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10章 "悲嘆"

◆エピソード:光の塾―とある塾生の日記

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 1537年 7月15日
 
 最近のニコライ様と光の塾の在り方には疑問を覚える。
 
 フリーデン伯爵領の孤児院で暮らしていた頃、ニコライ様は本当に優しく子供達のことを考えてくれている方だった。
 あの笑顔に嘘偽りはなかったと今でも思う。
 しかしいつの頃からか、ニコライ様は変わり始めた。
 
 新しい校舎で授業をするようになった頃、私や他の塾生が紋章に目覚め始めた。
 何故このようなことが立て続けに起きたのかは分からないが、そのうちに「あの塾は紋章使いを育成している」「ニコライ様は奇跡を起こす力を持っている」などと噂が広がるようになった。
 始めは否定していたニコライ様だが、やがて「私は人の秘めたる力を引き出すことができる」「神の手を持っている」などと主張しはじめた。
 
 ニコライ様には魔法の資質がなかった。
「兄や弟にはあるのに残念だ。だが私は差別されてはいないし、十分に愛されているから満足だよ」と少し寂しそうに笑いながら言っていた。
 
 ――これは私の推測にすぎない。
 ニコライ様は、何も満足などしていなかった。
 
 魔法の力――聖光神団でもとりわけ重要視される癒やしの術を行使でき、教団内で地位を得ている兄や弟に強烈な劣等感を抱いていたのに違いない。
 自分には魔法の力はない。だが誰にもない力――人を紋章に目覚めさせる力がある。
 そして神の奇跡たる"紋章"を持つ者が魔法の力を持たない自分を敬い、感謝し、かしずく。
 これはニコライ様に万能感と優越感、そしてある種麻薬のような高揚感をもたらしたのではないだろうか。
 
 
 ――――――――――――――――
 
 1537年 8月27日
 
 毎日疲れる。
 ノルデンに居を移したはいいが、生徒は集まらない。
 その為ニコライ様は我々に「貴族の家へ行き、カラスを集めよ」と命令を下された。
 
 銀髪、魔法至上主義のノルデン貴族において「資質なし」は人間以下の扱い。その中でも黒髪は特に忌み嫌われている。
「無能の黒髪」が生まれた場合、産み落とした母親、およびその子種である父親までもが無能の烙印を押され、跡目争いからは外されてしまう。
 彼らはそんな「無能の黒髪」を、自分たちに不幸をもたらす不吉の象徴として、「カラス」と呼んでいた。
 私達は、その子供達を"救済"と称して方々へ迎えに行き光の塾の生徒としていた。
 
 自分の権威を守りたい、あるいは無能の子供を無き者としたい貴族は喜んでこちらに子供を差し出す。
 どうせ紋章に目覚めることなどないと踏んで、大金を積んでまで縁切りをしたい者も多かった。
 自分自身が孤児であったため、捨てられた子供と自分を重ねてしまう。毎回反吐ヘドが出そうだ。
 これは果たして救いなのだろうか?
 
 
 ――――――――――――――――
 
 
 1537年 9月5日
 
 いつものように、とある貴族に子供を引き取ってくれと依頼をされた。
 
 依頼してきた貴族は高位魔道士を輩出する名門貴族――確か、公爵だと聞いた。
 彼の長男は銀髪であったが魔法の資質がなかった。髪色が銀であるためにギリギリ縁を切られずにいたという。
 長男は、魔法の資質があるが黒髪という"商品価値"のない伯爵令嬢との結婚を命じられ、領地の端の別邸で暮らしていた。
 公爵は「これ以上恥をさらしてくれるな」と息子夫婦に"繁殖"を禁ずる厳命を下したが、彼らはそれに従わず子供を作った。
 その子は公爵が危惧した通りに無能の黒髪――カラスだった。
 
「こんなことが世間に知れ渡って家名が汚れては困る、一刻も早く排除してくれ。多少強引になっても構わん」
 
 今度も大金と引き換えに子供を――私は"ロゴス"と共に公爵の長男の屋敷に向かった。
 子供を見て私は驚愕した。その子はまだ1歳にも満たない赤子だったのだ。
 
 "ロゴス"はニコライ様から教わった"説得マニュアル"通りに子供の父親――公爵の息子に優しく話を持ちかける。
 
 ――この子は神に選ばれた子、神はこの子の無限大の可能性を見通しておいでだ。
 このまま放っておくのはもったいない。大丈夫、ほんの少しの期間離れるだけです。神の手により紋章が発現したならお返しすると約束しましょう。
 
 しかし公爵の息子は「魔法や紋章の有無などどうでもいい、この子が生まれただけで私達は幸せだ、この子の成長を見届けることこそ我々の幸せだ」と聞き入れない。
 
 ――あなた方がいる間はそれでいいでしょう。しかし人間はいつ死ぬか分かりません。唯一最大の味方であるあなた方が死ねばどうなります?
 この子は1人で差別と偏見にまみれた現世を生きねばならない、あなた方は"無能"と罵られ嘲られる苦しみを知っているはず、子供にも同じ思いをさせる気ですか?
 この子がいれば幸せというのはあなた方の都合でしょう、この子の幸せはどうでもいいのですか?
 
