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第三十六話 伝説の真相とナルファのお使い

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 目覚めると、ヴィオラの姿は無かった。

 出逢った頃、目覚めると必ずしゃぶられていたのをふっと思い出し、ちょっと懐かしくなる。
 大人になるってこういうことなのかな……なんて言うと、なんか子育てが一段落した親みたいだけど。

 今のアイツは妖魔王だからな。
 魔王種として生まれ、妖魔に進化すると同時に妖魔王に取り立てられ戸惑ってたアイツも、今や誰もが認める妖魔王だ。
 何よりアイツ自身が妖魔王であることを受け入れ、そう振る舞うようになっている。

 相変わらず俺に執着しているヴィオラではあるけど、妖魔王という身分と求められる責務を受け入れたアイツは、もう俺に張りついているばかりではいられないんだろう。

 ──昨夜、ヴィオラと沐浴場に行って、てっきり俺は行為を迫られるかと思ってたんだ。
 スライムたちを下界に放った後。

 まあ、酔ってたし眠かったからあっさり寝室に返されてホッとしたんだけど、拍子抜けな気分も少しあった。
 寝室でもなんだか寝かしつけモードだったし。

 子どもみたいに甘やかされ添い寝で寝かしつけられて眠りに落ちる直前に、つい尋ねた。

 「──ヴィオラ、しねえの?」

 ヴィオラは柔らかく微笑んで答える。
 「ん、今日はしない。だってレイチ、眠いんでしょ? いいから今夜はこのまま寝ちゃいな」
 「……ん」
 頷きつつ、ちょっと釈然としない気分なのを見抜かれたかもしれない。

 「今の僕はインキュバスとしての本能に加えて魔王としての衝動が強くなってるから、いつもみたいにレイチに抱かれるのは多分ちょっと難しい。レイチ、まだそっちの覚悟は出来てないでしょ?」

 「んー。そうだな。……微妙」
 正直に答える。
 ヴィオラにそっちの行為を散々匂わされたし、ある程度の気持ちは出来てきた気もするけど、したいかしたくないかって言ったら、まだ怖い。

 「無理強いをする気はない。レイチの気持ちが整うまで、いくらでも待つよ」
 優しいな、ヴィオラ。
 優しすぎて、時々困る。

 「魔王としての衝動って、何?」
 「好きな人を己のものにしたいっていう気持ち。レイチを僕の魔力で染めて、僕の眷属にしてしまいたい、そんな衝動」
 そう言って俺を見つめるヴィオラ。
 その瞳は完全に雄の眼差しだった。

 ドクンと心臓が跳ねる。
 その鼓動が恐怖によるものなのかそれとも別のものものなのかは、俺自身にもまだ判然としない。

 「……眷属って」
 「魔王の体液が濃縮された魔力の塊だって話はしたことがあるよね?」
 言われて頷く。
 以前、妖魔城の沐浴場を訪れた時に聞いた。枯渇寸前の魔力プールを満たす手段として体液を放つんだって、その時ヴィオラは話してた。

 「魔王の魔力を取り込んだ魔物がどうなったかは、レイチ、もう散々目にしてきたよね?」
 頷いて、そして理解する。
 「え。あれって魔物だけの話だろ? 俺、人間だし。人間が進化したって話は聞いたことが……」
 ヴィオラが複雑そうな笑みを浮かべる。

 「妖魔は魔族の中では最も人間に近い種族だ。だから妖魔の魔力は最も人間に馴染みやすく、妖魔化した人間がいても人間はそれに気づかない。単に優れた魔術師だと思われ、その扱う魔法の種類から魔術師としての名前を与えられるだけだ。だけど、歴史に名を残す魔術師のうちのいくらかは、進化して魔族化した存在なんだ」
 「魔族化……」
 「レイチがまだそのことを理解してないのに抱いて進化させてしまうのは、フェアじゃないからね。今夜はこのままお休み。そして、考えて。それを望むか、否か。進化には双方の意志が必要だ。レイチが進化を強く拒絶する意志を持つなら、この先何度体を重ねてもレイチが進化することはない」

