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11章 色と名前のない世界

15話 ともしび

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 めまぐるしく変わる景色の中、わたしは彼の過去を追想した。
 今の気持ちを言い表す言葉がない。涙と嗚咽しか出ず、胸が苦しい。
 
 ルカがずっと手を握って引っ張ってくれていたのに、突然辺りが暗闇に包まれてはぐれてしまった。
 握っていたはずの手がなくなり、景色も彼の過去の記憶も流れない。
 一片の光もない闇の中、わたし1人。
 
「……っ、みんな……どこ……」
 
 ルカの名前を呼べない。
 どこか別の場所に落ちたらしいカイルとジャミルとベルにも出会わないし、やはりこちらも名前も呼べない。
 おまけに自分の名前も言えない。闇が何もかも隠して、わたしは自分の存在も確認できない。
 
「……ひっ、うう……」
 
 泣きべそをかきながら歩く。
 わたしは一体どこにいるんだろう。誰を捜しているんだろう。
 何の為に、ここにいるんだろう?
 
 心細い。一番会いたいはずの彼の名前を唱えることもできない。顔も声も思い出せない。
 できない、できない。なんにもできない、分からない。
 
「誰か……誰か、いないの?」
 
 返事はない。
 
「ねえ誰か……っ」
『……っ、う……っ』
「え……?」
 
 何か声が聞こえた気がした。
 
「誰? 誰かいるの?」
『うっ……うう……』
 
(泣き声……?)
 
 すすり泣くような誰かの声――男の人の声だ。でも彼のものじゃない。
 どこから聞こえてくるんだろうと辺りを見回すと、視界に小さな光がちらついた。
 
「う……!」
 
 わずかな光――ずっと暗闇の中にいたために、あんな小さな光でも強烈に眩しく感じる。
 行くあてもないわたしは、目に入る光を手で遮りながらそこに向かって走り出した。
 
『光があるから、救いがあると思うから、それを求めて縋ってしまう』
 
 走りながら、最後に交わした彼との会話を思い出してまた涙が出る。
 
『光が照らしてこなければ、いい奴なんか一人もいなければ、自分勝手に人を恨んで殺して好きなように生きられるのに』
『結局俺が一番醜くて汚い』
 
 光がなければ、醜い自分を見つけずに済んだ――確かに、それはそうかもしれない。
 でもあなたはそれで本当にいいの? 自分がなくなってしまうことを、本当に望んでいるの?
 
 進んでいるのか戻っているのかも分からずひたすらに走り続け、わたしはその光の粒に辿り着いた。
 ふわふわと浮いていて、中から声が聞こえる――さっきの男の人の泣き声はここから聞こえていたようだ。
 
「誰……? どうして、泣いているの?」
 
 言いながらその光にそっと触れると、小さな粒だった光がさらに光を放つ。
 
「きゃっ……!」
 
 目がつぶれそうに眩しい。まるで、太陽みたいに――。
 わたしはその光に包まれて視界を失う。
 そして次の瞬間、何もなかった暗闇にまたどこかの風景が現れた。
 
(ここ……色が)
 
 それまでとちがって色がある。
 不思議だ、それだけで心も身体もあたたかくなる。
 ――ここはどこなんだろう?
 赤い絨毯に、薄緑色の下地に白い花が描かれた柄の壁紙。
 部屋に飾ってある調度品や美術品、そして豪華な家具から、貴族の屋敷であることがうかがえる。
 窓からは風に揺れる木の枝と葉っぱが見える。隙間から指す日の光が眩しい。
 
『ふぇぇ……』
「!」
 
 部屋にある豪華なベッドの傍らに置かれた小さなベッドから、泣き声が聞こえた。
 赤ちゃんが、泣いている……。
 
『あらあら。起きたの? 私の王子様』
 
 赤ちゃんの寝ているベッドに、1人の女性がニコニコ笑いながら駆け寄る。
 女性は赤ちゃんを抱き上げて、「お腹が空いたの?」とか「起きたことを教えてくれたのね」とか色々と声を掛けている。
 黒髪に灰色の瞳。身なりや住んでいる屋敷からして、おそらく貴族だろう。とても綺麗な人だ。
 
『――ウルスラ、入るよ』
 
 小さなノックの音と男性の声がした。
 それに対し女性が『はい』と返事をすると、すぐに扉が開いて男性が入ってきた。
 後ろに束ねた長い銀髪に、眼は青色――ノルデン貴族だ。
 
『ただいま』
『お帰りなさい、シグルド様』
 
 "シグルド"と呼ばれた男性はニコリと笑って、"ウルスラ"という女性をそっと抱き寄せてキスをした。
 わたしやジャミルと同じくらいの年齢の若い夫婦。
 2人ともどこか、彼に似ている――。
 
 女性が抱っこしている赤ちゃんが彼女の腕の中で「あ! あ!」と言いながら手足をバタバタさせると、男性がニコッと笑って女性から赤ちゃんを受け取り「ただいま」と言い、赤ちゃんの頬をつついた。
 キャッキャと赤ちゃんが笑って、男性は「笑ってくれるのか!」と少年のようにはしゃぐ。
 
