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第三章 北部地方
7 四天王代理
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そこからの展開は、早かった。
遠方から飛来したのは、魔王軍のドラゴン部隊と、南のルーハン卿の部隊の一団だった。ここまでずっと、俺やギーナたちによる<幻術>によって、彼らの姿はこちらからは見えないようにしておいたのだ。
とはいえ、ルーハンはぎりぎりになるまで自分の部隊をこちらへ差し向けなかったらしい。俺たちがダーホアンを追い詰めて、本当に「もう大丈夫」というタイミングになるまでは、他ならぬフェイロンがゴーサインを出さなかったということだろう。
まあ、それは仕方がない。誰だって、危ない橋は渡りたくないものだからだ。
突如、空に出現したドラゴン数十頭からなる部隊を見て、ダーホアン側の武人たちはあっさりと武器を捨てて投降した。ダーホアンはそのまま、この宮の地下牢へ放り込まれている。牢の周囲は上級魔法を操る<魔道師>と武人たちによって幾重にも警備されている。
その後、つぎつぎと「証言者」が現れたことで、ダーホアンと嗜好を同一にし、彼に存分に阿っていた重臣たちも次々に投獄されることになった。すでに邸のみならず、彼らの私兵や私財など、周囲一帯を制圧済みである。
「いやはや。このたびはまことにお疲れ様にございましたな、魔王陛下」
「いえ。フェイロン殿をはじめ、そちらの武官がたのご協力があってこそです。このたびのご決断、まことに有難うございました。ルーハン卿」
「いえいえ。さほどのことに礼など申されますな。このようなこと、幼子の使い走りのごときものですよ。何ほどのことでもありませぬ」
もともと細い目をさらに細めて、南西の四天王、ルーハンが恬淡と微笑んでいる。
ここはまだダーホアンの邸内だ。すでにこのまま、しばらくは魔王軍とルーハン軍の部隊がフェイロンとともにここに駐留することが決まっている。この唐突すぎる四天王交代劇のために起こった混乱を、一刻も早く鎮める必要があるためだ。
いかにもダーホアン好みの豪奢な設えの応接室で、俺たちはいま、大きな八角形の卓を囲んで向き合っている。
「しかし、まことによろしいのですか? 我が側近の若造ごときが、仮にとはいえこの地を統治させていただくなど。そもそも此度のことは、陛下がご計画なさったとのこと。さすればこのまま、陛下の直轄領となさるのが筋かと思われるのですが」
「いえ。それでは他の二名の四天王も黙ってはおりますまいし」
「とは申せ、我が側近、フェイロンが統治するとなれば、こちらは我が属領とみなされても仕方がありませぬ。遠方のゾルカンはともかくも、隣接するキリアカイが、それこそ黙ってはおりますまい」
「……ああ。左様ですね」
一応はそう答えて、俺は北東の四天王、キリアカイの派手な容貌を脳裏に描いた。
ダーホアンが色欲の魔人であるとすれば、あちらは金銀財宝に対する執着の激しい魔人である。財とはすなわち、結局は民らが土地から生み出す富を指す。となれば、領土とそこに住む民は、奴が何より欲しがるものだ。それこそ、喉から手がでるほどに。
ダーホアンの領土が目の前でむざむざとルーハン一人の手に落ちるなど、あの者が黙って許しておくとは思えない。たとえそこを魔王の直轄領にしてみたところで、「自分とルーハン、魔王陛下とで三分割にして欲しい」とかなんとかと、早晩ねじこんでくるのは目に見えている。
ルーハンが気にしているのも、そのことだった。
「フェイロン殿以上の魔力と統治力を持つ者が見つかれば、その者を次なる四天王としても良いとは思いますが。ただ、まことに僭越ながら、自分から見てもフェイロン殿の能力は素晴らしく思えます。彼に勝る者をすぐに見つけるとなると、相当に難しいのではないかと」
「それはそれは。我が臣への過分のお言葉、痛み入ります」
「いえ。まことの話ですので」
ルーハンが、軽く苦笑して一礼する。が、その背後に立つフェイロンは対照的だった。「つまらんお追従など言いおって」と言わんばかりに、しれっとした半眼で俺を睨んだだけである。
ダーホアンの後継者については一応考えないこともなかったのだが、この場合、なにより隣国の宗主、ルーハンとの深い縁がある者であることが重要だろう。これは、そう考えた末の決断だった。
