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整理整頓
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月曜日、登校すると旭がすぐ僕に寄ってきて、耳元で「美国のこと、ありがとう。瞬が酷いことしてごめん」と簡素に囁いた。五人の間では情報の共有が徹底しているらしい。
「瞬と大樹には偽装がバレて怒られたけど、他のみんなには訂正しないから」
これからもよろしく、と笑顔で言われ、内心ホッとした。実は広海たちにバレたら意味がないので、契約を解除しようと言われるのではないかと思っていたのだ。解除されたら僕のようなたいして面白みのない人間とはあっという間に疎遠になるだろうと憂鬱な気分でいたのだが、今まで通りでいいと分かって安堵した。
美国の方を見ると珍しく視線が合い、美国は微かに会釈してから視線をそらせた。
旭もそれ以上金曜日の夜のことは口にせず、僕も話題にはしなかった。僕と美国の距離は表向き全く変わらなかった。
放課後、僕は前田君からの伝言で支倉君に呼び出されて近くの公園へ行った。
支倉君は先に来ていて奥の隅にあるベンチに座っていたが、歩み寄った僕を見るなり立ち上がって深く頭を下げた。
「悪かった。殴ったりしてすまなかった」
詫びに自分を殴ってくれと言われたが、僕はお断りした。言い訳も聞いてくれず殴られたことは確かに腹が立ったが、それだけ美国や旭を大事に思っている証拠で、広海の話を聞いた後ではとても怒る気になれなかった。
支倉君に指し示されて僕がベンチに座ると、支倉君は項垂れたように俯いた。
「全部美国に聞いた。本当に悪かったよ。だって、まさかなあ」
支倉君はちらりと僕に視線を向け、また逸らせた。
「あの、俺は旭みたいにハッキリ偏見はないって言えねえけど、別に言いふらしたりしないし、特別視したりしないようにするし、その、普通に、友達付き合いはできるから。それに旭や美国に妙なことはしねえ奴だって安心した」
ああ、そうか。美国から話を聞いたのだから、支倉君は僕を同性愛者だと誤解するのは当然だ。でも、そのおかげで僕は美国と旭に無害な人間と思われている。
喜んで良いのか悪いのか、複雑な気分でいると、支倉君はため息をついた。
「お前、すごい奴だなあ。美国が吐いて過呼吸起こしたの、助けたんだろ? 感心した。オレ、初めてあれ見た時、ビビって何にもできなかったから」
「僕だって恐かったですよ。でも僕しかいないから、必死でした」
「お前が慌てて救急車呼んでたら、色々まずいことになってた。ホント、サンキューな。お前、案外看護師に向いてんじゃねえの?」
「支倉君だって」
言いかけた僕に、支倉君は「瞬でいい」と笑った。
「じゃあ、僕も優人でいいです。瞬、も結構世話好きじゃないですか。美国に対してなんてお兄さんみたいでした」
「お前から見ても兄貴みたいに見えるんなら、今のところオレの努力は報われてるな」
怪訝な顔をした僕に、瞬は少し寂しげな表情を見せた。
「……オレ、美国が好きなんだよ。マジで」
僕は目を見開いた。この数日は僕の平凡な人生において驚きを凝縮したような日々だったので、さすがにもう暫くショックな出来事はないだろうと思っていたのに、まだ驚かされるとは。神様、僕が何かしましたか。まあ、閻魔様にはセクハラしましたが。
「え、え、でも、瞬、付き合ってる人がいるって……年上の女性だって、美国が」
「ああ、瑞穂のことだ。瑞穂は叔父がやってる喫茶店の常連客で、半年くらい前から顔見知りの男にストーカーまがいなことされてて、一人暮らしだから恐いって叔父に相談しているのを聞いて、暫くオレが弟役でガードしてたんだよ」
が、ラチがあかない。それで美国に相談し、お母さんの劇団の中でガタイのいい兄さんと強面の兄さんに頼んで彼女が付き合っている男とその兄貴の役をしてもらい、ストーカー男に『オレの女に手を出すな』『オレの弟の女に妙な真似するな』って一回恫喝してもらったらあっさり解決したそうだ。
