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第二章 帝都へ

6 戦闘訓練

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 翌朝。俺は早朝から起きだした。
 そうして前日の約束どおり、奥方とその娘に初心者向けの合気道の技を伝授し、宿の家族一同に礼を言って、皆と一緒に北を目指して出発した。

 ここへ来てようやく、マリアは俺に戦闘方法そのほかのレクチャーを始めてくれた。昼や夜の休憩時、ライラが食材の調達や料理をしてくれている間、レティを相手に戦闘訓練をしたわけだ。
 鎧を「装着」した俺とレティが、森の中の少し開けた場所で対峙する。マリアは少し離れた場所から俺にあれこれ指示をしている。

「もともとアイキドーという武道をなさっていたということで、ヒュウガ様にはほかの勇者様がたに比べて一日いちじつの長がおありでしょう。とはいえ油断は禁物。魔族も魔獣もそうそう侮れる相手ではありません。もちろん、魔王は言わずもがなです」
「はい。それは重々、承知しております」

 なにしろ俺は、背負った大剣を鞘から抜く動作ですらまだ慣れない。ぎくしゃくと時間ばかりが掛かって、スムーズにいかない状態だ。
 なんと言っても、頭の上から膝のあたりまで届くほどの大剣。まず鞘を手前に回してから抜かないことにはどうにもならない。そんなことをしているうちに、あっという間に斬り伏せられたのでは目も当てられなかった。

 そもそも、いきなりこんな大剣から持つこと自体がクレイジーだ。幼い頃から兄と一緒にあれこれと武道をかじってきた自分だからこそ、それは十分わかっている。剣道も一度はやったことがあるが、子供だったということを差し引いても、ああいう長いものをいきなり使いこなすのは難しいものなのだ。
 まずは少し短いもの、または重量の軽い物といったレベルの低いものから扱い慣れていくのが、あらゆる武道の常道にして王道だ。
 が、マリアはそんな俺の拘泥を、一瞬にして打ち砕いてくれた。

「急を要する場合には、これもまた『宝玉の呪文』によって解決できます。お好きな呪文スペルを決めてください。背中の剣が瞬時に手元に現れますので。同様にして、不要な間は鎧と同様、まるごと『格納』しておくことも可能ですわ」
「えっ……」

 なんなんだ、それは。
 少し、いや相当にずるくはないか。
 恐らく恨めし気な目になって自分を見やった俺に、年齢不詳の修道女はうっすらと目を細めて、やわらかく微笑んだ。

「それを卑怯と思われるのが、ヒュウガ様というお方だとは存じております。が、背に腹は代えられませんでしょう。今後はご自分のみならず、周りの者も守らねばならない状況がいくらもあるはず。そんな矜持きょうじにこだわっている場合でしょうか。……よくよくお考えくださいませ」
 俺は少し考え、やがてため息をついた。
「……わかりました。しかし、剣を抜く訓練は続けさせて頂きたい」
「ご自由に」

 大剣を抜き放ち、改めてレティの方を向いてみて驚いた。彼女はとっくに俺たちの長話に飽きて、そこらの日当たりのいい草むらで丸くなり、気持ちよさそうに昼寝していた。
 完全に猫だ。こいつは猫そのものだ。

「こら、レティ! 起きろ」
「うにゃう……?」

 さも眠そうな目を開けて、「ふわわう……」と大きな伸びをする。と思ったら、ぴょんと宙返りをして、一瞬で俺の前に着地した。

「やっとお話し終わったにょ? レティ、退屈で死にそうにゃ。退屈だと眠くなるにゃ。難しいことわかんにゃいし~。終わったんならはやくやろ? ね、ご主人サマぁ」

 エメラルド色の目をキラキラさせて、また目にも留まらぬ速さのスパーリングを始めている。
 しかし、ちょっと見ているだけでも分かる。この猫娘バー・シアーは相当素早い。猫の形質を持つのだから当然なのかもしれないが、普通の人間とはまったく違う動きをする上に、俊敏さでもかなりのものだ。これは攻撃の予測がしづらそうだった。
 マリアが微笑んだまま言った。

