ジ・エンドブレイカー

アックス☆アライ

文字の大きさ
26 / 113
第一章 とても不思議な世界

24話 洗濯の機械②

しおりを挟む
 イクリルの口からアイディ・クインの死が告げられてから、フェンネルは館に到着するまでの間、一切言葉を口にする事が無かった。周りの皆が心配するのも他所に、館に到着するなり自分の部屋に引きこもり、昼食も取らぬまま外との接触を断ってしまった。
 アイディ・クインの死について、既にマウロらから聞いていたサルヴィナは、事態を重く受け止めている。
 フェンネルが患う倒錯という病について、最近では回復の傾向を見せていたが、日々喜や新しい見習い魔導士達がフォーリアムの館に来る以前には、今回の様に部屋に引きこもる事が何度かあったからだ。
 具体的な治療法が存在しないこの倒錯という病であるが、出過ぎた事とは承知しながらも、サルヴィナはその傾向が見える度に気休めでも医者にかかる事をフェンネルに勧め続けて来た。しかし、頑なに人に見られる事を拒み続ける彼女の意思に負け、蝕まれ続ける自分の主をただながめているという日々を送って来ていたのだった。
 決して表に出す事はないが、サルヴィナもマウロやローリと同様に、自分の無力感に打ちひしがれて来ていたのである。
 フォーリアムの館本館、ホールから上階へ続く階段を日々喜とサルヴィナの二人は無言で上がって行った。
 以前、日々喜がこの階段を一人で駆け上がって行った時は、そこかしこが洪水にでも遭ったかの様に水浸しになっていたが、今はまだその兆候が表れてはいなかった。
 二人は三階に上がると、フェンネルの部屋の前まで向かい始める。部屋の前では、ローリが神妙な面持ちでこちらに視線を送っていた。

 「変わりはありませんね? メイヤー」
 「はい、静かなままです。ですが、部屋の中でエレメンタルが働いた傾向が、こちら側でも確認できました」
 「分かりました。では、後の事は私達にお任せください」

 サルヴィナの言葉にローリは頷くと、部屋の前を離れた。そして、通り過ぎ様に日々喜の肩に手を置く。

 「頼んだわよ。日々喜」

 そう言うとローリはその場を後にした。

 「正直な所、貴方にこの事態を解決できるだけの力があるか、私には分かりません」

 サルヴィナはフェンネルの部屋の鍵を開けながら話し掛けた。

 「ですが、お嬢様が頼られた以上、この地に留まり続けてくれた貴方の存在が、どれ程私達に取って心強いものであったか、言葉にはし尽せないのです」

 扉の開錠を済ませたサルヴィナは、その場から一歩引いて部屋への通り道を開けた。

 「長岐。私はこちらに控えております。もしもの事があれば、必ず私を呼んで下さい。よろしいですね」
 「分かりました。サルヴィナさん」

 日々喜がサルヴィナの前を横切り扉の前に立つ。そして、冷水に浸されたかのように冷たくなっていたドアノブを廻し、部屋の中へと入って行った。
 以前にもまして薄暗いフェンネルの部屋は、窓に掛るカーテンはおろか雨戸までもが閉め切られ、陽の光の一切が遮断されている様子だ。
 そのため、扉から差し込む光によって、出入り口の近くの様子は何とか窺う事が出来たが、部屋の中央やベッドの周囲の様子は、その場から確認する事が出来なかった。
 日々喜はフェンネルを探すべく、部屋の中へ、より暗い場所へと進み出た。すると、ビシャッと水が跳ねる音が足元から聞こえる。扉から少し先に進んだ辺りは大量の水気を帯び、床に敷かれた絨毯は水に浸したかのようにビショビショに濡れていた。
 ここから先は、外とは全く違う場所のようだ。
 日々喜がそう感じた時、後ろで開け放たれていた扉が、突然音を立てて閉じられた。

 「ひっ」

 扉の閉まる音に驚きバランスを崩した日々喜は、濡れた絨毯に足を取られ前のめりにつまずき、思わず床に手を付いてしまった。
 軽快な水の跳ねる音が響く。その場は最早、絨毯が濡れているどころのものでは無く、床に着いた手が沈み込む程の水溜りが出来ていた。
 日々喜は周辺を確認する様に辺りを見渡すが、まだ目が慣れないせいか暗闇の中から何かを見出す事は出来なかった。
 一体どこからこの水は湧いたのだろうか、外の様子を見る限り、庭の噴水から運ばれてきていた訳では無さそうだ。
 日々喜は立ち上がり、濡れた手を自分のズボンで拭き、そして依然暗い部屋の中を記憶のみを頼りに歩き始めた。

