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10章 "悲嘆"

◆エピソード―グレン:つぐない

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「少年冒険家グレン」という小説があった。
 港町に生まれ育ったグレンという12歳の少年が、友達と自宅の蔵にあった船を引っ張り出して小さな冒険に出かける話だ。
 
 この小説は大ヒットして、やがて読者の間で我が子に「グレン」と名付けるのが流行った。
 自分もそうやって名付けられたうちの1人だった。
 そもそもが珍しくもなんともない名前。それが流行りのせいであふれかえって――同じ学校に同名の者は何人いただろうか。
 
 そう豊かでもない商家の4番目の子供。跡を継げるわけでもなく、何か優れたものを持っているわけでもない。
 名前と同じにどこにでもいる平々凡々な男。それが自分――グレン・マクロードという人間だった。
 
 大人になってもそれは変わらない。
 豪華客船や貴族お抱えの遊覧船なんかでもない、ちっぽけな貨物船の船長。
 それでも仲間や部下には恵まれたし、家庭を持つこともできた。
 過ぎることも足りぬこともない生活――幸せだった。
 だがある日、それはあっけなく崩壊した。
 
「ノルデンの大災害」――地震で船が転覆し、船員ともども海に投げ出された。
 奇跡的に浜に打ち上げられ一命を取り留めたが、仲間はどうなったか分からない。
 まずは自宅に戻り、家族の無事を確かめようと思った。
 
 数日間さまよい歩き瓦礫の中でようやく自宅らしき場所を見つけ出したが、妻と娘の姿はなかった。
 瓦礫をどけていると近所の人間が泣きながら「2人は殺された」と知らせてきた。殺したのは貴族だった。
 自分はかねてより妻に「貨物船のキャプテンたるもの、非常時のための蓄えはしとかないとな」などと冗談めかして言いながら自宅の地下倉庫に食料や衣類を備蓄していた。
 災害の後、妻はその物資を近所の人間に善意で分け与えていた。それをどこからか聞きつけた貴族が略奪しようとして、抵抗する妻を斬りつけ殺したというのだ。
 妻を殺した貴族に娘が飛びかかったが、それも斬り伏せられた。
 
 あの災害を生き延びたというのに、愛する家族の命を奪ったのは人間だった――。
 
 
 ◇
 
 
「――それで闇の武器を拾った君は、その貴族を葬ったというわけか」
「そうよ」
「それは同情するが……しかし君は20人程も殺している。君の家族は20人がかりで殺されたのか」
「……敵討ちをしても何もスッとしねえ。その後、どっかで貴族が威張り散らしていると聞いては殺しに行った。その瞬間だけ心の重しが取れるんだ。その繰り返しだ」
 
 頭に響く『憎いならば殺せ』という剣の声に従い、ノルデン貴族を殺して回った。
 その声に逆らうよりも、憎しみに流される方が楽だった。
 大抵の者は自分たちを弾圧する悪辣な支配者が死んだと聞いて喜んだ。
 平凡にしか生きられなかった自分がもてはやされているように思えて気分が高揚した。
 
 世直しを気取って貴族を斬りまくり、仮初かりそめの正義に酔った。
 
「……話によれば君は禁呪の魔器ルーンになる宝石を大量に所持し、誰かの命令でそれを使うよう言われていたということだが」
「……それは言えないねえ。実は俺の体内にもそいつが埋まってんだ、一言でも喋ればこの場で"ドカン"よ。おっさんの肉片を見たいかい? 二度と肉食えなくなるぜ」
「…………」
 
 拳をバッと広げ爆発のジェスチャーをすると、取り調べをしている騎士が無言で顔をしかめた。
 
 ――ふざけて言っているが本当のことだ。
「貴族狩り」に強烈な空しさを覚えた自分は街に出るのをやめ、山に隠れ住むようになった。
 人間に会わなければ精神が落ち着く――このまま何もせず、人生が終わるのを待とうかと思っていた、そんな矢先のことだった。
 
