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第二章 奪い合う世界
24話 森の王者⑤
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西側の森の中で、ハニイはひたすら日々喜の事を追い駆け、奥へ奥へと入り込んで行った。しかし、追跡するハニイには、日々喜の姿が見えて来ない。
驚いたな。奴の足の速さは……。
ハニイは感服した。
切り落とされ折られた枝葉や、掻き分けられ踏みつけられた草等は、今しがた日々喜がそこを通った事を証明している。しかし、そうでありながら、道を切り開く日々喜とその後を追うハニイとの距離は一向に縮まる様子が無かった。
馴れているなどというものではない。奴はこの森を完全にものにしている。
未だ日々喜の姿を見咎める事が出来ないながら、ハニイはその力量を僅かに感じ取った。
やがて、ハニイは足を止めた。
その場所から先へは、日々喜の通った形跡が途絶えていたのである。切り開かれた森の奥へと続く道。ハニイはその袋小路に立たされた。
闇雲に逃げていたわけではないと言う訳か。
周囲を警戒しつつ、ハニイはそう考えた。
腹の内は読めた。この私を森で巻き、逃げ切る算段。先程の不敵な態度は自信の表れ。この森全てが、言わば奴の巣だからだ。
ハニイはその場に屈み込み、地面に片手を着いた。
「方腹痛いぞ長岐。勝負とは、挑んだ時に始まり。決着とは、どちらかの死によって決まる。この私の勝負に、決死の覚悟が無かった事など、在りはしない」
ハニイの全身に瘴気が僅かに迸った。
「ウィンクルム、アクシス」
ハニイはそう呟くと、無機質な仮面の奥で、スンスンと鼻を鳴らした。
臭いだ。奴の特徴たる臭いを追う。そして、何処までも追い詰める。休む間も与えはしない。
やがて、ハニイは森の一点、一つの方向に注目する。
「……この甘い香り。見つけたぞ、長岐日々喜。鼻を明かしてやる」
ハニイは見据えていた方角に向かって、再び走り出した。今度は一直線に、道なき道を切り開いて進んで行く。
動いていない。油断したな。
ハニイは、匂いの元との距離が縮まっている事を悟り、自身の勝利を確信した。
そして、その場所へと到着した。
「これは……」
目の前に立ち塞がる一本の木に注目する。
その木の幹、丁度、肩の高さの辺りに一本の手斧が突き立てられていた。
ハニイはその場所に近づき、良くそれを観察してみる。
手斧の柄の部分には、植物の弦を巻き付けた様に、紐が垂れ下がっている。そこには、甘い香りを漂わせたキノコがぶら下がっていた。
「何だこれは……」
ハニイはキノコを手に取って、その匂いを確認する。日々喜が身体に纏っていた臭いと一致した。そしてそれが、自分が森の中で追い駆けていた臭いであると理解した。
「こんな……、こんな物で、私を巻こうしたのか?」
それは、単純な罠であった。日々喜が身に着けていた臭いの元たるキノコを身代わりに使ったのだ。
自分の能力を過信した。その為に、こんな単純な罠に引っ掛かってしまった。
ハニイの脳裏に反省の色が広がる。
「しかし、何故だ……?」
同時に疑問が口をついた。
どうやって、奴は私の能力を看破した。
この森の中では、姿の見えない相手を追い続ける事が出来るなど、獣か獣人、デーモンぐらいな者のはず……。私が同じ芸当を行使しているなど、まして追跡の最中に思い至るものなのか?
