晴れて恋人になった日の、翌日。

篠宮 楓

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晴れて恋人になった日の、翌日。

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 背中。
 ていうか、背中。
 とにかく、背中。
 要するに、背中のみ。


 むぅっ。



「たかちゃんてば!」

 背中しか見せてくれない恋人であるはずの目の前の男の頭にむけて、思いっきり枕を投げつけてみる。

「うぁっ」

 うん。叫び声の他にすごい音がたかちゃんの額と机の間から流れたけど、そこはするーしておこう。

 「ねぇ、たかちゃんっ。可愛い可愛い年下の彼女がお部屋に来てあげてるっていうのに、なんでずーっと背中を見てなきゃなんないの? おかしいよね、おかしいと思わない? 田中さん」

 腕の中の田中さんに問いかければ、鋭くたかちゃんの否定発言が飛んでくる。

「勝手に名前付けんじゃねーよ、沙紀。それは田中さんじゃなくて、ねこだ」
 私の膝に乗っているたかちゃんのペット……というか、たかちゃんの兄であるよしくんが押し付けた猫を指さしながら間違いを指摘した。
 ていうか。
「猫にねこって名前付けるの間違ってると思う。じゃぁ、犬はいぬ? 人はヒト?」
「うるせぇな。ねこに田中さんとかつける沙紀の方が間違ってんだろ」
「えー、ねこより田中さんの方がいいよねぇ? 田中 蔵之介くん」
 田中さんと目を合わせてそう聞けば、イヤイヤをするように両手両足をうにうにする姿が何とも愛らしい。
 愛い奴じゃ。

「いや、ねこにフルネームとかおかしいだろ。しかも、蔵之介ってお前の好きな俳優の名前借りただけじゃねーか」
「大石内蔵助も好きだけど」
「そこは、どーでもいいよ」

 ぶはぁ。
 たかちゃんの、大きなため息。
 しかしてそれさえも、私の方ではなく目の前の机に吐き出されるだけ。


「顔が見れないなら、せめてたかちゃんの溜息くらい吸い込みたい」
「変態発言してる女、彼女と認めたくない。出口に向かって歩き出せ」


 ひらひらと追い出す様に振られる手。
 筋張った大きな掌を見ていると、どうしてもうずうずしてきてしまう。うすっぺらい体躯のたかちゃんだけど、その大きな手は好き。
 ちっちゃい頃から、その手をずっと握ってきた。



 座っていたベッドから勢いよく降りると、すり寄る様にその掌に近づく。
「おい、そこから先動くなよ。動いたら、問答無用でたたき出すからな」
 あと数歩でたかちゃんに辿り着くという所で、冷たい声で制されてしまった。
「えー、そんな殺生なぁ」
 力の抜けた声でぼやけば、いちいち昭和っぽいとぼやき返される。
 たかちゃんの方が年上なんですけどぉ。
 そんなことを考えながら、仕方なく田中さんとベッドの上に戻った。

「大体さ。昨日やっと想いが通じあった高校生二人がだよ? 彼氏の部屋で一緒にいるのに、片一方がずぅっと勉強してるとか絶対ありえないよね。ここは、あっはんうっふん的な展開になるはずじゃないの? テンプレだよね? ねぇ、田中さん」
 田中さんと目線を合わせながら相談すれば、彼の首がうにっと傾げる。
 愛いのぅ。
「だから田中さん呼ぶな! 誰かいるみたいで、落ち着かん!」
「えー、ヤダー。誰かって、ダレー?」
「……お前と付き合うの、なんか人生早まった気がする」

 まぁ、それは再び華麗にするーしませう。

「それにさ。さっきからおかしいって、ずーっと思ってるんだけど」
 田中さんから視線を外して膝の上に抱き込むと、たかちゃんの見飽きてきた後姿にそれを目を移す。
 心なしか、ぎっくんちょ、みたいな擬音が見えるのは気のせいかしら。もしくは第六感?
「なんでたかちゃん、部屋の中で帽子被ってるの?」
 そうなのだ。
 なぜかたかちゃんは、私が来た時にはすでに帽子を被って勉強机に向かっていた。
 ドアのある壁とは反対側の窓の下に机、ドアの横に今私が座っているベッドがあるから、ほんっとうに今日はたかちゃんの顔を見ていない。
  横顔さえも。