 赤い宝玉が埋まった妙な魔物に襲われ、片腕を喰われた。
 身体から熱を伴う蒸気を発し口からは唾液の代わりに泥を垂れ流す、およそ自然界のものと思えない姿態の魔物だった。
 とうとう自分もここで死ぬかと思って呻いていたとき、「申し訳ありません」と声をかけられた。
 
 顔を上げると銀髪の女2人と黒髪の男が立っていた。全員ノルデン人だ。
 女は"アーテ"、"エリス"、そして男の名前は"ロゴス"といった。
 
 アーテという女が「こんなのじゃ実戦に使えないじゃない」とロゴスの横面を引っ叩いてなじり、エリスがそれをなだめる。
 ロゴスは叩かれても意に介することなく、ニコニコと笑いながらしゃがみ込んでこちらの顔をのぞき込み「大切な腕を、すみません」「弁償します」と言って赤い宝玉を数個持ち額の紋章を光らせた。
 すると足元の土がボコボコと盛り上がって腕の形を成し、そして左腕の切断面に吸着した。
 腕の痛みはなくなったが身体が熱く、強烈な頭痛と吐き気を覚えた。
「何をしたのだ」と問うても返答はなくニコニコと笑うだけ。
 そして「赤眼の人間に"ゴーレム"を使わせてみるのはどうでしょう」とエリスに提案する。
 それを受けてエリスは微笑み、「それなら彼にも名前をあげましょう」と手にした赤い宝玉を光らせ、頭に手を当ててきた。
 
「あなたの名前は――そう、"アルゴス"にしましょう」
「良い名前です」
「ふふ、でしょう? ねえアルゴス、お願いがあるの。嫌いな子がいて……ちょっと脅かして泣かせてきてほしいのよ」
 
 ――そう言われたところで意識は途絶えた。
 
 次に"自分"としての意識が戻ったのはどこかの地下牢の中――20年あまりずっと名乗っていなかった名前を呼ばれた時だった。
 俺を呼んだのは、かつて自分が名前を分け与えた子供だった――。
 
 
 ――――――――……………………
 
 
「……ふね、と、うみ、が、みたくて……それで、さがしています」
 
 そいつは孤児の多いノルデンでもなかなか見ない異様な子供だった。
 まばたきが極度に少なく、ギョロリとした目は目線がどこにあるのか分からない。
 たどたどしい口調に不釣り合いな敬語。同年代の自分の娘と比べると全く子供らしさがない。
 部下が泥棒扱いしたことを詫びて頭を撫でようとすると、即座に目をギュッと閉じて頭をおさえた。
 
 ――その動作だけで、どんな扱いをされている子供か分かってしまった。
 
 聞けば名前がないと言う。
「神に祈り行いを良くすれば名前がもらえて、ゴミから人間になれる」とも。
 戦争が起きてからというものの孤児が増え、この子供のように悪質な孤児院で人間以下の扱いを受けている者も少なくなかった。
 
「いいこと考えたぜ。おいボウズ、お前に俺の名前をくれてやろうじゃないか」
 
 ほんの気まぐれだった。
 ちっぽけで無骨な貨物船――それでも自分が誇りに思っているものを、目をきらめかせながら「綺麗」と言われたことが嬉しかった。
 何かをしてやりたかったが、引き取って育てるほどに裕福ではないし、自分の家族だけで手一杯だ。
 それならせめて「祈って良い行いをすれば名前をもらえて人間になれる」などというバカげた幻想を壊してやろうと思った。
 
 特段、珍しくもない名前だ。
 成長してから「この名前はありきたりでつまらない」と思うようなことがあれば、遠慮なしに違う名前を名乗ればいい。
 引き取ることはできないが、せめて下働きならどうだろうと思い誘ってみたが断られた。
「神様が見ている」と言っていた。それならそれで仕方がない。
 
 もう会うことはないだろう、そう思っていた……。
 
 
 ――――――――……………………
 
 
「何が、"アルゴス"だ……あんたの名前は、"グレン・マクロード"だろう!!」
 
 まさかあの子供とこんな形で再会を果たすとは。どういう運命の巡り合わせだろう。
 あれから20年ほど経っていた。
 俺は落ちぶれ、あの子供は精悍な顔つきの立派な大人になっていた。
 
