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夜天の主 編

空を覆いつくす厄災

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 大きな地響きが空中都市アヴァロンを襲う。

「おいおい、ここって空の上だろ!?」
「にゃあああ、にゅ!?」

 コウイチは左手で電柱にしがみ付き、転がってどっかに行きそうになったハクの尻尾を右手で掴んだ。
 地面が斜めに傾き、ゆっくりと水平位置に戻っていく。
 落ち着いた所でコウイチはハクの尻尾を放した。

「コウイチ、しっぽいたぁい!?」

 ハクが目尻に涙を浮かべて小さな八重歯を剥き出しに抗議してくる。

「どうどう、今のは許せよ」

 ハムスターみたく両頬を膨れさせたハクの頭を撫でる。

「むぅー……んっ!? グルゥゥゥゥ!!」

 突然、ハクが狼モードになり、低い声を上げて頭上を睨み上げた。
 地面に陰が落ちる。
 雲の上にあるアヴァロンの太陽を遮るものはそう多くはないはずだ。
 コウイチもハクに続いて空を見上げた。
 そこでは太陽が蠢く闇に飲み込まれようとしていた。
 蠢く闇は一つではない。数えきれないほど多く、そして大きい。
 ファァァァァァン!
 耳障りな消防車のサイレンのような音が都市の至る所から鳴り響いた。
 ハクがコウイチを護るようにして一歩前に出る。真っ白な毛を逆立てて、その身体は光り輝き始めた。

「コウイチさがって! アレきけん!!」

 太陽が蠢く闇に飲み込まれ、周囲は闇に閉ざされた。
 コウイチは視界の端に光を捉え、振り返ると背負う黒剣が仄かに発光していた。

 ――黒いのが朽ちたというのは本当のようだな

 ――最古の厄災の末路があのような姿とは滑稽

 ――これは面白い

 ――些末な問題は捨て置け。これで王の座は空席となった

 幾つもの色々な声が空から降り注ぐ。
 聞き取れる声だけ四つ。雑音のような小さな声が沢山あり、実際の数はもっといるだろう。
 時折、暗闇の空に赤や青、緑や黄といった色取り取りの光が見え隠れする。

「……何なんだ」
「あれはイキモノ!」

 コウイチの独り言にハクが答えた。
 イキモノ……生き物!?
 今、ハクはあの蠢いている闇を生き物――生物と言ったのか?
 この空中都市アヴァロンの頭上を覆いつくすだけの生物の群れが居るということなのか?

 ――新たなる王を決める戦を始めようではないか

 ――相も変わらず血の気の多いやつだ

 ――貴様に言われとうないわい

 ――其方ら、霊長の頂にある者としての振舞を出来ぬのか?

 声が止み、やがて、闇が晴れていく。
 光を遮る程に密集していた蠢く闇が、アヴァロンを遠巻きに距離を取ったのだ。
 それはハクが言った通り――大小無数の生物だった。
 アヴァロンをぐるりと一周するような巨大な蛇。
 クロに似た赤、青、白のドラゴンが三匹。
 三対の翼を持つ人型の何か。
 三つ頭の獣。
 視界に入った生物の形状は、ゲームとか神話とかでラスボスとか隠しボスに位置付けられているようなものばかりだ。
 この状況を一言で言い表すなら――神々の終焉。

 ――我らが厄災の王の終わりと始まりを

 ――新たなる戦乱の始まりを

 ――混沌の時代の幕開けを

 ――矮小なる存在共よ。その歴史に刻め

 突風が巻き起こり、アヴァロンが揺れる。
 揺れが収まった時には、空を覆いつくしていた無数の蠢く闇たちは最初からいなかったかのように消えていた。
 コウイチは黒剣クロを背中から引っ張り出す。
 柄を握って問う。

