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11章 色と名前のない世界
14話 君に伝えたい言葉を、全部 ※暴力描写あり
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「ウィル! なんであんなのまで呼んだんだよ!」
『私は招いておりません』
「じゃあ、なんで!」
『この闇の主が呼んだのでしょう』
「はあ!? なんでだよ……!」
兄が、いつものように鳥の姿になって肩に止まっている使い魔に苦情を入れる。
ぶちのめされて涙ながらに謝り倒していたアーテは、先ほどのことなどなかったかのように黒いヘドロの子供を蹴り飛ばし、杖で殴打しながら罵詈雑言を吐き散らかしている。
――よくもさっきはこの私を、カラス、死に損ない、バケモノ、さっさと死ね……。
「やめろっ!!」
「あら……」
大声で怒鳴りつけるとアーテは銀の髪を撫で付けながらこちらを振り向き、フンと鼻を鳴らす。
「お前達もここへ呼びつけられたの? ……『意識の闇の世界』ですって。フン、大迷惑だわね! こんな所に引き込んで過去をダラダラと見せつけて……『かわいそうに』って抱きしめて頭でも撫でてほしいのかしらぁ?」
歌うようになめらかに罵倒の言葉を口にしたのち、口元に手の甲を添えてアーテは高笑いをする。
「汚え……」
「ああ。全く……本当に、汚い。醜悪だ」
兄が心底不愉快そうに顔をしかめてポツリとつぶやき、俺もそれにならった。
こいつとの言い合いは無駄だ。精神ばかりすり減って体調を崩す。
無視するか、奴に対して抱いた感想を吐き捨てるくらいしかできない。
「あーら、怖いお顔。でも私の言っていること、何か間違っているかしらぁ?」
「…………」
だが、いつまでも喋らせておきたくない。
どうにかしてここから追い出さなければいけないが、何をどうすればいい。
「……"北軍将"なんてカラスにしてはやるじゃないと思ったけれどフタを開けてみればこれだもの、ウジウジして気持ち悪いったらないわ! そんなに消えたければ一人で消えなさいよねえ」
「……やめろ。あいつを、カラスと呼ぶな……!」
「なぁに? 黒髪は下等なカラス。何か間違っていて? ああ……それとも、"死神"とか"魔王"の方がよろしいかしら、グレン・マクロードさぁん?」
「な……!?」
アーテに腹を立てるよりも先に、奴の口から出た固有名詞に驚きを隠せず俺達3人は顔を見合わせた。
――あいつ今、"グレン・マクロード"と言ったのか?
この闇の主であるあいつの名前は呼ぶことはおろか、記憶していることすらできない。
それなのに、よりによってどうしてあいつが。
試しにその名を言ってみようとするもやはり口から出ず、今聞いたばかりなのに一瞬で心からかき消えてしまう。
「……どうして、あいつの名前を……」
「名前がなんだと言うの? "グレン・マクロード"……冴えない名だわ。どこにでも転がっているどうでもいい名前ねえ」
「気安くその名前を呼ぶんじゃねえよ、侮辱しやがって! ……どうやったらてめえみたいな人間が出来上がるんだ、本当にその名前の通り破滅的に愚かだな!」
「黙りなさい下郎! 私はアーテ。アーテ・デュスノミア。この名前はお姫様の、そして女神の名前! 侮辱は許さなくてよ!」
《なまえ》
(え……?)
子供の囁き声が聞こえる。
目線だけで辺りを見渡すと、アーテの足元にいる黒いヘドロの子供の目が先ほどよりもさらに赤く輝いていた。
……嫌な予感がする。
「よくもこの私を痛めつけて侮辱したわね……お前達、出なさい!」
「!!」
アーテが杖を掲げると、またあの"ゴーレム"が5体ほど姿を現す。
だが――。
《だめだよ》
「ヒッ……!?」
子供の声と、地に響くような重低音の声が混じった奇妙な声が頭の中に響く。
ここに来る前と同じにゴーレム達は筋骨隆々の若い男の姿を保てず、黒い霧となってしまう。
「ちょっと、なぜ、なぜなの!! 早く……ヒッ! ヒイイッ!?」
ゴーレムが霧散してできた黒い空気の塊はカラスに姿を変え、ギャアギャアと鳴きながらアーテに群がる。
そして身体や顔や髪をつつき回し、彼女を傷つけていく。
「……え……!」
「ウィル! あいつどうしたんだ!? さっき弟が石壁ぶん殴った時には何もダメージなかったのに――」
『あの娘は、生身で招かれたのでしょう』
「生身……魂や意識だけではないということ? た、隊長がそうしたというの?」
『おそらく』
「…………」
――そもそも、なぜあの女はここへ来た?
