君が見ていた空の向こう

篠宮 楓

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朽木の言葉で思い出したあの頃に、目を伏せて口を引き結んだ。
あの時、見ていたのは。朽木が見ていた俺が、空を見ていたのは。


「……ごめん、祐。やっぱり、言わなきゃよかった」
朽木は押し黙ってしまった俺のそばにしゃがみ込むと、悲しそうな顔をして俯いた。
「言わなきゃ、俺には伝わんなかったと思うけど。お前の気持ちとか」
「それでも」
俺の言葉尻に被せるように、朽木はかぶりを振った。
「祐にそんな顔させる方が、よっぽどしんどい」
暗い声は、朽木が心底落ち込んでいることを伝えてくる。少なくとも、2年近くそばにいた。だからわかる。嘘をついていないことだけは。
「……、大丈夫だから。続き、言え」
大丈夫じゃない。大丈夫ではない。
「大丈夫じゃないでしょう」
「いいから、ここまで来たら言え」
じゃなきゃ、次いつこんな話できるか分かんねーぞ。
そういう気持ちを視線に込めれば、朽木は迷いながらも口を開いた。

「少しして事情を知って。そうだったのかって思った。でも、もうその時には祐のことが好きだった。事情に同情して好きになったんじゃなく、知った時にはもう好きだった。無性に自分の腕の中に閉じ込めておきたかった」

俺が言うだろう言葉を、先回りして否定する。
同情で好きになったんじゃない、もうその時には好きだったと。

「俺の気持ちを、同情なんて言葉で否定しないで。同情で、キスなんてしない。同情なんかで、全部を手に入れたいなんて思わない」

それは、祐に失礼でしょう? 
そう、言外に伝わってくる。


傍から見れば、朽木の行動は同情以外何物でもなかっただろう。
もしかしたら今も、そういう目で見ている奴らもいるかもしれない。




静かな、空気が流れる。
このアパートの近くは田舎というほど何もないわけじゃないけれど、とても静かで。
このアパート自体も全室埋まっているわけじゃない上に、社会人が多いから、今、ほとんどではらっている時間帯だと思う。

だから。
静かなこの空気が。
家族が住んでいた療養先の家を思い出して。
家族が生きていた頃の事を思い出して。

無性に、触れたくなった。


一人置いて行かれたことに、自分という人間が不安定だったあの頃。
帰る場所がない、確たる居場所がないという不安は、生きることさえ曖昧にする。
カタチのないものを信じるには、おとぎ話と言われてもいい、明確に家族がいる場所を意識していたかった。そうすることで、現状を維持するだけの毎日を送っていた。

空の向こうに、家族はいる。いるから、大丈夫。
なにが、なんて自分でもわからない。
でもそれだけが、あの時の自分を支えていた感情だった。


それが、いつの間にか意識して空を見ることがなくなっていた-


それは。
それは、きっと。


ゆっくりと、手を伸ばす。
ゆっくりと、傍にしゃがみ込んだままの朽木の腕に。


「俺は」

加倉井が言っていたことが、脳裏を掠める。


-もし朽木先輩の事を少しでも気にかけているなら、今思ってる事を全部伝えてしまえばいいと思います


「男を好きになったことはない」

「……うん」

それが、俺の中の大前提。

「お前の事も、好きかどうかはよくわからない」

「うん」 

明確に、好きだといえる程の感情はない。

「はっきり言って、男とか女とかそんなの関係なくお前はウザかった。てか、今もウザい」
「祐、何気に酷い」
「いや事実だし」

さっくりと言い切れば、情けない顔をした朽木の肩ががっくりと沈んだ。

「でも、そのウザさに、助けられてきたような気もする。今思えば」
当時はひたすらウザかったけど。
でもだからこそ、日常生活を普通に過ごせるくらいに支えられていたのかもしれない。
なんか認めたくない気がするけどだがしかし。


それに、ここ数日のこと。
多分他の奴の事なら、さっさとケリを付けに行ったはずだ。加倉井みたいに。
それができなかったという事は、きっと、俺の中で朽木が他の奴らとは違うってことだと思う。それだけは、嫌っていうほど分かったし。

「さっき、正門のとこで」

突然話の方向が変わったことに、朽木が首を傾げる。

「お前が女に話しかけられてたの見て」
「うわ、見てたのアレ」
「お前が振り向いた時、俺いただろうが」

あのタイミングで見てないとか言ったら、それは嘘だろ。

「まぁ、その姿を見て」
「うん」

何となく、続きを言いたくないような気がするけど、でも。
ここ数日の辛さに比べたら、この恥ずかしさは耐えられる気がする。


「なんかむかついた」

「は?」

ぽかんと口を開けた朽木に、視線を向ける。


「女に話しかけられてるのを見て、すげぇむかついたしもやもやした。でもまったく無表情で女をあしらったお前が俺を見つけて、駆け寄ってくるにほっとした」

「祐、それって」

「いやまて、最後までしゃべらせろ」
話始めようとした朽木の口を、片手でふさぐ。
「だから。何度も言うけど、お前の事を好きかどうかはよくわからない」
「……」

分からない、本当にわからない。
でも。

「お前が俺から離れるのは、嫌だと思う」

顔が赤くなっていくのが、自分でもわかる。

「それが、そういう事なら、そういう事なんだって思う」

ぶふっ

俺が言いきった途端、朽木が盛大に噴出した。
「なっ、なんだよっ!」
「ちょ、そこまで言っといて言葉にしないとかどんなお預けなの」
「うるせぇな! 今の無し!! 忘れろふざけんなちくしょう!」
笑いが止まらないまま、朽木が喚きだした俺の体を両腕で抱きしめた。
「忘れるわけないよね。絶対忘れないし、脳内で繰り返すし」
「やめろ阿呆!」

朽木を押しのけようと上げた腕は、奴が自分の腕に力を込めたことで止められた。

「俺も祐の傍にいたい。あの時祐が見てた空にもどこにも、勝手に行かないように」

-祐が会いたい家族がいるだろう、空の向こうにも行かせない。
朽木の掠れた声が、耳元を擽る。


「俺の傍で、俺と一緒にいて」


-……幸せに

父親の最期の言葉が、耳元で蘇った。
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