噂にあった怪しげな人物と歩いていたというのは、もしかしてその劇団員だったのではないだろうか。
「あの、その劇団って、雑居ビルの中に」
「ああ、繁華街の古いビルの中に稽古場を借りてんだ」
僕が男にキスされた時に旭と美国が出てきたあのビルがそうだった。
「今も瑞穂と会っているのは、ストーカー野郎が本当にあきらめたか様子を見に行ってるだけで、お前が想像する間柄じゃねえよ。金曜日の夜も会ったのは叔父さんの店で、瑞穂がコーヒー飲んで帰るのを送って行った後、オレは叔父さんの家に泊まったんだよ」
瞬の叔父の家は店のすぐ裏にあり、よく遊びに行っては泊まるそうだ。
「オレの両親、オレが中一の時に離婚して、お袋は四つ下の弟連れて出てったんだ。親父は長距離トラックの運転手をしてるから、あんまり家にいなくて」
代わりに色々面倒を見てくれているのが子供のいない叔父夫婦で、瞬は遊びに行ったとき店が忙しければ手伝うのだそうだ。店でバイトしているのではなく、店が酒を出すというのも誤解で隣が酒屋だから噂が変形して流れたのだろうと言う。僕は事実を確かめもしなかった自分を大いに恥じた。
「叔父さん家に泊まって、朝、飼ってる犬を散歩に連れてったら、美国の自転車を見つけて、相当焦った。電話かけても出ないし、事故か、まさか誘拐されたんじゃ、なんて悪い想像ばっかして」
ようやく連絡がついて家へ行ってみれば僕がいて家に泊まったと聞けば、それは旭のことは別にしても僕を殴りたくなるだろう。
「じゃあ、何でその瑞穂さんと付き合ってるなんて嘘を」
「オレは年上の女が好みで、実際に付き合ってるってふうに見せれば、美国は自分がオレの恋愛対象だって思わないで安心できるだろ。だからだよ」
恋をした相手には触れたい、抱きしめたいと当然思う。しかし今の美国はその行為に恐怖と嫌悪感をいだく。美国には触れられない。触れれば壊れてしまう。だから側にいるためには兄貴のような存在でいるしかない。
「オレは美国が好きだけどさ……美国は広海が好きなんだ、多分」
言葉をなくした僕から瞬は視線を逸らした。
「広海はさ、自分は病気のせいで元気がなくて他の同年の男子よりギラギラしたところが少ないから、それに安心する気持ちを恋と勘違いしてるだけだって言うんだけど」
美国が真実広海をどう思っているかは知らない。が、多分、広海は瞬の美国に対する真剣な思いに気づいている。
それにしても彼は何て苦しい恋をしているのだろう。
思わず顔を覆って俯いた僕の足を瞬は軽く蹴った。
「ばーか、変な同情すんなよ。オレよりお前の方が大変なくせに。世の中理解のある奴ばかりじゃないし、相手は遠くに住んでてあんまり会えないんだって? それなのに、お前頑張ってるよな」
誤解である僕の架空の恋愛に、瞬はままならない自分の恋を重ねて見ているようだった。
「オレなんて、グズグズ悩んでばっかでさ。全然気持ちの整理がつかねえんだよ」
瞬の愚痴に、僕は天啓のように閃く物があった。
「……そう、整理整頓ですよ」
僕は思わず立ち上がった。
「な、何だよ、突然」
目を丸くした瞬に、僕はやや興奮気味に告げた。
「美国の部屋を掃除するんです。健全な精神は、まず身の回りの整理整頓から。これ、人類の常識です」
と、整理整頓の指南本の売り文句にあった気がする。
「何か分かんねえけど、まあ美国のために良いって言うんならオレも協力する」
誰にでもできて、意外とできないのが、部屋の掃除と模様替えだ。
昨日の自分とは違う環境に身を置いて、何かを変える切っ掛けにしてほしい。
そう願って、僕は作戦を決行することにした。
翌日、学校で旭の口から美国に部屋の掃除と模様替えを提案してもらった。昨日の夜電話で旭に相談すると、とても乗り気で賛成してくれたのだが、
「いや、良いよ。私、別に困ってないから」
当の本人に拒否された。
「見た目は悪いかも知れないけど、あれはあれで、自分ではどこに何があるか把握してるから」
それ、片付けない人間の常套句です。