「まあ、ものは試しです。一度仕合ってみましょうか。ただし、決してお互い相手を怪我させないように。必ず寸止めにしてくださいね」
「はい」
「わかってるにゃん!」
「……では、始め」

 マリアがそう言った瞬間、レティの姿がふっと消えた。
 いや、そうじゃない。次にはもう、彼女は目の前まで跳んできていた。と思ったらもう、俺が振ろうとする大剣の横っ腹に素早く蹴りをいれてぱっととび退すさる。
 幸いにもと言うべきか、剣は見た目よりははるかに軽く感じられる。体感としてはそう、野球のバットぐらいの重さだろうか。振ろうと思えばそれなりの速さで振れるのだったが、レティの速度には到底追いつけなかった。

(くっ……!)

 彼女はまさに、くれないの旋風だった。
 あっという間に二度、三度と懐に飛び込まれて胸や腹に重い蹴りを決められる。その瞬間に呼吸を止めて耐えたことと、鎧の性能のお陰で大したダメージにはならない。だが、それにしても俺の動きは鈍重すぎた。レティをろくに自分の間合いにとどめておくこともできない。
 レティは何度もとんぼ返りをうったり、頭の上の木の枝につかまって一回転してみたりと好き放題に跳ね回っている。自由奔放と言えば聞こえはいいが、要するにでたらめだ。そうして隙を見つけてはこちらの懐に飛び込んで、二撃、三撃と鋭い攻撃を叩き込んでくる。

 大剣は膂力りょりょくだけではなく体と剣の重心の移動によって振り回す。「斬る」と言うよりは「叩き潰す」と言った方がいいような武器だ。振り回すたびに周囲の空気がかき乱され、巻き込まれた小枝や葉っぱなどがぱらぱらと落ちてくる。
 こう言っては何だが、あまり美しい動きとは思えない。何でもかんでも力で叩き伏せる、傲慢で力押しの剣というイメージだ。

(やっぱり、こいつは俺には向かんな)

 この状況になってから俺の美意識をどうこう言っても仕方がないが、できることならあの美しい日本刀を扱わせてほしかった。
 そもそも自分は、武器を手にしない徒手空拳の武道をたしなんできた身だ。武器を持つことそのものに抵抗感がある上に、このタイプの剣とでは相性がいいとはとても言えない。ましてや竹刀や長剣ぐらいのものならまだしも、こんな大剣をいきなり持たされても出来ることなど限られている。
 それはただただ、無様なだけだ。

「はい、それまで」

 マリアがそう言った時には、俺はかなり呼吸を乱して、どうにか剣を構えているだけの状態だった。対するレティはと言えば、ひどくつまらなさそうな顔になった。

「にゃ? もう終わり? レティ、もっともっと遊べるよ? 今はマリア様がダメって言ったからしなかったけど、ほんとはあと十発はパンチかキックかクローが決まったにゃよ?」

 言いながら、物足りない様子でまた足を変えつつ、その場でシャドーボクシングを始めている。「クロー」というのは彼女の爪による物理攻撃のことらしい。

「でも、そんにゃことしたら……ご主人サマのカッコいい顔がブサイクになっちゃうにゃ。それはイヤにゃ! レティのご主人サマはカッコいいのがいいのにゃ~!」

 えへへへ、とはにかむその顔には微塵の悪意もないが、無いだけに悪魔の微笑みかと俺には見えた。その足取りはふらつくどころか、むしろ初めのうちより軽快になっているぐらいだ。
 戦闘時だけではないが、彼女は猫のように手足の爪を長くすることができる。そのために、彼女の履いているブーツには初めからそのための穴があけてあるらしかった。そんなもので遠慮なしに掻き斬られた日には、確かに俺の顔面は無事では済まなかったことだろう。