 「お嬢様?」

 ベッドのそばに到着した日々喜は、そこに居るだろう人物に声をかける。しかし、天蓋から垂れ下がるカーテンの奥から期待した返事はなかった。

 「長岐日々喜です。フェンネルお嬢様いらっしゃいますか?」

 二度目の問いかけにも返事はなかった。
 居ない筈がない。
 部屋を水浸しにした力がここには働いているはずだ。そして、無自覚にそれを操っているフェンネルも必ずここに居る。
 そう考えると、少しでも視界を良くしようと雨戸を開けようとするが、窓は完全に固定されており、日々喜の力ではびくともしなかった。
 フェンネルの魔導によって水が部屋から排出された時、確かにこの窓をタイムが開けていた。今は施錠されたわけでもないのに固く閉ざされている。

 「仕方ないな」

 溜息交じりにそう呟くと、固く閉ざされた窓を肘で思い切り叩き割った。砕けたガラスの破片が辺りに散らばり、足元の水の中へ音を立てて落下して行く。
 日々喜は窓ガラスに空いた穴に左腕を突っ込み、奥の雨戸の留め金を外し、そのまま押し開けようと試みた。しかし、こちらも窓と同様に固く閉ざされているようで、ちょっと押しただけではびくともしない。
 日々喜は、上手い具合に力を込めて押そうと、二の腕の辺りまで、窓に空いた穴の中に腕を突っ込み始めた。
 その時、背後からこちらに話し掛ける声が聞こえた。

 「どうして?」

 日々喜は、首だけをそちらに向け声のする方を見る。目が幾分暗闇に慣れてきていたが、その声の主が誰なのか判別する事が出来ない。しかし、部屋の中央の辺りに誰かが立っている様子が窺えた。

 「せっかく、何もかも忘れていられたのに、楽しく遊んでいたのに、どうして邪魔をするの?」
 「お嬢様?」

 日々喜は声の主に向かって尋ねる。すると、部屋の中央に見える人影は日々喜の声を当てにするかのように、ゆっくりとこちらへ近づき始めた。

 「貴方は誰? 何をしにここに来たの?」
 「長岐日々喜です。お嬢様の力になりに来ました」
 「長岐日々喜? 貴方は私達の友達?」
 「違います。……私達?」

 日々喜が奇妙と感じたのは、その言動のみではない。
 ゆっくりとこちらに近づいてきている彼女の挙動だ。部屋中が水浸しになっているにもかかわらず、水が跳ねる音を一切立てていなかった。
 その様はまるで、水面を滑って来るかのようにさえ見える。
 女性はびしょ濡れになった長い髪を前に垂らしたまま項垂れている。そのただならない様子を見て、日々喜は窓から腕を引き抜き、近づいて来る彼女に対して身構えた。

 「他に誰かいらっしゃるのですか?」

 目の前に佇む女性はクスクス笑うと日々喜の顔を見上げる様に頭をもたげた。

 「私達は何時も一緒にいる。それなのに、貴方は気が付かないの?」

 そう言い終わると同時に、部屋の周囲に光が射し始めた。
まるで、水自体が淡い光を放っているかのように、部屋全体が薄ぼんやりとした明かりで包まれたのだ。
 水は床に溜まる水溜りだけではなかった。天井付近に様々な大きさの水の塊が、まるで無重力の中を漂う様にして浮いている。
 日々喜はその光景を茫然と見つめた。
 それは以前にも、フェンネルがこの部屋で見せてくれた幻想的な世界そのものだった。

 「ねえ、どうして?」

 日々喜は女性の方に視線を戻した。
 女性の髪は濡れてグシャグシャになっているが、金髪の中に若葉色の髪が僅かに混じり、そして、こちらを見つめる目の色は鮮やかなオレンジ色をしていた。
 日々喜には、その女性がフェンネル・フォーリアムその人であると分かった。

 「貴方と私達の親和性は、どうして高まらないの?」
 「親和性?」
 「長岐日々喜。貴方は私達に名前を教えてくれた。私達とお話してくれた。なのにどうして、私達と貴方は友達にはなれないの?」
 「え!? その程度で友達?」

