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第十八話 魔犬の兄弟

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 妖魔界を後にした俺たちは、ナルファ近くの野営地に戻った。とりあえず周辺の様子から探ろうということになったからだ。

 スラサンが周囲の様子を探る。

 「この辺りはスライムが少ないです。中型以上の魔物は増えてる様子ですが、一方で小型の魔物は非常に少ないようです。ただ、スライムの数も極端に少なく、これ以上の情報が集まりません」
 スラサンが少し薄くなる。肩を落とした的な仕草だろうか。

 「中型以上の魔物が増えてるなら、餌になる小型の魔物が減るのはまあわかるな。餌不足で狩られ過ぎて、さすがのスライムも増殖が間に合わないのかもしれないな」
 「こんなに仲間がいないのは初めてです……」
 スラサンがこれほど不安そうな様子を見せるのは初めてだ。俺はスラサンを指先でちょいちょいと撫でた。
 「ヴァス君も言ってる。仲間の気配が無いって」
 「そうか」
 スライムたちが口を揃えて言うくらいにいないのか(口は無いけど)。

 俺は周囲を見渡す。
 一見したところではほとんど様子に変わりはないが。

 「魔物が近づいています」
 スラサンが緊張感を漂わせ、
 「仲間がいないので詳しい情報がわかりませんが……」と、不安そうに続けた。

 ほとんど同時くらいのタイミングで、少し先の木の影から、黒い影が現れた。
 スラサンの言ってたのがこれだとすると、普段と比べるとほとんど機能してないと言っていいくらいの感知精度だ。

 黒い四足獣。闇狗ダークドッグだ。

 俺が剣を抜くのと黒い獣がペタリと伏せるのがほぼ同時だった。

 「?!」
 振り下ろそうとした剣を慌てて止める。

 闇狗ダークドッグはペッタリ伏せて頭を下げ、耳も伏せている。攻撃の意思はなさそうだ。

 どういうことだ?

 戸惑ってソイツを見つめると、闇狗ダークドッグはキュウキュウと鼻を鳴らしだした。

 「レイチ、何か言ってそうだよ」
 ヴィオラの言葉に、剣を下げた。まだわからないから、鞘には収めないでおく。

 《意思疎通/コミュニケート》を試みることにした。

 『おい、俺たちに何か用か?』
 『魔法使い様、お願いです。助けて下さい』
 『ん?お前が攻撃してこないなら、俺たちは別にお前を殺したりする気はないぞ?』
 『ボクじゃないです。兄さんを助けて下さい。兄さんが死にそうなんです。もし助けて下さるなら、ボクはあなた様に服従します』
 『……』

 俺はひとまず、ヴィオラとスラサンに今のやり取りを伝え、再び黒い獣との会話に戻る。

 『お前の兄ってのはどこにいる?』
 俺が尋ねると獣はパッと頭を上げた。
 『こっちです!』
 身を翻し、先に立って歩き出す。
 ヴィオラと共にそれに従って歩き出した。

 よく見りゃ、コイツ酷く痩せてるな。
 肋が浮いて数えられるし、腰骨の形までくっきりわかるほどだ。

 餌不足は深刻みたいだな。

 それにしてもコイツ、頭良すぎないか?
 闇狗ダークドッグは魔物としての格はかなり低い。近縁種の黒狼ブラックウルフと比べるとだいぶレベルも知能も低く、テイムしてもペット以上の使い道無しってのが世間の評価だ。(まあペットとしても臆病でなかなか人に懐かない性格とあって、あえて飼うのはよほどの物好きだ)

 さっきのコイツの言葉は、闇狗ダークドッグとしては異様だ。ほとんど魔族並みの思考力を持ってるんだから。

 俺がこれまでに会話した闇狗ダークドッグは『ハラヘッタ』『クイモノヨコセ』『チカヅクナ ソレイジョウキタラ カミツクゾ』とか、そんな言葉しか言わなかった。

 警戒はしておいたほうがいいかもしれないな。
 あるいは、魔族が姿を変えて近づいて来たって可能性もあるかもしれない。

 そのことは念話でヴィオラにも伝え、「見たとこ変な気配はないけど、用心に越したことはないね。僕も警戒しておく」という返事を受けた。

 闇狗ダークドッグに続いて森の中へ歩みを進めて行くと、やがて朽ちかけた老木へと辿り着く。老木は根本が大きな洞になっていて、そこにもう一匹の闇狗ダークドッグが横たわってた。

 『あれが?』
 『そうです』
 『……生きてるか?』
 『ボクが離れてる間に死んでなければ』

 俺たちを案内した闇狗ダークドッグは横たわってるヤツに近づいてゆき、鼻を寄せる。
 『かろうじて、ですが、生きてます』

 ヴィオラが死んだように横たわってる魔獣に近づいていき、しゃがんでその様子を見ているのを横目に見つつ、俺は助けを求めて来た方の魔犬に向かって言う。

 『お前、俺に服従するって言ったな。先に契約しておこうか』
 助けたとたんに攻撃してこないとも限らない。俺やヴィオラはともかく、スラサンは闇狗ダークドッグ相手でも危ないんだ。コイツがスラサンを狙った刺客じゃないとは言い切れないからな。