考え続けるハニイの手に自然に力が込められた。
手に握られていたキノコがズブリと潰れ、その感覚で正気に戻ったハニイは、潰れたキノコを地面に捨てた。
「ほう、街道から離れたこんな場所で出くわすとは」
突然に背後から話し掛けられ、ハニイは振り向く。
「貴様は? トウワの!?」
ハニイは、その場所に姿を現した黒装束の魔導士に言った。
「犬面とは珍しいな。……それは、日々喜の斧か?」
コウミは、木に突き立てられていた手斧を見て尋ねた。
「成程。あいつを追いかけて、こんな場所にまで来たようだが、まんまと逃げられたようだ」
「逃げられただと? まだ、勝負が着いていないだけだ」
「勝負?」
ハニイの言葉を聞いて、コウミはケタケタと笑い出した。
「何が可笑しい」
「……いや、剣士という奴らは変わらないと思ってな。いつも自分の戦いに他人を巻き込み、これが勝負だとほざけば、切り捨て御免を通しやがる。独りよがりが過ぎるんだよ。お前達は、他人の考えが全く見えてない。日々喜は、初めから相手にしてなかっただけだろ? お前は、この森で遊ばれていただけだ」
「貴様……」
コウミのその言葉に、ハニイは怒気を顕わに身構えた。
「ぬけぬけと良くも言ったな。大方は長岐と共謀し、この私を自分の下に導いた癖に」
ハニイは左手につかむ剣に、右手を添えた。
「先だって、ステーションを襲撃したのは貴様だろ?」
「ああ」
「母様は貴様の事を危険視している。手を出すなとこの私に仰られた。だが、剣士であるこの私に、貴様の方から挑んできた以上、話しは別だ」
ハニイは、剣を引き抜き、その切っ先をコウミに向けた。
「来い、トウワ人! お望み通り相手をしてやる」
ハニイの言葉に、コウミは溜息を着いた。
「戦は終わっただろうに、何を片意地張ってやがるのか……。まあいい。いい加減、鬱陶しく思っていた所だ。一人、二人、間引いておくかな」
コウミは身構えた。
少ない会話のやり取りで、あっさりと勝負の合意だけが成されて行く。その事に疑問を持つ者はいない。この場にいる二人に取って命を取り合う事の方が、話をするよりも誤解が少ない事を承知していたのだ。
この世界において、剣士とはそう言う生き物を指す。魔導士とは違う。
深い森の中で、両者を取り巻く空気だけが、一触即発の緊張を持ったように張り詰めた。
その時、街道の方角から叫び声の様なものが上がった。
「ん?」
コウミは怪訝にそちらを向く。日々喜の声では無かった。
「まさか!?」
ハニイは、そう言うと踵を返した。
「おい、待て!」
ハニイはコウミに背を向ける。咄嗟に目の前に打ち付けられてあった日々喜の手斧を引き抜き、それを追いかけようとするコウミに投げつけた。
「うお!? 危ね」
背後でコウミの声が上がる。
牽制は、恐らく防がれただろう。
ハニイはそう思いながらも、脇目も振らず叫び声の上がった方角へ走った。
女の子の声だった。自分には聞き覚えがある。
「プリン……、プリン!!」
ハニイは走りながら叫んだ。答える者は無い。しかし、その代わり、周囲に血の臭いが漂っている事に気が付く。
森の中を進めば進む程、その臭いが強くなって行く。
動悸が収まらない程に高まり始めた時、漸くハニイはその現場に辿り着いた。
眼前に、獣道のように草木の掻き分けられた道筋が横断していた。
ハニイの右手に、二匹のオオカミらしき獣が佇んでいる。それらは道筋の先、ハニイの左手に居る者達を見据えていた。そこには倒れる女の子と、鉈を手に立ち塞がる日々喜の姿があった。
「プリン!?」
道で対峙する両者は、ハニイの叫び声に反応し同時にそちらを見た。プリンの反応は無い。
「け、獣共、おのれぇー!!」
ハニイはそう叫び、獣道へと身を躍らせた。
血の臭いに酔ったのか、二匹のオオカミ達は新たに出現した敵に向かって行った。
ハニイは即座に反応する。
剣を握る両手を交差させ、肩を回し、切っ先をオオカミに向けた。