 ――本当にすごかった。
 こいつの剣術は本物だ、足を踏み出したと思ったら次の瞬間には腕が飛んでいた。
 もう一人の竜騎士の男と同じに、どこか軍にでも入っていたんだろう。
 同じ年頃の時の自分よりも、もっとずっと立派だ。
 
「『お前はゴミじゃない、人間だ。人間は生まれた時から人間だ』『ゴミになる人間はいるが』と、あんたは昔、そう言った……のに……」
 
 ――ああ、言った。確かにそんなことを言った。
「誰も見ていないからいいが、少し格好付けすぎたかもな」なんて後で思った。
 まさか相手がそんな何気ない一言を支えにこの先生きるなんて考えもせず――。
 
「キャプテンは、ゴミになってしまったのか!?」
「…………」
 
「キャプテンの火は、汚い……!」
「…………」
 
 貨物船を「綺麗」と言って目を輝かせたあの子供が、怒りと悲しみのにじんだ目で俺を睨み「汚い」「ゴミ」となじる。
 こいつはかつて気まぐれに与えた「グレン」という名のガラクタを宝のように持ち続け、俺を誇り高い海の男だと思って生きていたのだ。
 俺はそれを裏切った。こいつの中の"子供"を泣かせてズタズタにした。
 
「お前は人間だ、人間は生まれた時から人間だ」と言ったくせに「カラス」と蔑み罵詈雑言を吐いた。
 昔、ぶつかってきただけのこいつに対して俺の部下がカラス扱いして殴ろうとした。
 俺はそんな部下を「ガキンチョにも非があるみてえな言い方するな」なんて言って叱責した。
 
 かつて平凡ながらも善良に生きていた頃の自分の発言が全部返ってきた。
 
 俺は……妻と娘とこの青年ばかりでなく、ちっぽけながらに誇りを持っていたかつての自分すら裏切ったのだ――。
 
 
 ◇
 
 
「もういいだろう、騎士の兄さん……さっさと殺してくれよ、赤眼なんて生かしておいてもいいことはないぜ。いつこの身が爆発しちまうかも分かんねえしなぁ」
「……明日にでも刑は執行されるだろうが、勘違いをしないでほしい」
「?」
「君は赤眼だから死ぬのではない、人の命を奪ったから裁かれるのだ。順番を待たずして処刑されるのは、君が言ったように身体に何かしら仕掛けられているからだ」
「…………」
 
「『銀髪の貴族を殺した』と君は言うが、そんな生き物はいない。君が殺したのはノルデン人だ。人間の尊い命を奪ったのだ。それはどのような国でも宗教でも赦されることではない」
「…………」
「……最後に遺しておきたい言葉があれば聞くが」
「へっ、人殺しに喋るチャンスがあるのかい」
「有無を言わさず殺したのでは君がしたことと変わらないだろう」
「…………」
 
 拷問されるわけでもなければこちらを罵りもせず、軽口を叩いても乗ってこない。
 これ以上は空しいばかりだ。もう終わりにしよう。
 だが言葉を遺せるのならば、これだけは伝えてもらおう――。
 
「……俺を捕まえたノルデン人の兄さん、名前はなんといった」
「グレン・マクロード殿か?」
「そうだ、立派な名前じゃねえか。そいつに伝えてほしい……『お前の宝物を侮辱してすまなかった。どうかこれからもその名前とともに、誇り高く生きてほしい』と」
 
 ――傷つけてすまなかった。俺はひどいことをした。お前の幻想をぶち壊した、俺は悪い大人だ。
 
 誰も俺の名前を知らないから、俺は名乗らずに死ぬ。
 名乗れば「グレン・マクロード」という名前は罪人のものになってしまう。
 俺がガラクタだと思って捨てたこの名前を、お前の誇りだけは守らせてほしい。
 
 それが俺にできる、せめてもの償いだ――。
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