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第一章 とても不思議な世界

13話 フェンネル・フォーリアム②

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 日々喜とフェンネル、それにタイムの三人は、前庭に作られた散策道を歩いて行く。
 自然の森をそのまま切り取ったような造りで、ちょっと道から外れただけで迷ってしまいそうになる程だ。
 フェンネルは自分の庭であるにも関わらず、まるで初めてその道を歩くかのように、辺りの景色を楽しみながら、後に続く者の存在を気にかける事もなく、どんどん先へと進んで行ってしまう。

 「広いですにゃ? 日々喜さん」

 日々喜の後に続いて来たタイムが話しかけた。

 「うん、広いね」
 「こちらでお勤めをし始めた時は、何度もこの前庭で迷いましたにゃ。日々喜さんも気を付けなきゃいけませんにゃ」
 「大丈夫だと思うけど、気を付けるよ」
 「フォーリアムの館は、領地を開拓した当時に作られた物なの。この前庭は、開拓以前の森の姿をそのまま残してあるのよ」

 フェンネルがタイムと日々喜の話を聞きつけ説明をする。

 「アイディ・クインはこの前庭が好きで、私が子供の頃はよく遊びに来てくれたわ」
 「アイディ・クイン……。ルーラーが人の家に遊びに来るんですか?」
 「ええそうよ。アイディは人との親和性を大切にしてくれている。フォーリアムの一族がイバラ領の領主であるのも、ルーラーとの親和性がとても強いからなのよ」
 「親和性かー」

 相性の良し悪しの事だろうと、日々喜は考えた。

 「……でも今は、アイディは呼んでも応えてくれない」

 フェンネルはそう言うと散策道を外れ、前庭の森の中を黙々と進んで行ってしまった。
 フェンネルの後に続く日々喜とタイムは、初めの内こそその庭の景観を楽しむ余裕を持っていたが、いつしか先を行くフェンネルの背中ばかりをながめる様になっていた。

 「この辺りでいいかしら」

 そこは、それまで歩いていた前庭の森の中とは異なり、少しばかり開けた場所であった。
 人が頻繁に出入りするような道が用意されているわけでもないのに、その場所だけはちゃんと整地が成された様に平らな地面になっている。何処かからわざわざ水を引いて来たのか、脇を流れる小川の水を溜めた小さな池や、野原に咲く様な小さな草花が植え付けられたように並べられている。
 まさに隠された秘密の庭の様な光景であった。
 その庭の中央には一本の木が生えていた。
 周囲に生い茂る木々に比べて小さく、まだ、若い木の様に見えた。枝先には一枚の葉っぱも付けておらず、その代わり、じっと春の訪れを待つかのように、花のつぼみを膨らませていた。
 フェンネルはその木を慈しむかのように手を添え、少し肩で息をしながら、後に続く日々喜達の方へ振り返り尋ねた。

 「日々喜。貴方はトウワ国からこの国へ、修練の為に来たと聞いたけど、本当?」
 「本当です」
 「貴方は、異世界から来た。そうじゃないの?」
 「違います」
 「……そう」

 フェンネルは、たそがれる様に庭の光景を見渡した。

 「昔、私の恩人から聞いた事があるの。自分を育ててくれた養父が、全ての事に行き詰まりを感じていた時、何処からともなく現れた少年が、代わりに道を切り開いてくれたって話を」
 「何処からともなく?」
 「異世界よ。この世界の外から来た。その少年は貴方と同じく、この世界に存在しないエレメントを身体に持っていたの」
 「……」
 「警戒しないで。貴方をどうかしたいなんて考えていないわ。ただ私は、同じく異世界から来た貴方に、助けてほしいだけなのだから」
 「助けるって、一体、何からです?」

 フェンネルは、日々喜の質問に直接答える事を躊躇う様に少しの間だけ沈黙した。

 「……日々喜は倒錯というものを知っている?」
 「いいえ」
 「倒錯というのは、魔導士がおちいる病の事」

 フェンネルがそう言うと、日々喜の耳に先程館で聞いた水を呼ぶ声が聞こえ始めた。すると、部屋で見たのと同じようにフェンネルの周囲に水が集まりだし、一つの塊となり始める。