そして、飛び掛かる一匹に合わせ、その口の中に剣を突き立てた。
オオカミは絶命する。
その事に気が付いていないもう一匹は、ハニイの足下を回り込み、死角から噛みつこうとした。
ハニイは飛び上がる。同時に串刺しになったオオカミを振り払い、空中で上段の構えに移行した。
「殺さないで!」
刹那に、日々喜の声が耳に届いた。ハニイは意に介さない。
そしてそのまま、自分を見上げるオオカミの首目掛けて、体重を乗せた一撃を叩きつけた。オオカミは悲鳴の様な叫びを上げ、そのまま動かなくなった。
二匹のオオカミ達は、ハニイによって倒されてしまった。
「殺すな、だと?」
ハニイは剣に着いた血を払う様に、空間を切った。そして、日々喜の方へ顔を向けた。
「ダメだ。お前は死ね!」
ハニイはそう言うと、今度は日々喜目掛けて突進した。
咄嗟に、日々喜は身を守る様に手に持った鉈を盾にした。
「伏せろ、日々喜」
コウミの囁く様な声が聞こえた。すると、日々喜の左肩を押し退ける黒い右腕が、ハニイの視界に入った。
押し倒される日々喜の影から、左手に手斧を振りかざすコウミが姿を現す。
そして、ハニイの薙ぎ払った剣と、手斧とが日々喜の目の前でぶつかり合った。
ガキンと、凄まじい音が響き、火花と共に飛び散る鉄片が、日々喜の顔面に突き刺さった。
「退け! 貴様は後だ!」
コウミの手斧に刃を合わせながら、ハニイは叫んだ。
「落ち着けよ。小娘は生きてるだろうが」
コウミはその場から一歩も引かず、ハニイを落ち着かせるように話し掛けた。
「立てるか日々喜。少し離れろ」
コウミは倒れる日々喜に対してそう言った。日々喜は這いずる様にしてその場を離れた。
「良く聞けよ剣士。ケリを着けるのは俺も望む所だ。だが、ここにはお互い、傷つけたくない者がいるだろ」
ハニイは、コウミの足下で倒れ伏すプリンの事を見た。コウミの言う通り、呼吸をしている様に僅かな動きを見せている。
「矛を納めろ。お前が納めたら、今日の所は見逃してやる」
「貴様ら……、いい気になるなよ!」
ハニイはコウミの手斧を跳ね除けた。コウミはその勢いに乗る様に、飛び退く。
ハニイは剣を納め、倒れるプリンを優しく抱き起した。プリンの手足には獣の噛み傷が残り、そこから血を流している。しかし、命に別状はない事が窺えた。
「この借りは必ず返させてもらう。必ずだ!」
「行け」
コウミが一言返すと、ハニイは即座に街道の方角を目指し走り去って行ってしまった。
「そこそこ、腕の立つ奴が居たな」
コウミは、先程の斬撃を受け止めた手斧を確かめた。その刃の部分は僅かに凹みを残し、側面が少し剥がれ落ちた様に欠けている。
「だが、若い。容易に弱点を晒すとは……」
コウミはそう言うと、日々喜の方へと歩み寄って行った。
日々喜は上体を何とか浮かせるようにしながら、放心したような表情でコウミを見ていた。その額からはたらたらと血が流れ、汗と間違えて拭ったのか、顔面は血まみれになっていた。
「酷えな。大丈夫か?」
「腰が抜けたみたいです」
「ああ? いや、痛くないのか?」
「痛くないですけど、立てないです」
「……ああ、奴の威力に圧されて、感覚が昂ってるんだな。息を深く吸って、呼吸を整えろ」
コウミはそう言うと、日々喜のそばに跪いた。そして、深呼吸している日々喜の顔を固定する様につかんだ。
「少し動くなよ」
「……痛! 何です?」
コウミは額に刺さっていた鉄片を引き抜くと、それをしげしげと見つめた。手斧の破片だった。
「動くなって、斧の破片が刺さってる」
「斧の破片? ……痛い!」
「鉢金くらい付けておくべきだったな。まあ……、でかいのは取れたし、後は自然に抜けるだろ。布か何かないか?」
日々喜はハンカチを手渡した。コウミはそのハンカチを器用に日々喜の頭に巻き付けた。
「良し。立てるか? ゆっくりでいい」
日々喜はコウミの手を借りて何とか立ち上がった。
「助かりました、コウミ。ありがとうございます」
