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7.すれ違い
しおりを挟む僕とあかりは診察室にいた。というのも、あの病室にいると突然、医師らしき白衣を着た四十歳ほどの男性が入ってきたのだ。その人に診察室に来るようにいわれ今、様々な説明を受けている。
説明でわかったことは、意外にもあかりの怪我は軽傷だったことだ。入院は一週間ほどで完治は二十日間ほどということだった。まだ若いしスポーツをしているため骨が丈夫なためと言っていた。
不幸中の幸いと言っていいのか、すぐにあかりに『よかったな』と言いたくなったが、あかりは浮かない表情をしていた。
その後、医者入院期間中のタイムテーブルについて語った。長い説明だったためしっかり聞いていたにもかかわらず、すべて覚えているという自信はなかった。
医師は一度、腕時計も見た。すると、これまで僕らふたりに対して話していたものの、突然、僕だけに質問してきた。
「お兄さん、お時間は大丈夫ですか」
「えっ」
あまりに予想外の質問だったため、僕は思わず言葉をもらした。そして、いつもしている腕時計を見た。時刻は六時、病院に来てからおよそ三時間も経っていた。診察室には窓がないため、空が暗くなっていることに気が付かなかった。ただ、僕にはこれからの用事はないので、「はい、大丈夫です」と何気なく答えた。しかし、
「だめ、お兄ちゃんは家に帰って」
と、あかりは僕を突き放すような口調でそう言った。あのことをまだ根に持っているのかと思ったが、一応聞いてみた。
「なんで?」
「おばあちゃんのために料理とか作らなきゃいけないでしょ」
すっかり僕は祖母のことを忘れていた。今日はバイトがないのに家に帰っていないため、心配しているに違いない。
あかりは帰って、と手で合図し、それに従うように僕は診察室を出た。このまま帰ろうとしたけれど、カバンをあの病室に置いていることを思い出し向かった。廊下を小走りで取っていると、ガラス越しに外を見た。もう日は暮れ、大通りには電灯にはすでに灯りがついている。
病室に戻ると、みらいが窓の外にある桜の木を眺めていた。その後方には電灯があるため、桜の花びらが光って見えた。みらいは扉の音に気が付いたのか振り返って僕のことを見た。
「おかえり」
「ただいま」
すぐさま僕はあかりのいた窓際のベッドのほうに目をやる。ベッドの脚にもたれるようにして僕のかばんは置かれていた。みらいのベッドを横切り、そこへ足早で向かう。家で祖母が待っているのだ。
「あかりちゃんどうだった?」
「大事じゃなかったけれど、入院は一週間で治るのは三週間くらいかかるって医者が言ってた」
そう言いながら忘れ物がないようにかばんの中身を確認した。何も取り出した記憶がないが、念のためだ。
「一週間だけか、残念だなぁ」
後方からそのような言葉が聞こえてきた。僕はあかりが一週間と言ったのに対して、みらいは「一週間だけか、残念だなぁ」とつぶやいたのか。
なにかの聞き間違いかもしれない。だって普通は『思ってたよりも短くてよかった』の安堵や『心配だね』の気遣いなどを伝えるはずだ。
僕はなんと言ったのかみらいに尋ねようとした。けれど、みらいは本当に残念そうに顔をうつむかせていた。それを見てわかった。あぁ、こいつはあかりのことが嫌いなんだと。そう思うと、握っていた拳に力が入る。
ふたりが仲良く話している様子を見ると、僕がいなくても安心できると思った。あかりはみらいのことを信頼し、みらいはあかりのことを可愛がっていた。だが、それは僕の思い違いだったようだ。人は一見、仲良くしているように見えても、心の奥では何を思っているのかわからない。それは十分に理解しているつもりだ。だが、たとえあかりのことを嫌っていても実の兄がいる場所でそれを言うべきではないだろう。
「なんでそういうこと言うんだよ!」
おもいがけず大きな声が出た。みらいは驚いている様子だったが、僕自身も同様に驚いていた。僕はとっさにカバンを持ち、病室を出ようとした。
最初からみらいのことを嫌っていたわけではない。だが、あのたった一言でそれまでの僕とみらい、あかりが一緒に話した記憶が一瞬で黒く塗りつぶされた。
「待って、そういう意味じゃ」
僕はみらいの言葉に振り向かず扉を勢いよく開けた。そして、病院の廊下を走り、気が付けば、病院の外に出ていた。春の夜のひんやりと冷たい空気が体を包んだ。電灯が照らす夜道を無我夢中で走った。
