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第八十二話 守りたいもの

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 俺たちは酒場を出るとタビーの行方を追うことにした。
 アズールが鼠とスライムの監視網を使い探り当てたという、俺の念話に反応した怪しい男が消えた地点を目指す。

 ところで、一旦酒場から退出してなぜか人身体で戻って来たアズールだったが、古参で高レベルの妖魔であるアズールは見た目があまりに綺麗すぎて人目を引きすぎるので、再びカラスに姿を変えてもらった。
 レベルの高い者ほど美しいというのは、妖魔に通じる法則だ。

 そういうわけで、シルキオンの二人と俺の三人に子猫とカラスを連れた怪しい一行は、歓楽街の外れ、半ばスラム化している怪しい区域に足を踏み入れていた。

 『レイチ!』
 その時、ヴィオラから念話が入った。
 『ヴィオラ、どうした?』
 『これからタビーのところに行くんでしょ?  レイチが作った新しい魔法の試行も兼ねて、僕も見ておこうと思って。いや、これ凄いよね!  僕のために作ったような魔法じゃない? ほんとにありがとう、レイチ!』
 上機嫌のヴィオラの声だ。

 新しい魔法……あ、視覚共有のアレか。いつの間に、って、アズールが報告したのか?
 言われてみれば、確かにヴィオラが使うにはちょうどいい魔法だったかもしれない。

 『ほんの思いつきだったんだけど、役に立つなら良かったよ』
 『タビーは獣魔王に取り込まれてる可能性も高いから、充分気を付けるようにね』
 『ああ、お前が見ててくれるなら心強いよ』

 視覚共有って、されてる側は特に違和感ないんだな。既にヴィオラは俺に同期させてるみたいだけど、俺の方には全く視覚その他に変わった感じはしない。

 キオがヒクヒクと鼻をうごめかす。
 「この辺から強い魔獣のニオイがします」
 「魔獣? こんなところで?」
 「魔獣というか、魔族でしょうか……」
 「〈幻惑〉がかけられてますね。解呪を……」
 「あ、出てきます!」
 キオの声で、俺たちは慌てて路地の隙間に身を隠した。

 俺の目には壁からわらわらと人が湧き出してきたように見えたが、さっきアズールが言いかけた台詞から判断すると、恐らく〈幻惑〉で入口が隠されていたのだろう。

 いかにも獣魔族っぽい厳つい男たちが後から後から出てくる。
 最後に一際デカい、二メートルに迫ろうかという大男がのっそりと出てくる。
 漆黒の長髪を背に垂らし、褐色の素肌には革のベストを直に来ている。そして目につくのは鎖で繋がれた革製の首輪と手枷。男が動くたびにじゃらじゃらと音を立てる。
 よく見ると腰のあたりにもう一人いた。
 あれ、ギレスじゃん。鎖を引っ張って偉そうにしている。
 簡単に吹っ飛ばせそうなのに、大男は大人しく従っている。
 操られてるのか?

 『獣魔王……』
 アズールが呟いた。
 『あれがそうなんだ』
 ヴィオラがそれを受けて答える。
 男たちはギレスに引き立てられ、ぞろぞろと路地を歩いて遠ざかっていった。

 「……タビーは、いなかったよな?」
 「そうだな。あの中にはいなかった」
 俺の問いにリウスが答えると、キオが再び鼻をヒクヒクとさせて魔力のニオイを嗅ぐ。
 「まだ、中に残ってる人が……タビーさんのニオイに似てます」

 その言葉に俺たちは顔を見合わせる。
 「入ってみるか?」
 「そうですね。この〈幻惑〉を外しましょうか?」
 アズールが俺たちを見渡して言うと、ヴィオラがそれを制した。

 『解呪する必要はないよ。レイチ、前にダンジョンで〈破幻視〉あげたよね? 使ってよ』
 『あ、確かにもらったな。どう使うんだ?』
 『レイチはまず魔力視の練習からしなきゃだね。今は人間じゃなくて魔女だから、魔力視の力を持ってるはずなんだ。魔力の気配を感じたら、そこに意識を集中するだけで見えるはずだよ。慣れれば見ようとしなくても見える』
 『魔力視? そんな力、あるとか感じたことねえけど……』

