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第5章 巫女として
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神依が奥社を出たのは、それから五日経った日の夜だった。今日までの不浄を除く、祓など諸々の儀式を終え、明日からは淡島の巫女として生きていく。
「洞主様――いっぱい優しくしてくれて、ありがとうございました。それから……いっぱい心配かけてしまって、ごめんなさい」
「なに、そなたはもうそういうものだと逆に腹が据わり申した。それに御令孫から頂いた話もある――もう会えぬわけではないのだから、元気をお出し」
「はい……」
少し沈んだ顔で頷く神依に、洞主は慰めるようにその頭をなでる。その手を追って少女の頭に駆け上る小龍の鼻先をくすぐってやれば、それはプルプルと頭を振って逃げ出し再び腕に巻きついた。
「しかし参った――よもや御令孫があのような物言いをなさるとは」
「はあ……」
「こんなことを聞くのはそなたには酷かもしれぬが……踏みとどまれそうかえ」
「はい。今は……まだ、平気です。ありがとうございます」
「うむ……、何かあったらすぐにお言い。私にできることは少ないが、それでもおるとおらぬでは多少場の空気も変わりましょうて」
頷く少女は少し頼りなく、洞主もまた力なく差し伸べていた手を下ろす。
これからせっかく新しい生活が始まるというのに彼女が気鬱な顔をしているのは、日嗣の下した役目以上に――御霊祭に携わるべく、すでに準備を進めていた奥社の巫女らとの関係が予想を遥かに越えて重苦しく、厳しいものだったからだ。
洞主に連れられ他の巫女たちに面通しさせられたその日から、神依はあからさまな敵意を五感で感じることになった。それでも洞主が事前にかなり言い含めてくれてあったようで、ましはましなのだと思う。
しかし――
「――だから、何度言ったらわかるの? どうして見せたとおりにできないの? 朝から何回同じことを繰り返してると思うの、いい加減にして!」
「やる気あるの? あなた、あの蜥蜴のおかげで御令孫にお声がけしていただいたそうだけど――それでいい気になってるんじゃない?」
「本当、私たちがどれだけの思いして、どれだけの時間をかけてここにいると思ってるのよ……。普通は分不相応だと断るわよ。何だか水蛭子って年々厚かましくなってると思わない?」
(うん……これはあまりにも、わかりやす過ぎない?)
と、洞主がいない隙を狙っては繰り返される集中的な言葉の砲火と視線の刃に、歓迎される雰囲気など微塵もなかった。
(友達……できなさそうだなぁ)
そんなわずかな期待も初日数分で失せ、神依は一人正座して、お説教らしきものを聞き流しながらこの数日を過ごしていた。
「――顔をお上げ、神依」
「あ……はい」
洞主の呼びかけに我に返った神依は、言われたとおりに洞主を見上げる。自分がそうであるように半歩後ろに大兄を従え、二人の顔を交互に見れば、二人は神依を励ますように穏やかな笑みを口元に浮かべた。
「儀式が終わるまでは辛きことも多かろうが、せめて日々の暮らしだけはつつがなきよう私も祈っておる」
「大弟、童。すでに承知しているとは思うが、お前たちの此度の姫御は巫女としての才はもはや格別。大弟、お前は禊としてその足元をしっかりとお支えしろ。童はできる限りの手助けをしてやってくれ。そして日々を誠実に……励め」
「はい」
「はい!」
そうしていくばくかの不安とともに、神依と禊、童は洞主と大兄に見送られ、もう慣れ親しんだ仮宿と奥社を後にした。
明日からは稽古通いをしなければならないが、せめて家でだけはのんびり過ごそうと童は神依を気遣い、新たな住まいの話で場を盛り上げる。
「――あ」
「いかがなさいました」
「ううん――何でもない。ただ……」
そしてあの大社の前まで来た神依は一度立ち止まり、今は灯と篝火、月明かりに照らされた社を見上げる。
「……禊の言ってたこと、全部本当だったよ」
「はい?」
「あのとき、禊が言ったでしょう? わたしがここに来たとき――自分は捨てられたとは思わなかったって。わたしもようやくわかったの。お母さんはわたしたちのこと、忌み子だなんて思ってない。大事にしてくれてたし……本当はもっと、大事にしたかったんだって」
「……左様ですか」
その言葉の価値を、おそらくこの主は理解していない。ただ――それを教える必要もまた、ないような気がした。
