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10章 "悲嘆"

2話 魂の色

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「あれ、兄貴。帰ってたんだ……どうしたの?」
 
 医務室を後にしてメシでも食べようと食堂に行くと、兄が食堂のテーブルに肘をついて頭を抱えていた。
 確か今日は、紋章使いで闇堕ちをしかかったという学生時代の友達と会って話を聞くと言っていたが……。
 テーブルの向かいにはルカが座っている。泣いたあとなのか、眼が腫れぼったい気がする。
 
「ああ、カイルか……。いや、ちょっとひと悶着もふた悶着もあってよ」
「何、どうしたの」
 
 そう聞くと兄はルカを一瞥いちべつして大きくため息を吐いた。
 
「いやさ、グレンが『君が出かけてしまうとルカが一人になるから連れて行ってやってくれ』っていうから一緒に街に行ったんだよ。で、オレは友達――アルノーっていうんだけど、ソイツと会ってる間ルカは植物園に行ってもらって、話終わったあとルカを迎えに行って……そん時アルノーも一緒だったんだけどさぁ……」
「お兄ちゃま……だもん……」
「『だもん』じゃねえんだよなぁ……ハァ」
「お兄ちゃま? って、グレンをそう呼んでたんだっけ」
「そう。で、アルノーを見た瞬間に大声で『お兄ちゃま!!』って叫んで抱きついちまって」
「わぁ……」
 
 以前グレンから聞いた話と同じ状況だ。
 歩いていたら急に腕に巻き付いてきて、「お兄ちゃま」と連呼しながらどこどこまでも追いかけてきた。
「自分と同じに紋章があるからそう思ったんじゃないだろうか」とグレンは言っていたが……。
 
「紋章の、ぬくもりがあったの。だから、あの人はわたしのお兄ちゃま」
「違うっつってんじゃん。アイツ『妹はいない』ってめっちゃ言ってたじゃん。オレもアイツから妹がいるって話聞いたことねーし」
「でも」
「『でも』じゃねえんだよなぁあ~~、あんな怒らせてどうすんだよ~~~~」
「……怒らせちゃったんだ」
「そうなんだよ……『二度とこの子を近づけないで』ってさぁ。アイツ物静かで大人しいのに大声だして怒鳴っちまって……あんなに怒るなんて……はあぁ~~……」
 
 椅子に思い切りもたれかかって兄は天を仰ぐ。……どれくらい怒らせたんだろうか。
 ルカをチラリと見ると、顔を真っ赤にしてうつむいて涙をぽろぽろと流していた。
 
「……おにい、ちゃま……だもん」
「……兄貴」
「う……泣くなよ……」
「ルカ……ええと、なんでその、アルノーという人をお兄ちゃまだと思ったの?」
「もんしょう、が……紋章の、ぬくもりが、あったの。お兄ちゃまなの」
「「…………」」
 
 先ほどと同じ返答。
 涙ながらに言われてしまうと無下にもできないのか、兄はため息を吐きながらルカの頭をなでた。
 
「悪かったよ、泣くなよ。……けどさ、なんというかその、グレンもそうだけど、人種違うだろ? 目も髪も全然色が違うし」
「色なんて……分からない。でも、あの人、わたしっ、ア……っ、の、……ううっ、ヒッ……、うえええ……」
「……兄貴」
「う……悪りい、つい……。ゴメン、ルカ。悪かった。言い過ぎた」
「ヒッ……、うう……っ、お兄ちゃま、お兄ちゃま……」
 
 花が枯らされた時と同じように、ルカは兄を求めて子供のように泣きじゃくった。
 
 
 ◇
 
 
「はああああぁ……やっちまったぜ……」
 
 机に額をくっつけて兄はため息をつきまくる。
 ルカは自室に戻らせ、あのあとすぐに帰ってきたベルナデッタがついてくれていた。
 
「……戻りました」
「お帰り。ルカは?」
「眠りました。睡眠導入剤を飲んでもらいましたわ」
「そうか……」
「あたし達、バタバタしすぎてあの子のこと全然ほったらかしでしたわね。……反省しなければ」
「確かにそうだ……」
 
 ここ数週間で、ルカの周りはめまぐるしく変化していた。
 花を育ててその日記を書いて穏やかに過ごしていたのに、あのアーテという女に全部枯らされた。
 そのショックで魔法が使えなくなり自信喪失。そこへ光の塾の司教が迎えに現れた。
 フランツが乱入しなければどうなっていたことか。
 
「フランツもいなくなったしな……」
「そうですわね。あの子、ルカになついてよく話しかけていましたし。存在が大きかったのかもしれません」
「レイチェルも今いねえしな」
「そうね……」
 
 それに加え、グレンは病に倒れ闇堕ち赤眼の状態だ。
 悩みを話す人間がおらず……そもそも感情が芽生えて間もないという彼女には、何が悩みなのかも分からないのかもしれない。
 