 さっき男たちが出てきた辺りをじっと見ると、ほんのりと一部分だけ光ってるように思える。
 「あれ、光ってる?」
 『そう、そこ! よく見て。本物の景色が透けて見えてこない?』
 ジーッと見つめる。
 揺れる光の向こうに、薄っすら、建物と通りの間に、下に下りる階段があるのが見えてくる。
 「うわ、見えた! 階段がある!」
 『そうそう! そしたら魔法解かなくても入れるでしょ? 解呪すると感付かれる可能性があるから、極力魔法には触れないようにするのが最善だよ。レイチが前に立って、みんなは後ろについてきて。アズール、護衛お願い』
 『はい、お任せを』

 僕も! というようにニィとリーンが声を上げるが、お前はむしろ守られる側だろ、と苦笑する。
 子猫の首筋をクシクシと掻いてやり、一つ深呼吸をして、その幻のような階段を見やった。
 「よし、行こう」
 一同が頷くのを確認して、俺はその階段を慎重に下りた。

 俺のすぐ後ろにキオ、その後ろにリウスが続いている。

 〈幻惑〉で隠されていたのは階段の入口だけだったようで、不安そうに俺の服の裾を掴んでいたキオが階段に入ると安心したように手を離した。

 扉を調べる。
 「鍵はかかってないな」
 俺も三年の冒険者生活で簡単な錠前破りのスキルなら身に着けたんだ。ほんとに簡単なのだけだけどな。金庫じゃなくてこんな普通の扉の鍵くらいなら俺でもわかる。

 「オレが先に入る」
 リウスが前に出てきた。
 〈威圧〉の効果を持つ咆哮のスキル持ちだから、リウスが先に入るのは適役だろうな。

 「ああ、頼む」
 俺はリウスを通すため脇に避けた。
 リウスが木戸に身を寄せ音とニオイを確認する。そして取っ手を掴み、静かに押し開く。
 リウスは細く開けた隙間から身を滑り込ませ、暫くして俺たちを呼んだ。
 「大丈夫。入っていい」
 その声に応じて中に入る。
 そこは酒場だった。恐らくはついさっきまで飲み食いしていたのだろう。料理と酒のニオイが漂っていた。

 ただ、それ以上に目を奪ったのは、入ってすぐのところに倒れている男──タビーだ!
 俺は慌てて駆け寄った。
 リウスがタビーの傍らに片膝つき、ピクリともしない彼を見下ろしていたが、俺たちが入っていくと困惑した顔をこちらに向けてくる。

 タビーは腰から下にマントを掛けられていた。駆け寄ってそのマントをめくり、慌てて戻す。
 タビーは、下穿きを身に着けていなかった。
 彼が穿いていたのであろうトラウザースはボロ布と化して膝のあたりにまとわりついている。
 そして、微かに漂う精液のニオイ。
 ──凌辱されている。

 「タビーさん!」
 キオが悲痛な声をあげ、パタパタと駆け寄る。
 「ひどい……」
 泣きそうな顔でつぶやいて、キオは自分の服を無造作に千切ると、被せられたマントの隙間から器用にその体を拭いてやっていた。

 「服が……」
 タビーの下穿きの残骸を手に、泣きそうな顔でこちらを見上げてくる。
 「このマントは、リウスが?」
 周囲に警戒をしつつ傍らに控えているリウスに尋ねると、彼は首を横に振る。
 「オレじゃない。最初から掛けられていた」
 「ってことは、奴らがやったのか」

 凌辱しておいて、体を隠してやる。ちょっと不自然な気がする。
 レイプした上で放置する非情さと、身につけていたのであろうマントでその体を隠してやる配慮とが、しっくりこない。
 そんな気遣いができる奴なら、そもそもレイプなんてしないだろう。

 『キオ、その布もらっていい?』
 不意にヴィオラが念話で介入してくる。
 はいっ! と勢いよく頷いてキオがタビーの体を拭いていた布切れを俺に手渡してくる。
 あ、俺なんだ。

 ドロドロに汚れた布を手に困惑していると、ヴィオラはその布──実は以前ヴィオラがキオにあげた魔力布で、それに遠隔で俺の魔力を足して新しい下穿きを作ってしまった。

 ヴィオラのセンスで作ったトラウザースは、腰回りがフィットして体のラインを強調するデザインとなっていて、妙にエロい。
 それでいてタイツっぽくはなくて、決してチープな感じがしないのは、多分生地に張りがあってしっかり厚みがありそうに見えるからなんだろう。
 やっぱりヴィオラのセンスって、基本的に淫魔なんだよな。