感覚が戻り始めているのか、日々喜は額の傷を気にしつつ、コウミに礼を言うと、倒れているオオカミ達の下に歩んで行った。
一匹は、口から後頭部にかけてを貫かれ、絶命している。もう一匹は首の骨が折れているのだろうか、身体の自由が利かない様子で、虫の息になっていた。
「ここで何をしていた日々喜。お前が小娘を狙ったわけでは無いだろ?」
オオカミの様子を気にする日々喜にコウミが尋ねた。
「あの子はオオカミに襲われていました。多分、この子達が街道まで顔を出したんです」
虫の息になっているオオカミの腹を撫でながら日々喜は答えた。
「妊娠してる……」
日々喜は、血を吐いて死んでいるもう一匹の方を眺めた。
「番いだ。この子達、新世代の群だったんだ」
日々喜は本を読んで知った知識を思い起こす。
オオカミはリーダー格の夫婦を中心に群れを成す。夫婦が子供を産み、子供達が狩りに参加する様になって、大きな群れへとなって行く。そして、群れの中ではリーダー格の夫婦以外、繁殖を行わない決まりがある。
自分の育った群を抜け出し、このイバラの森の中で自分達の縄張りを持つ為に、他のオオカミ達が足を踏み入れなかった街道付近に顔を出したのだろう。
「自分を襲った奴らに情が移ったか日々喜。お前の国でも、人を襲った獣を殺処分するルールくらいあるだろ」
コウミがそう言うと、日々喜は気持ちのおさまりが付かないような表情を浮かべた。
「……良かったじゃ無ねえか。手を汚さずに済んだんだ。そいつも、放っておけばその内死んじまう」
「そういう言い方は、大嫌いです」
コウミの言葉を皮肉とでも取ったのか、日々喜は少し怒ったような口調で言い返した。
「それに、ここは僕達の森です。最低限のルールがある」
この西側の森では、新参のゴブリン達が勢力を拡大しつつある。危険な肉食獣と共存できるわけも無く、必ず自分達の手で縄張りを守らなければならない。
日々喜は地面に落していた鉈を拾い上げる。そして、虫の息のオオカミの前に戻って来た。
「とどめを……。殺します」
「俺が代わってやるか?」
「大丈夫。屠殺の経験くらいありますよ」
日々喜はそう言うと、オオカミを仰向けにさせ、白い柔らかな毛に覆われた腹を表にした。
強がりやがって……。殺すなと叫んでいただろうに。
コウミが見つめる中で、日々喜はその白い腹に鉈を振り下ろし、獣の命を締めた。
驚いたな。奴の足の速さは……。
ハニイは感服した。
切り落とされ折られた枝葉や、掻き分けられ踏みつけられた草等は、今しがた日々喜がそこを通った事を証明している。しかし、そうでありながら、道を切り開く日々喜とその後を追うハニイとの距離は一向に縮まる様子が無かった。
馴れているなどというものではない。奴はこの森を完全にものにしている。
未だ日々喜の姿を見咎める事が出来ないながら、ハニイはその力量を僅かに感じ取った。
やがて、ハニイは足を止めた。
その場所から先へは、日々喜の通った形跡が途絶えていたのである。切り開かれた森の奥へと続く道。ハニイはその袋小路に立たされた。
闇雲に逃げていたわけではないと言う訳か。
周囲を警戒しつつ、ハニイはそう考えた。
腹の内は読めた。この私を森で巻き、逃げ切る算段。先程の不敵な態度は自信の表れ。この森全てが、言わば奴の巣だからだ。
ハニイはその場に屈み込み、地面に片手を着いた。
「方腹痛いぞ長岐。勝負とは、挑んだ時に始まり。決着とは、どちらかの死によって決まる。この私の勝負に、決死の覚悟が無かった事など、在りはしない」
ハニイの全身に瘴気が僅かに迸った。
「ウィンクルム、アクシス」
ハニイはそう呟くと、無機質な仮面の奥で、スンスンと鼻を鳴らした。
臭いだ。奴の特徴たる臭いを追う。そして、何処までも追い詰める。休む間も与えはしない。
やがて、ハニイは森の一点、一つの方向に注目する。
「……この甘い香り。見つけたぞ、長岐日々喜。鼻を明かしてやる」
