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第九章 最終決戦
1 出陣
しおりを挟む魔王領の上空に、初春の冷たい風が吹く。
俺はいつものようにギーナと共にガッシュの背に乗り、下界を見下ろしていた。俺は鞍の前に立っているが、ギーナは例によって鞍に体を結び付けて座っている。そして絶対に下は見ない。
背後には、武装したギガンテがライラやレティと共に、またほかの兵士らと共にマルコとシャオトゥがドラゴンに乗ってこちらを見ている。
今回、俺たちは、ちょっと南方の地方を視察するという体で城を出た。さほど急ぐ風もなく、いつもの風情をたもって飛行していく。
空は晴れわたっている。
ようやく春らしい気温になりかけたこの頃らしく、ガッシュのめぐらせている魔力の壁を通しても、空気の棘が少しずつゆるんでいるのが分かるぐらいだ。
と、頭の奥でガッシュののんびりした声がした。
《準備万端だぜー、ヒュウガ。いつでもいける。みんな、ヒュウガの合図を待ってんぜー》
《わかった。……ありがとう、ガッシュ》
《いやいや。礼ならおじいちゃんに言いなって。今回、みんなに『協力しろ』っつってくれたの、おじいちゃんだし》
表情でわかるわけではないが、ガッシュは軽く笑ったらしい。「祖父に礼を言え」と言いながら、ひどく嬉しそうなのが伝わってくる。こいつは、かなりのおじいちゃん子なのだ。
俺たちがギーナの水晶球やガッシュたちの助けによって行った密談から、すでにひと月が過ぎようとしている。
ギーナを見ると、彼女は黙ってじっと俺を見上げてきた。俺は彼女にひとつ頷いて見せた。そばを飛んでいるドラゴンに乗ったギガンテやライラ、レティたちにも同様にする。
(いよいよだな──)
一度目をつぶり、息を吐きだして気を整える。
腰に差した<青藍>に軽く手を掛ける。
そして、静かに目を開けた。
《……始めてくれ。ガッシュ》
《了解~》
次の瞬間。
コオオオオオ、と世界全体の空気が変容したのが分かった。
いや実際、魔力の少ない者たちには気づくことのない変化だっただろう。空はいつものまま、雲もいつもと同じ顔で、のんびりと高い場所を渡っていくだけだ。
それでも、俺たちにははっきりとわかった。とあるひとつの律動をもった気が、あっという間にこの世界を押し包んでいく。それは柔らかく、温かく、おおらかで力強い気だった。
これは、この地にいるガッシュたち上級ドラゴン族すべてによる干渉だ。空気を震わせ、かれらの魔力を漲らせて、やつらの居場所を精査している。恐らくはそれと同時に、その獲物に対する挑発も行われているはずだった。
やがてその唸りが次第におさまっていくと、次にはとある不気味な無数の気が地上から舞い上がってくるのが分かった。<遠視>を通して見るそれは、南方、人族の住まう三国の各地から立ちのぼり、上空を目指して上昇している。それらはこちらから見ていると、無数の光る小さな粒のようだった。
──マリアだ。
あれらのひとつひとつが、あのマリアに違いなかった。
「よし。行こう」
言って俺が片手を上げた途端、ぶわっと後方の魔力障壁が消え去った。これまで<隠遁>によって姿を隠していたドラゴンやキメラの飛影が次々と現れる。魔王軍、数千頭に及ぶ騎獣の軍勢だ。
さらに左翼には南東部四天王ゾルカンと、北東部ヒエンの軍勢。右翼には南西部四天王ルーハン卿と、北西部フェイロンの軍勢がひしひしと翼を並べている。俺のすぐ後ろには、虹色のドラゴンに乗るもと女帝、キリアカイの鎧姿もあった。
騎乗する魔導師や武官らは、いずれ劣らぬ百戦錬磨の勇士ばかりだ。
その数、総勢、数千万。
この世界の歴史上、恐らく初めて編成されたであろう、魔王と四天王の連合軍だ。あまりの数に、晴れていたはずの空がにわかにかき曇ったかのように見えたほどだった。