 言葉を失った俺に、ヴィオラは「さ、もうお休み」と《睡眠》の口づけを落とす。
 その魔法に抵抗せず、受け入れた。

 もう寝よう、何も考えず。
 考えるのは、目が覚めてから──。




 そして、目覚めたのが今の状況。

  進化、か。
 不老不死になるって話を聞いた時点で、人間のカテゴリから逸脱してしまうような気分になってたけど、進化ってなると本格的に人間じゃなくなっちまうんだな。

 冒険者ギルドで“陽炎王ライエス”とか“死人王ゲルギオス”なんて名を、正邪それぞれを代表する魔術師として一度は耳にするけど、彼らが実は人間ではなくなっていた可能性があるのか。

 「おはようございます、マスター
 スラサンがポヨポヨとやってきて挨拶してくれる。

 「おはよう、居たんだな、スラサン」
 「はい、私はマスターのお側に控えておりました」
 「ヴィオラは?」
 「ヴィオラ様は妖魔王の許可が必要な案件についての報告を受けるためにローズ様に呼ばれ、先ほどこちらを出られました」

 朝から仕事か。やっぱり王は大変だな。
 妖魔城は部屋も食事も風呂も豪華でいつでも泊まれるけど、仕事もついてくるわけだ。
 昨夜は沐浴場でも仕事してたし。

 「スラサン、歴史上の人物で、人間だと思われてるけど実は人間じゃなかった魔術師なんて知ってるか?」
 「存じております。私が知る限り、高名な魔術師の殆どは人間ではありませんな。元人間を人間として数えるならだいぶ減りますが……」
 「え、元人間じゃない魔術師って、完全な魔物ってことか?」
 「はい。歴史上の勇者の殆どは竜や精霊、もしくは妖魔の王が遣わした眷属です。彼らに討たれた魔王の殆どは元人間ですが」
 「……え、待って。魔王が人間で、勇者が魔物?」
 「そうなります。人間が邪なる魔術に傾倒し幽鬼や鬼族と結んだ結果進化して、魔王を僭称し出し手がつけられなくなったのを本物の魔族の王が憂えて、討伐のために眷属を人間の勇者として遣わすというのが、勇者伝説の最も多いパターンですな」

 うわぁ。冒険者の夢をぶち壊す、伝説の真相ってヤツ。

 「魔王討伐後に行方知れずになった勇者は大体が魔王の眷属です」
 「殆ど全部じゃねえか……」
 絶句した。

 「魔王じゃない元人間の魔術師っていないのか?」
 恐る恐る尋ねた。

 「居ますよ。“賢者”と呼ばれる魔術師は元人間が殆どです」

 その答えにちょっとホッとする。

 「人間じゃなくて元人間なんだな」
 「そうですね。魔術の研究には時間がかかりますから、時間を得るために魔族と契約を交わすことになりがちです。その編み出した魔術が有益なら、それを欲して魔族側から接触していきますし」

 ふむ。思った以上に魔族化した人間って多いみたいだな。
 なんだかちょっと安堵を覚える。

 「今の話から判断すると、“死人王ゲルギオス”は死霊術にのめり込んで見境なくした人間で、“陽炎王ライエス”は……」
 「ライエスは炎竜王の眷属です」
 スラサンが言葉を継ぐ。

 「そうか、竜なんだ……」
 「ゲルギオスが竜を殺して生ける死体化させたのが炎竜王の逆鱗に触れ、竜の眷属を遣わしてそれを討ったという話ですね」

 なんかこう、カルチャーショックだ。俺のファンタジー的な感覚では魔物は人間を殺して殲滅を図る悪で人間はそれと戦う善ってイメージだったけど、実際は正邪の境界線はひどく曖昧なんだな。

 「ライエスのパーティにはローズ様と前妖魔王様も参加されていましたよ」
 「そうなの?!」
 「はい」

 え。ってことは、ローズさんって何歳?