「なによー。昨日の私の言葉、気にしてるわけー?」
 あぁ、やっぱりぎっくんちょ、って擬音が見えるよママンッ!
「別に、お前のいう事なんて気にしな……」
「だよねーっ」
 あっさりと、たかちゃんの言葉を遮って大きく息を吐き出す。
「告白するなら素直が一番って、よしくんが言ってたんだもーん」
「義正の野郎……」
「ダメだよー、お兄ちゃん悪く言っちゃぁ」
「弟を貶めるのを兄と呼ぶなら、俺は義正と縁を切る」
「えー。たかちゃんと結婚したら、よしくんの妹になれると思ったのにぃ」
「それを考える前に、俺に捨てられない努力をしろ」


 ぽんぽんと交わしていた会話に、不穏な空気が流れて一瞬押し黙る。


「何言ってんのー。たかちゃんこそ、私に見捨てられない努力しないとー」
「……不思議だな。”見”が入るか否かで、いらつき度が格段に増す」
「大体さぁ。たかちゃんてば、もっさり髪型ビン底眼鏡のイマドキいないガリ勉くんなのにさー。こんなに可愛い彼女とかできちゃって、めちゃ嬉しいくせに可愛くないぃー」
「脳味噌少ない可愛いだけの腐れ縁続きな隣人を、仕方ないから引き取ってやっただけだろ」
「可愛いは認めちゃうんだー。たかちゃんの方が可愛いーっ」
 田中さんごと背中に抱きつこうとしたら、後ろに伸ばされた大きな手に額を押さえられて叶わなかった。

 ぐいぐいと押し返されて、諦めて田中さんを抱きしめる。

「ねぇ田中さん。田中さん、私と浮気する?」
「……」

 さっきと違う方向に頭をうにっと傾げられて、むみゃあと鳴き声を上げた。
 可愛すぎるっっ!
 ぎゅうっと抱きしめれば、むぎゃーって叫んで私の腕から逃げてしまったけど。

「振られてやんの」
 全くこっちを見ないくせにちゃんと把握しているのか、意地の悪い声でくすくす笑っているのが大変むかつきます。
「でも、全然私の事相手にしてくれないたかちゃんより、田中さんの方が断然いい。もういいや、田中さんと遊んでくる。たかちゃん、静かに勉強してればー」

 カリカリとドアを引っ掻いてる田中さんを、両腕で抱き上げる。
 そうしてドアを開けたら。


「……よしくん、何してんの」


 たかちゃんのおにーちゃんであるよしくん……義正がまるでドアに縋り付いていたかのような体勢で目の前に立っていた。


 よしくんは一瞬視線を彷徨わせてから、中途半端な場所で浮かせていた手を後頭部に持っていった。
「ん? いやぁ、昨日から付き合い始めた可愛い幼馴染とくそ可愛い弟の様子を見守ろうと……」
「……ただの出歯ガメじゃねーか。どっかいけよ」
 たかちゃんの冷たい一言に、よしくんの口元が引きつる。けれどそれは一瞬にして引っ込んで、反対ににやりと笑みを作った。
「んじゃー、沙紀ちゃん。顔も見てくれない冷たい恋人は放っておいて、おにーちゃんと遊びに行こうか」

 ……そこから盗み聞きしてたんだ。


 そんなことを考えたけど、とりあえず今は黙っておこう。
 たかちゃんが怒ると、半端ないし。
「私、田中さん連れて公園行きたい」
「良いよ、公園ね。しっかし沙紀ちゃん可愛いよね。孝也と付き合ったの、早まったんじゃない?」
「あははー、よしくんが阿呆な事言ってる」


 幼い頃から私がたかちゃんの事好きなの、ずっと知ってたのに。やっと恋人になれて、凄く喜んでるの知ってるのに。

「俺だって沙紀ちゃんの事、好きだったのにさ。あっさり弟に持ってかれるとか、なんか悔しいし。まぁ、見ての通り孝也は勉強が一番好きだから掠め取る隙はあるかな?」
 そのまま、ふわりと私の肩に手を置いた。

