紅に燃ゆる〜千本桜異聞〜

吉野 那生

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第一幕〜初音〜

鎌倉からの討手

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何が起こったか、わからないままの逃走劇だった。


その時わかっていたのは、何か良くない事が起こったという事。
それも決定的な…私達の運命を大きく変えてしまうような、何かが。


***


あの後、静御前が私達が控えていた部屋に飛び込んできた。

「鎌倉からの討手じゃ。
この屋敷ももうじき囲まれよう。
その前に逃げるのじゃ」

「そなたは⁈」

顔色を変えた禅師様を宥めるよう、静御前は笑った。


…笑って見せたんだよ、私達の為に。


「私は九郎様の為にまだやる事がある。
母様とお静は逃げよ。
供の者を付けると九郎様が言うてくだされた。
すぐ追いかけるゆえ、私の事は気にせずに行くのじゃ。
さ、早う」


追い立てられるように屋敷を出される間際、振り向いたら静御前はニッコリと笑ってくれた。

「また、会えるよね!」

「むろんじゃ、稲荷大社にて待て」


禅師様の指示で、万が一にも見咎められないよう小袖を被り顔を隠す。


——そうだった。

私は静御前と瓜二つ。
万が一『静御前』として捕まれば、大変な事になってしまう。


そうして私達は、義経様のお屋敷を抜け出し、鴨川に向かった。


今から向かう伏見稲荷大社は、我が桜宮神社の総本社。
小さい頃、何度かおばあちゃんに連れられてご挨拶に来た事はあったけど…。

記憶の中の京都市内は道も広く、舗装されていて交通量も多かった。
けれど、同じ七条通の筈なのに今は全然違う。

というより逆か。

舗装の技術はともかく、道を広くする必要性はまだないのかも。
大抵の人にとって、移動の手段は自分の二本の足。

あるいは馬か、稀に牛車か。

どちらにしても、大型トラックのすれ違えるような道幅はなくても良いって事よね。


砂埃の舞う細い道を走り、何度も周囲を警戒しながら鴨川まで走る。

幸いにも誰にも見咎められず鴨川に辿り着き、雑草の生い茂る川沿いを南下。


なんとか伏見に辿り着いた頃には、日もすっかり落ちて辺りは暗くなっていた。



でもさすが全国の稲荷神社の総本社。
お山自体が信仰の場という事もあって、稲荷大社前には時代劇で見るような、茶屋や土産屋、宿がいくつか軒を連ねていた。

禅師様の判断で、人目を避け奥まった所にある小さな宿を取る。

見る者が見ればわかるようにと、持っていた手拭いを軒に吊るしておいた。



こっちに来て、草履にはだいぶ慣れたと思ったし、向こうでも雪駄を日常的に履いていたから大丈夫と思ったんだけど…。

草履を脱ぐと鼻緒で擦れた所から血が滲み、泥が付いていた。

宿の人がたらいに水を汲んでくれたので、足を浸し泥を落とす。


——か、かなり痛い。

顔を顰めたからか、禅師様がひょいと足元を覗き込み、持っていた薬を傷口に塗り込んでくれた。

屈み込み、私の足を手当てしながら
「私の事は“母様”と」
と小声で言われる。


そっか、どこに鎌倉の討手がいるか分からないもんね。

私が静御前と間違われる事もだけど、静御前が義経様の側にいる限り、禅師様も討手にとっては都合のいい人質になり得る人。


迂闊に名前を呼んじゃダメって事ね。


***


その後深夜に静御前が。
夜明け前のまだ暗いうちに義経様が。
相次いで人目を忍ぶよう宿に到着された。

何があるか分からないから、床にはつかず待っていようと思ったんだけど…昼間の疲れが出たのか、気がついたら壁にもたれたまま眠ってしまっていた。

禅師様に揺り起こされ、肩に着物がかけられていた事に気づく。


「ありがとう、母様」

この部屋にいるのは禅師様と私だけ。
という事は、必然的に着物をかけてくれたのは禅師様という事になる。

そんな身内のような心遣いが嬉しくて、微笑むと

「…その顔、その声。
まこと静と瓜二つじゃ」

禅師様も、何とも言えない優しいお顔をされた。


私を通して静御前を見ているんだと感じた。

そうよね。
やっぱり実の娘だもん、心配よね。


——静御前、大丈夫だったかな。



「義経様も静殿もご無事じゃ。
ただ今腹ごしらえをしておられる。
落ち着かれたら話も出来ようほどに」


義経様のご家臣の言葉に、ホッとしたのは禅師様も同じ事。

目を見交わしてお互い安堵のため息をついた。


——良かった!


静御前も義経様も、ご無事でほんと良かった。

鎌倉からの討手がどれ位の人数なのか分からないけど、何とか振り切って来られたのね。




それから暫くして、私達は義経様のお部屋へ呼ばれた。


部屋に入り、まず驚いたのが義経様方の人数の少なさ。

武士と思われる人はたったの二人。
あとは下男という感じの人が三~四人程度。

そして、静御前。

たったこれだけの人数で、振り切ってこられたというの?


それに…郷の方様の姿が見えない事も気になる。

あの時聞いた悲痛な声も。



「磯禅師、並びに遠縁の娘静にございます。
義経様におかれましては、ご無事で何よりでございました」


ハッと気付くと禅師様が頭を下げるところだった。
私も禅師様に倣って頭を深く下げ、決して目を合わさないようにしておく。


「そなたらも無事で何より」


無難な挨拶の後は、状況説明というか愚痴というか…。

語られた内容は、胸の痛いものだった。




義経様の正妻、郷の方様。

彼女は鎌倉からの使者、川越氏の娘…なんだけど、平時忠の養女となった過去があったんだって。

あくまで実父は川越氏。

だけど、頼朝にしてみれば平家の女を嫁にするとは何事!という、言いがかりじみた理由で、討手を差し向けたのだとか。

まぁ、その他にも理由はあったんだけどね。


ともかく郷の方様を正妻にしたせいで、反逆の意思ありと疑いをかけられた義経様。

それを知った郷の方様は、義経様の危機を救うべく自らの命を絶ったらしい。



まだ十七歳の…少女といっても差し支えない女の子が。

……自らの命を。



なんて覚悟なんだろう。

あんなに可憐で可愛らしかった人なのに、夫の為、お家の為とあらば命を差し出す事も躊躇わない。



時代が違うからなの?

武士の妻なら、その身を犠牲にしてもお家を守らなければならないの?


何だか…切ないよ。
胸が痛いよ。


小説や時代劇なら「妻の鑑」とか言われるんでしょうけど、まだ十七の女の子が死んでも守りたかったモノって…何なの?



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