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第二十話 兄弟犬の進化とヴィオラのレッスン

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 「退避だ、レイチ!すごい勢いで魔力を吸収してる!」
 ヴィオラに腕を引かれ、慌ててその場を離れた。

 スライムたちの安全を考え、二、三分ほども走ったところで、ようやく足を止めた。気になって後方を見やるが、離れすぎて犬たちがどうなってるのか全くわからない。

 「なんか、思った以上に凄い魔物が誕生しているようだよ」
 ヴィオラも後にしてきた方角に目をやり、心配の色を滲ませつつ呟くように言う。

 「俺は魔力感知ができないからよくわからないんだけど、そんなに凄いのか?」
 「体が震える思いがいたしました……」
 スラサンが身をふるふるさせる。
 「僕が進化した時ほどではなくても、それに迫るくらいの勢いだったよ。早く戻ってやりたいけど、まだ収まってなさそうだから、もう少し待とう」 

 じりじりする思いで時間が過ぎるのを待ち、「そろそろいいだろう」とヴィオラの許可が降りるのを待ちかねて大急ぎで二匹の元に戻った。

  「レイチ様」
 俺の姿を見て、犬の顔でさえそうとわかる泣きそうな顔でそう呼びかけ、縋るような目を投げかけてきたのは双頭犬の向かって右の頭、弟のキオだった。

 そう、リウスとキオは一体となり、双頭犬に進化していたのだ。

 「うまく進化できたみたいだ。よく頑張ったな」
 キオの頭を撫でてやると猫みたいに頭を擦り寄せてきたから、そのまま撫でていた片手で抱き込んでヨシヨシしてやる。

 実に立派な、雄牛ほどもある大きな双頭犬だ。
 大きいが狼とは違うとわかる、犬らしい尖った顔をしている。深紅の瞳が光る顔だけ見れば、闇狗ダークドッグと変わらない。
 漆黒の被毛は艶やかで、ベルベットのようだ。胸元だけ鬣のように少し毛足が長くなっている。
 双頭を支えるためだろう、上半身は特に大きく逞しくなっている。
 実際のギリシャ神話の双頭犬オルトロスは体毛や尾が蛇らしいが、その設定は要らないんだ、俺的に。なので、俺の双頭犬はフサフサの尾が二本生えている。ちょっと猫又入ってるって言われそうだが、いいんだ。これは“俺の”双頭犬だ。モフモフは正義なのだ。

 俺がヴィオラにイメージを伝え、ヴィオラが造形した双頭犬だ。彼が言っていたように、格好良さに拘ったのだろうということがよくわかる。

 もともと人間を魅了して性交する淫魔から始まるんだもんな、妖魔は。外見を自由に変える能力を持つ妖魔は、外見の美しさには特に拘りを持つ。

 「……怖かったです」
 キオがポツリと呟くと、向かって左の頭、リウスがキオの頬をチロリと舐めて宥めてやる。

 そうだよな。本人はそれどころじゃないよな。自分たちの外見がどうなってるのかわからないだろうし、兄の顔がすぐ横にあるし、怖いよな。ごめん。でも、慣れてほしい。こんな格好いい魔獣が俺の従魔だなんて、嬉しくてしょうがないんだ、俺は。

 ヴィオラが追いついて姿を現すと、進化した彼らの姿を見て感嘆の声を上げた。
 「うわ、これは凄い。見事な幻獣だね!大成功だよ!」
 「ヴィオラ様……」
 キオがヴィオラに半泣きの目を向ける。
 「ああ、ヨシヨシ、怖かったね。二人とも、気分はどう?」
 ヴィオラはキオの頭を撫でながら問いかけた。

 「怖いです。異様な姿の化け物になってしまったのではないかと……」
 「そうだね、自分たちがどんな姿してるのか、見たいよね。……ほら、これ、君たちだよ」
 ヴィオラが魔法の姿見を出して見せてやると、兄弟犬がそれを覗き込んだ。

 「……うわ」
 「これが、オレたち?」

 ちょっと退いてる様子のキオに対して、リウスは様変わりした自分の姿に感動しているようだ。

 「オレは、進化したことが凄く嬉しいし、この姿が誇らしい。力が満ちあふれてるようで、強くなってるのを感じる。早く、体を動かしたい」
 オラわくわくすっぞ!みたいな顔して言うリウスが可愛いし頼もしい。本当に頼れるお兄ちゃんなんだな。

 一方のキオはかなり怖がりの慎重派のようだ。リウスと一緒なら、リウスの暴走を制御するブレーキ役になってくれるだろう。 

 「体を動かすのはどう?二人のどっちが動かすの?」
 ヴィオラが好奇心全開の顔で尋ねる。

 言われて双頭犬が手を上げたり尻尾を振ったりしている。
 「尾はそれぞれの側の一本だけ動かせるみたいだ。手は今オレが動かした。キオはどうだ?」
 「ボクも手足を動かすことはできるけど……同時に動かそうとすると、兄さんの方が優先されるみたい。兄さんの方が狩りが上手かったし、その方がボクも安心できるよ」

 へえ。尾を二本にしたのは、単にモフ増量の俺の欲だったんだけど、それぞれのものとしてうまく分かれたんだな。
 そう思って見ると、向かって左、リウスの側の尻尾はずっとフリフリと揺れている。ご機嫌なんだな。
 キオの側の尾は静かなままだ。