脳内であいつの言葉が繰り返される。すると、段々と他人をいじめるあいつの姿が想像できた。きっと学校でそうしているに違いない。学校を休んでいる理由はわからないが、あいつはいないほうがい い。
家までの道をひたすらに走った。その道中で僕は頭の中で同じ言葉を繰り返し唱えていた。
僕はあいつが嫌いだ。
家に着くと昨日とは違いカギを使って玄関を開けた。僕はいつものようにリビングへと入った。すぐさま走り寄られて心配されるかと思ったが、祖母は普段と変わらない調子で「おかえり」と言ってきた。
祖母は昨日と同じ席に座って同じ湯呑でお茶を飲んでいた。しかし、表情はいつもの落ち着いたものではなく、神妙そうな顔つきだった。
「災難だったな」
「知ってるの?」
「あぁ、二時間前か、そんくらいに病院の人から電話がきて、あかりが階段から落ちて、病院に運ばれたと聞いたんじゃ」
「そうなんだ」
「あかりにとっちゃ短くても大きな痛手だからのぉ。大会前にけがをしたあの子のことを思うとかわいそうじゃ」
「そうだね。じゃあ、僕ごはん作るから」
そうだ、ふつうはこんな反応をする。だけど、あいつは入院期間が短くて、残念と言ってきたのだ。ありえないだろ。
いつものようにしている冷蔵庫を閉める動作でも、心なしかバタンと大きな音がしているような気がした。料理を炒めているときでも、強火にしてしまい、野菜が焦げてしまった。それでも、祖母はなにも文句を言うこともなく食べてくれた。でも、あかりだったら、文句を言われるだけでなく、手本を見せられるだろう。普段なら嫌な気分になるのに、今日だけは寂しいように感じる。
「あかりがいないとこんなに静かになるのかね」
「そうだね」
僕はあかりのいない空間をしんみりと味わった。僕じゃ家の雰囲気を明るくできないと思うと悲しくなった。
祖母は一度、お茶をすすってテーブルに置いた。
「けれど、良い人がいてくれてよかった。あの子がいてくれるならあかりも退屈しないじゃろ。だけど・・・・・・・」
祖母が言い終わる前に、僕は思い切り席から立ち上がった。料理を食べ終えたからではない、思い出したくないあいつのことが頭に浮かんだからだ。僕はまだ食べ終わっていない皿を残し、足早に自分の部屋へ向かった。その時祖母は僕になにかを言っていた気がした。
ベッドに倒れこみ、頭の中から嫌なものが消えるようスマホの画面に目を向けた。そこにはひとつの通知があった。渡辺さんからのラインだった。
≪妹さん大丈夫だった?≫
送られてきたのは六限目が終わった直後だ。その時にわざわざ送ってくれていることを思うと、胸のもやもやが少し消えた気がした。僕は連絡が遅くなったのを申し訳なく思いながらも返信した。
≪うん。大したことなかったよ。返信遅れてごめん≫
僕は渡辺さんを心配させないよう気持ちとは嘘の文章を送った。ラインが送られてきて三時間後に返信したのだから、渡辺さんからの返信が遅れるはずだ。それでも、僕は嫌なことから逃げ出すようにスマホの画面を見つめていた。
しばらくすると、通知音とともに渡辺さんからの返信が来た。
≪ううん、大丈夫だよ。いろいろ忙しかったと思うし。でも、よかった。先生と赤谷くんが本当に慌ててるように見えてたから大事なのかなって心配してたんだ≫
≪心配してくれてありがとう。でも、ごめん、今日一緒に帰る約束してたのに≫
≪ううん、あんなことがあったら仕方がないよ≫
≪明日バイトあるけど、一緒に帰ろうか≫
≪うん≫
≪じゃあ、また明日≫
僕はスマホにそう打つと、画面を消してリビングへと戻って残した料理を食べた。そこには祖母がいたものの、料理はすべて食べ終わり、皿も洗って片付けていた。祖母は湯呑でお茶を飲んでいつも通りに見えたが、少し険しい顔をしていた。その理由を考えた時、僕が部屋に行く前の祖母の言葉を思い出した。
あの時、祖母は、『良い人がいてくれてよかった。あの子がいてくれるならあかりも退屈しないじゃろ』と言っていた。どうして、祖母はあかりがふたり部屋にいることを知っているのだろうか。病院の人が電話で言ったのだろうか。
祖母に聞こうとしたが、またあいつのことを思い出しそうになったのでやめた。
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