翼も持たず生まれたから

千年砂漠

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それぞれのコンプレックス その2

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 あたしさ、と杉野さんがふいに私の方を向いた。
「奈緒が自分を『人じゃない』って悩んでたって聞いても、正直よく分からなかったんだけど──それって結局自分を好きじゃないってこと?」
 そう……なのだろう、簡単に言えば。
「そのことなんだけど」
 高瀬君がみんなの顔を見回した。
「俺、久保田さんの話聞いて考えたんだけど……久保田さんの悩みの元凶は両親の過剰な反応にあったんじゃないかと思うんだよ」
「どういうこと」
 みんなを代表して、木下君が問う。
「俺、幼稚園に行ってる従兄弟がいるから見てて分かるけどさ、小さい子って無邪気に残酷なんだよね。俺だって幼稚園の頃、雨蛙踏み潰して遊んだことあるしなあ。けど、今、人間をハンマーで叩き潰そうなんて危ない性格には育ってないつもりだよ。小さい頃生き物に無慈悲だったから必ず問題な人間に育つ、なんてことはないと思わない?」
 へらりと笑った彼は善良そのものだった。
「大体ね、五歳で死とか命の尊厳とか本当に理解できる訳ないじゃない。でも久保田さんの両親は大人の感覚を久保田さんに当てはめて、誤解した。まあ、親として心配だった気持ちは分からなくはないけどね。久保田さんにとって決定的に不幸だったのは、隠れて聞いてしまったお母さんの『人間じゃない』って一言だよ。子供にとって親の言葉ってものすごく影響するから」
 高瀬君は不意に私の方を振り返った。
「久保田さんはお母さんのその一言で、自分はそういう者だと思い込んでしまったんだ。いや、思い込みって言うより、ここまでくるともう強迫観念に近いね」
「強迫……観念……」
「うん。だから、自分は『人間じゃない』から努力して優しくなろうとしたけど、その優しさも所詮は偽善で本性はやっぱり非人間的だった――って久保田さんは言うけどさ、その自己分析は間違ってるよ。多分、久保田さんは感受性が他人より強いんだ。それで何かで傷つきそうになる前に、自分はそれに興味がない関係ないって無意識にガードする。無意識だから自覚がなくて、自分を薄情な性質だと思うようになった――これが正しい分析だと思う」
「……そんなこと」
 言いかけた私に、
「それに、猫のお墓作った時の久保田さんの心理も異常じゃないって説明できるよ」
 彼は柔らかく笑んだ。
「五歳の久保田さんは、家に居ついて間もない野良猫より、お母さんの方が大事だった。死の意味が大人のように理解できていなかったから、死にそうな猫より、泣いているお母さんの方が可愛そうだったんだ。お墓を作ろうとしたのはまだ生きている命を切り捨てたんじゃなくて、猫の死を悼むだろうお母さんを慰める用意をしたかったんだよ」
 善意に解釈し過ぎだ。そうじゃない、私はやっぱり……。
「で、一番良くないのは、久保田さんが強迫観念をコンプレックスの言い訳にしてしまったことだ」
 高瀬君から不意に笑顔が消えた。
「俺には、久保田さんは自分の性格のマイナス面に突き当たるたびに『人間じゃないから仕方ないんだ』って言い逃れしているように見える」
 彼の言葉は私の心の真ん中を刺した。反論できないのは、多分それが真実だからだ。
「自虐的な思考を自分の弱い所から目を逸らす口実にしてない?」
 高瀬君の厳しい視線が私を射抜く。
「自分の欠点と正面から向き合わない限り、悩みはいつまでたっても解決しないよ」
 彼は、私が自分の真の姿を直視できない臆病者だと言ってるのだ。
 それは正しい。正しいけれど……。
「自分の嫌な所を十分自覚しても、簡単に解決はできないわよ!」
 私の代わりのように、杉野さんが声を上げた。
 みんなの視線を集めて、彼女は憮然として俯く。
「だって……あたしだって……そうだから」
 意外だった。
 杉野さんはいつでも自分に自信があるように見えたから。
「あたし、好き嫌いが激しいから、知らない内に他の人が好きなものまでけなしてるってこと、よくあるんだよね。悪気はないんだけど……そんなふうに人を傷つけてしまう自分がすっごく嫌だ。……前に奈緒がイジメでカバンの中身ばら撒かれたことあったでしょう。あの時、奈緒が『自分の嫌いなものは排除して好きなものだけ集める人間ばかりになったら幸せな世界だ』みたいな話して、柚木がキレたじゃない。あれね、あたしにはものすごくショックだったんだ」
 嫌いなものは徹底的に攻撃して、好きなものだけ大事にする――正に自分のことだ、と。そしてそれはかつてナチスが行なった非人道的行為と同じなのだ、と。
「あたしもそんな偏った心の狭い人間だって、指差された気がした。で、家に帰って自分の持ってるものを見てみたら、見事に似たようなものばっかりで」
 自分の意識の狭さに愕然としたという。
「だから、あたし今は、できるだけ他の友達に話を聞いて、薦める曲とか聴いたり、良かったっていう店に行ってみたりしてる。そこから、今まであたしになかったものを探してるんだ」
 それでも基本的趣味はどうしても似通っちゃうんだけどね、と彼女は笑った。
「……私は何となくナオナオの抱えてたジレンマみたいなもの、分かってたよ」
 小林さんが私の方を向いて微笑んだ。
「もしかしたら、ナオナオって人付き合い苦手なんじゃないかなあって」
「え、何でよ」
 高瀬君の問いに、小林さんは何故か少し得意そうに答えた。
「だって、ナオナオって誰も苗字でしか呼ばないもん。下の名前とかあだ名なんかで呼ばないってことは、人と距離を置きたいのかな、つまり人付き合いが好きじゃないのかなって思ったの。でも、それにしては誰にでもニコニコして優しいし……変だなあって」
「うう―ん、そこまでは気がつかなかった。うん、ここは素直に褒めよう。さすが芸術志望、感性が鋭い。まいりました」
 高瀬君に頭を下げられて、小林さんはへへっと悪戯っぽく笑った。