 ホントに、よしくん。阿呆な事ばっか言ってる。昨日告白したのも、よしくんに背中押してもらえたからなのに。
 怪訝そうによしくんの顔を見上げれば……

「あれ?」

 そこにいたはずのよしくんの姿が、無かった。

「はれ?」

 その代りすぐ傍に立っていたのは。

「たかちゃん?」

「……なんで、疑問形だよ」

 だって。

 田中さんを片手に抱いたまま、空いている手を伸ばしてたかちゃんの顔に指先を寄せる。


「だって。トレードマークなビン底眼鏡が消滅してる」

 そう。
 昨日の夕方までそこにあったはずの、存在感抜群眼鏡が見当たらない。

「……うっ、うるせーなっ」

 ぷいっと背けたその顔は、一気に真っ赤っか。
「おぉぉ、たかちゃんが照れてる」
「照れてねーよ!」
「いや、照れてるから」
 いつの間に復活したのか、よしくんがたかちゃんの後ろに立った。

「よく見てて御覧?」

 徐に、たかちゃんが被っていた帽子をすぽっと取り上げた。

「え?」

「あ」

  一瞬の静寂。

「たかちゃんの髪が無い!!」

「無いわけねーだろ!」

 目の前見えてますかー? てくらい、長い前髪も、もっさりした髪の毛もすっかり短くなって。綺麗にさらさらしてる!

 私の視線から逃れるように慌ててよしくんから帽子を奪おうと手を伸ばすけど、うすっぺらい体躯のたかちゃんは身長はあるけど、よしくんはがっしりした体躯で身長がある。ゆえに、力負けするのである。

「あっはっはー、愛い奴じゃ愛い奴じゃ」
 帽子を高々と上げた手にひっかけて、空いた片手でたかちゃんの肩を押さえるよしくんは心底楽しそう。

「紀ちゃんに突っ込まれたところを勢いで直したのはいいけど、やったらやったで恥ずかしくて顔見られないとか、どこの中学生だよなぁ?」

 たかちゃんをあらわすなら。
 ビン底眼鏡にもっさり髪型。黒い詰襟、指定のバッグ。
 これみよがしなガリ勉姿だったというのに!

「た……、たかちゃん……」

 思わず名前を呼ぶと、二人が一斉にこっちを見る。
 恥ずかしそうな、見慣れない姿のたかちゃんと。
 一生懸命笑いを押さえている、よしくん。

「なんだよ」

 いつまでも話し出さない私に焦れたのか、ぶっきらぼうに言い捨てる。
 ……んだけど。
 その眼は、私の反応を懸命に伺っているもので。

 私は田中さんを腕からおろすと、目いっぱい反動をつけてたかちゃんに抱きついた。


「たかちゃん、可愛い!!」
「うわっ」

 私の勢いを受け止められずに、たかちゃんは後ろにしりもちをついた。
 私を上に乗っけたまま。


 ――ビン底眼鏡でも、もっさり髪型でも、私はたかちゃんの事が好きなんだ――


 昨日、そうたかちゃんに告白した。
 たかちゃんは、見た目は確かに……うん。凄く真面目くん。元々明るいよしくんが大学に入って垢抜けたのを見て、余計自分のスタイルにこだわった……のか意固地になったというのか。
 昔から、天真爛漫なよしくんの影になっちゃってたたかちゃん。

 でもね、ぶっきらぼうにやさしくて。
 不器用に思いやりがあって。
 見た目なんかどうでもいい。私はずっとたかちゃんが好きだったんだよって言いたくて。



 それを素直に伝えちゃったんだけど。今思えば結構ひどいこと言ってる気がする?


「たかちゃん、凄く格好いい! いつものたかちゃんも好きだったけど、凄くいい!」

 そう伝えれば、むすっとしていたたかちゃんが余計口をへの字に曲げるから。
 顔を真っ赤にして、照れを隠そうとするから。


「たかちゃん、大好きーっ!」

 そう叫んで、ぎゅうっと抱きついた。

 内心、ツンデレさいこーっ、と叫びながら。






「ねぇねぇ、田中さん。俺の存在って無視? 無かったもの状態?」
「むみゃー」



  少し離れた所でいじけていたよしくんは、二人して無視してみた。
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