来栖川の手を引き加減で握った。
  瞬間、教室から廊下へ、そして学園全体に悲鳴が伝播していった。

  その日の夕方。
  俺は隣町の駅前にあるファミレスで一人待ちぼうけをしていた。
  相手は少し前に会議が長引いて少し遅れるとメールが来たので、一番高いセットを注文して奢らせる気マンマンだ。
  リブ、ヒレ、サーロインの肉の三重奏を美味しく頂く。
  何とお値段2380円と学生にはちょっと手が出せない価格。
  料理を半分ほど消費したところでお待ちかねの人物が現れた。

 「やあやあ、祐一君。遅れてしまって申し訳ないね。立場上、会議を抜け出せなくってね。ああ、すみません、ホットコーヒーお願いします」

  高級そう……ではなく、高級なスーツに身を包んだ20代後半を思わせる容姿の40半ばの男が流れる動作で近くの店員を捕まえて注文をしながらテーブルを挟んだ対面に腰掛けた。

 「今日は、どうやら景気が良さそうだ」

  いけしゃあしゃあと笑ってお冷のグラスを口に運んだ。

 「これは和樹さんの奢りですよ」
 「おや、ちょっと遅刻しただけなのに手厳しい。ま、進級祝いとして奢って上げようじゃないか」
 「ま、財布に1500円しか入ってないから、奢って貰わないと無銭飲食になるんですけどね」
 「財布のキャパシティオーバーな注文はやめないかな?」

  和樹さんが半笑いでずっこけた。

 「祐一君、最近の足の調子はどうかな?」
 「今までと変わらずですね。主治医からも言われてますけど、幾ら手術してもこれ以上は良くならない。二度と全力で走るのは無理だろうって」
 「……そうか。我が社にもっと技術力があれば、どうにかして上げられたかもしれないのに力及ばず申し訳ない」

  和樹さんが真剣な表情で、机に鼻先が当たるくらいに頭を深く下げた。

 「やめて下さいよ。和樹さんが悪いワケじゃないんですから……むしろ、手術しても治るか分からない、一生車椅子生活を宣告されてたのに和樹さんの会社が全面的にバックアップしてくれたお陰で、たった一年ちょっとで歩けるようになったんですから。俺としては感謝しかありませんよ」
 「そうは言っても技術者として力が及んでいないのは事実さ」

  頭を上げた和樹さんは悲しい目をしてコーヒーカップに視線を落としていた。
  この人は一介の学生風情に軽々しく頭を下げていいような人じゃない。
  来栖川和樹くるすがわかずき。機械工業界では一二を争う一流企業"来栖川エレクトロニクス"の代表取締役社長でありながら、今も最前線でバリバリ仕事をしている技術者。
  普通なら俺のような一般人が知り合うなんてありえない雲の上の人だ。
  和樹さんとは四年近い付き合いになる。
  和樹さんの会社が懇意にしてくれなければ、俺は今も車いす生活を余儀なくされていた。
  本当に感謝以外何も浮かんでこない。

 「俺の足は科学的な問題じゃなくて、医療的な問題ですから気にしないでください」
 「そう言って貰えると本当に救われるよ」

  和樹さんは安堵した表情を浮かべていた。
  リハビリが終わってからも和樹さんとの縁は切れることはなく、今日のように『ちょっとお茶でもしないかな?』なんていう意味深なメールがちょくちょく届く。
  誤解のないように言っておくが、俺はノーマルだし、和樹さんも妻子持ちなのでノーマルなはずだ。

 「そうそう、今日、来栖川美影さんと友達になりましたよ、それはもう拒否権無しで」
 「……ウチの娘がご迷惑をお掛けします」

  帰りは高級車でマンションの前まで送って貰った。

  〇●〇●

 事件とは唐突に起きるものだ。
  夕食を食べ終え、夜8時を過ぎた頃。
  ピンポーン、と怪しく呼び鈴が鳴った。
  都合よく義姉さんが風呂に行っていたこともあって、応対しにノロノロと立ち上がる。自室を出て廊下へ、インターホンの受話器はリビングにあるので遠回りだ。シャワーの水音が聞こえる風呂場の前を通って、チェーンロックを外し、鍵を開けてドアノブを下げて扉を押した。