神依はにこりと笑って社に向かい一度頭を下げると、禊を促し歩き始める。そして社の前に真っ直ぐに伸びた白石の道を、今日は自分の足で逆に辿り――
「わあ……!」
道を抜けた先……石畳と小川、そして植物でできた広場を視界一杯に映すと、声を上げて駆け出した。
「すごい……! 花がたくさん! 季節が混ざってるみたい……!」
広場は何かを供える四阿のような社を中心に石畳が敷かれ、その間を何本もの小川が縦横無尽に通っていた。一応歩く路や橋は確保されてはいたが、その水筋はあるところでは池となり、またあるところでは小さな滝となって雲海へと落ち、空に溶けていく。ところどころに磨かれた石でできた卓や椅子があり、きっと皆こういう場所でお喋りをしていたのだろうと思う。
そしてその周囲は木も茂みも花も、あらゆる季節のあらゆる植物が形をなし宵の薄藍に佇んでおり、それらすべてを一望できるような豪勢な朱の楼閣が――一際高く、天に突き抜けていた。
「進貢の広場です」
「しんこう?」
「はい。巫女や覡は毎朝日の出とともにこちらに訪れ、自身が想う神のために草花を摘みあの中央の社に捧げます」
「前に言ったろ、信仰は神様の力を強くするって。愛情や、親愛でもいい。花はそれこそ〝依〟の力があるんだ。だから花にそれを託して、神様にお届けするんだよ。すげえのは毎日花束抱えて並ぶ巫女さん。よくやる……じゃなくて、大変だよなー」
「そっか、一人じゃなくていいんだ。じゃあわたしは日嗣様と猿彦さん、それからこの子たちだね」
神依はもう定位置になっている腕の子龍を見遣る。神に捧げるというなら……あの、可哀想な水霊にも。
何か可愛い花がついた水草がいい、と思って足元を流れる川に目を遣れば、その水面に白金の光が揺らいでいた。
月。
それを眺めていると不意にどこかから、かすかな笛の音が聞こえてくる。
「……?」
神依はもちろん、言葉を交わす必要もなく禊と童の視線もある一点に向かう。それは――あの天を貫く朱の楼閣。
「頂上が……雲で見えない」
「……あの高楼には高天原の神々がまします。巫女や覡の暮らしや祭祀を見聞し、自らの臣や妹背……妻や夫をお探しになるのです」
「そう……」
ならば今も誰かがいるのだろうか。
自分たちも見られていたのかもしれないと思うと何とも居心地が悪くて、神依は「行こう」と禊に声をかけると、新しい住まいへと改めて足を向けた。
「洞主様――いっぱい優しくしてくれて、ありがとうございました。それから……いっぱい心配かけてしまって、ごめんなさい」
「なに、そなたはもうそういうものだと逆に腹が据わり申した。それに御令孫から頂いた話もある――もう会えぬわけではないのだから、元気をお出し」
「はい……」
少し沈んだ顔で頷く神依に、洞主は慰めるようにその頭をなでる。その手を追って少女の頭に駆け上る小龍の鼻先をくすぐってやれば、それはプルプルと頭を振って逃げ出し再び腕に巻きついた。
「しかし参った――よもや御令孫があのような物言いをなさるとは」
「はあ……」
「こんなことを聞くのはそなたには酷かもしれぬが……踏みとどまれそうかえ」
「はい。今は……まだ、平気です。ありがとうございます」
「うむ……、何かあったらすぐにお言い。私にできることは少ないが、それでもおるとおらぬでは多少場の空気も変わりましょうて」
頷く少女は少し頼りなく、洞主もまた力なく差し伸べていた手を下ろす。
これからせっかく新しい生活が始まるというのに彼女が気鬱な顔をしているのは、日嗣の下した役目以上に――御霊祭に携わるべく、すでに準備を進めていた奥社の巫女らとの関係が予想を遥かに越えて重苦しく、厳しいものだったからだ。
洞主に連れられ他の巫女たちに面通しさせられたその日から、神依はあからさまな敵意を五感で感じることになった。それでも洞主が事前にかなり言い含めてくれてあったようで、ましはましなのだと思う。
しかし――
「――だから、何度言ったらわかるの? どうして見せたとおりにできないの? 朝から何回同じことを繰り返してると思うの、いい加減にして!」
「やる気あるの? あなた、あの蜥蜴のおかげで御令孫にお声がけしていただいたそうだけど――それでいい気になってるんじゃない?」
「本当、私たちがどれだけの思いして、どれだけの時間をかけてここにいると思ってるのよ……。普通は分不相応だと断るわよ。何だか水蛭子って年々厚かましくなってると思わない?」
(うん……これはあまりにも、わかりやす過ぎない?)
