キセキ

吉野 那生

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罪と罰〜前〜

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「私を…いえ、私が天使だと、知っていたのよね?」


何も口にできないまま帰宅したソフィアは、それでも何もなかった事にも出来ず、重い口を開いた。

「…あぁ」

「最初から?」

「そうだ」

ダニエルの答えに、ソフィアは傷ついた表情を浮かべた。 


「…騙していたの?」

「いつかちゃんと話しをしようと思っていたけど…結果的には」

唇をわななかせ、信じたくないといった面持ちでソフィアはひたとダニエルを見つめた。

身を切られるような思いで、それでもダニエルは正直に頷いた。
その言葉に、ソフィアは哀しげにスッと目を伏せた。

そんなソフィアから敢えて目を逸らそうとせず、裁きを待つ罪人のような気分で、ダニエルは彼女の言葉をじっと待った。


 「私達、人間界で出会うずっと前にも、会っている…?」 

ソフィアには、もう1つ確かめたい事があった。 

真の姿に戻ったその一瞬、ダニエルは彼本来の気を解き放った。
それはソフィアが探していた、かつて助けてもらった悪魔が纏っていた気と同じ色合いで。

人間が1人1人顔形が違うように、悪魔や天使も1人1人異なる色合いの気を有している。

彼の纏う気はその翼同様、少しの混じりもなく誰よりも美しい漆黒だった。
あの気を、翼を…間違える筈がない。


 「…あぁ、1度だけ冥界と天界の狭間で」 



——やっぱり! 

捜し求めていた悪魔がダニエルだった、という喜びにソフィアは目を輝かせたが、しかしすぐにその表情が翳った。 

あの時も、そして今も。
彼が一体どういうつもりで自分を助けたのか…。
どんなつもりで自分を傍に置くような真似をしたのか。

その意図が全く掴めず困惑しながらも、ソフィアは自分の気持ちを正直にぶつけた。

 「私は…あなたが悪魔だという事実よりも、私が天使だと知りながら自分の正体を隠していた事の方が哀しい」

「ソフィア、聞いてくれ」

顔を上げたダニエルの言葉を遮り、ソフィアは悲しく微笑んだ。


「でも…私もあなたが知っているとは思わなかったけれど、あなたに正体を隠していたんだから、おあいこよね」

「ソフィア…」

「だけどね、あなたは知っていたんでしょう?私が天使だって…」 


言いながら、1つの可能性に思い当たりソフィアの心が軋んだ。

パタパタと零れ落ちる涙もそのままに、唇を噛みしめる。

 「私を…からかって、楽しかった?」

「…からか、う?」


震える声で投げかけられた小さな問いに、ダニエルは瞠目した。 

「だって、そうでしょう?
どうせ私は下っ端で霊力も弱いし、あなたの正体にだって気付く事はできなかったし…」

自分を貶めるような言葉を紡ぐソフィアの表情が、辛そうに歪む。


「それに…悪魔は天使を堕落させる事を何より好むのでしょう?」

「違う!」

 伸ばされた手を、ソフィアは咄嗟に振り払っていた。

「…!」

振り払われた手を見つめるダニエルと。
自分のとってしまった行動に愕然とするソフィアと。

どちらの驚きがより大きかったのだろう。 


「そう、だよな」

ややあって、ダニエルはソフィアから視線を逸らしながら呟いた。


「もう…自分を騙した悪魔になんか、触られたくなんかないよな」 

彼の裏切りともいえる行為に傷ついたのはソフィアの方なのに。
むしろダニエルの方が、絶望を湛えた切ない目をしていて。

「…今まで騙していて悪かった」


消沈した様子でうな垂れるダニエルに、ソフィアは言葉を失った。 



しかし…ソフィアは知らなかった。

人間界で、その正体を現す事と力を使う事を禁じている掟が、天使だけでなく悪魔にも適用されている事を。 

ダニエルが、自らの為でなくソフィアの為に禁を犯したその事実を。

   *

ソフィアを騙した事は認める。
その事で責められても、なじられても仕方のない事だと思う。

けれど彼女を求める気持ちは…それだけは嘘ではない。
出来る事ならば天界だろうがどこであろうが、追いかけてゆきたい。
今からでも間にあうのであれば、全てを打ち明け許しを請いたい。 


日ごと膨れ上がる想いに押し潰されてしまいそうなほど、ソフィアを心から欲し求めているのに…。

今のダニエルにはどうする事も出来なかった。 
これは…罰なのだろうか?

ソフィアを騙し、自分の正体を隠したまま彼女を手に入れようとした。 


溜息を押し殺し、ダニエルは雲1つない空を見上げた。

あの空の向こうに、どこかにソフィアがいる事を確信しながら。


今となっては飛んでゆく事も、詫びる事もできない自分の無力さを、嫌というほど思い知らされ、打ちひしがれながら。

   *

あの後、ソフィアはセルジュと共に天界に戻った。 

一時は、確かに自分を騙していたダニエルに怒りを感じていた。
しかし時が立つにつれ、彼に酷い事をしてしまったと後悔していた。 

よりにもよって…彼の手を振り払うだなんて。
あの大きい手に何度も助けてもらっておきながら。

あの暖かい手で抱きしめられると、どんな辛い事も忘れられたのに。 
出来る事なら、今すぐにでもダニエルの所へ飛んで行きたい。
そして、彼に謝りたい。

けれどソフィアにはどうしても、酷く傷つけてしまった彼に会う勇気がもてなかった。

 …今更、どんな顔をして彼の元に戻ればいいというのか。

別れる直前のダニエルの傷ついた表情を思い出すたび、ソフィアは激しい自責の念にかられた。



——彼に、ネオに会いたい。

——けれど、会う事などできる訳がない。 

相反する感情に、ソフィアの心は大きく揺れ続けた。

眠れない夜をいくつも数え、人間界では封印していた純白の美しい翼は元の輝きを失っていった。 


そんなソフィアの葛藤を、セルジュは苦々しい思いで見守っていた。 

セルジュには、人間界での2人の姿が驚くべき事ながらごく自然なものとして映っていた。 

彼が悪魔だという事はすぐに気がついた。
しかしダニエルのソフィアを見つめる眼差しが、目には見えない翼を広げ精一杯ソフィアを守ろうとしている様子が、どうしても彼がソフィアを誘惑しているようには見えなかった。


俄かには信じられない事であったが…ダニエルは、心の底からソフィアを愛しているように見えたのだ。

そして、ソフィアもはっきりと自覚している風ではなかったが、それをどこかで受け入れていた。 


そんな2人に一体何が起こって、ソフィアがセルジュと共に天界に戻る気になったのか…。

しかし、ソフィアは頑として真相を語ろうとはしなかった。 


今…どうするのが2人にとって1番良い事なのか。
いくら考えても、答えは見つかりそうになかった。 
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