 「ふむ。すると、身体操作を担当するリウスと魔法を担当するキオで役割分担できて、ちょうど良さそうだね」
 ヴィオラが微笑む。

 「魔法……」
 キオの顔から自らの変化に対する戸惑いの色が消え、引き締まった顔つきに変わる。

 「そもそも闇狗ダークドッグは魔法は使えないのか?」
 俺の問いにスラサンが答える。
 「闇狗ダークドッグとして本能的に体得している魔法としては、土の属性魔法の《掘削/ディギング》と嗅覚で嗅ぎ分ける《魔力感知/マジックセンシング》くらいではないでしょうか?
 上位種の狼には攻撃魔法を操る者もいるようですが、闇狗ダークドッグではなかなかそこまでの知能を持つ者がいません」

 その闇狗ダークドッグが使える唯一の魔法らしい魔法である《掘削/ディギング》も、自分の前足で穴掘りをする際にブーストがかかる形での発動になるため、自身は魔法を使っている自覚はないだろう、とのこと。

 なるほど、キオが魔法に馴染みが無さそうなのはそのせいか。

 「キオは魔法使いになれると思うよ。僕の魔法をいち早く自力で解いてたでしょ?」
 「え、いや、それは、その、兄さんにたくさん魔力を貰ったせいだと……」
 キオがちょっと恥ずかしそうに俯く。

 魔力ね。白濁した液体に含まれる魔力ね。
 たくさん貰ったのか。そうか。

 「それは関係ない。魔力をいくら注がれても、それだけで魔法抵抗の力が上がるわけじゃない。溜め切れない魔力が排出されるだけだよ。キオが魔法の影響から一人だけ脱したのは、君が元々魔法への高い抵抗力を持っていたからだ。それはつまり、無意識に自身の魔力で身体を保護し、外からの魔法の影響を受けにくくしていたということだ」
 ヴィオラの説明を受け、キオは真剣な眼差しで言った。
 「魔法を、教えて下さい。兄さんの力になりたいです」
 「うん、いいよ。おじさん・・・・が教えてあげる」
 ヴィオラがニッコリと笑って言った。

 ……聞こえてた。
 怒ってる?
 チラリとヴィオラに目をやると、ヴィオラは含むものなど何も無さそうな、心底からの笑みに見える表情を湛えていた。

 ヴィオラは俺の視線に気付くと、サムズアップの親指で自分の胸をちょいちょいと差し、なんだか凄くドヤってるように見える。

 後で聞いたところ、ずっと子どものままで過ごしてきてやっと大人になれた訳だけど、おじさんと言えば大人の中でも更に大人という意味だから、そんなにも立派になったと認めて貰えたような気がして嬉しかったのだと。

 怒るどころか喜んでた。年は重ねても老いることのない妖魔ならではの感覚なのかもしれない。

 「じゃ、魔法のレッスンをやるためにまず、人身化を覚えようか」

 「人身化……」
 兄弟が緊張感を漂わせた。

 人身化できるのが魔族の証。まさか自分が人間の姿になれるなんて思ってもいなかっただろうから、そりゃ緊張するよな。

 「言葉で説明するより見た方が早いよね」
 そう言ってヴィオラは自身を狼に変化させた。
 白金色に輝く毛皮に菫色の瞳を持つ、神々しいまでに美しい狼だ。今のリウスとキオの姿である双頭犬と同じほどの大きさがある。

 「……凄い」
 兄弟が息を飲んだ。

 「ごめんね、頑張ったけど犬になるのは無理だったから、これで許してくれる?僕を見て一緒に……って、何してるの?見てよ」
 双頭犬がペタリと伏せて頭も下げているのを見て、狼ヴィオラが苦笑混じりの声で言う。

 「畏れ多くて……」
 「直視するなんてそんな……」
 兄弟犬はひたすら恐縮してひれ伏している。

 「そうか、たしか犬って相手を真っ直ぐ直視すると喧嘩売ってるってことになるんだっけ?」
 「……違う動物になったほうがいい?」
 ヴィオラは困った様子で平べったくなっている黒い巨犬を見下ろす。

 「えっ!?そんな……」
 キオが伏せたまま目だけでヴィオラを見上げる。
 「あの、嫌なわけじゃないんだ。ただ、あまりに神々しくて直視できないだけで……」
 リウスも目をやや泳がせながらもチラチラとヴィオラを見ている。

 「慣れてくれないと人身化も魔法も教えられないし……」
 ヴィオラはそんな二匹に困り果てた顔で溜め息をついていたが、突然「よし、じゃ、遊ぼう!」と言い出した。

 「ほら、リウス!キオ!こっちにおいで!家族なら見つめても許されるんでしょ?じゃ、遊び友達になれば僕のこと真っ直ぐに見つめられるようになるよ!」
 言うなりバッと身を翻して、頭を低くして腰を高く上げて尾を振る仕草──はしゃいだ犬が仲間を遊びに誘うあの仕草をしながらリウスとキオの周りをくるくると回りだした。

 中身がヴィオラだとわかっていても可愛いな、これ。
 ただ、成牛サイズなんだよ。誘ってる側も誘われてる側も。それがこんな街道からそう離れていないところで駆け回って遊んだら、下手すりゃ討伐隊が来かねないぞ。

 双頭犬の方は暫くヴィオラの動きを目で追っていたが、だんだんリウスの尾が揺れ始めた。たまらぬ様子で前脚がモジモジし始める。

 「ほら!リウス、キオ、おいで!」
 ヴィオラが身を翻すとパッと空中に向かって駆け出した。まるで見えない階段でもあるみたいにトントンと何もないところを踏んで駆け上がって行く。

 ついに遊びの誘惑に屈したリウス/キオが、後に続いた。
 彼らもまた、見えない階段を駆け上がって行き、空を駆けていくヴィオラを追っていく。

 「……空、飛べたのか、あいつら」
 俺が呟くと、空から声が降ってきた。
 「ちょっと遊んでくる!レイチ、スラサンとお留守番しててね!」
 「ハイハイ、行ってらっしゃい~」
 空をじゃれ合いながら走っていく二頭を見送った。
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