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第三十九話 獣魔族の罠と明るい知らせ

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 「あ、レイチ様、ヴィオラ様、お帰りなさい!」
  キオの明るい声が、帰還した俺たちを迎えた。

 「獣魔族の連中が来たって、大丈夫だったのか?」
 「はい、割とあっさり帰ってくれました」
 俺の問いにキオがニコニコとして答える。

 「無理しないで、僕たちを呼んでくれても良かったんだよ?」
 ヴィオラの言葉にキオはあっと小さく声を上げ、みるみるしょぼくれる。

 「申し訳ありません。寝起きで、そこまでの頭が回りませんでした……」
 「いや、キオは先に立って頑張って対応をしてくれてた。本来はオレがやらなきゃいけないところだし、それができないならオレの方でお二人への連絡をしておくべきだったんだ。だから悪いのはオレ……」
 「いや、待って、責めてないから! 大変な対応を二人だけで頑張ってくれたんだねって意味で言ったんだよ?」
 ヴィオラが慌てて、悲壮な面持ちの二人に自身の言葉をフォローする。

 「いえ、ボクの落ち度です。リウスが最初に対応して時間を稼いでくれてるとき、その様子をボクに念話で送ってもらったんだけど、今思えばボクだけじゃなくてお二人へも送っておくべきでした」
 「そうやって反省できるところも含めてキオのいいところだと思うよ。頑張ってくれたね」
 ヴィオラはキオの頭を撫で、それからリウスの頭も撫でてやっていた。

 背伸びしなくても普通に手が届くんだよな。
 ……畜生、俺はチビじゃない。

 「何か気になるところはなかったか?」
 こんな非常識な時間に奇襲かけといて何もせずにただ見学だけで帰るとは思えないんだけど。
 そう思って尋ねると、やはりという答えがキオから帰ってきた。

 「あ、ヴィオラ様とレイチ様はどこで休むんだという質問をされたので、何か仕掛けるつもりかと思い、とっさにあの寝台で時々仮眠を取ることがあると嘘をつきました。
 連中はその寝台に触れて『ただの粗末な寝台だ』などと言っていましたが、ボクが見たところではなにか魔法的な仕掛けをしたのではないかと思います」
 「よし、キオ、グッジョブ! あの真ん中の寝台だな?」
 「はい、気をつけてください! お二人を狙って仕掛けたものと思われますので」

 そっちに行きかけた俺をキオが慌てて止める。
 「どちらかというとレイチ狙いっぽいよね。妖魔王の僕は仮眠なんて必要ないし。──僕が調べよう。レイチは少し下がってて」
 ヴィオラは俺を手で制すると、その寝台に歩み寄って行った。

 寝台の傍らに立つ。
 寝台を鋭い視線でさっと見渡す。
 「この辺に何かあるね」
 寝台の端寄りの板に手を当てるが、特に動きはない。
 「やっぱり僕には反応しないか」
 軽く溜め息をつくと、俺を手招きする。

 俺は念のためスラサンをキオに預けてからヴィオラの方に近付く。
 俺が少し寄ったところでまた止まらせると、ヴィオラは次々俺に魔法を重ね掛けしだした。

 「《魔法防御/マジックプロテクション》《魔力反射/マジックリフレクション》《風鎧/ウインドアーマー》──このくらいでいいか」
 なんかすっげぇガチガチに守りを固められた。

 ヴィオラはシルキオンの二人とノームたちも下がらせると《魔法防御結界》をその間に張った。リウスとキオはノームたちを守るように前の方に立っている。

 「レイチ、こっち。──慎重にね」
 手招きされ、寝台にゆっくり近付く。

 寝台の脇に立つ。
 寝台に腰掛ける。
 該当の場所の側に手を当てる。
 いずれも動きはない。

 ヴィオラは険しい顔で、その魔力反応があるらしい側に頭を向けて横になるように指示してきた。

 恐る恐る横になる。
 視界の隅に何か動いた気がした。

 「《凍結/フローズン》!」
 頭のすぐ脇で何かが凍り付いた。

 「……まだ動かないで」
 ヴィオラが低い声で言う。

 少しして、魔力反応が落ち着いたところで「いいよ」と声がかかった。

 ゆっくり起き上がる。
 振り返ると、俺の頭があったとおぼしき場所のすぐ脇に、十センチほどの氷の塊があった。
 滑らかなフォルムをした乳白色の氷だ。
 「……スライム?」
 ただ水が凍っただけならもっと透明だろう。