ハニイは見据えていた方角に向かって、再び走り出した。今度は一直線に、道なき道を切り開いて進んで行く。
動いていない。油断したな。
ハニイは、匂いの元との距離が縮まっている事を悟り、自身の勝利を確信した。
そして、その場所へと到着した。
「これは……」
目の前に立ち塞がる一本の木に注目する。
その木の幹、丁度、肩の高さの辺りに一本の手斧が突き立てられていた。
ハニイはその場所に近づき、良くそれを観察してみる。
手斧の柄の部分には、植物の弦を巻き付けた様に、紐が垂れ下がっている。そこには、甘い香りを漂わせたキノコがぶら下がっていた。
「何だこれは……」
ハニイはキノコを手に取って、その匂いを確認する。日々喜が身体に纏っていた臭いと一致した。そしてそれが、自分が森の中で追い駆けていた臭いであると理解した。
「こんな……、こんな物で、私を巻こうしたのか?」
それは、単純な罠であった。日々喜が身に着けていた臭いの元たるキノコを身代わりに使ったのだ。
自分の能力を過信した。その為に、こんな単純な罠に引っ掛かってしまった。
ハニイの脳裏に反省の色が広がる。
「しかし、何故だ……?」
同時に疑問が口をついた。
どうやって、奴は私の能力を看破した。
この森の中では、姿の見えない相手を追い続ける事が出来るなど、獣か獣人、デーモンぐらいな者のはず……。私が同じ芸当を行使しているなど、まして追跡の最中に思い至るものなのか?
考え続けるハニイの手に自然に力が込められた。
手に握られていたキノコがズブリと潰れ、その感覚で正気に戻ったハニイは、潰れたキノコを地面に捨てた。
「ほう、街道から離れたこんな場所で出くわすとは」
突然に背後から話し掛けられ、ハニイは振り向く。
「貴様は? トウワの!?」
ハニイは、その場所に姿を現した黒装束の魔導士に言った。
「犬面とは珍しいな。……それは、日々喜の斧か?」
コウミは、木に突き立てられていた手斧を見て尋ねた。
「成程。あいつを追いかけて、こんな場所にまで来たようだが、まんまと逃げられたようだ」
「逃げられただと? まだ、勝負が着いていないだけだ」
「勝負?」
ハニイの言葉を聞いて、コウミはケタケタと笑い出した。
「何が可笑しい」
「……いや、剣士という奴らは変わらないと思ってな。いつも自分の戦いに他人を巻き込み、これが勝負だとほざけば、切り捨て御免を通しやがる。独りよがりが過ぎるんだよ。お前達は、他人の考えが全く見えてない。日々喜は、初めから相手にしてなかっただけだろ? お前は、この森で遊ばれていただけだ」
「貴様……」
コウミのその言葉に、ハニイは怒気を顕わに身構えた。
「ぬけぬけと良くも言ったな。大方は長岐と共謀し、この私を自分の下に導いた癖に」
ハニイは左手につかむ剣に、右手を添えた。
「先だって、ステーションを襲撃したのは貴様だろ?」
「ああ」
「母様は貴様の事を危険視している。手を出すなとこの私に仰られた。だが、剣士であるこの私に、貴様の方から挑んできた以上、話しは別だ」
ハニイは、剣を引き抜き、その切っ先をコウミに向けた。
「来い、トウワ人! お望み通り相手をしてやる」
ハニイの言葉に、コウミは溜息を着いた。
「戦は終わっただろうに、何を片意地張ってやがるのか……。まあいい。いい加減、鬱陶しく思っていた所だ。一人、二人、間引いておくかな」
コウミは身構えた。
少ない会話のやり取りで、あっさりと勝負の合意だけが成されて行く。その事に疑問を持つ者はいない。この場にいる二人に取って命を取り合う事の方が、話をするよりも誤解が少ない事を承知していたのだ。
この世界において、剣士とはそう言う生き物を指す。魔導士とは違う。
深い森の中で、両者を取り巻く空気だけが、一触即発の緊張を持ったように張り詰めた。
その時、街道の方角から叫び声の様なものが上がった。
「ん?」
コウミは怪訝にそちらを向く。日々喜の声では無かった。
「まさか!?」
