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第十章 帰還

6 命たち

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 それは紛れもなく、あちら世界で「赤の勇者」だったあのミサキだった。
 女はちょっとバツの悪そうな顔で、茶系で癖のある髪をいじくった。

「すぐにお見舞いに来なくてごめんね。こっちも色々あってさあ」

(生きていたのか──)

 まずは、それが驚きだった。
 確かミサキは、こちらで大量に睡眠薬を飲み、そのために意識不明になってあの異世界へ行ったはず。本人もその時は、てっきり死んだものと思っていたらしい。だが、彼女も実は俺と同様、意識をなくして病院で生きながらえていたというのだ。
 ドラゴンからその話を聞いたガイアは、ギーナと同様、こちら世界に来ることを願い出た。
 意識を失くしていた期間は俺よりも短かったが、ミサキもすぐには退院できず、その後の生活のこともあって、なかなか見舞いに来られなかったらしい。

「そもそもあたし、あんたがどこの『ヒュウガ』だかも知らないし。未成年だと、ニュースに名前って出ないでしょ? それで探すのに苦労してたら、ギーナの方であたしたちを探して、こっちに来てくれたってわけ。今はあたしの部屋で、一緒に住んでんのよ。あ、もちろんガイアは事務所ね」
 見ればギーナも笑って頷いている。
「いや、でもあたしだって苦労したんだよ? だってあたしはずっと、てっきり『ミサキ』ってのは『ヒュウガ』とはちがって、自分だけの名前のほうだって思ってたからさ──」
「ちょっ……ギーナ! 今、その話はいいのよっっ!」

 なぜか突然、ミサキがぎょっとしたようだった。真っ赤になって慌て始める。じたばたと両手を振り回し、今にもギーナの口をふさごうと追いかけ始めた。
 一体なんだというのだろう。ギーナはにやにやと楽しげに笑いつつ、ひょいひょいと素早くミサキの手から身をかわしている。

「え~っ? 別にいいじゃないのさあ。可愛い音じゃん。あたしは好きだよ? 親がつけてくれた大事な名前でしょ? いいじゃないか別に、『キラキラネーム』とか言うやつだって!」
「こっ、こらあああっ! やーめーてーよ──っ!」

 俺は半眼になった。
 ……なるほど。「ミサキ」は苗字の方だったか。だとしたら、「岬」あるいは「御崎」だろうか?
 しかし一体、どんな「キラキラネーム」をつけられているものやら。
 ガイアが笑いをかみ殺しながら「まあまあ、落ち着け」と割って入った。

「しっかし、ずりぃよなあ。こっちでも魔法が使えるなんてよー。でもま、それで俺らも助かったんだけどな」
「そうそう。結局、それであんたらもおアシが稼げるようになったんだからね。このギーナ姐さんに、よーく感謝しなさいってえのよ」
「へーへー。そりゃもう、あねさんにゃあ感謝感激、雨アラレってなもんだわな」

 ガイアがガハハ、と豪快に笑う。
 変な顔になった俺を見て、ミサキがちょっと苦笑した。

「つまりね。あたしたち、三人で会社を始めることにしたの。要するに、なんでも屋みたいなもんなんだけど。まずは人探しとか、ペット探しとか? 場合によってはちょっとした用心棒とかね。まあ、そういうのから始めてみてんの」
「ああ……」

 なるほど。そこでギーナの魔法の出番というわけか。

「女だけじゃあ不安だけど、荒事系はガイアに任せられるでしょ? 本当は<治癒者ヒーラー>も欲しいとこなんだけど、今は贅沢は言ってらんないしね」
「で、大きな声じゃ言えねえが」
 と、急にガイアが声を落とした。
戸籍コセキとかなんとか、そういうめんどくせーことも、姉ちゃんの魔法でちょこちょこ~っとな」
「……そうなのか」

 それは、大丈夫なんだろうか。
 なにやら、かなりの力技を駆使しているようだが。

「まだまだこれからなんだけど、仕事の方もどうにか軌道には乗りそうだし。そのうち、あんたも手伝ってね」
「え?」
「ついでに、お金が貯まったら、あたしたちの結婚式もちゃんとするから。あ、あんたは必ず出席だからね。わかった?」
 びしっと鼻先に指を突き付けられる。
「ってか、友人枠のスピーチはキミで決定だから。覚悟しといてね」
「な……俺がか?」
 矢継ぎ早に何を言ってるんだ、この女。
「あったり前でしょ!」
 ミサキが憤慨して腰に手をあて、仁王立ちになった。
「あんた、もうちょっと自覚もってよね。あっちの世界で、あたしたちのキューピッド役をこなしたっていう自覚をさあ!」
「……いや、ちょっと待て」

 本気で頭痛がしてきた。
 誰がお前らの「キューピッド」だ。いい加減にしろ。未成年をそんなところに上げるつもりか。
 が、怒った風に見せながら、ミサキの顔はもうとっくに林檎のような色に染まっている。気のせいか、それを見ているガイアの目が、ひどく柔らかい光を湛えていた。