 「うん。スライムがレイチを狙ってた」
 ヴィオラが険しい面もちで答える。

 どうやら魔力反応の元はこのスライムだったようだ。
 ヴィオラは寝台の板から滲み出すような形で凍ったスライムを板ごと取り出して《風殻》に閉じ込めると、結界と全ての防御魔法を解除した。

 寝台の裏に潜んでたのか。
 これ、何か仕掛けられてるって警戒してたから気付いたけど、そうじゃなければ絶対気付けなかったよな。
 ゾクッと震えが走る。

 「……我が主君マイ・ロード
 スラサンがキオに抱えられてやってくる。
 声が心なしか強ばっている。

 「そのスライム、おかしいです。全てのスライムは集合的無意識を通じて私と位置情報も共有しているはずなのに、私は彼がここにいることがわかりませんでした」
 そう言えば、スラサンは仲間との情報共有で魔物の位置情報もかなり正確に感知してた。
 この部屋にスライムがいたなら、仲間がいると喜んで報告してきていてもおかしくない。

 「もしかして、特殊個体か?」
 ヴィオラが呟くように言う。

 「調べてみよう。《加温/ウォーム》」
 凍結させたスライムを温めて解凍する。
 スライムは解凍されると同時に溶け出した。

 「え、溶けた……」
 「スラサン、何か言ってた?!」
 ヴィオラがスラサンを振り返る。
 まだキオに抱かれたままのスラサンはふるふると震えていた。

 「何も……。言葉が通じません。彼はまるで他の生き物のようです」
 俺はキオからスラサンを受け取った。

 「他の生き物か……」
 「マスター、彼の記憶を探ってみても宜しいですか?」
 スラサンの求めに応じて、彼をその暗殺者アサシンスライムの残骸の上に下ろす。

 スラサンはそのスライムが溶けた後の体液を取り込んでゆく。

 全てを取り込んで暫くじっとしていたが、やがてまたふるふると震えだした。

 「マスター我が主君マイ・ロード
 消え入りそうな声で呼ぶ。

 「どうした?」
 「……何もありません」
 スラサンを抱き上げる。スラサンはずっとふるふると震え続けていた。

 「何も無いです。まるで彼は生まれながらに死体だったかのようです。意識も、感情も、生まれた記憶すらも、何も無いのです」

 「……何も無い?」
 ヴィオラが眉をひそめる。
 「どういうことだ?魔力を使った魔法生物ってことか?」
 「……ですが、取り込んだ体組織は間違い無くスライムのものでした」
 ヴィオラの言葉にスラサンが答える。

 「死体……生きた死体リビングデッドってやつか」
 俺が呟くとヴィオラがピクッと反応した。
 「スライムを操れるようにしたってことか」
 そう言って少し考え込むような表情を見せる。
 「これが推測通り意のままに操れるスライムだとしたら、レイチを狙ったところからして連中の狙う対象は間違い無く人間だろうね」

 俺は怯えて震えるスラサンを撫でながら考えていた。

 スラサンにしてみれば、先の悪夢のダンジョンで俺がヴィオラの腐った死体を見せられたのと同じような気持ちなのかもしれない。

 スライムのゾンビか。すぐ溶けるスライムをゾンビ化するのは大層難しいことだろう。
 その研究のために不死の魔法がかかっているナルファの大ダンジョンを利用したのか。

 その時、俺の中に何かピリッと引っかかるものを感じた。

 ナルファの大ダンジョン。
 人間を狙った研究。
 ──消えた冒険者。

 俺はヴィオラの服の端をギュッと掴み、その顔を見上げた。
 「ヴィオラ、冒険者が研究の実験体にされてるかもしれない!」
 「うん、僕もその可能性を考えていた」
 ヴィオラが険しい表情で答える。

