賢者オークの思索と憂鬱~オークの帝王は勇者を救って世界の在り様を問答する~

つづれ しういち

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第一章 闖入者

5 星の歴史

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《我が我自身を認識したとき、地上にはまだほかの動く生きものはいなかった》
「そうなのか」
《無論、動かぬ生きものたちはいた。そなたらの言う草や木や、こけといった小さな植物たちだ》
「なるほど」
《それらが成長していくに伴って、我の周囲には小さな仲間が少しずつ生まれてきた。いま、そなたらが『オーガ』や『オーク』や『トロル』や『ゴブリン』と呼称するような、そなたらとは生きる原理の異なる生きものたちだ》

 そこまで話したところで、勇者は変な顔になった。

「そこに人間はいなかったのか?」
《先ほども申したが、そなたらの先祖はすでにいた。海の中で、ごく小さな生き物として水の中を動き回っていた》
「……それは、いったいどのぐらい前のことなんだ」
《天の炎の球がひと巡りするのが一日。それが四百と少しで一年。そなたらの暦の数え方を踏襲するなら、数十万年も前のことだ》
「なんだって──」

 男は呆気にとられた顔になり、持っていた果実を膝に落とした。

「いや、待て。我ら人間の最初の者は、偉大なる神の御手みてによってこの地に──」
 我は「すまぬが」と、やんわりと勇者の言葉を遮った。
《そなたらの『神』やら宗教、そのほかの信条については我の感知するところではない。我は我の目で見、耳で聞き、肌で感じて知り、覚えていることをそのまま伝えているのみだ。特に虚飾は加えておらぬ》

 長い沈黙があった。
 我は目を細めてその沈黙の時間を待った。
 ある程度は理解する。
 彼ら「ニンゲン」には宗教と呼ばれるものがある。すなわち、人間は神の手によって創られたとか、神の子どもとして地上に降りてきたのだとかいったものだ。その流れで、我ら大地から生まれた者は神と敵対する悪の勢力の創造物ということにされている場合がほとんどである。
 これらのことは、以前この勇者のように我に命を救われてしばしここにとどまった僧侶の者から聞いたことだ。
 勇者はかなり長いこと考え込んでいるようだったが、とうとう口を開いた。

「そんな昔から貴様らは存在しているのか」
《昔であるかどうかはわからぬ。そなたらと我らとの時間の流れ方はずいぶん違うようであるゆえ》
「……で? 人間はいつごろから貴様と戦ってきた」
《『戦ってきた』という言葉は正確ではなかろう。我らがゆるゆると平和裏に暮らしていた場所にそなたの祖先らが突然現れ、『貴様らは悪だ。ゆえにここを退け。聞かぬならば殺す』と言い放ち、問答をする暇も与えず、一方的に攻撃をしてきたばかりのことだ》
「な、なんだって……」
 男の目がさらに見開かれる。
《そのときは理由が理解できなかった。突然のことでもあり、仲間は大勢命を落とした。我は残る仲間の命を惜しみ、在所をそなたらに明け渡して住処すみかをかえた。それが最初の『戦い』だな》

 呆然として沈黙した勇者を、我はゆるりと見下ろした。

《そうだ。その最初の『戦い』で先頭を切って戦ったのが、『勇者カリアード』ではなかったか。今ではそなたらの間で『英雄王』などと呼称され、伝説化している男だ。そなたも同じ名であるからには知っていよう》
「…………」

 当時の勇者カリアードは、我の放った攻撃をもろに食らって半死半生になった。が、そばにいた魔術師によって回復の魔法を施され、故国に戻ったと聞いている。
 彼らは我らが単に退いたことを「人間側の大勝利」だと報告し、カリアードは故国でその栄誉を称えられて王族としての身分を与えられ、のちに国王になったと聞いた。

《以降、数十年ごとに似たようなことが何度も起こった。我はその都度、在所をかえることでそなたらから距離を置いてきた。我らの側からそなたらを組織的に攻撃したことはないはずだ。ただの一度たりとも》
「なっ、なにを言う……!」

 カリアードは激昂して立ち上がった。全身を震わせ、拳を握りしめている。

れ言も大概にしろ。貴様はともかく、貴様ら魔族は知能もなく、ただただ本能的に我らに害を為す存在ではないか! 辺境の村々が、貴様の配下たちによってどんな被害を受けてきたと思っている!」
《知っているとも》
 我はゆっくりと答えた。
《だがそれは、そなたらが自ら選んだ道でもある》
「なんだと……?」
《我のそばを離れると、どうやら大地の生きものは大地の《気》から離されてしまうのだ。しばらくなら問題はない。だが、百年、千年と時間が経ち、世代がかわるうちに、彼らは少しずつもとの明るい知性や理性といったものから離されていった》
「なに……? それは、つまり」
《今ではとうに、あらゆる理性の光を失った状態なのだ。そなたらの分限に近い場所にいる者たちはとりわけ状態が悪い。ただの狂った、生けるしかばねとなり果てていると言ってよい》

 そうだ。
 ゆえに彼らはごく本能的な自分の欲望にまっすぐに従ってしまう。わざわざ人間の里に出てゆき、そこにある食料を奪い、畑を荒らし、人間をも捕らえて食らう。種別によってはメスを襲う。完全に無差別だ。
 勇者の拳がわなわなと震えている。

「そっ……そうだ! 俺の母も妹も、それでっ──」

 言葉を詰まらせ、血の気の引いた顔で我を必死に睨み上げている。思いに去来するなにかを懸命にこらえる顔だった。

「許さん。だから、許さんのだと思ってきた。いつかは貴様を滅ぼして、この地のすべての悲劇を終わらせる。そう思って、俺は……俺は──」

 そうか。恐らくはその恨みと憎しみ、復讐心をもとに、この男は勇者になるべく血の滲むような努力を重ねてここまで来たのだろう。

「そうだ! 貴様が真実を語っているという証拠がどこにある? 貴様はそうやって俺をたばかり、洗脳し、囲い込もうというのであろう。だまされるものかッ! 俺は人間を裏切ったりはしない。アリシアだって貴様に殺されているんだぞっ……!」
《……気持ちは理解する。だが、そなたらに殺された我が同胞はもっと多いぞ》

 ごく静かに答えると、男はうぐっ、とまた言葉を失った。

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