旭の説得に応じない美国に、僕は笑いかけた。
「美国は僕に借りがありますよね」
美国はわずかに身を引きながら頷いた。
「じゃあ、それを返してください。部屋の掃除をさせるということで」
「お、横暴だ。闇金でもそんな高い利子で取り立てない」
三人で言い合っているとシノ様とアラレちゃんが寄ってきた。
「なになに、美国が珍しく活発だねえ」
「どっちに味方したら面白い議論になるかな」
完全に野次馬根性の二人だったが、旭の話を聞いて僕の陣営に加わった。
「いいじゃない。部屋の模様替えなんて楽しそう。あたしも手伝うよお」
「私も行く。本を床に山積みしてるって? そんなの本に対する冒涜だよ。絶対正す」
美国の部屋にはあの本の量を収納できるような本棚はない。それを言うと、シノ様が激怒した。
「何で本棚もないのに本を買うんだ。窓もないのにカーテン買うのと同じだろう」
いや、シノ様、その例え分かるようで分かりません。
結局多勢に無勢で、美国はみんなに押し切られて部屋の掃除と模様替えをするのに同意した。
まず下見に女子だけで美国の家を訪ねることになった。みんなで教室を出たところに、瞬と前田君が走ってきた。
「美国、お前のイベント、俺も参加するからな」
瞬が上機嫌で手をヒラヒラ振る横で、前田君も楽しげだった。
「今日、部活の帰りに寄るから、部屋を見せてくれ」
「駄目だよう。今日は男子禁制なのだ」
アラレちゃんが笑って、頭上で腕を交差させバツ印を作ると、前田君は苦笑した。
「ちょっと寸法を測るだけだ。本棚を作るから」
上野君の家は農家で、以前納屋を改築したときの木材が結構残っているのだそうだ。その上彼はDIYが趣味で、自分の部屋の本棚も自作だという。
「作る場所もあるし、瞬も手伝うと言ってくれてる。俺の家には軽トラがあるから、できたら親父に頼んで運んでもらうよ」
本棚と聞いてシノ様が目を輝かせ、美国を差し置いて頷いた。
「是非頼む! うん、君、いい男だな! ……で、誰なんだ、君たち」
そういえばクラスの違う瞬たちとシノ様たちは話したことがなかった。名前も知らない初対面にもかかわらず、美国の部屋の模様替えを楽しむという共通項であっさり友達になった四人は、もう本棚の形や色で盛り上がっていた。
美国はあきらめたようにため息をついたが、その後ほんのり微笑んだのを僕は見ていた。
シノ様とアラレちゃんの参戦は僕の嬉しい誤算だった。
元々旭と瞬と前田君は戦力に数えていたが、女子二人の参加は模様替えにおいてその効果を発揮した。
初日、床積みになっている本を見てシノ様は相当にお怒りだったそうだが、すぐに分類をし始め、雑誌類も取っておく物と捨てる物に分けさせた。その間に旭とアラレちゃんが間取りを見て、家具の配置替えを相談して何パターンか図面を描き、その中から美国に一番気に入った配置図を選ばせ、後で来た上野君に見せて本棚の位置を決めた。
旭たちが帰った後帰宅した美国のお母さんに、美国が部屋の模様替えを相談すると喜んで賛成してくれたそうだ。「その子たち、物置の掃除と整理もついでにやってくれないかな」と冗談めかして言ったがあれは結構本気だったと美国が額を抑えたのは余談だ。
二日目、学校の帰りに百円ショップに寄って美国に様々な大きさのかごと透明なボックスを買わせたアラレちゃんは、美国の性格に合った片付け指南をしてくれた。
「あのねえ、片付けが苦手な人は、大ざっぱで片付けられるようにすればいいんだよお。書類は学校関係とその他、小物はよく使う物と、使わない物、ざっくり二つに分けるくらいでいいのだ。今、几帳面に分類しても、絶対後々面倒くさくなって嫌になるから、最初から手抜き路線で行くのだよ」
本棚は金曜日には仕上げて、土曜日の午前中の部活が終わった後で持ってくると前田君は約束してくれた。なので、午後までにはベッドと机を動かして掃除が完了していなければならない。瞬は土曜日の午前中どうしても外せない約束があり、僕と旭たち女の子で何とかするしかないと思っていると、意外な援軍が来た。