《ヒュウガ。みんな、待ってんぜー》
《え?》
《おいおい。『え?』じゃねーだろ》
俺が変な顔をしたら、ガッシュが呆れかえったように苦笑した。
《あのよー。お前さあ、魔王なんだからさー。この軍のアタマだろうがよー。出陣前になんかひと言、みんなにバシッと言えっつーの。バッカじゃね?》
《ああ……うん。そうだな》
俺は少し考えてから、全軍に伝わるように<念話>の回線を大きく開いた。
《魔王、ヒュウガだ。この度は、この『マリア討伐作戦』に参加してくれた四天王の皆さまと、その配下の皆に、心より感謝申し上げる》
「はは。ヒュウガらしいねえ……」
隣でそっとギーナが笑った。
ガッシュも「ぶくくく」と笑いを堪えるような思念を発している。
俺は構わず先を続けた。
《かのマリアはこの数百年にわたり、この地に魔王と勇者を呼び込み、混乱に陥れ続けてきた元凶たる存在である。この地の和平と融合のため、此度は伝説のドラゴン殿とその眷属、さらに南のヴァルーシャ軍の皆さまのご協力をもって、この作戦は実現した。是非とも、かの奸悪を滅せん。……どうか、皆の協力をよろしく頼む》
《だっははは。さっすが魔王ヒュウガだな。その腰の低さにゃ、敬服するぜ》
大口を開けて、だみ声で笑ったのは四天王ゾルカン。
《そんじゃあ、行くぜ。鬨の声をあげろ、野郎ども──!》
──ラア、ラア、ラア……!
──ウララアア……!
大空に、何千万もの人々の声がこだまする。
蜥蜴族もダークエルフも、こちらに住むバーバリアンやドワーフたちも、声を合わせて吠え声をあげている。
皆、手にした得物や魔法の杖などを振り上げて、ガッシュに乗る俺を見上げて叫んでいた。
……なんだか、妙な気分だった。
ちょっとした既視感を覚えたのだ。
以前、あの「魔王マノン討伐作戦」のとき、この場所にいたのはフリーダだった。皆の戦意を発揚するため、高らかに謳いあげられた彼女の声は爽やかで勇ましかったものだった。
が、俺はそこまでして無闇に人々を戦いに駆り立てるなどというのは、性に合わない。
これは飽くまでも、マリアという存在をこの地から追い払うためだけの戦いなのだ。
だというのに、人々は俺を「戦いの将」として祀り上げ、一種の軍神に仕立てて意気を揚げようと躍起のように見えた。
だが、だからと言うべきか、俺の心は冷えている。
いや、そもそも、血肉を滾らせて誰かを滅ぼそうという精神そのものを俺は忌避する。その精神は、俺の奉ずる合気道の精神とは相いれないものだからだ。
人々の安寧を脅かすかの女、あるいは女たちをこの地から取り除く。そのためにできることは何でもするが、それに乗じて近隣の人々を襲ったり、財産を奪ったりすることはすでに全軍に対して厳に禁じてあった。
もちろん、「魔王軍の十八番」であるところのオーガやゴブリン軍団を放つつもりもない。むしろ奴らは、あのキリアカイの経験からして、逆にあのマリアに操られる心配もあったからだ。
そんなことを思ううち、ガッシュの声が頭に響いた。
《見えたぜ、ヒュウガ》
ガッシュたちの素晴らしい翼は、すでに俺たちを北壁の真正面まで運んでいる。かねての南側との約定どおり、俺たちは一路、北壁を目指して飛んだのだ。
目の前には、魔力で打ち立てられた七色に輝く<魔力防衛機構>が、山稜からずっと上空まで聳え立っている。今ではもう、フリーダたちとここを抜けたのがずいぶん昔のような気さえする。
と、俺の頭の中で懐かしい声が響いた。
《お久しぶりですな、ヒュウガ殿。はるばる、よくここまでお越し頂きました》
《バーデン閣下……!》
それは北壁を守る麓の町、ハッサムで出会った、あのバーデン総督の声だった。
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