ハニイは、そう言うと踵を返した。
「おい、待て!」
ハニイはコウミに背を向ける。咄嗟に目の前に打ち付けられてあった日々喜の手斧を引き抜き、それを追いかけようとするコウミに投げつけた。
「うお!? 危ね」
背後でコウミの声が上がる。
牽制は、恐らく防がれただろう。
ハニイはそう思いながらも、脇目も振らず叫び声の上がった方角へ走った。
女の子の声だった。自分には聞き覚えがある。
「プリン……、プリン!!」
ハニイは走りながら叫んだ。答える者は無い。しかし、その代わり、周囲に血の臭いが漂っている事に気が付く。
森の中を進めば進む程、その臭いが強くなって行く。
動悸が収まらない程に高まり始めた時、漸くハニイはその現場に辿り着いた。
眼前に、獣道のように草木の掻き分けられた道筋が横断していた。
ハニイの右手に、二匹のオオカミらしき獣が佇んでいる。それらは道筋の先、ハニイの左手に居る者達を見据えていた。そこには倒れる女の子と、鉈を手に立ち塞がる日々喜の姿があった。
「プリン!?」
道で対峙する両者は、ハニイの叫び声に反応し同時にそちらを見た。プリンの反応は無い。
「け、獣共、おのれぇー!!」
ハニイはそう叫び、獣道へと身を躍らせた。
血の臭いに酔ったのか、二匹のオオカミ達は新たに出現した敵に向かって行った。
ハニイは即座に反応する。
剣を握る両手を交差させ、肩を回し、切っ先をオオカミに向けた。
そして、飛び掛かる一匹に合わせ、その口の中に剣を突き立てた。
オオカミは絶命する。
その事に気が付いていないもう一匹は、ハニイの足下を回り込み、死角から噛みつこうとした。
ハニイは飛び上がる。同時に串刺しになったオオカミを振り払い、空中で上段の構えに移行した。
「殺さないで!」
刹那に、日々喜の声が耳に届いた。ハニイは意に介さない。
そしてそのまま、自分を見上げるオオカミの首目掛けて、体重を乗せた一撃を叩きつけた。オオカミは悲鳴の様な叫びを上げ、そのまま動かなくなった。
二匹のオオカミ達は、ハニイによって倒されてしまった。
「殺すな、だと?」
ハニイは剣に着いた血を払う様に、空間を切った。そして、日々喜の方へ顔を向けた。
「ダメだ。お前は死ね!」
ハニイはそう言うと、今度は日々喜目掛けて突進した。
咄嗟に、日々喜は身を守る様に手に持った鉈を盾にした。
「伏せろ、日々喜」
コウミの囁く様な声が聞こえた。すると、日々喜の左肩を押し退ける黒い右腕が、ハニイの視界に入った。
押し倒される日々喜の影から、左手に手斧を振りかざすコウミが姿を現す。
そして、ハニイの薙ぎ払った剣と、手斧とが日々喜の目の前でぶつかり合った。
ガキンと、凄まじい音が響き、火花と共に飛び散る鉄片が、日々喜の顔面に突き刺さった。
「退け! 貴様は後だ!」
コウミの手斧に刃を合わせながら、ハニイは叫んだ。
「落ち着けよ。小娘は生きてるだろうが」
コウミはその場から一歩も引かず、ハニイを落ち着かせるように話し掛けた。
「立てるか日々喜。少し離れろ」
コウミは倒れる日々喜に対してそう言った。日々喜は這いずる様にしてその場を離れた。
「良く聞けよ剣士。ケリを着けるのは俺も望む所だ。だが、ここにはお互い、傷つけたくない者がいるだろ」
ハニイは、コウミの足下で倒れ伏すプリンの事を見た。コウミの言う通り、呼吸をしている様に僅かな動きを見せている。
「矛を納めろ。お前が納めたら、今日の所は見逃してやる」
「貴様ら……、いい気になるなよ!」
ハニイはコウミの手斧を跳ね除けた。コウミはその勢いに乗る様に、飛び退く。
ハニイは剣を納め、倒れるプリンを優しく抱き起した。プリンの手足には獣の噛み傷が残り、そこから血を流している。しかし、命に別状はない事が窺えた。
「この借りは必ず返させてもらう。必ずだ!」
「行け」
コウミが一言返すと、ハニイは即座に街道の方角を目指し走り去って行ってしまった。
「そこそこ、腕の立つ奴が居たな」