「あの、土曜日に吉沢さんの家の家具を動かすのに人手がいるって聞いたんだけど」
同じクラスの矢島君が、良ければ手伝うと申し出てくれたのだ。
「今度の土曜日、バレー部が練習試合するから体育館使えなくて、部活休みだから」
美国に話すと驚きはしたものの、旭に促されて矢島君に頭を下げて頼み、矢島君を慌てさせた。
矢島君に手伝いの話を持ちかけてくれたのは旭だった。
「矢島君、美国が倒れた時のこと、ずっと気にしてたみたいなの」
矢島君はクラス一身長が高い。バスケ部で鍛えているから体格も良い。それは彼の誇りでもあるが、反面ささやかなコンプレックスの元でもあった。彼は少々気が弱い。僕に言わせれば気が優しいのだが、運動部においては欠点と取られる。中学時代好きで入ったバスケ部でも「身体がでかいんだからもっと強気でいけ」と散々言われ、この高校でも「もう少し気概を持て」と言われている。だから何とか見た目だけでも強気に見せようと努力中だったところへ、声をかけただけで美国が倒れた。自分の大きな身体はバスケットコートの中では今ひとつ役に立たないのに、日常生活では他人に恐れられる。どうすれば良いのか悩んでいたようだ。
「だからその力強い身体を生かして手伝いをしてあげれば印象も良くなって、美国に怖がられなくなるんじゃないかなって」
さすが社交上手。そして中々の策士だ。
人手がそろったことで安心した僕は、美国の部屋の掃除に専念した。自分の家にあった掃除道具を持ち込んで、掃除できるところからきれいにしていった。単に部屋の掃除をするのではなく、美国の心にへばりつく悪しきものを取り除く気持ちで作業した。
元はみんなと変わらない無垢な心を不届き者によって汚されてしまった。できるなら、自分の原稿を見てもらえると弾む気持ちで小学校の資料室へ向かった時の美国の心の輝きを取り戻したかった。
それは無理だと分かっている。けれど部屋を整理し模様替えをすれば、美国も気持ちを整理して新たにこれからの自分の生き方を模索してくれるような気がしたのだ。
環境を変えれば気持ちも変わる。気持ちが変われば性格も変わる。性格が変われば人生も変わる。そんなに甘くないかも知れないが、美国が心から笑える日に向かっての道を僕は作りたかった。
「瞬と大樹には偽装がバレて怒られたけど、他のみんなには訂正しないから」
これからもよろしく、と笑顔で言われ、内心ホッとした。実は広海たちにバレたら意味がないので、契約を解除しようと言われるのではないかと思っていたのだ。解除されたら僕のようなたいして面白みのない人間とはあっという間に疎遠になるだろうと憂鬱な気分でいたのだが、今まで通りでいいと分かって安堵した。
美国の方を見ると珍しく視線が合い、美国は微かに会釈してから視線をそらせた。
旭もそれ以上金曜日の夜のことは口にせず、僕も話題にはしなかった。僕と美国の距離は表向き全く変わらなかった。
放課後、僕は前田君からの伝言で支倉君に呼び出されて近くの公園へ行った。
支倉君は先に来ていて奥の隅にあるベンチに座っていたが、歩み寄った僕を見るなり立ち上がって深く頭を下げた。
「悪かった。殴ったりしてすまなかった」
詫びに自分を殴ってくれと言われたが、僕はお断りした。言い訳も聞いてくれず殴られたことは確かに腹が立ったが、それだけ美国や旭を大事に思っている証拠で、広海の話を聞いた後ではとても怒る気になれなかった。
支倉君に指し示されて僕がベンチに座ると、支倉君は項垂れたように俯いた。
「全部美国に聞いた。本当に悪かったよ。だって、まさかなあ」
支倉君はちらりと僕に視線を向け、また逸らせた。
「あの、俺は旭みたいにハッキリ偏見はないって言えねえけど、別に言いふらしたりしないし、特別視したりしないようにするし、その、普通に、友達付き合いはできるから。それに旭や美国に妙なことはしねえ奴だって安心した」
ああ、そうか。美国から話を聞いたのだから、支倉君は僕を同性愛者だと誤解するのは当然だ。でも、そのおかげで僕は美国と旭に無害な人間と思われている。