 「はいはい、どちらさ――」

  扉越しに相手を確認せず扉を開けたことを今日ほど後悔したことはない。
  金属の扉一枚を隔てた向こうに制服姿のとびっきりの美少女が最高の笑顔で立っていた。

 「来栖川……なんで、俺ん家知ってんの?」
 「ふっふふ、私は何でも知ってっぇぇぇ、ちょ待って! い、痛いってばっ!?」

  閉めようとした扉の隙間に来栖川が足を滑り込ませ、その色白の足が扉にむちっと挟まれた。

 「スミレちゃんに相談したいことがあるってメールしたら教えてくれたの! だから、中に入れてよ!!」
 「ちっ、義姉さんか」

  結城すみれ。年齢27歳の桜花学園の国語教師で俺の保護者兼義姉さんだ。面倒見がいい性格から生徒教師問わず人気が高く、加えて言えば美人過ぎるが故の高嶺の花で男は寄り付けず、更には相手への理想が高いことから彼氏いない歴=年齢を更新中の行き遅れまっしぐら。
  仕方なく来栖川を家に招き入れる。

 「ていうか、本当にセンセーと一緒に住んでるんだね」
 「そりゃ義姉さんは保護者だからな。一人暮らしは許してくれないし、そもそも金ねーし」
 「それくらいバイトしなよ」
 「ふっ、俺の学力でバイトなんてしてたら留年確定だぜ!」
 「それ威張るとこと違う。ん? センセー、お風呂行ってるの? なになに、もしかして覗きの真っ最中だった?」

  来栖川は、しげしげと興味津々に口元を歪める。そんな馬鹿は置き去りにしてリビングへと先に向かう。

 「そういうの無いから。血縁者とか従姉妹関係って本能的にそう思わないらしいぜ? そんなこと考えたこともないから」

  やや遅れて来栖川がリビングにやってくる。カバンをその辺に放り捨て、流れるようにソファに転がった。
  まるで自宅でくつろいでいるかのような振舞いにツッコミを入れることさえ忘れてしまう。

 「そんなもんなの?」
 「そんなもんそんなもん。漫画とかドラマの見過ぎ。あー、お茶でいいか? それともコーヒー? どっちもティーパックかインスタントだけど」
 「じゃ、コーヒーで。砂糖とミルクは二杯づつお願い」
 「へいへい」

  甘党なのか?
  ずかずかと人の家に上がり込んでくる堂々たる振舞い。来栖川にはブラックコーヒー片手にふんぞり返る姿が目に浮かぶくらい似合うが……勝手な想像とはいえ、甘党なのは少し以外だ。

  そして事件の開幕。
  風呂から上がって来たすみれ義姉さんは来栖川の姿を見て硬直した。風呂上がりに裸で歩き回るようなふしだらな義姉ではないので、そういったハプニングではない。

 「なんで、来栖川さんが家に?」
 「ちょっと相談したいことがあるって祐一君にメールしたら住所を教えてくれたよ」

  ……おいおい、来栖川さんや。言ってることがおかしくないですかね?
  ニコニコと来栖川は耳を疑う文字の羅列を吐き出した。
  すみれ義姉さんの視線が痛い。

 「いや、ちょっと待て! お前、玄関先で義姉さんに訊いてきたって言ったじゃねーかよ!?」
 「えー、そんなこと言ったっけ? 記憶に御座いません。ICレコーダー等で録音されていますでしょーか?」

  この女、マジやべぇわ。
  すみれ義姉さんに両肩を捕まれる。

 「祐一、こんな夜にクラスメイトの女の子を家に連れ込むなんて良い度胸してるじゃない? すこぉし今後の教育方針も踏まえて話し合いましょうか」
 「俺は何も知らん! 被害者だ、無実だ、冤罪だっ!」
 「分かった分かった、ちゃんと言い分は聞いて上げるから。聞いて上げるだけだけど」