「はあぁぁ……」
「ジャミル君……大丈夫?」
 
 兄の隣に座ったベルナデッタが、ヘコみまくる兄の頭をそっとなでる。
 
「ああ、ダメだ。今日のオレはダメダメだぜ……アルノー怒らせるしルカは泣かせるし……はぁ」
「人種とか色が違うとかは言わなくてよかったよな」
「うう、言うなよ……。けど実際ルカってどこから来たんだろうな……ピンク髪とかどこの人種にもいなくねえか?」
「そうね。そのアルノーという彼は紫髪のディオール人なんでしょう? 仮にその彼がお兄さんだとして……ご両親がどこの国の人だとしてもピンクは生まれないわね。突然変異かしら」
 
 髪と目の色は魂とルーツを示す色。両親いずれかの色を引き継ぐ。
 俺の青髪青眼は母親由来、兄の茶髪青眼は父親由来。多くは母親の色を引き継ぐようだ。
 たまに両親の髪と目の色が混ざり合って生まれてくる場合もあり、大昔は"色混じり"などと呼ばれ差別の対象だったらしいが……。
 
「"色混じり"ってあの女も言ってたなー。銀髪以外を見下す言葉かと思ってたぜ」
「まあ銀髪ノルデン貴族が一番好んで使う言葉かもね。……それで、色混じりと呼ばれる人は魔法で色を変えたりしてたんだって」
「へ? そんなのできんのか」
「まあ、おとぎ話だけどね」
 
 ――竜騎士団領で小間使いをしていた頃に読んだ話。
 "色混じり"であるために家族から疎まれた主人公が、望む髪色と眼の色に変えてもらうため森の魔女に会いに行く。
 魔女は「そんなことは簡単だ。ただ今の名前を捨てて私が考えた新しい名前を名乗るだけのことさ」と言う。
 主人公はそれを受け入れ、色を変えてもらった。
 しかし名前と色を変えることは、別の人間に生まれ変わることを意味していた。
 主人公はそれまでの名前と人生を忘れ、家族を始め出会った人間の記憶からも主人公という存在が消えてしまう。
 でも彼女は新しい人生を踏み出しました。だから彼女は今、とても幸せなのです……そういう終わり方だった。
 
「なんか怖え話だなオイ……」
「うん。なんか背筋が寒くなったから覚えてたんだよね」
「名前と色を変えることは別の存在に生まれ変わること……それって、ジャミル君のその小鳥ちゃんと似てるわね。契約をして名前を新しく付け直して、剣だった頃の記憶はなくして……」
「あー それもそう……、あっ! そういやフランツがここ来た時『名前があるのに番号で呼ばれる、行いをよくすれば名前をやる』って言われたっつってたよな。それもつまりそういうことなのか?」
「……何? どういう話?」
「ああ、オマエ知らなかったか」
 
 父母を喪ったフランツは叔父叔母夫婦に領地を乗っ取られ、自分は「光の塾」に押し込められた。
 魔法使いは心を乱されると魔法を使えなくなる。それを避けるために喜怒哀楽一切の感情を抱くことを禁じられ、喜びは神から与えられるもののみ享受できる。
 名前は呼ばれず番号で管理され、行いを良くすれば"上のクラス"に上がることができ、そこでようやく名前を与えられる。そしてルカは、その"上のクラス"の人間。
 
「ルカは『最初からそこにいた、自分は始めからルカ』と言っていたけれど……名前と色を変えられたから過去を全部忘れてしまったということかしら」
「アルノーが『妹なんかいない』っていうのは記憶から妹の存在が消えてるってことか? そりゃつじつまは合うけどよぉ……はあああぁ……」
「兄貴?」
 
 兄がテーブルに頭をゴンとぶつけてまた突っ伏した。
 
「そんなおとぎ話を元にしたこじつけ推理ショーとか今そんな気分じゃねえわ……。はぁ……光の塾ってなんなんだよマジで……気味が悪りい」
「聖銀騎士のセルジュ殿が調べてくれるって言ってたけど、ヤバい事案しか出なさそうだね。本当に何を目的にした集団なんだろう?」
 
 ことの真偽はどうあれ、グレンほどではないがルカも相当に不安定なようだ。
 賞金首の赤眼の男は未だ捕まらない。僧侶ネロの惨殺事件もあって街はピリピリしている。
 ベルナデッタを拉致した連中の仕業かもしれないが、詳細は何一つ分からない。
 一つでも解決してくれていれば安心できるのに、次から次へと不安要素ばかりだ。
 
 花が枯らされてしまった中庭――新たに種を植えたものの、芽吹きは遠いだろう。
 ここのところずっと、雨は降らないものの曇り空で気温は低い。
 全ての事柄がまるでこの先を示唆するかのように思えてしまう。
 ……悪い風が、ずっと吹いている。
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