コウミは、先程の斬撃を受け止めた手斧を確かめた。その刃の部分は僅かに凹みを残し、側面が少し剥がれ落ちた様に欠けている。
「だが、若い。容易に弱点を晒すとは……」
コウミはそう言うと、日々喜の方へと歩み寄って行った。
日々喜は上体を何とか浮かせるようにしながら、放心したような表情でコウミを見ていた。その額からはたらたらと血が流れ、汗と間違えて拭ったのか、顔面は血まみれになっていた。
「酷えな。大丈夫か?」
「腰が抜けたみたいです」
「ああ? いや、痛くないのか?」
「痛くないですけど、立てないです」
「……ああ、奴の威力に圧されて、感覚が昂ってるんだな。息を深く吸って、呼吸を整えろ」
コウミはそう言うと、日々喜のそばに跪いた。そして、深呼吸している日々喜の顔を固定する様につかんだ。
「少し動くなよ」
「……痛! 何です?」
コウミは額に刺さっていた鉄片を引き抜くと、それをしげしげと見つめた。手斧の破片だった。
「動くなって、斧の破片が刺さってる」
「斧の破片? ……痛い!」
「鉢金くらい付けておくべきだったな。まあ……、でかいのは取れたし、後は自然に抜けるだろ。布か何かないか?」
日々喜はハンカチを手渡した。コウミはそのハンカチを器用に日々喜の頭に巻き付けた。
「良し。立てるか? ゆっくりでいい」
日々喜はコウミの手を借りて何とか立ち上がった。
「助かりました、コウミ。ありがとうございます」
感覚が戻り始めているのか、日々喜は額の傷を気にしつつ、コウミに礼を言うと、倒れているオオカミ達の下に歩んで行った。
一匹は、口から後頭部にかけてを貫かれ、絶命している。もう一匹は首の骨が折れているのだろうか、身体の自由が利かない様子で、虫の息になっていた。
「ここで何をしていた日々喜。お前が小娘を狙ったわけでは無いだろ?」
オオカミの様子を気にする日々喜にコウミが尋ねた。
「あの子はオオカミに襲われていました。多分、この子達が街道まで顔を出したんです」
虫の息になっているオオカミの腹を撫でながら日々喜は答えた。
「妊娠してる……」
日々喜は、血を吐いて死んでいるもう一匹の方を眺めた。
「番いだ。この子達、新世代の群だったんだ」
日々喜は本を読んで知った知識を思い起こす。
オオカミはリーダー格の夫婦を中心に群れを成す。夫婦が子供を産み、子供達が狩りに参加する様になって、大きな群れへとなって行く。そして、群れの中ではリーダー格の夫婦以外、繁殖を行わない決まりがある。
自分の育った群を抜け出し、このイバラの森の中で自分達の縄張りを持つ為に、他のオオカミ達が足を踏み入れなかった街道付近に顔を出したのだろう。
「自分を襲った奴らに情が移ったか日々喜。お前の国でも、人を襲った獣を殺処分するルールくらいあるだろ」
コウミがそう言うと、日々喜は気持ちのおさまりが付かないような表情を浮かべた。
「……良かったじゃ無ねえか。手を汚さずに済んだんだ。そいつも、放っておけばその内死んじまう」
「そういう言い方は、大嫌いです」
コウミの言葉を皮肉とでも取ったのか、日々喜は少し怒ったような口調で言い返した。
「それに、ここは僕達の森です。最低限のルールがある」
この西側の森では、新参のゴブリン達が勢力を拡大しつつある。危険な肉食獣と共存できるわけも無く、必ず自分達の手で縄張りを守らなければならない。
日々喜は地面に落していた鉈を拾い上げる。そして、虫の息のオオカミの前に戻って来た。
「とどめを……。殺します」
「俺が代わってやるか?」
「大丈夫。屠殺の経験くらいありますよ」
日々喜はそう言うと、オオカミを仰向けにさせ、白い柔らかな毛に覆われた腹を表にした。
強がりやがって……。殺すなと叫んでいただろうに。
コウミが見つめる中で、日々喜はその白い腹に鉈を振り下ろし、獣の命を締めた。
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