帝国騎士物語

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アーサーの章

第二話:落日のアーサー(2)

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 アーサーは子供達の面倒を見ているリリィから離れて暫く歩き、畑を作業する村人を見つける。

「すいませーん!」

 意を決して声をかけるが、チラリとこっちを見るだけでそれ以上の反応は望めない。

「干物が出来たので、もらっていただけませんか!」

 変わらず反応は無い。聞こえているはずだがわざと無視をしているようだった。アーサーは諦め、畑を離れる。また歩きながら何人かの村人に出会うが、尽く無視されてしまった。中には聞こえるような声で「よそ者が」と吐き捨てる村人もいる。

 仕方ない、来る時期が悪かったんだ。

 自分を納得させるアーサー。アーサーは一ヶ月前、隣国との大きな戦争が終結した直後、まだ地方には終戦すら知らされていない頃の不安定な時期にこの村に流れてきた。村長が居住を認めてくれたが、アーサーを逃げてきた敵兵や、住処を追われた賊だと思っている人も多いだろう。

 それにしても、この扱いは……前に来たときはこんなに露骨じゃ無かったはず。

 この一ヶ月で生活用品や水などを得るために何度か村に降りてきていたが、その時よりも今日は徹底的だとアーサーは感じる。

 やがて人が多い居住区に入ったアーサー。あからさまに避けられている。とぼとぼと歩きながら、幾つかの木材や丸太が並べられた木こりの作業場を通りがかったとき、野太い声に呼び止められた。

「おい、そこのお前」

 声の主は作業場に立つ、屈強な肉体に白髪交じりの癖毛、右手には幅広の手斧を握った大男だった。そのたくましい上腕と胸板は、彼がただ者では無いことを知らしめている。

「見慣れねぇ顔だな。何モンだ」

 アーサーもこの村に来てから彼を一度も見たことが無い。明らかな敵意を感じながら「アーサーです」と返す。

「一ヶ月前に村に来て、林の奥のはなれに住んでいます」

 刺激しないように、最大限にこやかに接する。しかし男の様子は変わらない。

「何者だって聞いてんだ」

「え? いや……」

 うろたえるアーサー。聞かれている内容が、村での自分についてでは無いことは理解しているが、言葉が出てこない。

「あ、ぼ、僕は……」

 しばらくの静寂の後に言葉を絞りだそうとするアーサーだが、それを遮るようにして男は手にしていた手斧を脇の丸太に叩き付けた。

 その瞬間、男の険しい目つきと鈍い音が、アーサーの脳裏にある光景を浮かばせた。

 自分の手によって切り落とされた、おぞましい形相でこちらを睨む生首。

 返り血でびっしりと濡れた自分の身体と、目の前に広がる兵士達の死体。

 兵士の死体がアーサーに助けを求めるように手を伸ばし、その顔が絶望を訴えかけ、頭に直接響いてくるような「隊長……」といううめき声。

 そして、自分の手からこぼれて落ちていく剣。

 刹那、アーサーは忘れていた、いや、忘れようとしていた灰色の記憶を取り戻す。

「……僕には、名乗れる経歴は、ありません」

 アーサーは短く、小さな声で絞り出す。男は大きな舌打ちをする。

「なに考えてやがんだクソッタレ! 俺が留守のうちに怪しい奴を住まわせやがって!」

 直ぐ近くの棚にかけられた大斧を慣れた手つきで振りかざすと、微動だにしないアーサーの首元にあてがった。遠くで女性の悲鳴が上がる。

「認めねぇ。お前みたいな奴はやっかい事しか呼び込まねぇんだ。さっさと俺たちの村から出て行きやがれ!」

 村中に響き渡る大声。行き交う人々は足を速め、露骨に目を背ける。

「……僕は」

 言葉を紡ごうとするアーサーを、大斧の圧力で制する男。

「黙れ。出て行け」

 アーサーは沈黙する。

 二人はしばし険悪な静寂を共有した。まっすぐなその瞳から、アーサーが感じ取ったのは純粋な敵意だけでは無い。何か彼なりの正義があっての行動であることを理解できた。理解できたからこそ、アーサーは尻込みする。

