僕は咲き、わたしは散る

ハルキ

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6.みらいという女の子

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 それからあかりは僕が何を言っても反応せず、窓の外にある桜をずっとながめていた。もし、晴れだったなら青とピンクの美しいコントラストが見えるだろう。ただ、今日の空はこの病室のような白一色だった。
 青山さんは僕のことをかばってくれてあかりを説得してくれたけど、状況は一向に変わらなかった。「お兄ちゃんが悪い」「お兄ちゃんは何もわかってない」と、何度も言った。こうなれば、いつものあかりがかわいく思える。しかし、僕はあかりの何をわかっていないと言うのだろう。
 青山さんは小声で「慎之介君」と手招きした。青山さんが何を考えているのかわからなかったが、僕は椅子から立ち上がろうとした。すると、ガタっ、と椅子の引きずる音が鳴った。その音を気にすることなく僕は青山さんの近くまで行こうとしたが、背後からあかりの声が聞こえてきた。
 「みらいさん、言わないでくださいよ」
 そう言われた青山さんは少し体を飛び上がらせた。どうやら図星のようだった。先ほど、青山さんがこちらに小声で手招きしたのはあかりに気づかれないようにするためだったのだと後悔した。
 「ごめん」
 僕があかりに聞こえないであろう声で謝ると、青山さんは「別にいいよ」と返した。ただ、これで手詰まりになった。青山さんは何か案を考えてくれているみたいだったけれど、何もない沈黙の時間がただ過ぎていった。
 僕も悩んだ。あかりは僕に何を伝えたいのか。
 最近のことだろうか。いやでも、普段通り僕は学校やバイトに行ったりしただけだし、それ以外はダラダラと家で過ごしているだけだし。
 僕はこれまでのことを思い返していると、突然、あかりは壁につけられたナースコールを押した。どうしたのだろうと不思議に思っていると、あかりが「トイレ、行ってくる」と独り言のようにつぶやいた。しばらくすると、五十路くらいの看護師さんが病室に入って来た。おそらくベテランなのだろう、その看護師さんは慣れた手つきであかりをベッドから起こし、歩幅を合わせて病室から出て行った。
 「ふたりっきりになったね」
 「うん、そうだね」
 なぜだろう、知らない女の子とふたりで一緒にいるのに平静でいることができた。渡辺さんといた時はあんなに心臓が跳ねる勢いだったのに、今はそれを全くと言ってもいいほど感じることができなかった。
 「大丈夫だよ、慎之介君は悪くないよ」
 あかりを怒らせてしまった僕を慰めるように青山さんはそう言ってくれた。あかりがいなくなったため、一番気になっていることを聞いてみることにした。
 「君は、あかりと何を話したの?」
 「君じゃなくて名前で呼んで」
 青山さんに質問すると、なぜか怒られた。まさかそうなるとは思っていなかったので僕は困惑してしまった。そんな僕を、青山さんはじっと静かにこちらを見ていた。
 「じゃあ、青山さん」
 「うーん」
 僕がいつも同級生の女子たちを呼んでいるふうに言ってみたのだが、青山さんは納得がいっていないように悩み始めた。
 「みらい、さん」
 僕はあかりと同じように青山さんを呼んだ。けれど、これも青山さんの納得のいく呼び方ではないようだった 
 「うーん、それだとわたしが先輩みたいになっちゃうし、でも、みらいちゃんっていうのもかわいいけどなんか嫌だしなぁ。じゃあ、呼び捨てでいいよ」
 「えっ」
 思いがけず声が出てしまった。小学生の時でも女の子のことを呼び捨てで呼んだことないのに。あかりは呼び捨てだが、それは兄妹だからであって、血がつながっていない女の子を呼ぶのは抵抗がある。
 「わたしも呼び捨てにするから、いいでしょ?」
 そういう問題ではないのだが。
 「ねぇ、慎之介」