  冤罪とはこうやって生まれるのだと身を持って経験した19歳の春。

  俺の無罪はお勤めを終えてから来栖川本人によって証明された。

 「住所は前に学校でお喋りしてた時に、センセこの辺に住んでるって言ってたじゃん?」
 「でも、詳しい住所なんて言ってないはずだけど?」
 「"結城"と"斉藤"が連名表記されるお宅なんて他にないですから、特定余裕でした!」

  すみれ義姉さんが泣きそうな顔をして俺の腕を掴もうとした手を華麗にスルーし、来栖川のお父様に通報すべく立ち上がった。ポケットに手を入れ、あるはずのものが無く、眉間に皺を寄せて硬直する。
  そのあるはずのモノを来栖川がこちらの思考を読み取ったかのように見せびらかした。

 「どうしてお前が俺のスマホを持っているのかと言うと?」
 「先程、お説教で移動された時にぽろりしたのを回収したゆえに。因みに、机の上にあったすみれセンセのスマホも回収済みです。更に更に、外部と連絡されると面倒なので固定電話の電話線も回収させて頂きました♪」

  来栖川が二台のスマホと綺麗に巻かれた配線を机の上に並べた。

 「…………」

  すみれ義姉さんが眼を点にして壊れてしまった。

  思考を停止させてしまったすみれ義姉さんをベッドに運んだ後、俺は来栖川と机を挟んで対面する。要求を問う。

 「お前はどこのテロリストだ!」
 「ただの可愛い女の子だよ!」
 「どこの世界に、ただの可愛い女の子が噓並べて上がり込んだ挙句、外部との連絡手段を断つんだ? 目的はなんだ?」
 「さっすが、祐一君! 話が早くて助かるよ。相談があるってのは本当のこと」
 「じゃあ、その相談って?」
 「祐一君、ファミレスで私のお父さんと会ってたでしょ? 今日だけじゃない。定期的に会ってるよね? あれでも大企業の社長なんだよ。そんな人が一人で、しかもファミレスで学生と会うなんて普通じゃないよね。どういう関係なの?」

  確かに普通じゃない。普通じゃないけれど、特別な関係でもない。
  なんだそんなことか、とため息が出た。

 「単なるリハビリ器具の元テスターと開発企業の社長ってだけ。なまじ関わったからって、その後の経過を直接聞きたいって言われてな。月イチくらいで会ってるだけだよ」

  本当にそれだけだ。
  怪しいお仕事とか、娘の素行調査とか、過去も今日もそんなお話は一切出てこない。今では同じセリフしか言わなくなった足の経過報告と他愛もない雑談をしているだけ。

 「つーか、それくらい一樹さんに直接聞けばいいだろ?」
 「それが出来たら苦労はしないよ」
 「?」

  未だ疑いの眼差しを向ける来栖川に対して、俺は首を傾げた。

 「祐一君とお父さんが会ってるのを最初に見かけたのは今年の一月。それで、その事を聞こうと思ったら、新製品の開発が追い込みだから~とか言って、もう半年は研究室に泊まり込んで家に帰って来てない」

  和樹さん、ちょっとは家族サービスして上げて下さい。

 「電話は通じないし、メールは殆ど返ってこないし、返って来ても一段落したら聞くから見たいな一文だけだし……なのに、祐一君とは会ってるんだよ? それってどう考えても可笑しいよね?」

  ずず、ずいっと来栖川は対面から身を乗り出した。
  彼女の豊満な双丘の谷間が制服の隙間から覗く。青黒い谷間の影を眺めながら、

 「つまりなんだ? お前は父親に構って貰えなくて寂しいと?」
 「や、それはどうでもいいんだ」

 いいんかい!?