「よしな、ダン」

 その静寂を破ったのは、大男の肩に手を置く禿げた男性。この村の村長だった。

「ジッタ。てめぇ、なんのつもりだよ」

 村長を睨み付けるダン。

「村長の取り決めなしに、コトを急くんじゃあねぇよ。大体、おめぇさんが騒ぎを起こしてどうする」

 荒ぶるダンとは対照的に、冷静に詰めるジッタ。暫く凄んでいたが、やがてダンはアーサーの首から斧を離し、つばを地面に吐きつける。

 ジッタは残されたアーサーに「ちょいと話すか」と誘う。アーサーも「分かりました」と返し、二人は村長宅へ入っていく。

 他の家屋よりも二回り大きい屋敷。しかしジッタは一人暮らしのようで、家族や過去については見たことも聞いたこともない。

 アーサーを座敷に座らせ、茶を入れたジッタが向かいに座り込む。

「災難だったな、アーサー」

 茶をすすりながら冗談交じりに励ます。アーサーが何も言えずにいると、ジッタはそのまま続ける。

「おめぇさん、騎士だってコト、言っちまえば良かったろ。隠す理由は無いんじゃねぇのかい?」

 反応を伺うジッタだが、アーサーは応えない。

「この村はたまにしか魔物が襲ってこねぇし、周りの森が深すぎて賊も全然来やがらねぇ。そんで央都から遠いってなもんで、村を守ってくれる衛兵ってヤツがいねぇんだよ。それでも、たまには、あるからな。これまではダン一人でなんとかなったが、ダンももう歳だし、騎士、まぁ元騎士のおめぇさんが衛兵代わりするってんなら、異論を唱える奴はでてこねぇハズだ」