 僕のことを呼び捨てで呼ぶ青山さんの声はピアノのように弾んでいた。どうしてそんな躊躇なく異性の名前を呼べるのだろうか。この人はそういうのをあまり気にしないのか。きっとそうだ。
 青山さんは、次は君の番だよ、と言わんばかりに僕のことをじっと見つめていた。女子に見つめられているのもそうだが、この沈黙という名の圧迫感が僕の脳を刺激する。言わなきゃ、言わなきゃ、言わなきゃバカにされる。こんな状況が続くのに耐えられなくなり、僕は腹をくくって青山さんのほうへ一歩近づいた。
 「みらい・・・・・・さん」
 言えなかった。もう口癖になったのか、女子を呼ぶときには『さん』とつけるようになってしまったのだ。僕は青山さんから目を背けた。
 最後に見た時、青山さんはポカン、と口を開けていた。僕が呼び捨てにできなくてあきれて何も言えなくなっているのだと思っていた。しかし、次の瞬間には、病室は笑い声で満たされた。
 「あはははは、なんで、なんで、なんで、あともう少しだったのに」
 それは先ほどの笑いよりも大きく、病院全体に聞こえてもおかしくなかった。少し時間が経つと、病室に先ほどと同じ看護師さんが駆けつけてくると、やっぱり怒られた。
 看護師さんが出て行くと、みらいは体の中に入ったものを少しずつ吐き出すかのように笑いを抑えていった。笑いをすべて吐き出すと、みらいはうなだれた。
 「わたし、いつもは真面目なんだよ。でも、今のはちょっと、騒ぎすぎたかな」
 みらいは初めて反省している姿を見せた。二回目ということで説教も長かったため、少し落ち込んでいるのか。でも、みらいが真面目だということは信じることができなかった。出会って一時間ほどしかたっていないため、この人のことを理解したとは言い難い。そんな僕が言えることは、この人のことを少し苦手だということだけだった。
 「大丈夫、みらい?」
 元気のない友達を励ます自分の行動をしたはずだが、突然、みらいは目と口を大きく開いてこちらを見てきた。僕の顔に何かついているのかと顔をさわってみたが、なにもついていなかった。僕の後ろに幽霊みたいなものがいるのかと思ったが、誰もいなかった。
 「ど、どうしたの?」
 そのように問いかけてもみらいは何も答えず、さらに時が止まったかのように動かなかった。みらいが突然、体が固まってしまった理由を僕なりに考えてみた。すると、僕の先ほどの台詞にあるのではないかと行きついた。
 あれ、僕、さっきなんて言ったっけ。
 出かかっているのにもかかわらず、思い出すことができなかった。それが蚊に刺されているかのようにもどかしい。何か恥ずかしいことを言ったような気がする。それを思い出そうとしていると、みらいが再び笑い出した。
 「このタイミングで、言えるようになるのか、あー、おもしろい」
 この時に僕がさきほど、『みらい』と呼び捨てしたことに気が付いた。その前までは恥ずかしくて言えなかったのだが、何も考えず無意識に言ったことだから恐ろしかった。みらいは「お腹痛い」と泣きながら笑い続けた。
 みらいが落ち着くまで静かに待った。笑いが少しずつ収まってくると、
 「あー、面白かった。で、何の話だったっけ?」
と聞いてきた。
 「僕が来る前、あかりと何を話していたのか、だよ」
 「あぁ、それね」
 もうあかりが病室を出て行ってから十分はたった。帰ってくるのが遅いとは感じつつ、いつ帰ってきてもおかしくなかった。あかりには聞くなと言われたので今のうちに聞いておきたい。
 みらいの答えを待っていると、胸が高鳴っていた。あかりが本当は僕のことをどう思っているのだろうか。
 「わたしは言ってあげたほうがいいと思ったんだけど、自分で気づいてあげたほうがいいんじゃない?」
 思ってもいない答えに僕は口を大きく開けて、「はーー」と顔をしかめた。それを見たみらいは再び笑い出した。
