31日目に君の手を。

篠宮 楓

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31日目 原田視点

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「私もね、ななしくんの名前、知りたかったの」

「……は?」

 嬉しそうに声を上げるアオに、原田は思わず問い返した。けれどアオは意に反さない様に、言葉を続ける。
「ななしくんの名前、知りたかったの。ななしくんから、聞きたかったんだよ」

 俺の名前を、聞きたかった?

 思わず真っ白になりかけた意識を引き戻して、アオを見下ろした。

 えっと、ここ喜ぶとこ?
 俺の名前知りたかったとか、何言ってんのこの子。
 最初名前言おうとしたら、ななしで通したのあんただろ。
 何故今頃。
 おぉ、四文字熟語のようだ。
 って、脳内現実逃避してても仕方ないんだけど。

「あのね」

 無言で脳内突込みをかましていた原田は、微かな振動で意識を引き戻された。

 くっ……と引っ張られたのは、原田のシャツ。
 惰性の様に一・二歩足を動かせば、アオはシャツを握っていた手をといた。
 そして絵が展示してある布の一番端を捲ると、出てきたのは黒板。教室の一番奥が、ちょうど教壇のある場所だったらしい。上下昇降の黒板が、そこにあった。

 よく分からないこの状況を把握しようと黙りこくっている原田をおいて、アオは、あのね……ともう一度呟く。

「私の名前ね」

 そしてその成人女性にしては小さ目の手にチョークを握ると、かりかりと黒板に書きつけた。
 ネームプレートに書いてある同じ苗字。
 けれど。


 ――高坂 藍生


 そう書いて、手を止めた。

「こうさか あおい。本当はこう書くんだよ」
 絵の下にあるネームプレートに書かれているのは、高坂あおい。
 けれど、アオが書いたのは漢字の名前で。多分、初見では読める人が少ないかもしれない名前。

 ”藍と生まれる”で、あおい。


「要さんがつけてくれた、本当の名前なんだ」
 アオはチョークを握ったまま、自分で書いた字を見つめた。
「だけど両親は平仮名の方がいいからって、”あおい”にしたらしいんだけど、私はずっと漢字で書く名前の方が好きだったの」
 そう言うアオの目は、とても穏やかで。
「でも……いろんなことがあって、その名前が重くなってね。それまで大好きだった絵……色が、全く感じられなくなったの。だから要さんちにいる時は、自分を真っ向から否定してたんだ」
 原田は何も言わず、ただアオの言葉を聞いていた。静まり返った教室の中、ただアオの言葉だけがのんびりと流れる。

「青は藍より出でて藍よりも青し……。高校生になってよく要さんに言われたの、お前は青を生み出す藍なのか、それとも藍から生み出された青なのか。どっちだいって」
 原田の脳裏に、昨日会った要の姿が思い浮かぶ。
 自分も聞かれた問いは、原田の中で答えはまだ出ていない。
「私ね、ずっと答えてた。私は青だよって」
 生み出す藍じゃなくて、藍から生まれた青の方。
 そう呟いて、くすりと笑った。
「生意気だったの。生意気だったのよ、自分は聖ちゃんに認められた人間なんだからって」

 今まで話してもらえなかった過去をアオの口から聞けて怒りが収まってきていた原田は、誰だか知らない”せいちゃん”なる名前に眉間に皺を寄せた。

 ……せいちゃん?
 せいちゃんて、誰。

 けれどアオは、何も気づかずにそのまま話し続けていて。
 聞き出したい気持ちをぐっと押さえつけて、アオの言葉に耳を傾けた。

 とりあえず、今は、聞くことに専念しよう...と。
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