頭ごなしに怒鳴りつけカラスと蔑む副院長、価値がないと罵る銀髪貴族、そして嘲る民衆――あの女はあいつが出会ってきた汚い人間の集大成とも言える。
……だからなのか。あいつにとっては、悪意こそが真実。
――自分の姿も名前も忘れるのに、俺達は呼ばないのに、それなのにあの馬鹿だけを真実として受け入れ、名前まで呼ばせてしまうのか……!
考え事をしている間に、周囲の景色がめまぐるしく変化して、次第に上へ上へと流れて吸い込まれていく。
この景色の切り替わり方は初めてだ。景色が流れていっているだけなのに、まるで落ちていくような感覚がして気持ち悪い。
流れる景色はどんどん速度を上げ……全て流れきったあと辿り着いたのは、石造りの地下牢。
(懲罰房……!)
光の塾の下位組織において、特に悪いことをした者が"神の試練""指導"と称した拷問を受ける場所。
先ほどまでうずくまっていた黒いヘドロの子供は立ち上がり、赤い眼を光らせながらアーテをつつくカラスを見ている。
そして――。
《なまえを なのった》
《モノを つくった》
《かみさまの まねごと》
《つみぶかい ヒト》
《けいばつ》
《けいばつ……》
感情を伴わない無機質な子供の声が響いたかと思うと、ヘドロの子供の目が"ビィン"という音を立てて一際赤く光った。
するとアーテに群がるカラスが一斉に飛び立って2つの箇所に集まってドロドロに溶け、やがて黒い法衣を身にまとった神父に姿を変える。
2体いるうちの1体は手の甲に十字の傷がついていて、もう1体は手に鞭を持っている。
十字傷――名前を名乗ったことをひどく罰した神父だ。そしてもう1体は、イリアスという少年を鞭で打つように強要した神父――。
「な、何……ギャアッ!!」
「!!」
十字傷の神父が、アーテの顔を拳で殴りつける。そして地面に倒れたアーテを、もう1人の神父が鞭で打つ。
遠慮も配慮もない暴力にアーテが気絶してしまうと、片方が癒やしの術で傷を癒やし片方が水をかけて目を覚まさせる。
それは全て、あいつが経験したこと――。
「……やめろ! やめるんだ!!」
叫んで神父の手を取ろうとしたが、なぜかすり抜けてしまう。
確かにアーテを痛めつけているのに、俺達がつかもうとしても質量がまるでない。霧や煙を相手にしているようだ。
止めようとしている間にも神父はアーテをぶちのめし、傷を治し、水をかけて――それが何度も繰り返される。
《だめだよ》
《だめだよ》
「……おい、やめろ!! やめろって!!」
「…………」
叫ぶ兄、殴られるアーテ、殴り続ける神父――なぜか急に冷静になった俺はある考えに行き着く。
――何を言ってもやっても神父を止めることができない。
止めるのは「神父」なのだろうか?
ここはあいつの心の闇。モノを作った、名前を名乗った――それに対して罰を与えるのは、あいつの意志だろうか?