ルーハンは、魔族の領主としてさすがに温厚篤実とはいかないまでも、それでもここまで見て来た限り、これら四天王の中では最も「良識的」な統治者だ。実際、どこの土地の民に聞いてみても、大抵は同じような意見が聞こえて来た。
曰く、
『自分があの南西のルーハン卿の民であったら、どれほど暮らしが楽であったことでしょう』
『家族を抱え、ここまであれこれと酷吏や暴徒、強欲な商人どもに怯えて暮らさずとも済んだでしょうに』
『もしも許されるものならば、家族みんなで移り住み、あちらで土地を耕してみたいものです』
──と。
その側近で、ルーハンの治世をすぐそばで見、補佐してきたフェイロンであれば、きっとあの淫乱領主ダーホアンの数十倍、数百倍の善政を敷いてくれるはず。
俺が期待したのはそこだった。
「自分が何より望むのは、身勝手な統治者のために、これ以上民が苦しむことのない世です。あなた様の側近であり、政治理念を理解されているフェイロン殿であれば、それを実現してくださると信じている」
ルーハンは切れ長の目をじっと俺の目からそらさずに、沈黙して聞いている。
「他の四天王たちのことについては、十分こちらも気を付けるつもりでおります。あちら側の治世についても、まだまだ手直しが必要のようですし」
「……それはそれは。それではフェイロンの今後の行動ひとつで、わたくしの『政治理念』とやらも試される、ということになるのでしょうなあ。これはこれは、なにやら空恐ろしい話です。大変な重責だ。……そなたもあまり、私に恥をかかさんでくれよ。フェイロン」
「はっ。無論のことにございます」
フェイロンが思わずハッとなったように姿勢を正した。そのままさっと頭を垂れる。
「閣下のお顔に泥を塗るような真似を、このフェイロンが致しましょうや。ご安心くださいませ。この命にかえましても、是非とも閣下のお心に添う治世を実現いたしましょうぞ」
ルーハンは自分の側近のそんな姿を見て軽く笑うと、またふと黙って、不思議な目の色でまっすぐに俺を見つめてきた。その目の奥に宿るものが何を意味しているものか、俺には見分けられなかった。
やがて目の前に用意された香り高い茶をひと口ふくむと、ルーハンは茶器を置いてゆっくりと口を開いた。
「つくづく、不思議なお方ですね。魔王陛下……ヒュウガ殿は」
遠方から飛来したのは、魔王軍のドラゴン部隊と、南のルーハン卿の部隊の一団だった。ここまでずっと、俺やギーナたちによる<幻術>によって、彼らの姿はこちらからは見えないようにしておいたのだ。
とはいえ、ルーハンはぎりぎりになるまで自分の部隊をこちらへ差し向けなかったらしい。俺たちがダーホアンを追い詰めて、本当に「もう大丈夫」というタイミングになるまでは、他ならぬフェイロンがゴーサインを出さなかったということだろう。
まあ、それは仕方がない。誰だって、危ない橋は渡りたくないものだからだ。
突如、空に出現したドラゴン数十頭からなる部隊を見て、ダーホアン側の武人たちはあっさりと武器を捨てて投降した。ダーホアンはそのまま、この宮の地下牢へ放り込まれている。牢の周囲は上級魔法を操る<魔道師>と武人たちによって幾重にも警備されている。
その後、つぎつぎと「証言者」が現れたことで、ダーホアンと嗜好を同一にし、彼に存分に阿っていた重臣たちも次々に投獄されることになった。すでに邸のみならず、彼らの私兵や私財など、周囲一帯を制圧済みである。
「いやはや。このたびはまことにお疲れ様にございましたな、魔王陛下」
「いえ。フェイロン殿をはじめ、そちらの武官がたのご協力があってこそです。このたびのご決断、まことに有難うございました。ルーハン卿」
「いえいえ。さほどのことに礼など申されますな。このようなこと、幼子の使い走りのごときものですよ。何ほどのことでもありませぬ」
もともと細い目をさらに細めて、南西の四天王、ルーハンが恬淡と微笑んでいる。
ここはまだダーホアンの邸内だ。すでにこのまま、しばらくは魔王軍とルーハン軍の部隊がフェイロンとともにここに駐留することが決まっている。この唐突すぎる四天王交代劇のために起こった混乱を、一刻も早く鎮める必要があるためだ。
いかにもダーホアン好みの豪奢な設えの応接室で、俺たちはいま、大きな八角形の卓を囲んで向き合っている。
「しかし、まことによろしいのですか? 我が側近の若造ごときが、仮にとはいえこの地を統治させていただくなど。そもそも此度のことは、陛下がご計画なさったとのこと。さすればこのまま、陛下の直轄領となさるのが筋かと思われるのですが」