 「……さっさと本題言えよ。和樹さんに電話するぞ」
 「ふふふ、君たちのスマホはこちらにあることを忘れたのかね?」
 「はっはは、お前は馬鹿だな。これを見よ!」

  俺は机の下から手帳型ケースに収められたスマホを見せつける。

 「あっ、それ私の!?」

  俺の背後にあるソファに投げ捨てられた来栖川のカバンから拝借しておいたのだ。
  しかし、来栖川は冷静だった。

 「でも、暗証番号分かんないと使えないよ?」

  当たり前と言えば当たり前だ。
  この現代でスマホをロックしていないユーザーは絶滅危惧種と言っていい。
  だが、来栖川はスマホの基本機能を失念している。

 「緊急通報システムを知っているか? ロック画面からでも110や119に通話が可能になるシステムだ。警察に不審者が上がり込んでいると通報して、そこから和樹さんに連絡して貰う!」
 「それは多方面に迷惑が掛かるからダメだよ!?」
 「ウチはいいのかウチは!」
 「うん!!」

  来栖川は、はっきりと自信満々に断言した。
  くっそ……怒りが一周回って、呆れが二週回って、笑いが込み上げてきた。

  人は呼ばない、話をちゃんと聞く。
  互いの要点を擦り合わせて一時休戦に持ち込まれた。
  実質的には完膚なきまでの敗戦です。

 「それで、何の用があってウチに来たわけよ」
 「話すと長くなるんだけど……」
 「二十字以内で簡潔に述べなさい」
 「家出してきたから、暫く泊めて」

  正直、来栖川美影が何を言っているのか分からなくなった。
  今日知り合ったばかりのクラスメイトの自宅を特定するストーカー紛いの行為からの居候宣言。父親とは若干の面識があるとは言っても非常識過ぎる。
  というか、新学期初日の夜に美少女クラスメイトが押し掛けてくるとか……これなんてエロゲですか?

 「お前、自分が言ってること分かってる?」
 「こー見えて私、人を見る目だけはあると思ってる! 祐一くんって、歯に衣着せないスバズバしてる人だけどガツガツしてるタイプじゃないからね。それにすみれセンセもいるから安心っ!」
 「そういう話ではなくってだな……一般論の話をしてるんだが?」
 「一般論なんていう敷かれたレールの上を歩いて何が楽しいの?」
 「こいつ……まあいいよ、どの道、俺に決定権はないし。すみれ義姉さんは真面目の堅物お化けだから絶対に許してくれないから」

  すみれ義姉さんは真面目な聖職者だ。百歩譲って、仮に同性同士であったとしても突然連絡も無しに押しかけて来た家出娘を易々と止めるはずもない。
  と言っても、その本人は気を失ってしまっているので裁定は明日以降になる。
  今夜は夜も遅い。人は呼ばない――和樹さんにも連絡しないと約束した手前、外にほっぽり出す訳にもいかないので今夜は泊めるしかないだろう。

 「それはそうと、お前着替えはどうすんの?」

  来栖川は家に帰っていないのか制服のままだ。手荷物も学校指定のカバン一つで、家出してきたと言うわりには着替えの類を持っているようには見えない。昼間は学校があるので制服一つあれば事足りるし、シャツや寝間着はすみれ義姉さんので代用は出来ようが、下着はどうしようもない。
  特に胸だ。すみれ義姉さんは比較的ひんにゅ……スレンダーな体型をしている一方で来栖川は立派な頂きを所有している。残念ながら無理に締め付けてもホックは届かないだろう。
  すっと来栖川はほくそ笑んで立ち上がった。

 「それはだいじょーぶ」

  ぱたぱたと小走りにリビングを出て行った。
  少ししてゴロゴロと何か転がる音と軽快な足取りが帰ってくる。
  真っ赤なトランクケースを引き摺った来栖川が自慢げに立派な胸を張って、口元をにんまりと曲げた。