喜んで良いのか悪いのか、複雑な気分でいると、支倉君はため息をついた。
「お前、すごい奴だなあ。美国が吐いて過呼吸起こしたの、助けたんだろ? 感心した。オレ、初めてあれ見た時、ビビって何にもできなかったから」
「僕だって恐かったですよ。でも僕しかいないから、必死でした」
「お前が慌てて救急車呼んでたら、色々まずいことになってた。ホント、サンキューな。お前、案外看護師に向いてんじゃねえの?」
「支倉君だって」
言いかけた僕に、支倉君は「瞬でいい」と笑った。
「じゃあ、僕も優人でいいです。瞬、も結構世話好きじゃないですか。美国に対してなんてお兄さんみたいでした」
「お前から見ても兄貴みたいに見えるんなら、今のところオレの努力は報われてるな」
怪訝な顔をした僕に、瞬は少し寂しげな表情を見せた。
「……オレ、美国が好きなんだよ。マジで」
僕は目を見開いた。この数日は僕の平凡な人生において驚きを凝縮したような日々だったので、さすがにもう暫くショックな出来事はないだろうと思っていたのに、まだ驚かされるとは。神様、僕が何かしましたか。まあ、閻魔様にはセクハラしましたが。
「え、え、でも、瞬、付き合ってる人がいるって……年上の女性だって、美国が」
「ああ、瑞穂のことだ。瑞穂は叔父がやってる喫茶店の常連客で、半年くらい前から顔見知りの男にストーカーまがいなことされてて、一人暮らしだから恐いって叔父に相談しているのを聞いて、暫くオレが弟役でガードしてたんだよ」
が、ラチがあかない。それで美国に相談し、お母さんの劇団の中でガタイのいい兄さんと強面の兄さんに頼んで彼女が付き合っている男とその兄貴の役をしてもらい、ストーカー男に『オレの女に手を出すな』『オレの弟の女に妙な真似するな』って一回恫喝してもらったらあっさり解決したそうだ。
噂にあった怪しげな人物と歩いていたというのは、もしかしてその劇団員だったのではないだろうか。
「あの、その劇団って、雑居ビルの中に」
「ああ、繁華街の古いビルの中に稽古場を借りてんだ」
僕が男にキスされた時に旭と美国が出てきたあのビルがそうだった。
「今も瑞穂と会っているのは、ストーカー野郎が本当にあきらめたか様子を見に行ってるだけで、お前が想像する間柄じゃねえよ。金曜日の夜も会ったのは叔父さんの店で、瑞穂がコーヒー飲んで帰るのを送って行った後、オレは叔父さんの家に泊まったんだよ」
瞬の叔父の家は店のすぐ裏にあり、よく遊びに行っては泊まるそうだ。
「オレの両親、オレが中一の時に離婚して、お袋は四つ下の弟連れて出てったんだ。親父は長距離トラックの運転手をしてるから、あんまり家にいなくて」
代わりに色々面倒を見てくれているのが子供のいない叔父夫婦で、瞬は遊びに行ったとき店が忙しければ手伝うのだそうだ。店でバイトしているのではなく、店が酒を出すというのも誤解で隣が酒屋だから噂が変形して流れたのだろうと言う。僕は事実を確かめもしなかった自分を大いに恥じた。
「叔父さん家に泊まって、朝、飼ってる犬を散歩に連れてったら、美国の自転車を見つけて、相当焦った。電話かけても出ないし、事故か、まさか誘拐されたんじゃ、なんて悪い想像ばっかして」
ようやく連絡がついて家へ行ってみれば僕がいて家に泊まったと聞けば、それは旭のことは別にしても僕を殴りたくなるだろう。
「じゃあ、何でその瑞穂さんと付き合ってるなんて嘘を」
「オレは年上の女が好みで、実際に付き合ってるってふうに見せれば、美国は自分がオレの恋愛対象だって思わないで安心できるだろ。だからだよ」
恋をした相手には触れたい、抱きしめたいと当然思う。しかし今の美国はその行為に恐怖と嫌悪感をいだく。美国には触れられない。触れれば壊れてしまう。だから側にいるためには兄貴のような存在でいるしかない。
「オレは美国が好きだけどさ……美国は広海が好きなんだ、多分」
言葉をなくした僕から瞬は視線を逸らした。