「くっ……!」
「副隊長!?」
考える時間がもったいない。
俺は神父の後ろでぼんやり立っているヘドロの子供の元へ走り寄った。
腕と思われる部分をつかんでみると、こちらは神父2人のようにすり抜けることはなかった。
確かな質感。細い――あまりに弱々しい、子供の手。
つかんだその手に粘性のある黒い泥がまつわりつく。
「……やめるんだ……!」
まず一言そう言うと子供の赤い眼が光り、それに呼応して神父達が俺の元にやってこようとする。
"やめろ"という言葉は、適切じゃなかった。
……思い出せ、あいつの言葉を。
今ここであいつが……いや、"この子"が望んでいた言葉は、何だったか。
「……もういいんだ。君はそんなこと、しなくていい。……罰なんか、与えなくてもいいんだ……!」
同じ目線の高さまでしゃがみこんで肩をつかんでそう言うと子供の目の光が消え、神父2人の動きも止まった。
子供を覆う黒いヘドロが少しずつ落ちていき、顔が露わになっていく。
黒髪に灰色の眼をした、5、6歳ほどの痩せぎすの子供――手には鞭を持たされ、目に涙をいっぱい溜めている。
《たす、けて……》
《こんなこと、いやだ……》
《どうして、どうして》
「…………っ!」
涙が出る。
俺はその子が手に持っている鞭を取り上げて地面に投げ捨て、そのまま抱きしめた。
まだだ――伝えたい言葉がある。
「いい年した大人が」……そう思って言わなくなっているようなことも、見た目がガキな今なら言える。
青臭いガキの綺麗事を、盛大に吐き散らかしてやる。
「……君は何も悪くないし、間違ってない。悪いのはあいつらだ、俺は片っ端からぶん殴ってやりたいよ……!! 頭おかしい大人の言うことなんて聞くな、忘れろ……!」
「……そうだ、そうだぞ!! 名前があるとかモノを作ったとかそれが何だってんだ! 『壊すしかできない』なんて言うなよ、ヘタクソだっていいから、料理作ったり絵描いたりすりゃいいんだ! ……生きてりゃ、いくらだってやり直せるし、取り戻せるんだ……!」
「あなたの神様は、救ってはくれません。でも、罰することもありません。もう祈らなくてもいいんです、誰も貴方を縛りません。……隊長は自由です、心のままに生きて……!」
「……ウィル! ウィル!!」
兄がウィルの名を呼ぶと、小鳥だったウィルが剣に姿を変える。
兄はその剣を素早く手に取り、鞭を持った方の神父に斬りかかった。
何をしてもすり抜けるばかりだった神父が真っ二つになり、音もなく空にかき消えていく。消え去るのを確認しないまま兄は振り向きざまに剣をまた一振りし、十字傷の神父をも切り裂いた。
「……見ろよっ! こいつらオレだって倒せるくらい弱えじゃねえか! あんたの方が強いんだ!! こんなのもう怖がることねえんだよ!!」
「兄貴……!」
「フ、フフ……馬鹿、みたい。いい年した大人が友情ごっこ、傷の舐め合い――」
「うるさいっ!!」
「ヒッ……」
脅威が去った途端平然と会話に割り込もうとするアーテを大声で制止すると、奴の周りに小さい黒い渦が出現した。
なぜそうなるのか分からないが、どうでもいい。こいつには言ってやりたいことが腐るほどある。
「何が女神だ、人殺しめ! ……よくも俺の友達を殺したな! カラスとか死神とか呼んで罵倒して、蹴り飛ばしたな! 俺はお前を許さない。いくらあいつが、悪意や罵倒を真実だと思ったって、そんなもの俺は認めない!! 俺はお前を拒絶する!!」
「……ウィル」
鼻息荒く叫んでいる俺の横で、兄が使い魔の名を静かに呼ぶ。
するとアーテの周りに出現した黒い渦が広がり、ズルズルとアーテを吸い込んでいく。
「うっ、ううう……!」
排水口に巻き込まれるような形で髪の毛を引っ張られ、アーテはのけぞりながら呻き声を上げる。
先ほどまで暴行を受けていたが、治癒を施されていたところだったので今は無傷だ。
――それでいい。
あいつはどれだけ憎くても相手を殺しはしなかった。その手をあんな奴の血で汚させたくはない。
「ぐ、うう……よくも、この私を……」
「……あんたはほんとにすげえよ」
吸い込まれながらなおも恨み言を吐いているアーテを一瞥して、兄が大きなため息をついた。
「何があっても自分が世界の中心。絶対に苦しまないから、闇には堕ちない。……お前は闇にふさわしくない。出て行け……オレ達の知らないとこでスポットライト浴びながら好きに生きろ。……永遠に、さよならだ」
兄がそこまで言ったところでアーテは完全に渦に巻き込まれ消えていった。
◇
「グレン!」
アーテが消えたあと、やっと口にすることができたその名で目の前の子供に呼びかけるも、何も起こらない。
「グレン! グレンッ!!」
「隊長っ、……グレンさん!」
いくら呼んでも変わらない。
そうだ――初めて知ったが、"グレン・マクロード"というのはこいつの真名ではないらしい。
そもそもそれで戻るのならアーテが口走った時に戻っていただろう。
やがて子供は光に包まれ消えていった。
まるで、天に召されるかのように安らかな笑顔で……。
「グレンッ! ……ちくしょう、なんで……っ!!」
3人ともに、地面に崩れ落ちて泣いてしまう。
――どうしてダメなんだ。ずっと呼んできたのに、それ以外の何者でもないのに。
"グレン・マクロード"という名は、あいつの存在を証明してはくれない……!