 こうやって相手の劣等感と罪悪感を刺激し揺さぶりをかけ、支離滅裂な論法でたたみかけて相手を煙に巻き最終的に肯定を勝ち取る――これが"説得マニュアル"だ。
 
 しかし、やはり公爵の息子もその妻も首を縦に振らない。
 どのような理屈で来られても、生まれて間もない我が子を見知らぬ他人に渡すなど普通の親なら拒絶して当然だろう。
 
 いつもなら「それではあなた方は不幸なままです、後悔しますよ」と言い捨てて立ち去る所だが、今回は違った。
 依頼主は公爵だ。子供を引き取ることができなければ巨額の報酬を得ることができない。
 ニコライ様は公爵に恩を売って光の塾の名を上げようとお考えだ。
 そして公爵は「多少強引になってもいいから連れて行け」と言っていた――。
 
 "ロゴス"は引き連れてきていた兵士に命令をして、母親の手から無理矢理赤子を奪わせようとした。
 兵士は激しく抵抗をする母親の手から赤子を奪い取るが、押しのけられた母親は運悪く家具の角に頭を強打し絶命してしまう。
 赤子の激しい泣き声と公爵の息子の叫びがこだまする――公爵の息子は「子供を返せ」と激昂して剣を取り兵士に斬りかかろうとするが、"ロゴス"が子供を人質に取り黙らせ、その隙に兵士が彼を切り伏せた。
 
 "ロゴス"が「これはお父上のご意向です」と彼に告げた時の彼のあの目が忘れられない。
 父への恨み節と「呪われろ」という今際の際の叫びを背中で聞きながら、我々はその場を立ち去った。
 
 子供の幸せのためとはいえ親を殺してまで奪うことが正しいこととは到底思えない――私が"ロゴス"にそう言うと、「信仰心が足りないからそう思うのだ」と冷たく返されて終わった。
 信仰心とは、一体何なのだ。
 
 
 ――――――――――――――――
 
 
 1543年 6月20日
 
 今日もあの日の夢を見た。公爵家の孫を奪った時の夢だ。
 赤子の泣き声、赤子の母親の悲鳴、公爵の息子の呪いの言葉が耳にこびりついて離れない。
 あれから何年経ったのだろう、あの赤子はどうなったのだろう。
 
 数年のうちに光の塾はもはや塾などではない、ニコライ様を"神"と崇める狂った宗教団体と成り果ててしまった。
 今や信徒は子供だけにとどまらず、ディオールやロレーヌにも修行のための施設がある。
 
 魔力や紋章の有無で人を「天使」「天使候補生」「ゴミ」などとランク付けし、「天使」以外は番号で呼ぶ。
 それを監理する側も「神父」、それに「聖司せいし」「神使しんし」だのと呼ばれている。
 "ロゴス"は司教、私は神使――その呼称のどれにも意味などない。子供に強権を振るう大人、支配される子供、それだけだ。
 
 私も"ロゴス"も、もとを正せばただの孤児。ニコライ様も、神などではない。
 "ロゴス"も"ロゴス"などという名ではなかったはずだ。だが、幼なじみなのに彼の本当の名前を思い出せない。
 "聖なる御名"を授かったために名前と魂が書き換わってしまったのだろう。
 書き換わった魂を取り戻す方法は真名まなを呼ぶことと分かっているのに、私を始め誰の記憶からも彼の真名が消えてしまっているため、それができない。
 彼はもう私の知っている彼ではない。年々、彼との昔の記憶も消えていっている。
 
 もう限界だ。脱退する。
 このことをニコライ様の父上のフリーデン伯爵に報告し、私も自首する。
 
 誰かこの日記を見る者がいるだろうか?
 この先に何も書かれていないなら、私はもうこの世に存在しない。
 
 どうかお願いだ。この馬鹿げた"神様ごっこ"を止めて欲しい。
 名前のないあの子供達を、名前を奪われ魂を書き換えられた子供達を救って欲しい。
 
 子供達よ、あの時の赤子よ。
 私は紋章を持ちながら、巨悪に立ち向かう力も勇気もなかった。
 何をやっても許されることはないだろう。
 だがせめて、君達がここを脱して幸せになることを祈らせてほしい。
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