 「悲しみや寂しさ、痛み、苦しみでできた心の傷。その傷跡を魔導に従事する者はエレメンタルで補い、癒そうとするの」

 フェンネルは虚空に手を差し出す。その指先に戯れる様にして不規則な形をした水がまとわりつく。フェンネルはその現象を見つめながら、話を続けた。

 「でも、これはいけない事なの。アトラスを介さずにエレメンタルを操り続けると、心が全てエレメンタルで満たされて、術者自身もエレメントと同じ物になってしまう。……それは魔導士として最低の行いだわ」

 差し出した手のひらを握りしめ、まとわりつく水を振り払うと、フェンネルは日々喜の方を見つめ、意を決したように話し始めた。

 「日々喜、私は倒錯しているのよ。お爺様が亡くなられてから、アイディはイバラ領を守る私達フォーリアム一門に力を貸してくれると約束してくれた。でも、今度はアイディまで姿を見せなくなった……。気づいた時には、私は自分の力で水のエレメントを呼び寄せていたの」

 ――遊びましょう……。遊びましょう……、……私の友達たち

 水を操るエレメンタルは、未だ日々喜の耳に言葉として残り続けている。そして、その言葉に従う様に、フェンネルの周りには彼女を楽しませる様に、浮遊した水塊が様々な形へ擬態し始めた。

 「意識を保つ間は制御できるの。でも、また今朝のように呆けていたら、私にはどうにもできない。力を貸してほしいの。異世界から来た貴方の力が、エレメンタルが聞こえる貴方の力が、私には必要なの。……私だけではもう、どうすればいいのか分からないの……」

 フェンネルはそう言うと、口元を抑えながら崩れる様に、地面に膝を突いてしまった。それを見て、すぐさまタイムが彼女の下に走り寄った。

 「しっかりするにゃ、お嬢様。気弱になってはいけないにゃ。クローブ様の血を引いてるお嬢様はエレメンタルなんかに負けないにゃ! それに日々喜さんだけじゃないにゃ。マウロさんもローリさんも、他の皆さんだって、お嬢様の力になってくれるにゃ。力を合わせれば必ず良くなるはずにゃ」
 「ごめんなさいタイム。私は、マウロに……、皆にこんな姿を見せられないの。見せたくないのよ……」

 タイムは泣きそうな顔を浮かべながら、俯き加減に話をするフェンネルの横顔を見つめた。そして、日々喜の方へ振り返り、フェンネルに代わり訴え始める。

 「日々喜さん。お願いにゃ。お嬢様の力になってあげて欲しいにゃ」
 「……わかった。やって見るよ」

 黙ってフェンネルの話を聞いていた日々喜は二人の下に歩み寄る。
 そして、二人の頭上に浮遊する水塊を観察し始めた。
 ひとしきりその水の塊を見渡すと、今度はそれに左手を刺し入れた。確かな水の冷たさが伝わって来る。
 手を水塊から引き抜き、その水をすくい上げる。すると、水は重力に逆らうかのように、地面とは水平にしたたり、浮遊する水塊へとこぼれて行った。

 「驚いたな、こうして確かめてみると。水は低い所へ流れるものなのに。これがエレメンタルか……」

 観察する限り、浮遊する水塊には重力に抗える程の力が働いている。そして、手からこぼれた水の流れを見る限り、その力はかなり広範囲に、浮遊する水塊を中心にして働いている様子であった。
 日々喜は自分の手が濡れたままである事に気が付く。
 水の量によって水の重さは変わる。働く重力が変化するからだ。それでは、この手にまとわり付く水はどうだろう。
 微量になった水が本来持ち合わせる粘性、くっつく力によって、重力はおろか、エレメンタルの力からも抗い、未だに手に残っているのだ。

