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禁忌
しおりを挟むある日、1人の男がまだ他の客がいない店にやってきた。
その瞬間、ダニエルは密かに眉を潜めた。
上手に隠しているから、他の者ならまず間違いなく気付かないだろう。
しかし、ダニエルほどの魔力を持つ者であれば気付かぬ筈がない。
この聖なる気を纏う者…これはかなり高位の天使だ。
何食わぬ顔でカウンターの隅を陣取った男を、それとなく観察していると店の奥からソフィアが顔をのぞかせた。
「ダン、ちょっと味を……っ!」
何気なく客に目を移した途端、ソフィアは息を呑んだ。
「やぁソフィー、久しぶりだね。
こんな所で会えるとは思わなかったが、元気だったかい?」
ソフィアが口を開くより早く、カウンターの客が親しげに片手を挙げた。
「セルジュ!何故ここに?いつから?どうして連絡くれなかったの?」
喜びを隠そうともせず駆け寄るソフィアに
「おいおい、どれから答えたらいいんだい?」
セルジュと呼ばれた男は、苦笑しながら手を伸ばし優しく頬に触れた。
そんな2人に、ダニエルは目の前が真っ暗になる思いだった。
得体の知れない男が、ソフィアの同族である事は一目瞭然で。
しかもかなり親しげな様子が見て取れる。
——まさか…彼女を迎えに来たとかってんじゃないだろうな?
あのキスで2人の距離もぐんと縮まり、最近では同じベッドで、しかも腕枕付で眠るようになったというのに。
もっとも…だからといって2人の関係が進化した訳では、ないのだが。
それでも、少なく見積もっても嫌われていない事は確定したと思っていたのに。
ソフィアを手に入れる為、じわじわと外堀を埋め、傍らにいる事が当たり前と思うよう、仕向けてきたつもりだった。
けれど2人には、どうしても越えられない壁…互いの正体を隠しているという秘密がある。
それにダニエルはまだソフィアに告げてもいなかった、自らの想いを。
その2つを告白するにはまだ早いと思っていたのだが…。
今ほど種族の違いを痛感した事はなかった。
何の約束もしていないどころか、お互い意志の確認すら出来ていない状態で。
万が一ソフィアが元の世界に帰ってしまうような事があれば…。
あまりにも恐ろしい現実に、ダニエルはゾッとした。
「ところでソフィー、彼を紹介してはくれないのかな?」
半分仕事を忘れてぼんやりしていたダニエルは、思いがけない会話の流れに意識を引き戻された。
「そうだったわね、彼はダニエル。
ここのマスターで私の雇い主よ」
「どうも、ダニエルです」
咄嗟に取り繕った笑顔で頭を下げたダニエルに、セルジュは“おや”という表情を浮かべた。
「ダン、彼はセルジュ。
私の…遠い親戚で、兄とも父とも思っている人よ」
「ソフィーが世話なってるね」
にこやかに微笑んでいるものの、意味深な目を向けてくるセルジュにダニエルは気を引き締めると同時に、彼が自分の正体を悟った事を知った。
「いえ、ソフィアに助けてもらってるのは俺の方です。
彼女は本当によくやってくれてます」
その言葉にソフィアは嬉しそうに頬を染め、ダニエルを見つめた。
そんなソフィアに無意識ながら優しい目を向け、ダニエルは
「今日は貸切という事にしますので、ゆっくりしていってください。
ソフィアも今日はもうあがっていいから」
と2人に向かって言い、ドアに貸切の看板を下げに外に出た。
そんなダニエルの後姿を、セルジュは何ともいえない表情で見つめていた。
ドアの外に出たダニエルは、先程感じた恐怖にも似た感情を拭いきれないまま空を見上げた。
そういえば…ソフィアと再会してからというもの、こんな風に空を見上げる事もなかった、とダニエルは改めて気付いた。
空を見上げていた頃の自分は、無意識にソフィアを探し求めていた。
けれど今は、手を伸ばせばすぐ傍らに彼女がいる。
——だからか…。
空の彼方にいるソフィアを、見える筈もないのに探していた、分かりやすい己の行動に苦笑いを漏らし、ダニエルは瞬く星を眺めた。