『私は招いておりません』
「じゃあ、なんで!」
『この闇の主が呼んだのでしょう』
「はあ!? なんでだよ……!」
兄が、いつものように鳥の姿になって肩に止まっている使い魔に苦情を入れる。
ぶちのめされて涙ながらに謝り倒していたアーテは、先ほどのことなどなかったかのように黒いヘドロの子供を蹴り飛ばし、杖で殴打しながら罵詈雑言を吐き散らかしている。
――よくもさっきはこの私を、カラス、死に損ない、バケモノ、さっさと死ね……。
「やめろっ!!」
「あら……」
大声で怒鳴りつけるとアーテは銀の髪を撫で付けながらこちらを振り向き、フンと鼻を鳴らす。
「お前達もここへ呼びつけられたの? ……『意識の闇の世界』ですって。フン、大迷惑だわね! こんな所に引き込んで過去をダラダラと見せつけて……『かわいそうに』って抱きしめて頭でも撫でてほしいのかしらぁ?」
歌うようになめらかに罵倒の言葉を口にしたのち、口元に手の甲を添えてアーテは高笑いをする。
「汚え……」
「ああ。全く……本当に、汚い。醜悪だ」
兄が心底不愉快そうに顔をしかめてポツリとつぶやき、俺もそれにならった。
こいつとの言い合いは無駄だ。精神ばかりすり減って体調を崩す。
無視するか、奴に対して抱いた感想を吐き捨てるくらいしかできない。
「あーら、怖いお顔。でも私の言っていること、何か間違っているかしらぁ?」
「…………」
だが、いつまでも喋らせておきたくない。
どうにかしてここから追い出さなければいけないが、何をどうすればいい。
「……"北軍将"なんてカラスにしてはやるじゃないと思ったけれどフタを開けてみればこれだもの、ウジウジして気持ち悪いったらないわ! そんなに消えたければ一人で消えなさいよねえ」
「……やめろ。あいつを、カラスと呼ぶな……!」
「なぁに? 黒髪は下等なカラス。何か間違っていて? ああ……それとも、"死神"とか"魔王"の方がよろしいかしら、グレン・マクロードさぁん?」
「な……!?」
アーテに腹を立てるよりも先に、奴の口から出た固有名詞に驚きを隠せず俺達3人は顔を見合わせた。
――あいつ今、"グレン・マクロード"と言ったのか?
この闇の主であるあいつの名前は呼ぶことはおろか、記憶していることすらできない。
それなのに、よりによってどうしてあいつが。
試しにその名を言ってみようとするもやはり口から出ず、今聞いたばかりなのに一瞬で心からかき消えてしまう。
「……どうして、あいつの名前を……」
「名前がなんだと言うの? "グレン・マクロード"……冴えない名だわ。どこにでも転がっているどうでもいい名前ねえ」
「気安くその名前を呼ぶんじゃねえよ、侮辱しやがって! ……どうやったらてめえみたいな人間が出来上がるんだ、本当にその名前の通り破滅的に愚かだな!」
「黙りなさい下郎! 私はアーテ。アーテ・デュスノミア。この名前はお姫様の、そして女神の名前! 侮辱は許さなくてよ!」
《なまえ》
(え……?)
子供の囁き声が聞こえる。
目線だけで辺りを見渡すと、アーテの足元にいる黒いヘドロの子供の目が先ほどよりもさらに赤く輝いていた。
……嫌な予感がする。
「よくもこの私を痛めつけて侮辱したわね……お前達、出なさい!」
「!!」
アーテが杖を掲げると、またあの"ゴーレム"が5体ほど姿を現す。
だが――。
《だめだよ》
「ヒッ……!?」
子供の声と、地に響くような重低音の声が混じった奇妙な声が頭の中に響く。
ここに来る前と同じにゴーレム達は筋骨隆々の若い男の姿を保てず、黒い霧となってしまう。
「ちょっと、なぜ、なぜなの!! 早く……ヒッ! ヒイイッ!?」
ゴーレムが霧散してできた黒い空気の塊はカラスに姿を変え、ギャアギャアと鳴きながらアーテに群がる。
そして身体や顔や髪をつつき回し、彼女を傷つけていく。
「……え……!」
「ウィル! あいつどうしたんだ!? さっき弟が石壁ぶん殴った時には何もダメージなかったのに――」
『あの娘は、生身で招かれたのでしょう』
「生身……魂や意識だけではないということ? た、隊長がそうしたというの?」
『おそらく』
「…………」
――そもそも、なぜあの女はここへ来た?