「なあ、クロ。なんかヤバイことになるのか、これ」


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 世界中の新聞の一面は、
 空中都市アヴァロンに巨大生物襲来!?
 という文字で埋まった。
 暇な学者たちはカビが生えてそうな文献を引っ張り出してきては、あの場にいた〇〇は××の文献に出てくる怪物とそっくりだった。などと水を得た魚のようにはしゃぎまわっている。
 論点が異なるとアイリスは、ストレインのブリッジでテレビを見ながら苛立っていた。
 問題は、それが何かではなく、それらが何をするか、だ。
 怪物たちが言い残した言葉の中に、
 新たなる戦乱の始まり、
 混沌の時代の幕開け、
 明らかに平和的な内容でないものが並んでいた。
 もしも人類があれらと対峙しなければならないとしたら……。
 例えばアヴァロンをぐるりと一周する巨大な蛇――学者が言うには古の大蛇ミドガルズオルム。一晩で大国を文字通りの巨大な口で飲み込んだという怪物だ。文献には大陸全土の国々が協力して討伐に出たが、傷一つつけられずに全滅したそうだ。
 そんなものと戦えなんて、どれだけの大金を積まれようが、冒険者としての登録を抹消されようが、冤罪を掛けられて投獄されようがアイリスはごめんなさいを辞さない覚悟がある。

「その剣と何か関係あったりする?」

 ブリッジの隅っこで露店で買って来た小さな晶石を使って加工の練習をしているコウイチにアイリスは話を振る。

「関係は……あるんじゃないかな? でも、巻き込まれるかどうかまでは分からない」
「嫌な返事をありがとう。……ちなみにもう一個聞きたいんだけど、何作ってるの?」
「クラッカー的な何か?」

 悪だくみをしている子供のような笑みを浮かべたコウイチが、指の間に小さな赤い玉を挟んで見せつけてくる。

「なにそれ……」

 件の騒動から三日経った今も各所で混乱が続いており、入出港が制限されている。個人の船の出港許可なんて下りるはずもなく、当面は開店休業状態だ。
 アイリスはコウイチの正面に膝を崩して座ると眠そうな目をしたハクが倒れ込むように頭を膝の上にダイブさせてきた。まるで定位置を探すかのように頭をもぞもぞと動かした後、動きを止めて規則正しい寝息を立てて眠り始めた。
 アイリスの膝はハクのお気に入りらしい。
 ハク曰く、コウイチが一番好きだが、コウイチの膝は堅いから好きくない、アイリスは好きだし膝も好き。
 更には昨日のことだが、夜中にコウイチの寝相が酷いと半べそのハクがアイリスの部屋を訪れ一緒に寝るようになった。

「この赤い玉は何?」
「さあ?」
「さあ、って……作ってるのあなたでしょ?」
「いやさ。何となく丸めて見てるだけ?」
「………」

 コウイチは小指の第一関節程度の晶石を面白いくらいにポンポンと形を変えて遊んでいる。材料としている小さな晶石は一般的にゴミと呼ばれる土を掘れば幾らでも出てくる小石同然の代物だ。なのに、
「呆れるしかないわ」
 加工された晶石はゴミとは思えない程に純度が高くなっており、内包する魔力の流れが均一で相当な威力になっているのは一目で判断できた。
 魔法の触媒として使えば威力増強に使えるかもしれない。
 どういう流れでそうなったのか覚えていないが、適当に雑談をしていたら今後の話になっていた。

「貴方達、これからどうするつもり?」
「って言われてもな。アイリスが養ってくれるんじゃないのか?」
「どうして私が――」
「専属スミス」
「ぶっ!? それは忘れてって言ったでしょ!」
「えぇー、それじゃどうやって生活していけって言うんだよ」
「冒険者登録したんだからギルドで依頼受けて稼げばいいでしょ?」
「戦いの”た”の字も知らないガキと子狼にそんな無茶言われても困る」

 至極真面目な顔で、晶石の加工を続けるコウイチであった。
 それから色々な妥協があり、コウイチたちの生活基盤が固まるまで三人でパーティを組む事になり、更にストレインでの共同生活を送るという形で手打ちとなった。
 内心、アイリスはめちゃくちゃ嬉しかった。
 人畜無害そうなジャイアニズムの塊であるメアリが『取りに行く』と言ったのだ。近い内に積極的なアプローチをしてくるに違いない。
 自慢ではないが、そうなったら共同生活でも送っていない限りメアリに勝てる気がしない。

「目指すは工房付きのでっかい戦艦!」
「……頑張ってね」
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