 「実は外に置いておいたんだ」

  用意周到でないより……。

  深夜。廊下から聞こえる物音に俺は目を覚ました。
  カチャカチャと何かを物色している様子の物音だった。
  戸締りはしたし、チェーンロックも掛けている。ゼロではないものの、外部からの侵入者である可能性は低い。至る所に監視カメラが配置されているし、それに出入口はオートロックなだけでなく、警備会社の人間が交代で二十四時間守衛室に常駐している。
  ……って、あれ? 来栖川はどうやって入って来たんだ?
  違法な手段で玄関を通れば守衛さんに止められているはずだ。
  そんなことを考えながら、俺はノブを下げて扉に隙間を作った。
  真っ暗な廊下の奥、玄関近くにある物置の前に光のドームが浮かび上がっていた。ランタンのようなライトが放つ光の中で来栖川が面白いものを引っ張り出していた。
  歩行補助器具。歩行時のバランス調整や衝撃吸収、また足にかかる体重による負担も軽減してくれるという優れものだ。
  来栖川エレクトロニクスから提供された試験品で、俺が両足のリハビリで使用していたものだ。退院後も生活に慣れるまで装着していた。必要なくなった後、返却しようとしたら試験品だからと言われ、記念品としてそのまま貰い受けた経緯がある。
  来栖川は細部に至るまで、暗がりの中、補助器具の構造を調べているようだ。

 「やっぱり……でも、――」

  信じられないといった驚きの表情でボソボソと呟いている。
  怪しみながらも俺の足は独りでに踵を返して、扉を引いて閉めていた。

  ―――
 ――
 ―

 熱された鉄の上を透明のジェルに包まれた黄色い丸が滑る。一つ、二つ、三つ。ジュゥと音を鳴らし、白い煙を上げて、透明のジェルは白い生地に変化していく。
  白い生地に覆われた黄色い太陽が三つ、フライパンの上に出来上がった。

 「ねえ、祐一君。結城家は半熟派閥? 堅焼派閥?」
 「結城家は一族揃って半熟派閥だな。特に義姉さんは半熟以外認めないんだよ。両面焼き何てしたら戦争勃発するぜ? ちなみに俺も半熟派」
 「オーケーオーケー。ウチと同じで良かったよ。ま、食べるのは私しかいないけどねぇ」
 「ん? 和樹さんは?」
 「んー、お父さん家でご飯食べるの滅多にないから……というか研究で会社に泊まり込んでて家に帰ってくるのは一年のうち一ヵ月あるかどうかだもん。だから、基本的に私は家でおひとり様なのです」
 「母親とか姉妹きょうだいはいねえの?」
 「お母さんは私を生んですぐに死んじゃったからね。家族はお父さんだけ」
 「……そうか」
 「ま、私だってアルバムの中でしかお母さんのこと知らないくらいだから気にしないでいいよ。謝られたら逆に困っちゃう」

  そんな空気悪目の世間話に花を咲かせながら、俺と来栖川は三人分の朝食の支度を手分けして取り掛かっていた。
  中火でコトコトと白い湯気を昇らせる鍋の隣で、来栖川がフライパンで目玉焼きを焼き、その隣で俺が三枚の皿にそれぞれカリッと焼いたベーコンを乗せ、手で千切ったレタスを盛り、プチトマトを二つ添える。

 「味噌汁、いい感じになったら火止めてくれ」
 「テキトーな説明だなあ。大丈夫、もう止めてあるよ。それより、すみれセンセ起こしてきてよ」
 「大丈夫、既にスーツをビシッと決めてムスッと顔で椅子に座ってる」
 「うん、実は知ってたけど直接触れたくなかったんだよね」

  カウンターキッチンの向こう側ですみれ義姉さんがジトォとした三白眼をこちらに向けている。

 「お二人とも仲がおよろしい様で」

  俺と来栖川は仲良く視線を逸らした。

  箸を置いたすみれ義姉さんが両手を合わせ目を細めて時計を確認した。続いて、対面に座る俺と来栖川を交互に見る。

 「職員会議があるからもう出ないとダメなんだけど……来栖川さん、詳しい話聞かせてもらうから二人とも放課後に生徒指導室まで来るように!」

  と言い残して食べ終えた食器を放置したまま逃げるようにカバンを引っ提げてリビングを飛び出していった。
  ……子供じゃないんだから食器くらい流しに持ってけよ。
  毎朝のことながら呆れて溜息が出てくる。
  時刻は七時二十五分。
  ここから学校までは車で約十五分で、駐車場から職員室までは歩いて五分ほどかかる。職員会議の開始が四十五分なのでギリギリだ。地味に遅い車や下手に信号に引っかかればアウトは必死。もう五分早く出ればいいものを、すみれ義姉さんは一秒でも長く仕事から遠のく為に直そうとはしない。
  学校に行きたくない子供の気持ちに置き換えて見ればすみれ義姉さんの行動は理解出来ないでもないのだが、そこは大人なのだから少しは頑張って欲しいものだ。
  バァン!
  まるでスタートの合図を告げる運動会のピストルの如く、玄関の扉が荒々しく開く音が室内に響き渡った。