 「あれ? ライエスのパーティにいた女性ってたしかエルフの姉妹って聞いたけど……」
 「ああ、それがローズ様とガーネット様です。冒険者時代はエルフと名乗ってたそうなので」
 ってことは、ライエスパーティのエルフ姉妹、弓使いローザと幻術師ジャネットが実はローズさんとガーネット王。マジか。

 「二人がライエスパーティに在籍していたってことは、クライドは……」
 「彼と知り合ったのはそれから二十年ほど後の話です」
 「思った以上に冒険者の活動期間が長いな……」
 超ベテラン冒険者じゃないか、ローズさん。
 なんかの時にはローズさんにも手伝ってもらおう、そうしよう。

 「お待たせレイチ! ちょっと野暮用で呼ばれてた!」
 ヴィオラが帰ってくるなりバフッと俺に抱きついてくる。
 「お前も大変だな、朝から仕事とか」
 昨夜甘やかされたお返しに頭を撫でてやると、喉をゴロゴロ鳴らしそうな顔でヴィオラが微笑んだ。
 「大したことない、もう終わった。朝食摂ってからナルファに行こう。隣の居室に運んでもらうように指示したから、すぐ来るよ」
 「マジか」
 慌てて身支度を整えつつ、ふと考える。

 ……ローズさんが冒険者だったなら、ヴィオラを冒険者として登録するのも有りか?
 アレスパーティの面々とはもう対面してるもんな。
 どうせ今日はこの後ギルドに行くし、提案してみよう。

 ヴィオラが言った通りすぐにブラウニーによって朝食が届けられ、スライムを含めた一同でテーブルに着く。

 そこへキオからの念話が入った。

 『レイチ様、ヴィオラ様、キオです』
 『どうした、何かあったか?』
 『はい、先ほど獣魔王様の調査隊が来ました』
 『はあ?! 昨日の今日で、しかも朝っぱらから? っざけんな、すぐ戻る!!』
 『あ、レイチ様、大丈夫です。もう帰られました』
 『……へ? あ、そ』
 思わず椅子を蹴立てて立ち上がったが続くキオの言葉に毒気を抜かれ、再び腰を下ろした。

 『少人数だったので何かあっても僕らで対応可能だと思い、一応ゴーレムは隠した上で中を案内しました。お店はまだ品物が入ってないので、特に気にしてない様子でした』
 『何か言ってた?』
 キオの報告にヴィオラが尋ねる。

 『これだけか、ほんとうに犬が住むだけの洞窟のようだな、と言って去って行きました。獣魔王様との謁見の日取りはまだ未定だとも』
 『ふむ。結構あっさりとしてたんだな』
 『はい。来て、あっという間に帰って行きました』
 『ありがとう、ご苦労さん。また何かあったら呼んでくれ』
 『はい!』

 キオの念話が切れ、ヴィオラと顔を見合わせる。
 「ホントに見にきただけか?」
 「何か仕掛けて行った可能性もゼロではないけど……まあ、シルキオンがいるし、慌てることもないだろう。帰ったら調べてみよう」
 「そうだな」

 手早く朝食を済ませ、俺らはナルファにとって返した。

 ヴィオラは栗色の髪と目をした魔術師ヴィオとして冒険者登録をした。
 妖魔王という立場上、本名での登録は危険もあるだろうと言うことで、ローズさんたちに習い念のための偽名なのだが、本名と離れすぎると間違えた時に誤魔化しにくいということで、語尾をちょっと弄るくらいに留めておいた。

 同時に俺とのパーティとして届けたので、今日から俺はソロではなく二人組のパーティになる。

 昨日アレスから聞いたB級パーティのこともある。仮にこの先に改めて誘われるようなことがあっても断る理由になるし、アレスの方もうまく話を運べなかったことを責められたとしても、言い訳し易いだろう。

 「僕も街を歩きやすくなるね」
 ヴィオラもご機嫌だ。

 ギルドではナルファの街で駆除のために生け捕りにしたスライムを一匹あたり一オルブ(日本円換算で大体百円くらい)で買い取る、売却者はナルファ北門先のダンジョンまで来るようにという貼り紙も貼らせてもらった。
 これでダンジョンの広告にもなるという一石二鳥というわけだ。

 買い取り資金としてこの間ヴィオラとシルキオンで狩ってきたワイバーンの素材を売却した。かなり体格のいい個体だったので、随分と良い値がついた。

 「これで当面は資金面も心配いらないね」
 「そうだな」
 「どうする、レイチ。どこか見ていく?」
 「……いや、なんか胸騒ぎがする。今日は早めに帰ろう」
 「胸騒ぎ?」
 「……ああ。特に理由はないんだけど、何となく、な」
 「レイチの勘だね。わかった、今日はこれで帰ろう」

 俺たちは用事を済ませて即、犬たちの待つダンジョンにとって返した。
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