 すると同時に、病室の扉が開いた。そこにいたのはあかりと看護師さんだった。しかし、あかりがナースコールしたときに来た五十路くらいの看護師ではなく、二十代の若々しい看護師さんだった。
 「ごめんね、赤谷さん」
 「いえいえ、大丈夫です」
 若い看護師さんがそう言うと、あかりは出て行く時とは別人のように笑顔でそう答えた。看護師さんはあかりを大事そうにベッドへ移動すると、足早に病室から去っていった。さすがに時間がかかっているし、看護師さんが入れ替わっているからなにかあったのだろうと推測できる。そのことを聞こうとしたけれど、さきにあかりから質問されてしまった。
 「みらいさんに聞こうとしたでしょ?」
 あかりは再び不愛想な表情に変わっていた。僕が来る前、みらいと話したことを聞こうとしていたのがばれてしまったのだ。だけど、それほどまでに聞かれたくない内容なのかと気になりもした。
 「まあまあ、いいじゃない」
 みらいは僕のことをかばってくれた。けれど、さっきと今では話が違う。
 「みらいさんは優しんですよ」
 「慎之介はもうちょっと妹の気持ちを理解しなくちゃね」
 あかりはみらいの言うことに同意し、何度も首を縦に振った。けれど、何かおかしいことに気がついたのか、それをやめてみらいを見た。
 「みらいさん、なんて言いました?」
 「ん? 慎之介があかりちゃんのこと理解しなくちゃいけないって」
 あかりは先ほどのみらいと同じようにぽかんと口を開け、岩のように動こうとはしなかった。僕はどうしたのだろうと不思議に思い、あかりのことをじっと見つめた。さきほどのみらいの発言におかしなことがあったのか。僕が考えてみても答えは出なかった。
 「いつの間にお兄ちゃんのこと呼び捨てに」
 しまった。先ほどのことはみらいが僕をからかうためにするためだと思っていた。その後は、『赤谷君』『青山さん』と最初に出会った時と同じ呼び方をすると思っていた。
 「ちょっと、いろいろあってね」
 誤解を招くような言い方をするな。まぁ、ごまかしてくれると考えた僕がばかだった。すぐさま、あかりはすぐさま僕のことをにらみつけるように見てきた。それは鬼の形相と言っていいほどだ。
 「えっと、僕は、青山さんって」
 「慎之介、さっきみらいって呼んでくれてたよね」
 かわりに僕がごまかそうとしたものの、みらいが余計なことを言うせいで嘘だということがばれてしまった。僕らは呼び捨てで呼びあうほどの仲でもないのに、あかりにはそのように勘違いされてしまったかもしれない。
 「あたしがいない間に、そんな仲になっていたんですね」
 あかりは口をとがらせて言った。ほら、やっぱり勘違いされた。
 「うーん、ちょっと慎之介にからかおうとしたんだよ。呼び捨てだと恥ずかしがると思って。そういえば、わたしの笑い声聞こえてきた?」
 「あっ、聞こえてきました。みらいさん、なんで笑ってるんだろうって思いました」
 「あの時ね、慎之介が呼び捨てできなかったから笑ったんだよ。けれど、急に呼び捨てできるようになったんだよ」
 「でも、みらいさん。まだお兄ちゃんのこと呼び捨てですよね」
 「うん、もう慣れちゃったから。慎之介はどうするの?」
 みらいは僕に話を振ってきた。
 「僕は、青山さんって、呼ぶよ」
 「えー、もうみらいって呼んでくれないの?」
 みらいは残念そうにうなだれた。それを見たあかりが僕に「みらいって呼べ」と言わんばかりの圧力のある目線を向けてきた。それに僕は従うしかなかった。
 「じゃあ、みらい・・・・・・」
 僕は『さん』という言葉が出ないように必死に我慢した。すると、みらいは晴れやかな笑顔を見せた。今日二度目、渡辺さんにも向けられたような笑顔だったので、つい顔をそらしてしまった。それを見たみらいは「あっ、照れてる」と僕の頬を指さされながら言われた。それを聞いたあかりは「本当だ」と下手な驚く顔を見せ、ふたりとも笑った。
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