と、洞主がいない隙を狙っては繰り返される集中的な言葉の砲火と視線の刃に、歓迎される雰囲気など微塵もなかった。
(友達……できなさそうだなぁ)
そんなわずかな期待も初日数分で失せ、神依は一人正座して、お説教らしきものを聞き流しながらこの数日を過ごしていた。
「――顔をお上げ、神依」
「あ……はい」
洞主の呼びかけに我に返った神依は、言われたとおりに洞主を見上げる。自分がそうであるように半歩後ろに大兄を従え、二人の顔を交互に見れば、二人は神依を励ますように穏やかな笑みを口元に浮かべた。
「儀式が終わるまでは辛きことも多かろうが、せめて日々の暮らしだけはつつがなきよう私も祈っておる」
「大弟、童。すでに承知しているとは思うが、お前たちの此度の姫御は巫女としての才はもはや格別。大弟、お前は禊としてその足元をしっかりとお支えしろ。童はできる限りの手助けをしてやってくれ。そして日々を誠実に……励め」
「はい」
「はい!」
そうしていくばくかの不安とともに、神依と禊、童は洞主と大兄に見送られ、もう慣れ親しんだ仮宿と奥社を後にした。
明日からは稽古通いをしなければならないが、せめて家でだけはのんびり過ごそうと童は神依を気遣い、新たな住まいの話で場を盛り上げる。
「――あ」
「いかがなさいました」
「ううん――何でもない。ただ……」
そしてあの大社の前まで来た神依は一度立ち止まり、今は灯と篝火、月明かりに照らされた社を見上げる。
「……禊の言ってたこと、全部本当だったよ」
「はい?」
「あのとき、禊が言ったでしょう? わたしがここに来たとき――自分は捨てられたとは思わなかったって。わたしもようやくわかったの。お母さんはわたしたちのこと、忌み子だなんて思ってない。大事にしてくれてたし……本当はもっと、大事にしたかったんだって」
「……左様ですか」
その言葉の価値を、おそらくこの主は理解していない。ただ――それを教える必要もまた、ないような気がした。
神依はにこりと笑って社に向かい一度頭を下げると、禊を促し歩き始める。そして社の前に真っ直ぐに伸びた白石の道を、今日は自分の足で逆に辿り――
「わあ……!」
道を抜けた先……石畳と小川、そして植物でできた広場を視界一杯に映すと、声を上げて駆け出した。
「すごい……! 花がたくさん! 季節が混ざってるみたい……!」
広場は何かを供える四阿のような社を中心に石畳が敷かれ、その間を何本もの小川が縦横無尽に通っていた。一応歩く路や橋は確保されてはいたが、その水筋はあるところでは池となり、またあるところでは小さな滝となって雲海へと落ち、空に溶けていく。ところどころに磨かれた石でできた卓や椅子があり、きっと皆こういう場所でお喋りをしていたのだろうと思う。
そしてその周囲は木も茂みも花も、あらゆる季節のあらゆる植物が形をなし宵の薄藍に佇んでおり、それらすべてを一望できるような豪勢な朱の楼閣が――一際高く、天に突き抜けていた。
「進貢の広場です」
「しんこう?」
「はい。巫女や覡は毎朝日の出とともにこちらに訪れ、自身が想う神のために草花を摘みあの中央の社に捧げます」
「前に言ったろ、信仰は神様の力を強くするって。愛情や、親愛でもいい。花はそれこそ〝依〟の力があるんだ。だから花にそれを託して、神様にお届けするんだよ。すげえのは毎日花束抱えて並ぶ巫女さん。よくやる……じゃなくて、大変だよなー」
「そっか、一人じゃなくていいんだ。じゃあわたしは日嗣様と猿彦さん、それからこの子たちだね」
神依はもう定位置になっている腕の子龍を見遣る。神に捧げるというなら……あの、可哀想な水霊にも。
何か可愛い花がついた水草がいい、と思って足元を流れる川に目を遣れば、その水面に白金の光が揺らいでいた。
月。
それを眺めていると不意にどこかから、かすかな笛の音が聞こえてくる。
「……?」
神依はもちろん、言葉を交わす必要もなく禊と童の視線もある一点に向かう。それは――あの天を貫く朱の楼閣。
「頂上が……雲で見えない」
「……あの高楼には高天原の神々がまします。巫女や覡の暮らしや祭祀を見聞し、自らの臣や妹背……妻や夫をお探しになるのです」
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