 『はい。お願いします』
 闇狗ダークドッグは俺の方に向き直り、ペタリと伏せた。

 俺は闇狗ダークドッグに対し、契約魔法を発動した。なんの抵抗もなく、すんなりと契約は成立した。

 ……魔族ではないのか?
 レベル1の魔法であっさり成立したところを見ると、魔族の変化体だとは思えない。

 ここんとこヴィオラのせいで魔族と立て続けに契約してるから、感覚の違いはわかる。
 コイツは間違いなく、ただの闇狗ダークドッグだ。

 しかし、こんなに普通に会話できる闇狗ダークドッグなんて、見たことも聞いたこともないぞ。

 あ、名前つけないといけないのか。
 「ソイツも契約するのか?」
 横たわってヴィオラの処置を受けているもう一匹を見やる。
 「させます」
 強い口調で闇狗ダークドッグが言う。

 ふむ。それなら、名付けは後回しだ。二匹の犬を同時に名付けるか、コイツ一匹との契約かで変わるからな、俺的に。
 コイツは契約させると言ってるが、当の兄犬が拒否する可能性もある。
 正直、俺はコイツと契約できればそれでいい。こんなに理解力のある頭のいい犬を獲得できるのは嬉しいが、タダのアホ犬は要らない。契約しても「メシヨコセ」しか言わず、強い魔物を見れば一目散に逃げ出すような魔獣なんて養う余裕は無いんだ、悪いけど。

 「レイチ。わかったよ、この子の正体とこうなった原因」
 その時、倒れてる兄犬の方を調べていたらしいヴィオラがこちらを振り返った。
 なんだか微妙な表情をしている。

 「どうした?」
 「うん……この子たち、この間のワンコたちだ」 
 「この間の?」
 言われて俺は首を傾げる。この間って、一番直近で魔獣と接触したのは妖魔界へ行く直前の、魔獣祭りの時の……って、まさか。
 「お前に発情させられて盛ってた、アイツらなのか?」
 ヴィオラは深々と溜め息を一つついて、うなだれるように頷いた。
 「そう。この子、いまだに魔法が解けてない」
 うーわー、それはもう、完全に地獄だな。気の毒に……。

 「ヴィオラ、お前、どれだけ強い魔法かけたんだよ」
 「言い訳になるけど、そんなつもりは無かったんだ。あの時って僕も成長中で、自分の魔法の威力も掴みきれてなかったんだよ」
 「まあ、毎日成長してたもんな。魔法の威力も成長につれて強くなってたのか」
 「多分」
 ヴィオラは眉をハの字にしてしょげ返っている。

 「でも、かかってるのが僕の魔法なら話は早い。単に魔法を解除すればいいだけだ」
 「あとは治癒かけて魔力の供与をしてやればいいわけだな」

 一歩下がって控えている弟犬の方を振り返った。
「まさかお前、俺たちがその時の戦った相手だと知って近づいてきたのか?」
 そうだとすると、コイツはどれだけの能力を持ってるんだという話になるんだが。

 「いえ、あの時の魔法使いに頼んで魔法を解いてもらいたいとは思ったけど、あの時の相手とは魔力の大きさも違ってたし、違う人だろうと思ってました。でも、人間にしても魔物にしても、これだけ大きな魔力を持ってるなら、頼めばなんとかしてくれるかもしれないと思って」
 「自分がやられるかも、とは思わなかったのか?」
 「思いました。でも、あのままでいればすぐに兄さんは死んでしまっていただろうし、僕も一人では生きられないですから」
 「そうか?それだけ賢ければ、お前一匹ならどうにかして生き延びそうだけどな」
 「賢い?ボクが?」
 「ああ、闇狗ダークドッグにしては……いや、狼を足しても、お前ほどの受け答えができるヤツはそういないぞ。魔族が化けてるのかと思ったくらいだ」
 「ボクが魔族だなんて、そんな!ボクは家族の中でも小さくてひ弱なお荷物でしたから」

 “お荷物”という言葉に俺の過去がチラリと頭を掠め、何だかコイツが他人とは思えなくなってきた。
 「自覚無しか。お前は凄いんだぞ。そんなに頭がいい魔物なんて、そうそういないぞ。安心しろ、今あのおじさんがお前の兄貴の魔法を解いてくれるからな。そしたら、魔法を教えて貰え。お前ならきっと使えるようになるはずだ」