 「アレス!アレスたちが危ない!」
 「──落ち着いて、レイチ。アレスたちと会ったのは昨日だ。あの時、今度調査に行くとは言っていたけど、明日とは言ってなかったでしょ?今日行けば間に合うはずだ」
 ヴィオラは俺の顔を覗き込んで、諭すようにゆっくりと言った。
 その言葉の内容を理解して、俺はふぅと溜め息をついた。

 「……そうだな。そうだった。まだ昨日の話だ。きっと、まだ準備中だよな。すぐ行って教えてやれば、間に合うよな」
 「帰ってきたばかりでまたナルファにUターンになっちゃうけどね」
 ヴィオラが肩をすくめてみせる。

 「悪いな、ヴィオラ。俺のために何度も往復させて」
 「いいんだよ、レイチの大事な友だちなら、僕にとっても友だちだからね」

 そう言ってヴィオラは後方に控えたままでいたリウスとキオの方を振り返った。
 「キオ、よく機転を利かせてくれたね。おかげてヤツらの企みがちょっと見えてきたよ」

 ヴィオラに褒められてキオが恥ずかしそうに「え、そんな」とか言ってモジモジするのはわかるんだけど、なぜリウスがドヤ顔してるのかが謎だ。

 「ところでリウス、キオ。何か良いことあった?」
 突然のヴィオラの質問に二人がびっくりして目を見開き、そして頬を染めて視線を彷徨わせたり俯いて更にモジモジしたりと挙動不審になる。

 「え、良いことって、なぜですか?」
 キオがモジモジしながら上目遣いでヴィオラを見る。無自覚なんだろうが、凶悪だ。

 「ん? なんか二人、魔力がツヤツヤしてるからね、なんかあったかなーって思ったんだ」
 さらりと流すヴィオラ。凶悪なまでの可愛い上目遣いにも一切動じないのは、流石と言おうか。
 ただ、魔力がツヤツヤってなんだ?肌とか顔色とかならわかるけど、それは魔物的な表現なのか?

 「別に、何も……」リウスが口ごもる。
 「そんな、ここではちょっと……」
 キオが真っ赤だ。

 もういいよ、ヴィオラ。そのへんにしてやれ。彼らは二人きりの夜を過ごしたんだろ。

 「まだ気付いてないようだから伝えとくね。キオ、身ごもってる」
 「…………え?」
 「…………は?」

 突然ヴィオラの言葉が外国語に変わったかのような、何を言われてるかわからないというようなポカンとした顔で、何度も瞬きを繰り返す二人。

 「ミゴモッテる……?」
 あ。キオが現地語を理解出来ない外国人みたいなカタコトになってる。

 ってか、俺もびっくりしてるんだけど。
 いや、ヴィオラさん?何言ってるの?キオ、男よ?可愛い顔してるけど、男だよ?
 いや、俺はついてるのを確認したわけじゃないけど。

 ……え、もしかして女の子だったの?
 いや、待って、たしか犬の時、ついてたはず。

 「僕も驚いてるんだけどね、そう言えば、獣人たちの中には、雄でも受胎能力を持つ特別な個体がいるそうだよ。まあ、当の獣人たちに聞いてもそのことを知ってる人すらごく稀ってくらい、希少な存在らしいけどね」
 「え、ボクが、その……?」
 「うん。これは推測なんだけど、進化の時に僕が二人を番として認識していたもので、キオの体がそのように変わったんじゃないか、と思う」

 ヴィオラの説明を咀嚼して飲み込み消化するように、二人は暫く固まっていたけど、先にそのことを理解したのはリウスだった。

 「じゃ、本当にキオの腹にオレの子が……?」
 「僕は知らないから断言できないけど、心当たりがあるならそうだと思うよ」
 ヴィオラがニヤッと笑う。

 興奮したリウスは、ヴィオラに昨夜そういう行為をしたってことを告白させられてる、ということにも気付かないようだ。

 「マジか、キオ、すげえよ! オレの子がいるって! ハハッ、嘘みてぇだ!」
 キオはリウスにがっちり抱き込まれているが、まだ理解出来てないようだ。

 「ヴィオラ、なんでわかるんだ?昨夜の今朝でもう、っていくらなんでも早すぎると思うんだけど」
 あんなに喜んでるリウスをガッカリさせたくないけど、早すぎて勘違いだったなんてことありそうだし、そもそも、なんで部外者のヴィオラにわかるんだ?