「実はね、一番変に思ったのはその『感性が芸術家的』ってナオナオに言われた時なのよね。持ってる自分が言うのも何だけど、あれは独特のキャラだから普通絶対誰も褒めないよ。だから、『あ、無理して褒めてる』って、ナオナオは実は本当に思ってることを率直には言わない人なんじゃないかなって思ったの」
 だけど、と小林さんは私にぺこりと頭を下げた。
「ありがとう、って言うよ。あの時のナオナオの褒め言葉がなかったら、私、やっぱり高校の進学先を親の言う通りにしてたかもしれない」
 あの頃、小林さんは行きたいと思っているデザイン科のある高校と親の進める普通科の高校とどちらにするか迷っていたという。
「感性が芸術家的って、一言で言えば変わり者ってことなのよね。でも、人と違ったものを好きな自分なら他の人では創れない何かを創ることができるんじゃないかなって。もちろんナオナオがお世辞で言ってくれたって分かってたけど、何が世の中に受けるか分からないじゃない。だから、やっぱりデザインの方に進もうって決めたの」
 だけどね、と彼女は溜息をついた。
「どうして自分は普通の人が好む物を好きになれないんだろう、どうして共感してもらえないデザインの物を選んでしまうんだろうって、時々嫌になるよ」
 彼女はもう一度深々と溜息をついた。
「こんな自分が嫌で、生まれ変わりたいって思う時もある」
「え、そう? 僕は自分が好きだけどな」
 木下君が笑うと、みんな一斉に嫌そうな声を上げた。
 彼以外はみんな私と同じように自分が好きではない、ということなのか。
「キノシーって、ナルシストだったんだ」
 目を見開いた小林さんに、木下君は軽く手を振った。
「違う、違う。僕は自分を否定しないだけ。それに、高望みしないからね」
 そうして私の方を見る。
「あのね、久保田さん。人間の領分を越えた望みは持っちゃダメだ。全ての者に平等に優しくなんて、それは神様の仕事。僕らは自分の好きな人にだけ優しい、で十分なんだよ。久保田さんが好きな誰かに優しくして、その誰かが別の好きな人に優しくして、回り回って誰かが久保田さんに優しくしてくれる。そうやって世の中回ってるんだと思うよ。理想通りに生きられなくたって、別に何も悪くないよ。自分の適性に沿って生きることこそ人間の本分じゃないのかな」
「語るねえ、木下。さっすが教師志望」
 高瀬君のからかいを彼は余裕で返す。
「いやいや、未来の住職ほどでは」
 私が首を傾げると、
「俺、寺の跡取り息子なんだよ」
 とあの飄々とした笑顔を見せた。
「だから僧侶になるために京都の高校に進学するって決めてるから、俺は来年からしばらくこの街にはいない」
 ええっ、とみんなから声が上がったところをみると、それは誰も知らなかったらしい。
「この前、柚木が遺言の話をしただろう。俺、あれでちょっと考えてしまったよ。星志君のように『ここに自分が存在した証』を残せる何かが、今の俺にあるのか、って。……俺だってこの街を離れてしまったら、もう二度と会えない奴がいるかもしれないから」
「そんな。離れたって、友達は友達でしょう。連絡だって取れるんだし……」
 小林さんの言葉に頷きながらも、彼は淋しげに笑った。
「じゃあ聞くけど、お前らの両親って、未だに中学生の頃の友達と相変わらず付き合ってるかな?」
 誰からも返事はなかった。
「だろ? 生きるフィールドが違えば、付き合う人間も変わってくる。仲のいい人間がいつまでも同じ顔ぶれなんてありえないんだよ」
 高瀬君が僧侶になって実家の寺に戻ってくる頃には、進学や就職でこの街を出て行っている友人もいるだろう。抱える夢が違えば進路の分岐点が人生の分かれ目、それきり会えなくなることもある。確かに、死別同様の別れと言っても過言ではないかもしれない。
「人が人と出会えば、別れはいつか必ず来る。これはこの世の中の定めだ。花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ、ってね。四苦八苦の一つ、愛別離苦は誰でも味わう悲しみだから、乗り越えていかないと」
 それは高瀬君なりの、私への励ましのように思えた。
「達観してるね。十五歳にしてすでに悟りの境地じゃない。さすが、六代続いた寺の血筋」
 杉野さんが感心したように頭を振った。
「いやいや、氏より育ち。家庭環境は偉大だよ。人格に過大な影響を及ぼす。ものごころついた時から親や檀家さんたちから跡継ぎって言われて育ったんだから、坊主向きの性格にもなるよ」
「それは……呪いじゃないの?」
 私の問いかけに、高瀬君は眉根を寄せた。
「だって……お寺の跡継ぎしか人生の選択ができないように周りから言われるなんて……他の道を選べないなんて……呪いみたいじゃない」
 誰にでも優しくできる人に。
 私には呪いだった。呪縛だった。
「いや、言祝ぎことほぎだよ、久保田さん」
 彼は迷いなく言い切り、笑った。
「俺の未来への期待という祝いだよ。呪いと言うなら悪意がないとね。俺に寺の跡継ぎと言った人達に悪意はないよ。それを呪いと受け取る時があるとすれば、自分の方に悪意がある時だ」
「……自分の方に……悪意が……」
 では私は、人の言葉を悪意を持ってしか聞けない者なのか。
 呆然とする私に、高瀬君は慌てて言い直した。
「いや、悪意ってのは言い過ぎで、マイナス思考っていうか、後ろ向きっていうか……積極性に欠ける気持ちっていうか……」
「あー、もう! やめろ! やめろ!」
 柚木君が不機嫌な声を上げた。
「回りくどいこと言わなくたって、こんなの単純明快じゃないか!」
 そして彼は、ずいと私の前に立ちはだかった。
「昔親がああ言ったこう言った、って、いつまでグズグズ悩めば気が済むんだよ!」
 いつかの夜の強い瞳が、真っ直ぐ私を見据える。
「よく考えろよ! 親が子供を呪う訳ないだろっ!」
 突風のように。一瞬の嵐のように。
 彼の言葉は私の中の何かを、激しく揺らした。
「それに木下だって言っただろっ! みんなに平等に優しくするなんて人間にはできないって! だったらお前の親は、お前に人でなしになって欲しいって願ったのか? 違うだろっ!」
 揺れて、揺れて。
「呪ってるのはお前自身なんだよ! 自分が自分を否定してる、ただそれだけのことだ!」 
 私から剥がれ落ちていくものがある。
「理想の自分と違ってるからって、今の自分を拒否するな!」
 ぽろぽろと剥がれ落ちて。

