31日目に君の手を。

篠宮 楓

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8日目~11日目 原田視点

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 翌日の練習試合をこなして、原田は父方の実家に一人遅れて到着した。

 八月も中旬。
 盆暮れにしか来ない孫の原田だが、それでも祖母は嬉しそうに笑って迎えてくれた。
 縁側には姉が一人、ラムネ瓶をあおっているのが見える。

「よく来たねぇ、直哉」
「遅いよ、あんた」

 祖母の声に重なる様に、姉の茶化すような声が響いた。
 音大に進学した姉の三和の専攻は、声楽。歌うには重宝なんだろうが、腹式呼吸から繰り出される音量でいらない情報を口にされるのはたまったものじゃない。

「うるせー」
 何を言われるのか察しが付くだけに、眉間に皺を寄せて普段周りからするなと言われる無表情威圧視線を向ける。
 三和はにやりと口端を上げて、無表情母親似の原田とは違い柔和な父親に似たその顔を性格は母親から譲り受けたのか腹黒に変換した。

「おばーちゃん、聞いてよちょっと。直哉ってばさー、一人暮らしの女の所に通い妻してんだって!」
「通い妻?」
「てめ、適当ぬかしてんじゃねーぞ!」

 玄関に入ろうとしていた足を三和のいる縁側へと向けて怒鳴ると、ラムネ瓶を手にしたまま肩を竦めた。
 カラン……と、ビー玉の綺麗な音がするけど今はどーでもいいっ。
「よもや、直哉の恋バナをお母さんから聞くことになるとはねぇ」
「黙れってば!」
 縁側に荷物を放り投げるとけたけたと笑いながら立ち上がった三和が、部屋の中に向かって大声を出す。
「色惚け直哉がやっときたよー」
「まー、色惚け直哉のご到着~?」
 声だけは楽しそうな無表情な母親が、エプロンで手を拭きながら引き戸を開けて部屋に入って来た。大方父親は近所の幼馴染の所にでも行っているのだろう。
 声もしなけりゃ出てくる気配もない。

「色惚けってなんだよ、色惚けって!」
 縁側に手をついて二人に向かってどなっても、全く効果はない。周囲に怖いと言われているこの顔も、家族にとってはからかいの対象にさえなるのだから。

「そりゃー色惚けでしょ? 何々、そんなに可愛い子なの? 独り暮らしって結構年上?」
「うるせぇなっ」
 からかいが追及に変わって来た事に気がついて、原田は縁側に放り出した荷物をもう一度手に取るとその場から逃げ出そうと踵を返した。
「あんなに美味しいおかずを作れるんだから、年上の子でしょ」
「えーっ、お母さん食べたことあるの!?」
「えぇ、直哉が独り占めしようとしたから阻止して食べた」
ずるいーっ、と盛り上がる二人を無視して玄関先からこっちを見ていた祖母に声を掛けた。

「俺、ちょっと出てくるから」
「あ、直哉」

 黙って原田達を見ていた祖母が、首を傾げて名前を呼ぶ。横を通り抜けようとしていた原田は、後ろの二人ならば足を止めなかっただろうけれど祖母の声に動きを止めた。

「何?」
 祖母の性格は父親が継いだらしく、柔和で穏やかな雰囲気はそっくりだ。
 その表情を不思議そうなものに変えて、祖母は自分の頬に手を添えた。

「直哉が通うなら、通い婿じゃないのかい?」

「突っ込みどころはそこーっ?!」


 ヒートアップするうちの女どもの声を聞きながら、原田はその場から駆け出した。

 ……俺は、ばーちゃんの血を引いていると確信しながら。






 大笑いをしていた母と姉は、弟の姿が裏山の方向に消えると心底面白そうに笑みを交わした。
「ホント、怖い顔してでかい図体して可愛いわよねぇ」
「直哉あれね、ギャップね! ギャップ萌えね!」
「いやごめん、可愛いけど萌えない」
 母娘の会話を聞きながら、祖母はやっぱり通い婿よねぇと首を傾げている。
「大体さぁ、普通ああやってからかわれたら否定するでしょ?」
「ねー、そんなんじゃないとかさー」
 そこで二人の口が、にんまりと弧を描く。

「怒るけど否定しないとか!」
「あれ、冗談でも口にしたくないとかその口よ」
「口にしたら、フラれそうって?」

一瞬の静けさ。

「「どんだけ乙女~っ!」」

「……っ、なっなんだ?!」

 自分の妻と娘がうひゃうひゃひゃと大笑いしているところに帰ってきた父親は、祖母に話を聞いて息子の不憫さを憐れんだそうな(笑








 祖母の家を出て原田が向かったのは、裏山。低い標高のおかげで、近所の人に散歩コースに使われている場所だ。
 原田は慣れた足取りで、目指す場所へと歩いていく。


 祖母の家を出て二十分もたったころ。
 草いきれの山道が、唐突に拓ける。
 視界が、一面の青に染まった。


「ここは、やっぱかわんねぇな……」
 原田はそう独りごちると、傍らに荷物を置いて携帯を取り出した。風景にかざす様に、それを構える。


「じーさん、ここはかわんねーよな」
 もうこの世にはいない、この場所を教えてくれた祖父に呼びかける。
 まだ幼かった原田をここに連れてきてくれたのは、孫に自分の一番好きな風景を見せたかったからだと、それを叶える事が出来たと嬉しそうに教えてくれた祖父だった。
 幼かった原田には少し厳しかった山登りだったが、それでもこの風景を見た途端疲れはどこかに拭き取んだ。


 頂上へと至る山道の途中。
 一か所だけ木々が拓けるその場所は。
 突き出した崖が眼下の風景を隠して、視界一面に空を映し出す。


 原田が、青を好きになったのはこの時から。
 数年前眠るように息を引き取った祖父は、生前それを聞いて嬉しそうに笑っていたっけ。

 カシャ

 軽い音と共に、空が小さく切り取られる。

 青が好きだと言っていた、アオ。
 彼女にも、この空を見せてやりたい。


 携帯を手にしたまま空を仰ぐ原田は、自分の考えに若干照れながらもそれでももう一枚と色を切り取る。

 家に帰るのは明後日。
 そうしたら、この空を持ってアオに会いに行こう。
 どうしたの? とか言われそうだけど、まぁいい。
 俺が、アオに会いたいんだから。


「俺が、こんなこと思うとか……なぁ」


 自分の変化に苦笑しつつ、まぁいいやと再び空を仰いだ。

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