 「結城家はいつもこんななの?」

  行儀悪く箸を咥えた来栖川が首を傾げた。

 「まあな。でも、若干機嫌が悪かったのはお前のせいだからな?」
 「……ごめんなさい」

  しゅん、と来栖川は肩を落として急にしおらしくなった。
  自宅に押し掛けてくるという非常識を行った人物とは思えない真面な反応に、驚きの余り味噌汁の中で泳いでいた豆腐が端から逃げ出した。
  ガチャン!
  玄関の扉が閉まる音が響き、静寂が訪れた。
  来栖川が静かに箸を置いて手を合わせる。そして、こちらを向いて口を開いた。

 「私、まどろっこしいのとか嫌いだから率直に聞くね」
  真剣な表情をした来栖川が身体をこちらに向けた。
  ……物色していた件についてか?
  俺の身体は身構えていた。
  ゆっくりと来栖川は口を開いた。

 「お……」
 「お?」
桜花祭おうかさいの出し物何にする!?」

 私ーー来栖川美影は大切な場面で逃げ出すような女ではないはずだ。
 お父さんの仕事を手伝う関係でひと回りもふた回りも年上の大人を顎で使う事は日常的にして来たし、何千、何億という金額が動く商談を押し付けられるのも今では当たり前の事だ。大人相手にも怯まない度胸を持っているのが私の筈だった。
 なのに、どうしてーー

『お父さんと本当はどういう関係なの? 玄関の所の物置にあったウチの会社の補助器具。あれって試験品なんかじゃないよね。完全に祐一君の体格に合わせたオーダーメイド品だよね。どういうこと?」

 年上の部下を問い詰めるより気楽で簡単なはずなのに……言えなかった。
 でもまあ、政治家との癒着や水増し請求、粉飾決算といった類では無さそうなので一安心だ。
 私が斉藤祐一君に目を付けたのは我が社で起きた1億の不明瞭な決済報告からだ。
 こう見えて私は来栖川エレクトロニクスの副社長をやらされている。社長の娘だからとか言うコネではなく、3年くらい前から研究馬鹿のお父さんの代わりに書類仕事を手伝うようになり、気付けば社員の七割に支持されて副社長を押し付けられただけだ。
 斉藤祐一という名前を知ったのは、昨年度の決算報告を見ていた時だ。優秀な秘書が不明瞭な決算に気づき、経理部長を問い詰めたものの断固として口を割らなかった。唯一の手掛かりは請求書の一枚にあった斉藤祐一という名前。そこから芋づる式に色々と調査を行い同じクラスの男の子がその人物だと判明した。
 一介の学生の名前と不明瞭な決算。通常の思考であれば交わる筈がない。疑うのは癒着や粉飾決算で偽装に使われた可能性だ。
 しかし、実際に斉藤祐一と会い、彼の持っていたオーダーメイド品の補助器具を調べた結果その可能性は低いと考えられる。
 不明瞭な決算が始まったのは4年前。
 来栖川エレクトロニクスが医療機器部門に手を出し始めたのが4年前。
 決算金額の合計は1億。
 完全オーダーメイドの歩行補助器具をゼロから作ろうとしたとしたらそれくらいの金額になる。
 たった1人の為だけのもの。

「でも、どうして……」

 お父さんは悪人じゃないけど、見ず知らずの人間に1億なんて大金を注ぎ込んで助ける慈善事業者でもない。あれでも一応は経営者なのだ。

「はぁ……あの態度からして、祐一君は本当に何も知らないっぽいしなぁ」

 仕方がない。お父さん……監禁して尋問するか。
 私は携帯を取り出して頼れる秘書ちゃんにコールした。
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