頭ごなしに怒鳴りつけカラスと蔑む副院長、価値がないと罵る銀髪貴族、そして嘲る民衆――あの女はあいつが出会ってきた汚い人間の集大成とも言える。
……だからなのか。あいつにとっては、悪意こそが真実。
――自分の姿も名前も忘れるのに、俺達は呼ばないのに、それなのにあの馬鹿だけを真実として受け入れ、名前まで呼ばせてしまうのか……!
考え事をしている間に、周囲の景色がめまぐるしく変化して、次第に上へ上へと流れて吸い込まれていく。
この景色の切り替わり方は初めてだ。景色が流れていっているだけなのに、まるで落ちていくような感覚がして気持ち悪い。
流れる景色はどんどん速度を上げ……全て流れきったあと辿り着いたのは、石造りの地下牢。
(懲罰房……!)
光の塾の下位組織において、特に悪いことをした者が"神の試練""指導"と称した拷問を受ける場所。
先ほどまでうずくまっていた黒いヘドロの子供は立ち上がり、赤い眼を光らせながらアーテをつつくカラスを見ている。
そして――。
《なまえを なのった》
《モノを つくった》
《かみさまの まねごと》
《つみぶかい ヒト》
《けいばつ》
《けいばつ……》
感情を伴わない無機質な子供の声が響いたかと思うと、ヘドロの子供の目が"ビィン"という音を立てて一際赤く光った。
するとアーテに群がるカラスが一斉に飛び立って2つの箇所に集まってドロドロに溶け、やがて黒い法衣を身にまとった神父に姿を変える。
2体いるうちの1体は手の甲に十字の傷がついていて、もう1体は手に鞭を持っている。
十字傷――名前を名乗ったことをひどく罰した神父だ。そしてもう1体は、イリアスという少年を鞭で打つように強要した神父――。
「な、何……ギャアッ!!」
「!!」
十字傷の神父が、アーテの顔を拳で殴りつける。そして地面に倒れたアーテを、もう1人の神父が鞭で打つ。
遠慮も配慮もない暴力にアーテが気絶してしまうと、片方が癒やしの術で傷を癒やし片方が水をかけて目を覚まさせる。
それは全て、あいつが経験したこと――。
「……やめろ! やめるんだ!!」
叫んで神父の手を取ろうとしたが、なぜかすり抜けてしまう。
確かにアーテを痛めつけているのに、俺達がつかもうとしても質量がまるでない。霧や煙を相手にしているようだ。
止めようとしている間にも神父はアーテをぶちのめし、傷を治し、水をかけて――それが何度も繰り返される。
《だめだよ》
《だめだよ》
「……おい、やめろ!! やめろって!!」
「…………」
叫ぶ兄、殴られるアーテ、殴り続ける神父――なぜか急に冷静になった俺はある考えに行き着く。
――何を言ってもやっても神父を止めることができない。
止めるのは「神父」なのだろうか?
ここはあいつの心の闇。モノを作った、名前を名乗った――それに対して罰を与えるのは、あいつの意志だろうか?