「大したもんだ、レティ。その足運び、体捌たいさばき。そしてスタミナ、動体視力。尋常じゃない。素晴らしい才能だ。これはライラだけじゃなく、レティにも弟子入りしなくちゃならんな」
 手放しでそう褒めたら、レティの耳がぴょこんと立ち、瞳がきらきらと光りだした。
「えっ、ほんと? それじゃあレティ、ご主人サマのお役に立てる?」
「ああ。もちろんだ」
「ほにゃあ! やったあ!」
 苦笑して見せるとさらに、レティの笑顔はきらめいた。
「どうか俺に、しっかり稽古をつけてくれ。今後とも、よろしく頼む。レティ師匠」
 頭を下げてそう言うと、レティはその場で小躍りした。
「ほえああああ! レティ、ししょう? レティ、ご主人サマのししょうにゃの? うひゃあい!」
 そのままぴょんと跳ねてきて、あっというまに首っ玉に取り付かれる。
「お、おい──」
「うれし~い! さすがはレティのご主人サマにゃ。イバらなくて、全然えらそーにしなくて、かっこいい! 大好き! レティ、ご主人サマ大好きにゃ……!」

 再びぎゅうぎゅうと胸元を押し付けられて、俺は閉口した。
 彼女の紅い髪から香るお日様の匂いが、ふと俺に、遠く懐かしいものを思い出させそうになった。
 が、敢えてそれには蓋をして、俺は彼女の肩を押し戻した。

「こら、やめろ。だからと言って、こういうことは断ると言ったはずだぞ。あまりべたべたくっつくな」
「ええ~っ。いいじゃにゃい! だってレティ、頑張ったもん! 頑張ったらごほうびでしょ? ちょっとぐらいくっついたっていいでしょう? ねえ、ご主人サマぁ!」
「いいから離れろ」

 ぐいぐいとその紅の頭を押しのけていると、マリアがそばへやって来た。
 
「ヒュウガ様も、初めてにしては大したものでした。大抵の方はまず、それを持ち上げるところから始めなくてはならなかったりしますので」
「え、……そうなのですか」

 まじまじと手元を見る。つかにまで凝った金色の紋様や宝玉による飾りの施された大剣は、見た目よりはずっと軽いと感じたけれども。他の奴にはそうは思えないということだろうか。

「理由はよくわかりませんが。なんとなく、この地へ来て大喜びされている方々ほど、剣を持ち上げるのにご苦労なさるというデータもありますわね」
「…………」

 それの意味するところは何だろう。
 もしかするとこの世界の創られた、原初の秘密と関係があるのでは──。

「ですが、やはり安心はできません。先日も申しました通り、<戦士ファイター>に<テイム>以外の魔法は使えませんので。どうしても魔法攻撃には弱いという側面があります。遠隔からの魔法攻撃にさらされれば、ひとたまりもないのは事実です」
「はい……」
「後方から攻撃魔法であなた様の援護をし、魔法耐性を上げる加護魔法バフを付与してくれる者が必要です。だからこそ、魔法職の仲間が必須なのです」
「ああ、……はい。ですが、シスター。あなたもその魔法職のかたなのでは──?」

 俺の初心者そのものの質問に、マリアは嫣然と微笑んだ。

「左様ですね。間違ってはおりません。ですがわたくしは<巫女シャーマン>および<治癒者ヒーラー>です。バフはともかく、ごく限られた攻撃魔法しか修められないのです。それだけでは、魔族との厳しい戦いを勝ち抜くことは非常に難しいでしょう」
「なるほど……」
「やはりどうしても、攻撃魔法を操る者の参入が必要になります。……恐らく、次に出会う『奴隷』の者がそういう者であることでしょう。期待したいところですわね」

 そう言って、マリアはまた「うふふ」と謎めいた微笑みを浮かべたのだった。

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