 「魔力がね。キオの体内に、キオの魔力の色とは違う魔力の小さな塊が見えるんだ」
 「リウスの魔力の色じゃなくて?」
 「リウスの魔力はとっくに拡散して、キオの魔力と混ざってしまっているよ。それにリウスの魔力の色とも違う色だから」
 「へえ……」
 思わずキオをじっと見つめてしまった。
 俺は魔力視が出来ないから、いくら見てもわからないけど。

 「じゃ、キオはあまりもう無理しないほうがいいな。大事な体なんだし」
 俺の言葉にリウスがコクコクと頷いた。
 「もう獣魔族に会ったりしないほうがいい。子に悪い影響が出る。大変なことはオレがやるから……」
 「でもリウスが対応したらあっという間に戦闘開始しちゃうでしょ?昨日だって……」
 「う。オレも、頑張るから……」

 ヴィオラがノホホンとした調子で、そんなやり取りをしている二人に口を挟んだ。
 「大丈夫だと思うよ。多分ね、相当先にならないと産まれないと思うし」
 「そうなのか? それって、魔族だからなのか?」
 そう言えばリウスもキオも魔族だったと思い、俺が尋ねる。

 「そうだね。それに、まだ断言はできないけど、ただの魔族じゃなくて魔王種の可能性が高いと思う。そうだとすると、少なくとも向こう十年は出てこないよ」
 「十年?! 魔王種ってそんなに成長に時間かかるのか?」
 「本人の気分次第だけど、誕生したらすぐに魔王として動けるように胎内にいるときから魔力や知識・情報を集めて、一番良いタイミングで産まれてくるように計ってるからね。場合によっては二十年、三十年出てこないってケースもあったようだよ」
 「マジか……」
 スケールの違う話に俺は思わず絶句する。
 シルキオンの二人も同様だ。

 「魔王種って、なんでわかるんだ?」
 「発生して僅か一日足らずでもうこんなに強い魔力を放ってるんだよ? これで魔王種じゃなかったら僕、妖魔王引退してもいいよ」
 「やめてくれ、妖魔界が混乱するから」
 どさくさに紛れてとんでもないことを言い出すヴィオラを窘める。冗談かと思うと割と本気で言ってたりするから要注意だ。

 「十年は長すぎるな」
 思わず遠い目になるリウス。
 「とりあえず、当面そのことは考えなくていいということでしょうか?」
 キオが小首を傾げる。

 「うん。あまりピリピリしてもね、先が長いし、疲れちゃうよ。そのうちに話しかけてくるようになるだろうから、そしたら色々教えてあげて。あ、先生役にスラサンつけようか」
 「魔王の教育ですか! それは心躍りますな!」
 暗殺者アサシンスライムの件でずっと元気がなかったスラサンがやっと調子を取り戻してくれた。

 「魔王種って、胎児のうちから話も出来るのか……」
 「どちらかと言うと人間や獣の妊娠とは違って、神霊の憑依に近いからね」
 「あー、なるほど。じゃ、つわりとか腹が張るとかそういうのはないんだ」
 「ないないない、むしろ妊娠中は子どもの魔力が上乗せされて、一時的に凄い力が振るえるようになると思うよ」
 「マジか! それは朗報だな!」
 獣魔族との関係がきな臭くなってる今、キオのパワーアップは間違い無く朗報だ。

 「リウス、グッジョブ!」
 俺はリウスの背をポンと叩いた。
 「いや、オレじゃなくて、キオから誘ってきた……」
 「リーウースー?」
 キオの低い声にヴィオラの楽しげな笑い声が重なる。

 とりあえず今だけは、楽しい話で笑っていよう。
 これから、大変になるしな!
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