 フェンネルの発言に思わず本音を漏らす。

 「あっ、いいえ、すみません。仰っている意味が良く……」

 本人を目の前に、すごく失礼な事を言ってしまった。そう思った日々喜は直ぐに自分の発言を訂正するような事を言った。

 「……もういいわ」

 部屋の中央から水が勢いよく湧き出し、水面が盛り上がり始める。
 それに合わせて、目の前に立つフェンネルの背丈が伸び上がって行く様に見え、日々喜は思わず後退りした。しかし、足が思うように動かず背後の割れた窓ガラスに背中を打つけた。
 気が付けば、部屋の水位が上昇し、膝下辺りにまで到達している。

 「みんな水に混じれば同じ事。死んでしまえば、誰も私達の事を邪魔できなくなるんだから」

 フェンネルは部屋の中であふれかえり凸状に盛り上がった水上に、沈み込む事も無く立ちながら、冷酷さを含んだ無邪気な笑みを浮かべ、こちらを見下ろしてそう言った。
 殺されてしまう。
 予兆の様な言葉が、心の中で響いた。
 日々喜は辺りを見渡す。
 すぐそばの天蓋付きベッドが視界に入った。
 考える間もなく、彼は天蓋を支える柱にしがみ付いた。
 その途端、それまで凸状に迫上がっていた水が、一気にこちらへと押し寄せ始める。
 想像を絶するほどの水流の中、日々喜は目を開ける事も出来ず揉みくちゃにされ、それでも決して柱から手を離すまいと懸命にしがみ付き続けた。
 しかし、それも束の間の事。
 水の流れはその激しさを増し続け、人の力の限界を軽く越えて行く。少しでも力を緩めれば二度と引き戻す事が出来ない綱引きの様に、肩から肘へ、肘から手へと、しがみ付いた体と柱との間隔が開き始め、ついには堪え切れず日々喜はその手を放してしまった。
 飲まれる。
 激流の中でそのような言葉が頭を過った。全身が粟立つ様な恐怖心を感じ、再び縋りつく物を探す様に日々喜は目を開いた。
 淡い光を放つ水の中で、墨を垂らしたような二、三の黒い筋が視界に入った。激流の中にあるはずなのに、その筋は流れの影響を受けず、ゆっくりと、緩やかに漂う様に日々喜の周囲に纏わり付き始めた。
 その墨が周囲を完全に覆いつくし、辺りが真っ暗になった時、それまで全身で感じていた水の流れは嘘の様に消えていた。

 「そこで、じっとして居ろ日々喜」

 日々喜の耳に声が聞こえた。
 すると、視界を覆いつくしていた墨の様な物が消え去り、水と一緒に日々喜の事を下へと流れ落とした。

 「痛!」

 落下した先はフェンネルのベッドの上であった。
 ベッドは柔軟に日々喜の体を受け止めたが、それでも、日々喜は自分の背中に何か固い物がぶつかるのを感じた。
 激流の中で揉まれていた日々喜は、ヘトヘトになりながらも余力を尽くす思いで体を浮かし、背中に当たる固い物を引っ張り出そうとする。

 「これは……」

 フェンネルのアトラスだった。魔導士が常に肌身離さず持ち歩く魔導書を彼女はベッドの中に隠していたのだった。
 部屋の中は大量の水で溢れかえる。
 その水が渦を造り、部屋中の家具や調度品等を押し流し、洪水の様な音を立てている。
 フェンネルはその渦の中心に居た。
 大水流の奏でる騒音に負けぬ程、何かに取り憑かれたかのように、狂ったような笑い声を上げている。
 それまで天井に浮遊していた水の塊は、渦の中心に集まり、まるで従順な生き物の様に形を変え、彼女の体に纏わりつき、渦の中に落さぬように空中で支え始めた。
 そして日々喜の居るベッドの前には、そんなフェンネルからこちらを守る様に、何者かが背を向けて立っていた。

 「コウミ……?」

 日々喜はその黒い背中に向けて声を掛ける。
 何時の間にか打ち破られていた雨戸から僅かに陽光が射し、対峙する二人と日々喜の間にハッキリとした境界を作り出していた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

愛する夫が目の前で別の女性と恋に落ちました。

ましゅぺちーの
恋愛
伯爵令嬢のアンジェは公爵家の嫡男であるアランに嫁いだ。 子はなかなかできなかったが、それでも仲の良い夫婦だった。 ――彼女が現れるまでは。 二人が結婚して五年を迎えた記念パーティーでアランは若く美しい令嬢と恋に落ちてしまう。 それからアランは変わり、何かと彼女のことを優先するようになり……

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...