 ヴィオラに聞こえてたら、今の言葉に抗議したかもしれないが、どうやら兄犬のほうに集中しているようで、こちらには振り返らなかった。
 ヴィオラは二十二歳と言っていた。闇狗ダークドッグの寿命はだいたい十年足らず、飼育下であっても十五年も生きられない。群の一番末らしいコイツは多く見積もっても五歳足らずだろう。五歳児から見れば二十代だっておじさんだ。文句は言わせん。

 「魔法?!ボクが?まさか、本当に、使えるようになるの?!」
 闇狗ダークドッグが頭を上げ耳をピンと立て、目もまん丸にして俺を見つめる。驚いた勢いで言葉が崩れているが、直さなくていい。コイツ、可愛い。

 「おー、使える使える。スライムのおじさんも使えるんだ、お前だって使えるさ」
 闇狗ダークドッグは頭を下げて目をキュウッと閉じた。
 「ありがとうございます。ボク、一生かけてあなた様にお仕えします」
 微かに震える黒い頭を撫でてやると、闇狗ダークドッグは小さく尾を振り出した。

 あ、いかん。顔がにやける。闇狗ダークドッグがこんなに可愛いなんて知らなかった。今までいっぱい倒してゴメン。

 「レイチ、人に仕事押し付けて、自分だけなにイチャイチャしてるの?」
 その時、ぶすくれたヴィオラの声が降ってきた。

 「終わったのか。どうだ、兄貴の具合は?」
 「問題ない。魔法は解除できたし、体もひどく体力を消耗してるだけで、機能的には全く異常無し。魔力はかろうじて生きられる程度に残ってる。魔力が尽きてたらダメだったろうね」
 弟犬がホッとした表情を見せる。
 「ボク、肉が無理でもせめて魔力はと思って、スライムを探して運んでたんです」
 「良かったな、兄貴が助かって。お前のお陰だ」
 弟犬の尻尾がフリフリと揺れている。

 「酷使されたおちんちんとタマタマも問題無しだよ。絶倫なお兄ちゃんで良かったね」
 ヴィオラはまだ眠ったままの兄犬の、頭ではなくなぜか腰のあたりを撫でながら言った。
 全くこの淫魔は、反省の色がねぇな。

 純情な弟犬はヴィオラの言葉を素直に受け入れた。
 「体が丈夫な兄さんだったから助かったんだと思います。ボクだったらきっととっくに死んでました」

 「しかし、二匹ともガリガリだな。治癒だけじゃ足りないだろ。俺たち牙猪ファングボアの肉持ってるからやるよ。食うだろ?」
 俺の言葉に弟犬の耳がビン!と立ち、目がまん丸に開いて、尻尾がブンブンと左右に振られ出した。
 「い、いただけるなら……ぜひ……」
 口元からヨダレがたらたらと滴っている。

 「ヨシヨシ、今用意するから、ちょっと待ってろな」
 ヴィオラに倉庫の魔法を使ってもらおうと振り返ると、ヴィオラがまた微妙な表情をしていた。
 「どうした?」
 「ああ、うん、ちょっとね。肉、すぐには出せないかもしれない」
 「ん?どういうことだ?」
 「うん……まあ、開けてみようか」

 そう言ってヴィオラは少し距離を取ってから亜空間の倉庫の入口を開く。
 何もない空間に黒い穴が開き、なぜかヴィオラがヒュッと身をかわすと、穴から凄まじい冷気が噴き出してきた。
 「なっ?!」
 噴き出した冷気に触れた草木がピリピリと凍り出す。
 「《魔力吸収/マジックドレイン》」
 ヴィオラが噴き出す冷気に向かって魔法を叩き込むが、やや減衰する程度で、容易には収まらない。何度か同じことをやり、ようやく冷気の噴出が収まった。
 いや、噴出は収まったけど、倉庫の中にはまだ冷気が残ってる。倉庫じゃなくて巨大フリーザーになったみたいだ。

 「……どういうことだ?」
 ヴィオラをじっとりと見やると、そっと目を逸らされた。

 「あー。サファイアの魔法の転送先、とっさに思いつかなかったから、ここにしちゃったんだ」
 テヘッとかやるんじゃない!今のお前は大人の魔王だ!けど美形がやると、なぜか大の男でもちょっと可愛くなるんだな。いや、そうじゃなくて。

 「倉庫内は時間のない空間だから、魔法の効果が減衰せずにずっと発動時のまま保たれるんだ。冷気が完全に失せるまでやると肉の魔力まで吸収しちゃって美味しくなくなるから、このくらいで我慢してくれる?」
 「しょうがないな。解凍しなきゃ食えないなら、俺たちも一緒に飯にするか?」
 「ちょっと早いけど、まあいいか。じゃ、僕は肉を用意するから、レイチ火を熾しておいて」
 「了解」

 食事の支度を始める俺らを期待と好奇心に満ちた眼差しで見つめる弟犬の傍らで、兄犬がゴソゴソと身じろぎを始めた。
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