 『凄いね、タビー。獣魔王、めちゃくちゃ派手にマーキングしてったね』
 「え、マーキングって?」
 アズールが俺の肩から下りると人身に変化し、タビーの襟元をちょいと捲って見せる。
 一瞬何も無いように見えたけど、よく見ると魔力の光が──黒い幻惑のような虎の縞模様が浮き出ている。

 「え、これって?」
 タビーの傍らに寄り、襟元からちょっと中を覗く。縞模様はずっと下まで続いているようだ。
 「え、ちょっと待て、これどこまで続いてるんだ?」
 失礼かとは思いつつ、女の子じゃないからいいよな? と言い訳して、シャツの裾を捲る。
 縞模様は腰まで続いていた。
 「まて、これ、まさか、魔王の所有印なのか?」
 『そう、僕がレイチにつけたのと一緒。ずいぶん派手につけたよね。まあ、僕のは魔力視できない人にも見えるように濃くつけたせいで、ここまで広範囲にならなかったんだけど』
 「張り合うなよ」
 思わず苦笑する。

 「こんな所有印をつけるほど執着してる相手を連れて行かずに放置してくって、どういうことなんだ?」
 思わず首を捻る。
 「推論ですが──」
 アズールが俺の呟きに答える。

 「私たちがここを訪れることは、想定内だったのではないでしょうか。タビーが我々と協力関係にあったことは、以前レイチ様がグレイヴィル邸に踏み込んだ時に知られていたわけですし、そのタビーをああいう形で呼べば、我々が後を追うことは予想できたでしょう。こうして置いていけば、いずれタビーはまた私たちと合流するだろうと」
 「──罠ってことか?」
 思わず緊張感に表情を引き締めると、
 『違う。僕にはわかるよ。所有印を刻んでまた相手に戻す意味』
 ヴィオラが俺の推測を否定する。

 『──守ろうとしたんだ。これがあれば、獣魔族は彼を攻撃できない。連れていけば彼は獣魔王の手のものとして僕ら妖魔や人間の攻撃対象になってしまうけど、僕らの手に戻せば、彼は安全だ』
 「──」

 言葉を失う。
 え、じゃあ、魔王は、タビーのことを……幼少期のことを、覚えていたのか?

 アズールが静かに言葉を継いだ。 
 「ヴィオラ様のおっしゃる通り。獣魔王はタビーの身を守りたかったのでしょう。ほとんど全ての獣魔族を集めていながら、タビーだけがその招集からこぼれていたのも。
 こうして、凌辱という形をとったのも、恐らくは特別扱いをして獣魔族の不満が彼に向かわないようにするため。
 幻惑なんて我々の専門とも言うべき魔法を張ったのみ、防御結界も何もないところに置いて行ったのも、我々に発見させて回収させるため」
 「じゃあ、獣魔王は、記憶を取り戻してるのか。っていうか、ギレスに操られてるわけじゃ、ないのか?」
 「最初は操られていたのでしょうし、もしかしたら今も完全に自由に動けるわけではないのではないでしょうか? 鎖で繋がれていたことですし」
 「ああ、そうか……」
 『レイチ。今朝回収した、魔石あるでしょ?』
 ヴィオラの念話が入ってくる。
 俺はその言葉を受け、グレイヴィル伯爵邸でスケルトンゾンビの核として使われていた魔石を取り出した。先代獣魔王だという、黒い魔石──
 あれ? 色が違う?
 この前は炭みたいな黒だったけど、今は黒い水晶みたいな光る黒だ。しかも、中央にスターサファイアみたいな白い光を内包している。

 『ギレスが先代獣魔王にしたことは、死後のその魔石の扱いも含めて、彼には許せないものだったろうね。彼が何をしようとしているのか、まだはっきりとはわからないけど』
 「問題は、彼の復讐が正しくギレス個人に向くかどうか、ですが」
 アズールが小さく嘆息する。

 俺は手の中の魔石を見つめた。
 ギレスはこれを、捨て駒として扱ったんだ。

 あれ? でも、随分不用意だよな。魔石なんて、魔族にとっちゃご馳走だし、食えばその力を取り込むことになる。ヘタすりゃリウスがあのまま食って、その魔王の力を取り込んで強力化することになってたぞ。
 まあ、闇の魔力に染まってたし、あれを取り込んだらヘンな影響受けちまいそうだったけど。それが狙いか?

 「獣魔王がここから出たってことは、いよいよヤバいんじゃないか? 後を追ったほうが──」
 俺が言った時、手の中の魔石が淡く光った。
 そして死んだように眠り続けていたタビーが小さく呻き、身じろぎをしだした。
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