 ジッタは更に続ける。

「なんか、言えねぇ理由でもあんのかい?」

 再三、様子をうかがう。

「……極力、言いたくはありません」

 絞り出したその応えに、ジッタは顎髭をなぞる。その言葉が自分の質問への答えなのか、それとも単なる拒絶なのか。

「でもよぉ、考えてもみろよ。得体の知れねぇモンが干物配りなんざしてても、不信感を抱かねぇ奴の方が少ねぇ。言っちまった方が、楽だと思うけどな」

 そう告げると、俺はもらうけどな、と笑い、干物を見繕いはじめる。その様子をアーサーは見て、決心したように立ち上がる。

「ここに住む許可をくれたのはジッタ村長です。村長が出て行けというなら、そうします」

 そう言い放ち、籠を置いてその場を出て行くアーサー。あっけにとられるジッタが慌てて紡いだ言葉は、アーサーには届かなかった。

 帰路につくアーサー。通りすがるダンがどんな表情をしているのか、なるべく目を背けて、足下を見て歩き続けるアーサーには分からない。

 子供達の声が遠くで聞こえる。村人がひそひそと話す声が近くに感じる。

 アーサーは、地面に落ちた汚れた干物を見つける。

「……おいしいのになぁ」

 的外れな擁護を自分に向け、土を払って拾い上げる。背中に視線を感じるが振り返る気力は無い。アーサーは自分の巣穴へと急いだ。

 林に入り、こちらを向く郵便受けと出会う。それがいつしかポケットに押し込んでいた手紙を思い出させた。

 ガサガサと取り出し、背面を見る。

『ガジ村 アーサー様   神聖レオパルド帝国 第一君主エリス・ユースティティア』

 帝国。一ヶ月前はアーサーは帝国にて、騎士として戦っていた。だがアーサーはある戦場での死闘をきっかけに、全ての責任から逃げるようにしてこの村へやってきた。

『私だけでなく、帝国の民や騎士、皇帝陛下も、英雄として輝かしい戦果を挙げられたアーサー様の帰りを強く望まれています。』

 読みかけだった部分に綴られた、騎士としての自分の帰りを待ち望む声。

「僕にはもう、戻る資格なんて……」

 読む気が失せ、手紙を握りしめて駆け抜ける。上着を脱いで、古傷だらけの肉体をさらす。

 浜辺にひっそりと立つ一軒家が目に入り、手紙や干物をくるんだ上着を投げつけると、自分を追いかける何かから逃げるようにして駆け抜ける。

 どんどんと、透き通った綺麗な海が近寄ってきた。

 ここ一ヶ月、ずっとうちに秘めていた雑念が湧き出た今日の出来事。全て海に流してしまいたい、と念じて、アーサーは飛び込んだ。

 しかし、飛び込んだ直後、鼻の奥に激痛が走る。顔面から思いっきり着水してしまったのだ。

 鼻に流れ込んだ海水を吐き出すためにアーサーはゴホゴホと酷くむせながら砂浜に上がった。

 あまりにも滑稽なそのざまに、惨めな気持ちがわき上がってきたところ、アーサーは人の気配を感じて顔を上げる。

 それと同時に、林から、リリィが身を乗り出して現れた。心配を絵に描いたような表情そのものだが、その視線はアーサーの顔から上半身に移ると、たちまち顔を赤くして後ろを向いた。

「あ、ああああ、あの、だ、大丈夫ですか?」

 アーサーは急いで脱ぎ捨てたシャツをかぶる。

「大丈夫です! すみません、来るとは思っていなくて」

 リリィはチラリとアーサーを見て、うつむき加減で振り返る。

「いえ、その実は、もっと早くお声がけしたかったのですが、どう話しかけようかと困ってしまって、着いてきてしまいました」

 ひどく申し訳なさそうな様子にアーサーは疑問を感じる。

「そんな、リリィさんが悪いわけじゃ無いですよ。僕が……僕のせいですから」

 自分の個人的な理由だけで、リリィに余計な心配をかけさせてしまった。そんな自責の念が、更にアーサーに覆い被さってくる。

 互いに暗くなってしまう二人。しばしの静寂の後「ごめんなさい」と、二人の声が重なる。顔を見合わせ、「え?」と聞き返すアーサー。

 リリィは目を伏せて「その、私」と前置きし、数秒固まる。それからゆっくりと口を開くまで、アーサーも何も言いだせずに硬直。

「私、何も出来ないのに着いてきてしまいました。ダンさんの怒鳴り声が聞こえて、そのあとジッタさんの家から出てきたアーサーさんが凄く辛そうにしてたから、何か言わないとって思って」

 たどたどしく語るリリィ。

「私は、アーサーさんには笑顔でいて欲しんですけど、それだけじゃ無くて、仲良くなって欲しいんです。みんなと打ち解けて、何というか、賑やかになったら良いなって。あの……でも、なんて伝えたら良いか分からなくて」

 申し訳なさを隠すようなうわべだけの笑顔。出会って一ヶ月の相手へ贈られた一方的な言葉。思いつきだけで喋っているような間の取り方。そのどれもを感じながら、それでも、彼女の優しさを疑う理由など一つも無かった。

 朝に釣りをしていた時間からまだそう経っておらず、空は明るく風は涼しい。濡れたシャツが涼しい風を冷たい風に変え、たまらずくしゃみがでる。

「あ、ごめんなさい。風邪引いちゃいますね」

 リリィは戸惑い、アーサーもおもわず笑ってしまう。

「はい。暖めないと。来てくれてありがとうございました。気持ちは十分、伝わりました」

 リリィはハの字の眉のまま、笑顔を作ってぺこりとお辞儀する。

「で、では、失礼しました。また。何か困ったことがあったらなんでもおっしゃってくださいね」

 何度もお辞儀をしてから林へ消えていく。彼女が見えなくなるまで見送ると、手紙と干物を拾いあげる。少しだけ向きあってみようと思えたアーサーは、家へ歩きながら改めて手紙を開く。

『アーサー様
戦後から早一ヶ月。アーサー様が帝国を離れて一ヶ月。草花が色づく季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
こちらはようやく情勢が安定の兆しを見せ始め、私にも余暇が生まれるようになりました。これからは外に出る機会も増えようかと思われ,今からとても楽しみです。
アーサー様はそちらで楽しく過ごされていますか? あれからお会いできていないので、少し心配です。ゆっくりと心身を休め、また戻られることを心よりお待ちしております。
私だけでなく、帝国の民や騎士、皇帝陛下も、英雄として輝かしい戦果を挙げられたアーサー様の帰りを強く望まれています。
 ですが無理強いするのも心苦しいので、近々、お見舞いを兼ねて今度そちらに伺おうと考えています。お土産は何が良いでしょう? お返事お待ちしております。

エリス・ユースティティア』

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