 「何となく分かって来たぞ」

 そう言うと、日々喜は腰に装着したアトラスを手に取る。

 「日々喜……?」

 そんな日々喜の様子を見上げ、フェンネルは諦めたような弱々しい声で呟いた。
 日々喜の姿から、エレメンタルの暴走を止めようと、魔導を行使する自分の姿を重ねたのかもしれない。だが、そんな事が出来ていれば、他人に自分の秘密を明かすような真似をする事も無かっただろう。
 しかし、日々喜はそんなフェンネルが全く想像していなかった行動に出た。
 日々喜はアトラスを両手で握ると、その丈夫な表紙を水塊に思いっきり打ち付けた。
 バシャッ、と水の入ったバケツをひっくり返す様な音が鳴った。
 水が飛散し、周囲に飛び散り、地面へと落下した。木の根元に座り込んでいたフェンネルとタイムは、その水によってずぶ濡れにされてしまった。

 「この場所には水が一点に集まる単純な力が働いていた。水の質量に応じて、引き合う力が強まり、距離が離れると弱まる。そしてなにより、水が無ければ力の働きを確認する事も出来ない」

 日々喜は自分の考えをまとめる様に独り言を呟き、その言葉が正しかったかを確認する様に周囲を見渡した。
 フェンネルは茫然としながらその光景を見つめた。

 「どうでしょう? 僕の耳にはもう、何も聞こえていないんですが」
 「……信じられない。アトラスをそんな風に使うなんて。日々喜。貴方、本当に魔導士のつもりなの?」

 日々喜の言葉を聞き、フェンネルは笑みをこぼしてそう言った。

 「いいえ。僕はトウワ国出身の見習い魔導士です。つもりじゃありません」
 「ええ……、そうね、日々喜。ありがとう」

 日々喜はアトラスを腰に装着しなおすと、二人に手を貸し立たせた。
 再び、びしょ濡れになったフェンネル、そして、タイムの二人。日が出ているとは言え、二月の空の下ではさすがに寒さを隠す事が出来ない。
 身体を強張らせる二人に先導し、日々喜は屋敷へと戻り始めた。

 「あ! お嬢様ー」

 館の方から散策道を歩いて、オレガノとキリアンが迎えにやって来た。

 「ずいぶん遠くまでいらしてたんですね。探しちゃいました」
 「ありがとうオレガノ。ちょうど館に戻る所だったのよ」
 「え!? お嬢様、びしょ濡れじゃないですか? タイムも? 大変! 風邪を引いてしまいますよ」
 「大丈夫。心配しないでオレガノ」
 「水浴びにはだいぶ早いぜ? しかも服着たまま? 随分せっかちだな、あんた」

 オレガノの後に続いて来たキリアンが茶化すような言い方をする。その無礼な言い草にフェンネルはキリアンの事を一瞥した。

 「……キリアン・デイヴィス? 貴方、キリアンじゃないの?」
 「そうだよ。あんた、その様子だと俺達の事、何も聞いてないな?」
 「聞いてない? えっと……、ごめんなさい、聞いていたかもしれない」

 倒錯していたフェンネルは、マウロやサルヴィナから新たに来る事になった見習い魔導士の事について聞いた覚えはあった。しかし、その詳細まで記憶していなかった。

 「はあ? ……まあ、別にいいさ。大して仲良くした覚えはこっちにも無いしな」
 「ごめんなさい、キリアン。そう言う意味じゃないのよ」
 「いいさ、別に」

 弁解するフェンネルに対し、キリアンは素っ気ない態度を取り続けた。

 「二人は知り合いだったの?」

 二人のやり取りを不思議そうにながめていたオレガノがキリアンに質問した。

 「俺はこいつと……、お嬢と同じ、中央を出てる」
 「中央? ……中央って、王立魔導学院を!?」

 驚くオレガノにキリアンはそうだよと答え、皆を急かすように館への道を歩き始める。その後を追う様にしてオレガノはどうして話してくれなかったのかと質問を続けた。
 その後をフェンネルとタイム、そして日々喜が続いて行った。
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