「広海はさ、自分は病気のせいで元気がなくて他の同年の男子よりギラギラしたところが少ないから、それに安心する気持ちを恋と勘違いしてるだけだって言うんだけど」
美国が真実広海をどう思っているかは知らない。が、多分、広海は瞬の美国に対する真剣な思いに気づいている。
それにしても彼は何て苦しい恋をしているのだろう。
思わず顔を覆って俯いた僕の足を瞬は軽く蹴った。
「ばーか、変な同情すんなよ。オレよりお前の方が大変なくせに。世の中理解のある奴ばかりじゃないし、相手は遠くに住んでてあんまり会えないんだって? それなのに、お前頑張ってるよな」
誤解である僕の架空の恋愛に、瞬はままならない自分の恋を重ねて見ているようだった。
「オレなんて、グズグズ悩んでばっかでさ。全然気持ちの整理がつかねえんだよ」
瞬の愚痴に、僕は天啓のように閃く物があった。
「……そう、整理整頓ですよ」
僕は思わず立ち上がった。
「な、何だよ、突然」
目を丸くした瞬に、僕はやや興奮気味に告げた。
「美国の部屋を掃除するんです。健全な精神は、まず身の回りの整理整頓から。これ、人類の常識です」
と、整理整頓の指南本の売り文句にあった気がする。
「何か分かんねえけど、まあ美国のために良いって言うんならオレも協力する」
誰にでもできて、意外とできないのが、部屋の掃除と模様替えだ。
昨日の自分とは違う環境に身を置いて、何かを変える切っ掛けにしてほしい。
そう願って、僕は作戦を決行することにした。
翌日、学校で旭の口から美国に部屋の掃除と模様替えを提案してもらった。昨日の夜電話で旭に相談すると、とても乗り気で賛成してくれたのだが、
「いや、良いよ。私、別に困ってないから」
当の本人に拒否された。
「見た目は悪いかも知れないけど、あれはあれで、自分ではどこに何があるか把握してるから」
それ、片付けない人間の常套句です。
旭の説得に応じない美国に、僕は笑いかけた。
「美国は僕に借りがありますよね」
美国はわずかに身を引きながら頷いた。
「じゃあ、それを返してください。部屋の掃除をさせるということで」
「お、横暴だ。闇金でもそんな高い利子で取り立てない」
三人で言い合っているとシノ様とアラレちゃんが寄ってきた。
「なになに、美国が珍しく活発だねえ」
「どっちに味方したら面白い議論になるかな」
完全に野次馬根性の二人だったが、旭の話を聞いて僕の陣営に加わった。
「いいじゃない。部屋の模様替えなんて楽しそう。あたしも手伝うよお」
「私も行く。本を床に山積みしてるって? そんなの本に対する冒涜だよ。絶対正す」
美国の部屋にはあの本の量を収納できるような本棚はない。それを言うと、シノ様が激怒した。
「何で本棚もないのに本を買うんだ。窓もないのにカーテン買うのと同じだろう」
いや、シノ様、その例え分かるようで分かりません。
結局多勢に無勢で、美国はみんなに押し切られて部屋の掃除と模様替えをするのに同意した。
まず下見に女子だけで美国の家を訪ねることになった。みんなで教室を出たところに、瞬と前田君が走ってきた。
「美国、お前のイベント、俺も参加するからな」
瞬が上機嫌で手をヒラヒラ振る横で、前田君も楽しげだった。
「今日、部活の帰りに寄るから、部屋を見せてくれ」
「駄目だよう。今日は男子禁制なのだ」
アラレちゃんが笑って、頭上で腕を交差させバツ印を作ると、前田君は苦笑した。
「ちょっと寸法を測るだけだ。本棚を作るから」
上野君の家は農家で、以前納屋を改築したときの木材が結構残っているのだそうだ。その上彼はDIYが趣味で、自分の部屋の本棚も自作だという。
「作る場所もあるし、瞬も手伝うと言ってくれてる。俺の家には軽トラがあるから、できたら親父に頼んで運んでもらうよ」
本棚と聞いてシノ様が目を輝かせ、美国を差し置いて頷いた。
「是非頼む! うん、君、いい男だな! ……で、誰なんだ、君たち」
そういえばクラスの違う瞬たちとシノ様たちは話したことがなかった。名前も知らない初対面にもかかわらず、美国の部屋の模様替えを楽しむという共通項であっさり友達になった四人は、もう本棚の形や色で盛り上がっていた。