いっそ…このまま別れを迎えてしまうくらいなら、思い切って全てを打ち明けようか。
もしかしたら…自分の想いを、彼女は受け入れてくれるかもしれない。
甘過ぎる予想だが、それでもダニエルはソフィアを堕天させるつもりしなかった。
堕天とは、一般的に悪魔の誘惑に心を奪われた天使が、白銀の翼を真っ黒に染められる事を指す。
天使の乙女が悪魔に無理やり純潔を奪われた場合も同様で、堕天させられた乙女は天界から追放され、生涯悪魔に囚われ過ごすのだ。
確かに…堕天させればソフィアを手に入れる事は出来る。
だがそうなれば、ソフィアは決してダニエルを許しはしないだろう。
欲しいのはソフィアの身体だけではないのだ。
その心が、真実の名が、全てが欲しいのだから…。
だから無理やり奪ったところで意味などある筈もない。
ひどく遣る瀬無い思いでダニエルは空を眺めていた。
*
複雑な思いを抱え一睡も出来なかったダニエルは、翌日ソフィアを誘って近所のショッピングセンターに出かけた。
最近新しく出来たそこに、ソフィアが行ってみたいと思っている事を、ダニエルは知っていたし、また正直今は仕事をする気にもなれなかった。
突然の誘いにソフィアは驚いたが、ショッピングセンターの話を切り出すと、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
そんな素直さもまた愛しいと目を細めつつ。
ダニエルは、いつどのタイミングで全てを打ち明けるべきか、それともやはりまだ様子を見た方がいいのか、と思いを巡らせるのだった。
平日という事もあり、週末には大勢の人で賑わう店は比較的空いていた。
ダニエルとソフィアは、手を繋いであちこち見て回った。
ソフィアは物珍し気にあちこちの店をのぞき、楽しそうにしながらあれこれとダニエルに話かけてきた。
ソフィアと一緒にいられるだけで、他はどうでもいいのだ。
悪魔だろうが天使だろうが、そんな事はどうだっていい。
ただ2人で、いつまでもこうして寄り添っていられたら…。
改めてそんな事を考える自分に苦笑しながらも、ダニエルはソフィアに引っ張られるままモール内を歩いた。
1人でなら30分もかからない大して面白くもない買い物も、2人だとあっという間に時間が過ぎた。
昼食もダニエルの好きそうな店でとった2人は、買い物を終えそろそろ家に戻る事にした。
ダニエルは重い荷物を両手に抱え、ソフィアは軽い荷物を片手に提げて店を出た。
麗らかな、日差しの柔らかい昼下がり。
学校の帰りだろうか。
数人の子ども達が彼らを追い越していき、元気な子ども達の様子にソフィアは目を細めた。
ちゃんと赤信号で止まった子ども達は、信号が青に変わったのを確かめてから一斉に横断歩道を渡り出した。
その時…。
1台の車が、遅れて走り出した子どもめがけて突っ込んできた。
「…っ!」
咄嗟に、ソフィアは子どもの元へ駆け寄った。
そんなソフィアと、彼女の腕の中の子どもを車から守る為、ダニエルもまた荷物を投げ出して2人を両腕の中に抱え込んだ。
予想していた衝撃が、いつまでたっても襲ってこない。
その事に気付いたソフィアが、恐る恐る顔をあげる。
辺りは暗闇に包まれていて、彼女は一瞬夜がきたのかと思った。
けれど、それはおかしいとすぐに思い直したソフィアは、自分達を守るように両腕で抱え込んでいるダニエルの顔を見上げ…。
自分を見つめるダニエルの蒼い瞳が、あまりに優しくて言葉を失くした。
ダニエルは漆黒の翼を広げ、ソフィアを守るように子どもごと彼女を包み込んでいた。
「……ダ、ン?」
聞きたい事が沢山あるのに、そのどれもが言葉にならないもどかしさ。
口の中がからからに乾き、鼓動が勝手に早まる。
それを口にしてしまったが最後、二度と元の2人には戻れないのだという直感が、ソフィアの胸を締め付けた。
困惑した様子で自分を見つめるソフィアに、ダニエルは苦く微笑んだ。
その表情に、ソフィアは自分の考えが間違っていなかった事を確信した。
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