紅に燃ゆる〜千本桜異聞〜

吉野 那生

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第一幕〜初音〜

郷の方の覚悟

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ここは私がいた所よりももっと、『主従』や『一族』、『家』『父親』の力の強い男社会なのだ。

改めてそう思い知らされた。


女性は意思も力もないように扱われ、逆らう事は許されない。
また女性の方も家の為、夫の為、あるいは子の為、その身を犠牲にする事も厭わない。


愛妾という弱い立場の静御前に対し、正妻という絶対強者の郷の方。

にもかかわらず、彼女もまた男社会の被害者だった。



この時の私はまだ、知るすべもなかったけれど…。


***


平家滅亡の立役者の一人として、一躍『時の人』となった義経…様。

歴史上の人物『源義経』として覚えたから、今更『義経様』なんて、変な感じなんだけど。
お世話になってる静御前の愛する人だし…。
なんていったって『歴史上』じゃなく、『今』目の前にいる人だからね。


ともあれ、彼と源氏の頭領である兄頼朝との仲は、相当拗れているのだとか。

疑いをかけられた事に対し、直接弁明しに鎌倉まで行ったのに、会う事も出来ずに追い返されたってんだから。


もうね、兄弟喧嘩も大概にしなさい!って感じよね~。


なんて、他人事だから言える戯れ言だけど、当事者である郷の方様の心痛たるや…。
痛々しくて、とても見てられなかったらしい。

なので京の都で一番人気の白拍子、静御前の舞で気晴らしをしてもらおう!という内容のお手紙だったと静御前に教えてもらった。


それを言い出したのが義経様で、静御前と義経様の関係は郷の方様も知っている上での発言ってところが…。


なんだかなぁ~~。

私の感覚と彼らの感覚は違うんだろうな、としか言いようがないわ(汗)
こっちでは側室愛妾当たり前だもんね。

私なら絶対嫌だし許せないけど!




話が逸れたけど、今、郷の方様の前で静御前が舞を披露している。
私も下女として、禅師様共々続きの間に待機していた。


静御前の凛とした佇まいは、例えるなら誇り高く匂い立つ白百合。

対する郷の方様は楚々として可愛らしくて、菫のような女性…ううん、女の子だった。


聞けば年は17。
頼朝の命で義経様に嫁いだ、まだ新婚さんらしい。


静御前の舞が終わり、郷の方様が何か声をかけている。
その雰囲気は和やかで、義経様を間に火花を散らす正妻と愛妾にはとても見えない。


なんていうか、郷の方様って育ちのいいお嬢様がそのまま奥様になったって感じ。


義経様、郷の方様に静御前、ご家臣達で和気藹々とお話をされているんだけど…。
そこに居る筈の人がいない事に、フッと違和感を感じた。


そっか、義経といえば弁慶!
ある意味セットの筈の彼が居ない。


それは静御前も気になっていたみたい。

自然と話が弁慶の事に移り…って、あらら、義経様随分とおかんむりの様子。

漏れ聞こえてくる話によると、内裏にて後白河法皇の側近の人に、失礼な言動をしたらしい。

そのせいで義経様大ピンチ!なんだって。


弁慶って義経の腹心で主君思いのイメージがあるんだけど…その思いが強すぎて、周りが見えなくなっちゃうタイプなのかな?

色々な人が取りなしているところを見ると、悪い人ではないんだろうけど。

そうこうしている間に、弁慶がしょんぼりしながら出てきた。



——でっかい!



あくまで私は下女。

続きの間という皆様のお側にいるし、話もところどころは聞こえてくるけれど。
基本は空気のように、大人しく控えていなければならない。
まじまじと見つめるなんて、以ての外。

なので、こっそり視線を上げて盗み見た弁慶は、この時代の人には珍しい大男だった。


腕も首も太く、いかつい顔にがっちりした体つき。
背も高くなくて線の細めな、いわゆる優男な義経様とはある意味正反対。


そんな熊みたいな弁慶が、これ以上ないというほど体を小さくして、義経様の前に進み出た。

悄然とうなだれる弁慶に、義経様は冷ややかな目を向けられるばかり。
見かねたのか郷の方様が声をかける。

「主君が船なら家臣は水のようなもの。
家臣のそなたが荒波立てれば、主君たる船は転覆。
そうなっては、主君の為などと言い訳は通用せぬ。
よくよく考えて、短慮は慎みなされ」


…大人しい奥様に見えて、言う事ははっきり言うのね。

でも主君義経様だけでなく、奥方である郷の方様もが苦言を呈するからこそ、弁慶には堪えるのかしら。

大きな体を小さく丸めて、しおらしくしているわ。


これには義経様も許さざるを得なかったみたい。

一言二言、声をかけてあげてたの。

そしたら弁慶の顔がパッと明るくなって。

…気のせいかな。
熊のような彼に尻尾が見えるわ。
もの凄い勢いでブンブン振られている、大型犬のような尻尾が。

ある意味、とってもわかりやすい人なのね。


***


それからしばらくは、皆さんで和やかにお話しされていた。

だけどお屋敷内が急に慌ただしい雰囲気になり、一人の男性がやってきたの。


その方は川越太郎重頼様。

鎌倉からの使者であり、あとでこっそり教えてもらったんだけど、郷の方様のお父さんという人だった。


私達や静御前、郷の方様は別室に移り、義経様が対応に当たられる事になった。


離れた部屋にいるので、詳しくはわからないけど緊迫した雰囲気は伝わってくる。


「禅師様、鎌倉からのご使者という事は…?」


部屋の隅っこで控える私達は、隣室にいる郷の方様や静御前達からは見えない。
なので小声で禅師様にお尋ねしてみた。

「おそらく何がしかの詮議のため参ったのであろう。
先だって義経様が院から賜った鼓の一件、その事やもしれぬな」


禅師様の説明によると、平家を討った源氏が力をつける事を嫌がる人が、宮中に居るのだとか。

それが後白河法皇の側近、左大将藤原朝方。

偽の院宣をでっち上げ、初音の鼓を義経様が断れない形で下賜した上で、その件をよりにもよって鎌倉へ内通。

頼朝と義経様。
あわよくば兄弟共倒れを狙い、その隙に自分が天下を…と目論んでいるらしい。



禅師様から説明を聞いている間にも、先程までの和やかさが嘘のように、屋敷内が物々しい雰囲気に包まれていく。


「これは…ただ事ではない。
お静、覚悟を決めよ」

 
——え?

覚悟って…そんな、何の覚悟?
いやいや、禅師様ちょっと待ってよ。

嫌な予感しかしないんですけど!


大人しく控えているふりをしながら、油断なく辺りを探っている禅師様。

「いざとなったら私から離れるでないぞ」



その時だった。

隣室から声が上がったのは。



何が起こったのかはわからない。

けれど郷の方様の悲鳴のような声が聞こえてきて。


そして…


「その言い訳は私自身が!」


という言葉の後、急に辺りが静かになった。




「…禅師様」

なんだか急に怖くなって、声が震えてしまう。

よくわからないけど、何か良くない事が起こっている。
そんな気がして、とても…とても怖かった。


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