「いえ。それでは他の二名の四天王も黙ってはおりますまいし」
「とは申せ、我が側近、フェイロンが統治するとなれば、こちらは我が属領とみなされても仕方がありませぬ。遠方のゾルカンはともかくも、隣接するキリアカイが、それこそ黙ってはおりますまい」
「……ああ。左様ですね」
一応はそう答えて、俺は北東の四天王、キリアカイの派手な容貌を脳裏に描いた。
ダーホアンが色欲の魔人であるとすれば、あちらは金銀財宝に対する執着の激しい魔人である。財とはすなわち、結局は民らが土地から生み出す富を指す。となれば、領土とそこに住む民は、奴が何より欲しがるものだ。それこそ、喉から手がでるほどに。
ダーホアンの領土が目の前でむざむざとルーハン一人の手に落ちるなど、あの者が黙って許しておくとは思えない。たとえそこを魔王の直轄領にしてみたところで、「自分とルーハン、魔王陛下とで三分割にして欲しい」とかなんとかと、早晩ねじこんでくるのは目に見えている。
ルーハンが気にしているのも、そのことだった。
「フェイロン殿以上の魔力と統治力を持つ者が見つかれば、その者を次なる四天王としても良いとは思いますが。ただ、まことに僭越ながら、自分から見てもフェイロン殿の能力は素晴らしく思えます。彼に勝る者をすぐに見つけるとなると、相当に難しいのではないかと」
「それはそれは。我が臣への過分のお言葉、痛み入ります」
「いえ。まことの話ですので」
ルーハンが、軽く苦笑して一礼する。が、その背後に立つフェイロンは対照的だった。「つまらんお追従など言いおって」と言わんばかりに、しれっとした半眼で俺を睨んだだけである。
ダーホアンの後継者については一応考えないこともなかったのだが、この場合、なにより隣国の宗主、ルーハンとの深い縁がある者であることが重要だろう。これは、そう考えた末の決断だった。
ルーハンは、魔族の領主としてさすがに温厚篤実とはいかないまでも、それでもここまで見て来た限り、これら四天王の中では最も「良識的」な統治者だ。実際、どこの土地の民に聞いてみても、大抵は同じような意見が聞こえて来た。
曰く、
『自分があの南西のルーハン卿の民であったら、どれほど暮らしが楽であったことでしょう』
『家族を抱え、ここまであれこれと酷吏や暴徒、強欲な商人どもに怯えて暮らさずとも済んだでしょうに』
『もしも許されるものならば、家族みんなで移り住み、あちらで土地を耕してみたいものです』
──と。
その側近で、ルーハンの治世をすぐそばで見、補佐してきたフェイロンであれば、きっとあの淫乱領主ダーホアンの数十倍、数百倍の善政を敷いてくれるはず。
俺が期待したのはそこだった。
「自分が何より望むのは、身勝手な統治者のために、これ以上民が苦しむことのない世です。あなた様の側近であり、政治理念を理解されているフェイロン殿であれば、それを実現してくださると信じている」
ルーハンは切れ長の目をじっと俺の目からそらさずに、沈黙して聞いている。
「他の四天王たちのことについては、十分こちらも気を付けるつもりでおります。あちら側の治世についても、まだまだ手直しが必要のようですし」
「……それはそれは。それではフェイロンの今後の行動ひとつで、わたくしの『政治理念』とやらも試される、ということになるのでしょうなあ。これはこれは、なにやら空恐ろしい話です。大変な重責だ。……そなたもあまり、私に恥をかかさんでくれよ。フェイロン」
「はっ。無論のことにございます」
フェイロンが思わずハッとなったように姿勢を正した。そのままさっと頭を垂れる。
「閣下のお顔に泥を塗るような真似を、このフェイロンが致しましょうや。ご安心くださいませ。この命にかえましても、是非とも閣下のお心に添う治世を実現いたしましょうぞ」
ルーハンは自分の側近のそんな姿を見て軽く笑うと、またふと黙って、不思議な目の色でまっすぐに俺を見つめてきた。その目の奥に宿るものが何を意味しているものか、俺には見分けられなかった。
やがて目の前に用意された香り高い茶をひと口ふくむと、ルーハンは茶器を置いてゆっくりと口を開いた。
「つくづく、不思議なお方ですね。魔王陛下……ヒュウガ殿は」
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