美国はあきらめたようにため息をついたが、その後ほんのり微笑んだのを僕は見ていた。
シノ様とアラレちゃんの参戦は僕の嬉しい誤算だった。
元々旭と瞬と前田君は戦力に数えていたが、女子二人の参加は模様替えにおいてその効果を発揮した。
初日、床積みになっている本を見てシノ様は相当にお怒りだったそうだが、すぐに分類をし始め、雑誌類も取っておく物と捨てる物に分けさせた。その間に旭とアラレちゃんが間取りを見て、家具の配置替えを相談して何パターンか図面を描き、その中から美国に一番気に入った配置図を選ばせ、後で来た上野君に見せて本棚の位置を決めた。
旭たちが帰った後帰宅した美国のお母さんに、美国が部屋の模様替えを相談すると喜んで賛成してくれたそうだ。「その子たち、物置の掃除と整理もついでにやってくれないかな」と冗談めかして言ったがあれは結構本気だったと美国が額を抑えたのは余談だ。
二日目、学校の帰りに百円ショップに寄って美国に様々な大きさのかごと透明なボックスを買わせたアラレちゃんは、美国の性格に合った片付け指南をしてくれた。
「あのねえ、片付けが苦手な人は、大ざっぱで片付けられるようにすればいいんだよお。書類は学校関係とその他、小物はよく使う物と、使わない物、ざっくり二つに分けるくらいでいいのだ。今、几帳面に分類しても、絶対後々面倒くさくなって嫌になるから、最初から手抜き路線で行くのだよ」
本棚は金曜日には仕上げて、土曜日の午前中の部活が終わった後で持ってくると前田君は約束してくれた。なので、午後までにはベッドと机を動かして掃除が完了していなければならない。瞬は土曜日の午前中どうしても外せない約束があり、僕と旭たち女の子で何とかするしかないと思っていると、意外な援軍が来た。
「あの、土曜日に吉沢さんの家の家具を動かすのに人手がいるって聞いたんだけど」
同じクラスの矢島君が、良ければ手伝うと申し出てくれたのだ。
「今度の土曜日、バレー部が練習試合するから体育館使えなくて、部活休みだから」
美国に話すと驚きはしたものの、旭に促されて矢島君に頭を下げて頼み、矢島君を慌てさせた。
矢島君に手伝いの話を持ちかけてくれたのは旭だった。
「矢島君、美国が倒れた時のこと、ずっと気にしてたみたいなの」
矢島君はクラス一身長が高い。バスケ部で鍛えているから体格も良い。それは彼の誇りでもあるが、反面ささやかなコンプレックスの元でもあった。彼は少々気が弱い。僕に言わせれば気が優しいのだが、運動部においては欠点と取られる。中学時代好きで入ったバスケ部でも「身体がでかいんだからもっと強気でいけ」と散々言われ、この高校でも「もう少し気概を持て」と言われている。だから何とか見た目だけでも強気に見せようと努力中だったところへ、声をかけただけで美国が倒れた。自分の大きな身体はバスケットコートの中では今ひとつ役に立たないのに、日常生活では他人に恐れられる。どうすれば良いのか悩んでいたようだ。
「だからその力強い身体を生かして手伝いをしてあげれば印象も良くなって、美国に怖がられなくなるんじゃないかなって」
さすが社交上手。そして中々の策士だ。
人手がそろったことで安心した僕は、美国の部屋の掃除に専念した。自分の家にあった掃除道具を持ち込んで、掃除できるところからきれいにしていった。単に部屋の掃除をするのではなく、美国の心にへばりつく悪しきものを取り除く気持ちで作業した。
元はみんなと変わらない無垢な心を不届き者によって汚されてしまった。できるなら、自分の原稿を見てもらえると弾む気持ちで小学校の資料室へ向かった時の美国の心の輝きを取り戻したかった。
それは無理だと分かっている。けれど部屋を整理し模様替えをすれば、美国も気持ちを整理して新たにこれからの自分の生き方を模索してくれるような気がしたのだ。
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