「幸せそうだったろ? あいつら」
「ああ。そうだな」

 ギーナと連れ立って街を歩くだけで、すれ違った男のほぼ全員が振り向いていく。その目は明らかに「うお、すげえド派手美人」「隣の野郎はなんだ? まさかカレシってこたあないよな」と言っている。
 そのことに辟易しつつ、意識的に目には入れないようにして俺は歩いた。

「仕事のほうはまあ、これからってとこだけどさ。とりあえず不自由はしてないから。あんたは心配しないで、自分のことに集中してくれていいからね、ヒュウガ」
「ああ……すまない」

 自分がもう働いている大人だったら、彼女にそんな苦労をさせずに済んだだろう。そう思うと、どうしても申し訳なさが先に立った。

「だから、謝んないでって! まったくもう、それがイヤだから言わなかったってのにさあ──」
「そうなのか」
「そうなんだよ。ったく、人の気も知らないでさ」

 そこで一旦、会話は途切れた。
 やがてギーナが、ひょいと俺を下から見上げるようにして覗き込んだ。
「あのさ。退院したら、あんたにちょっと見せたいものがあったんだ。少し歩くけどいい? ヒュウガ」
「え?」
 誘われるまま、駅前の人の多い地域をはずれ、住宅街の方へと歩いて行く。道々、ギーナはそれとなしに話を続けた。
「こっちでミサキたちと仕事しててさあ。それはまあ、どこかの家から逃げ出した猫を探すってやつだったんだけど。そのときに見つけたの。で、『これ、もしかして?』って思ってさ」
 何が言いたいのか、いまひとつピンとこない。が、俺は黙って彼女のあとについていった。

「ああ、あれだ。あそこの建物」

 ギーナが立ち止まって指さしたのは、ファミリータイプのマンションだった。近くに小さな公園があり、週末のことで何組かの家族が子供を遊ばせに来ているのが見える。

「あのマンションにさ、十二歳ぐらいの双子の男の子がいるんだよ」
「……うん」
「で、その隣に、まだ結婚したばっかりの若い夫婦が住んでてさ」
「うん」
「多分、その奥さんはお腹に子供がいる。まだお腹が目立たないから、最近できたばっかりらしくて」
「うん」
 そこまで聞いても、どうもピンとこない。
 ギーナは俺の変な顔を見て、困ったように肩をすくめた。
「まあそりゃ、さ。違うかもしれないよ? でも、『そうだったらいいな』って思っちゃったんだよ。あたしはさ」
「…………」
 
 それでもまだ、俺には彼女が何を言わんとしているのかが分からなかった。
 ギーナはじれったそうに隣から俺を見上げた。

「もう! わかんないかい?」
「……ああ、すまない。意味がよく──」

 と、その時だった。
 マンションの玄関口から、少年が二人現れた。二人とも、近くの進学塾のマークのついたリュックサックを背負っている。これからそこに行くのだろう。少年たちの整った顔立ちはそっくりで、ひと目で双子と分かるものだった。
 俺はその顔を見て、停止した。

(え──)

 おかしい。
 なんだろうか、この違和感。
 そうだ。これが、初めて見た顔だとは思えないのだ。
 だれだろう。その双子は以前に見た、誰かの顔によく似ている。
 それも、こちらの世界でじゃなく──。

(いや、まさか──)

 思わずギーナを見ると、彼女の桃色の瞳がきらきら光って、「その通り」とばかりに瞬いた。

「そっくりだろう? あの、四天王フェイロンにさ──」

 フェイロン。
 いや、しかしフェイロンは、まだあちらの世界にいる。
 だとすれば、それは彼の、百二十年前に喪われた──。
 ギーナが俺に少し顔を寄せ、ふふっと笑った。

「多分、生まれてくるお隣の子は女の子だ。きっとそうだよ。……そんな気がする」
 俺は胸が詰まったような気になって、何も言えずにギーナを見返すしかできなかった。彼女の瞳の色がさらに優しいものになる。
「そりゃ、ほんとにそうかはわかんないよ? でも、そうだったら素敵だと思わない? たとえ十二歳差だったとしても、希望がないわけでもないんだしさ。……ね? ヒュウガ」

 双子の少年たちが、笑って何か言い合いながら、ぱたぱたと早足でこちらへ向かってくる。
 ああ、本当だ。よく似ている。
 涼やかな目元に、引き締まった口元。聡明そのものの目の光。
 そして彼に似ているならば、それは恐らく──。

 と思う間に、少年たちは一瞬で俺たちとすれ違うと、あっという間に角を曲がって見えなくなった。
 俺はぎゅうっと、鳩尾みぞおちのあたりに痛みを覚えた。

 ……会えるだろうか。
 彼女は再び、会えるのか。
 再び、は始まるだろうか──?

 少年たちの消えた方向をじっと見ながら、俺は唇を噛みしめた。
 そしてただただ、それを願った。
 目の奥から、じんわりとこみ上げてくるものを感じながら。

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