「星志が好きだと言ってくれた自分を、嫌いだなんて言うなよ!」

 ぽろぽろと――涙が溢れた。

「――ちょっ、ちょっと待て」
 泣き出した私を見て、柚木君は慌てふためいた。
「お、お、俺は別に怒った訳じゃ」
 おろおろと後ずさる彼の後頭部を杉野さんが軽く叩く。
「馬鹿モノ。そんなこと分かってるわよ」
 彼女は呆れたように溜息をつくと、
「あたし達、先に行ってるから。あんたは奈緒と後から来なさい」
 そう言って、みんなに目配せした。
 木下君と高瀬君は顔を見合わせて笑うと、
「いい友達を持ったと、感謝しろよ」
「礼は、言葉より物でな」
 柚木君の背中を叩いて、歩き出した。
 小林さんもニコニコ笑って手を振り、杉野さんたちの後を追う。
「……あの……ごめん」
 みんなが行ってしまうと、柚木君は大きな体を縮めるように頭を下げた。
「でも、本当に怒ったんじゃなくて……あの、俺って普段から声がでかいから、その」
「……違うの……私……」
 柚木君のせいで泣いたんじゃない。
 柚木君のおかげで泣けたのだ。
 殻をまとわない剥き身の私は、乾き切ってはいなかった。悲しみや苦しみではない涙が私の持って生まれたものの中にもあった――それを柚木君は教えてくれた。
 でも、私にはうまく説明できる言葉がなかった。だから。
「……ありがとう、柚木君……」
 想いの全てを込めた、一言。
 私に言えたのは、その一言だけだった。
 彼は一瞬呆けた顔をしたが、うん、と短く頷いて俯いた。
  
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