「くっ……!」
「副隊長!?」
考える時間がもったいない。
俺は神父の後ろでぼんやり立っているヘドロの子供の元へ走り寄った。
腕と思われる部分をつかんでみると、こちらは神父2人のようにすり抜けることはなかった。
確かな質感。細い――あまりに弱々しい、子供の手。
つかんだその手に粘性のある黒い泥がまつわりつく。
「……やめるんだ……!」
まず一言そう言うと子供の赤い眼が光り、それに呼応して神父達が俺の元にやってこようとする。
"やめろ"という言葉は、適切じゃなかった。
……思い出せ、あいつの言葉を。
今ここであいつが……いや、"この子"が望んでいた言葉は、何だったか。
「……もういいんだ。君はそんなこと、しなくていい。……罰なんか、与えなくてもいいんだ……!」
同じ目線の高さまでしゃがみこんで肩をつかんでそう言うと子供の目の光が消え、神父2人の動きも止まった。
子供を覆う黒いヘドロが少しずつ落ちていき、顔が露わになっていく。
黒髪に灰色の眼をした、5、6歳ほどの痩せぎすの子供――手には鞭を持たされ、目に涙をいっぱい溜めている。
《たす、けて……》
《こんなこと、いやだ……》
《どうして、どうして》
「…………っ!」
涙が出る。
俺はその子が手に持っている鞭を取り上げて地面に投げ捨て、そのまま抱きしめた。
まだだ――伝えたい言葉がある。
「いい年した大人が」……そう思って言わなくなっているようなことも、見た目がガキな今なら言える。
青臭いガキの綺麗事を、盛大に吐き散らかしてやる。
「……君は何も悪くないし、間違ってない。悪いのはあいつらだ、俺は片っ端からぶん殴ってやりたいよ……!! 頭おかしい大人の言うことなんて聞くな、忘れろ……!」
「……そうだ、そうだぞ!! 名前があるとかモノを作ったとかそれが何だってんだ! 『壊すしかできない』なんて言うなよ、ヘタクソだっていいから、料理作ったり絵描いたりすりゃいいんだ! ……生きてりゃ、いくらだってやり直せるし、取り戻せるんだ……!」
「あなたの神様は、救ってはくれません。でも、罰することもありません。もう祈らなくてもいいんです、誰も貴方を縛りません。……隊長は自由です、心のままに生きて……!」
「……ウィル! ウィル!!」
兄がウィルの名を呼ぶと、小鳥だったウィルが剣に姿を変える。
兄はその剣を素早く手に取り、鞭を持った方の神父に斬りかかった。
何をしてもすり抜けるばかりだった神父が真っ二つになり、音もなく空にかき消えていく。消え去るのを確認しないまま兄は振り向きざまに剣をまた一振りし、十字傷の神父をも切り裂いた。
「……見ろよっ! こいつらオレだって倒せるくらい弱えじゃねえか! あんたの方が強いんだ!! こんなのもう怖がることねえんだよ!!」
「兄貴……!」
「フ、フフ……馬鹿、みたい。いい年した大人が友情ごっこ、傷の舐め合い――」
「うるさいっ!!」
「ヒッ……」
脅威が去った途端平然と会話に割り込もうとするアーテを大声で制止すると、奴の周りに小さい黒い渦が出現した。
なぜそうなるのか分からないが、どうでもいい。こいつには言ってやりたいことが腐るほどある。
「何が女神だ、人殺しめ! ……よくも俺の友達を殺したな! カラスとか死神とか呼んで罵倒して、蹴り飛ばしたな! 俺はお前を許さない。いくらあいつが、悪意や罵倒を真実だと思ったって、そんなもの俺は認めない!! 俺はお前を拒絶する!!」
「……ウィル」
鼻息荒く叫んでいる俺の横で、兄が使い魔の名を静かに呼ぶ。
するとアーテの周りに出現した黒い渦が広がり、ズルズルとアーテを吸い込んでいく。
「うっ、ううう……!」
排水口に巻き込まれるような形で髪の毛を引っ張られ、アーテはのけぞりながら呻き声を上げる。
先ほどまで暴行を受けていたが、治癒を施されていたところだったので今は無傷だ。
――それでいい。
あいつはどれだけ憎くても相手を殺しはしなかった。その手をあんな奴の血で汚させたくはない。
「ぐ、うう……よくも、この私を……」
「……あんたはほんとにすげえよ」
吸い込まれながらなおも恨み言を吐いているアーテを一瞥して、兄が大きなため息をついた。
「何があっても自分が世界の中心。絶対に苦しまないから、闇には堕ちない。……お前は闇にふさわしくない。出て行け……オレ達の知らないとこでスポットライト浴びながら好きに生きろ。……永遠に、さよならだ」
兄がそこまで言ったところでアーテは完全に渦に巻き込まれ消えていった。
◇
「グレン!」
アーテが消えたあと、やっと口にすることができたその名で目の前の子供に呼びかけるも、何も起こらない。
「グレン! グレンッ!!」
「隊長っ、……グレンさん!」
いくら呼んでも変わらない。
そうだ――初めて知ったが、"グレン・マクロード"というのはこいつの真名ではないらしい。
そもそもそれで戻るのならアーテが口走った時に戻っていただろう。
やがて子供は光に包まれ消えていった。
まるで、天に召されるかのように安らかな笑顔で……。
「グレンッ! ……ちくしょう、なんで……っ!!」
3人ともに、地面に崩れ落ちて泣いてしまう。
――どうしてダメなんだ。ずっと呼んできたのに、それ以外の何者でもないのに。
"グレン・マクロード"という名は、あいつの存在を証明してはくれない……!
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ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
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