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9章 壊れていく日常

7話 何のために

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「――それで、十数年後騎士になった俺の所に、その副院長から手紙が来た。『村が魔物に何度も襲われて苦心している。助けて欲しい』と」
「随分……都合のいい話だ」
 
 カイルが顔をしかめる。確かに無実の罪をなすりつけて追放しておいて、有名になった途端助けてくれなんて虫が良すぎる。
 
「『もし助けてくれたなら過去の罪はないものとし、この村の土をまた踏むことを許す』ともあった」
「……ひどい……でも、助けに行かれたのですよね?」
「ああ。他の騎士は『戦術的価値も資源もない田舎にわざわざ騎士が行かずとも、傭兵などを派遣していればいい』とか言っていたが、俺は行った――自分を虐げた村を、助ける価値のない村を助けたら、俺の評価が上がるからだ」
「…………」
 
 全員、何も返せない。
 
 どれくらいの数のどれくらい強力な魔物が相手かは分からないが、全くの打算でも村を、人を救ったのならそれはすごいことだとオレは思う。
 ――オレは、このグレンという男は評価を欲しがったり強い恨みを抱いたりする人間とは思っていなかった。
 だってコイツは、剣を振るう時以外はいつも何かふわふわしていて何を考えているか分からない、ちゃらんぽらんなトボけた兄さんだったからだ。
 この負の感情まみれの方こそが本当のグレン・マクロードで、オレが見てきたのは虚像に過ぎなかったのだろうか。
 
(ちがうな……)
 
 どちらかだけが本当なんてことはない。どっちも本当なんだ。
 ただ、今はその均衡バランスが大幅に崩れちまってるだけ……オレだってそうだったじゃないか。
 
「……村を助けたあたりから、同じような夢を見るようになった。子供の声で『どうしてどうして』と繰り返してる。頭痛とめまいがするようになって、そのうち何もしたくなくなった」
「それで、消えてしまったのか。誰にも何も言わず……」
「何をやっても大多数の人間は評価もしないし感謝もしない。それどころか例の村を助けたのも、魔物を俺が呼び寄せて襲わせた自作自演の救出劇じゃないかとか言う奴すらいた」
「な、なぜです……」
「ノルデンには魔物が山程いて、俺がノルデン人だから。俺が……」

 そこまで言うとグレンは大きく息を吐き出し、歯噛みをして握った拳を震わせた。
 
「……俺が何をしたというんだ……」
 
 グレンから立ち上る黒い瘴気はますます色濃くなりこの広い食堂と厨房を覆い尽くすほどになっていた。
 水門が崩壊し溜め置いた水が一気に流れ出たかのように、憎悪の吐露が止まらない。これが、これこそが本当の闇堕ちなのか。
 今までコイツは相当に、恨みや憎悪を溜め込んでいたんだろう。
 そしてネロの一件が、最後の一押し。あんなくだらない人間のくだらない一言が、人一人を完膚なきまでに壊した。
 
「お前は何もしてない……あの街の人間は、お前が弱い時はお前をいびって、強くなれば遠巻きにヒソヒソと悪口を言う。口だけは達者だ。弱さを盾に強者をいくら攻撃してもいいと思ってる。それなのに、守られるのは当然の権利だとふんぞり返っている。地域性なのか知らないが、陰湿なクズばかりだと俺は思ってた……もちろんそうじゃない奴もたくさんいたが」
「……成り上がって地位と名声を得るために騎士をやっていた。でもどこまで行っても金目当ての薄汚いカラス。騎士の誇りもくそもない人間の評価なんてそんなものだ」
「……お前はよくやってたと、俺は思う」
 カイルがそう言うと、黒い瘴気が少し鳴りを潜める。
 
「……これから、どうしようかと思って」
「どうする、か……とりあえず、当面魔物討伐は俺一人で行ってくるさ」
「え……? ああ」
「お前はここで、とりあえず静養してろよ。赤眼となれば、保養施設には入れないかもしれないから」
「そうですね。この砦は多くの保養施設と同じように自然も多く、静かでのどかですから。羽根を休めるのにはちょうどいいと思いますわ」
「……」

 カイルとベルの返答に、グレンは拍子抜けしたような顔をした。
 
「なんだよ」
「ここにいるのは……危険だ。何をしでかすか分からない」
「『赤眼になりました』『そうですか危険ですね死んでください』って憲兵や聖銀騎士に引き渡せとでも? 断るね」
「だが――」
「あのさ……俺はお前の友達だよな? こんな年になってこんなこと言うのは寒いかもだけどさ。……どうも俺はお前に『長年の友人を即座に切り捨てる冷血人間』と思われてるらしい、全く傷つくよなぁ」
「…………」
「他は? 何かあるか?」
「あの……紙を」
「あの紙……"介錯同意書"か」
 
 介錯同意書というのは、赤眼になった人間の処遇を国に一任するとかなんとか書かれた紙。家族や関係者がそれに署名をする。
 以前オレが赤眼になりかけた時にグレンがそれを渡されていたとカイルから聞いた。
 
「もし渡されても……、親方には――」
「渡すわけないだろ。安心しろ」
(『親方』……?)
「頼む……あんなもの渡されても困るだろう、家族というわけでもないのに」
「……っ、ふざけるなよ、お前……!」
 
 グレンのセリフを聞いたカイルが机を叩いて立ち上がり、右手でグレンの胸ぐらを掴んだ。
 
「カ、カイルさん……っ」
「おいカイルどうした、落ち着――」
「恨み言とか汚い感情とか、それを吐き出すのは好きにしろ、俺のことだって別にどう思ったっていい……でも今の一言は許さないぞ、お前……っ」
 
 グレンは何も言い返さない。胸ぐらを掴まれっぱなしで、虚ろな目でカイルを見るのみ。
 立ち上っていた黒いオーラは今は消え去り、あの黒い小さな影だけがぼんやりと目を赤く光らせてその様子を見ている。
 
「騎士になったのは成り上がるため、地位と名声のため? 確かにそれもあるだろうな。……でも、違うじゃないか!」
 
 言葉の途中でカイルはもう一方の手も使って胸ぐらを思い切り掴み、自分の方へ引き寄せる。
 
「身勝手な奴らにつまらない噂を立てられて、憎いと思ってもそれを押し込めて押し込めて……壊れてしまうまで耐えてやってきたのは……!」
「……っ」
「親方の……ためじゃないかっ……!」
 
 そこまで言うとカイルはグレンから手を放し、どっかとイスに乱暴に座る。そして自分の髪をグシャグシャに掻きむしり、右手の拳でまた机を叩いた。
 
「……親方にもおかみさんにも何も言わずに、店の前に親方の剣と大金だけ置いて消えやがって……!」
 
 解放されたグレンはそのまま、落ちるようにイスに座る。全ての糸が切れた人形のようにぐったりとして――イスがなければ、そのまま地面にくずおれていただろう。
 さっきまで憎悪を吐き出していた様子とは打って変わって、心にも身体にも何の力もない。
 今この男を動かすことができるのは、激しい怒り、憎悪――心の闇だけがこの男の眼に赤い光を灯す。
 
 ――どうして、こんなことに。
 
 頭の中をレイチェルの顔がふっとよぎる。
 アイツが、恋人がいても一晩で一気にあっち側に堕ちてしまうくらいにこの男の闇は深いのか。
 このことを知ったらアイツはどういう反応をするんだろう。グレンは、レイチェルとのことをどうするつもりだろう――。
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