 ――それはまるで、宝石箱の中のように全てがきらきらと美しい、眩しい記憶。
 
 "シグルド"と"ウルスラ"――お互いに家族から疎まれる存在だった若い2人が結ばれて、赤ちゃんを授かる。
 生まれた赤ちゃんを見て男性はボロボロと涙を流して泣いて、女性の手を握って「お疲れ様」「ありがとう」と繰り返し言う。
 
 2人は夢と理想を語り合う。
 それはとてもささやかなもの。
「君の身体が落ち着いたら3人で散歩に行こう」と男性が言えば
「じゃあ私、お弁当を作りますね」と女性が言う。
 そして「暖かい期間が短いから来年になるかもしれない、でも楽しみだ」と、眠っている赤ちゃんの頭をそっと撫でながら笑い合う。
 
 来年の今頃は歩いているでしょうか? 楽しみですね、最初におしゃべりする言葉はなんでしょう。
 何て呼んでもらおうかな。父上母上、父様母様? それか、民のようにパパママもいいね。
 嬉しい、生まれてくれてありがとう、魔法が使えないなんてどうでもいい、君は私達の宝だ、親にしてもらえなかったことを全部してあげたい――。
 
(……駄目。見て、いられない……!)
 
 どこどこまでも綺麗で光り輝く若い夫婦の夢と希望――直視できなくてわたしは顔を背けてまた泣いてしまう。
 あんまりにも、辛い――わたしはこの2人の理想がついえることを知っている。
 
 だって彼が言っていた。
「物心ついた時、既に両親はいなかった」と――。
 
 
「きゃっ……!」
 
 生温い風が吹いて、ブツリ、と何かが切れるような音がした。
 すると部屋や窓から見える景色の色彩が失われ、代わりに何もかもが一気に血のような赤に染まる。
 
 ある日"光の塾"の人間が赤ちゃんを連れ去るためにやってきた。
 説得に応じず拒絶し続ける2人にしびれを切らした光の塾の人間が、女性の手から赤ちゃんを強引に奪い取る。
 女性は赤ちゃんを取り返そうと相手に取り縋るも突き飛ばされ、運悪く家具の角に頭を打ち付け死んでしまう。
 男性もまた赤ちゃんを取り返そうとしたけれど、逆に赤ちゃんを人質に取られて斬り伏せられてしまい……。
 
『なぜ……だ』
『申し訳ありません、シグルド様。これはお父上のご意向なのです』
『なん、だと……』
 
 赤ちゃんを奪うように命令したのは、男性の父親――赤ちゃんの祖父に当たる人。
 子作りを禁止していたのに勝手に作って、その子が黒髪灰眼、術の資質を持たない子だったため、排除を命じた。
 
『おのれ……おの、れ……、ルドルフ……ベルセリウス……よくも、よくも……!』
 
 少年のようにあどけない笑顔ばかりだった男性の顔つきが、憤怒と憎悪と悲しみで歪む。
 
『呪われろ……、呪われろ……っ!』
 
 涙ながらに彼は叫んだ。
 何かを求めて伸ばした手は何もつかむことはできず、赤ちゃんは連れ去られる――。
 
 ここでブツリと全ての景色が消え、光が途絶えた。
 今目の前にいるのは、血だまりの中心で拳を握りながら泣く男性ただ1人。
 その拳には血の色をした土の結晶の紋様が浮かび出ている。
 
(どうして……)
 
 ここは"彼"の闇の世界。
 それなのに、彼が連れ去られたあとのこの男性の様子が出てくるのは不可解だ。一体なぜなんだろう。
 
 ウィルの言葉によれば「全てのものの意識はこの闇で繋がっている」……つまり、彼の闇とこの男性の闇が繋がっていて、今見ているのはこの男性の回想になるのだろうか?
 ……そうは言っても、もう……。
 
『ゆるしてくれ、ウルスラ……、"…………"、……しあ、わせに……』
 
 今際の際、ほんの少しの間の彼の記憶。
 最期にそれだけ言い残し彼の命は失われた。
 
「……うっ、う……」
「!」
 
 全てを見終わったあと後ろから泣き声が聞こえてきたので振り向くと、銀髪の青年が膝をついて座り込み肩を震わせ泣いていた。
 
「……っ、うう……」
「…………」
 
 子供のように泣きじゃくる青年――闇の中で最初に聞こえていた泣き声は、この人のものだったんだ。
 
「…………"シグルド"、さん?」
「!」
 
 呼びかけてみると男性は驚いた様子でこちらを振り向いた。近くで見ると、本当に彼に似ている。
 ――悲しい。
 わたしがこの人の名前を呼ぶことができるのは、きっと彼がこの人の存在自体を知らないから。
 
「君は……誰だ?」
「……ごめんなさい。わたし、名前は言えなくて。……どうして、ずっと泣いていたんですか?」
「……私は、妻も子も守れなかった。ずっとそばにいて守ると誓ったのに……」
「…………」
「たくさんのものを与えてやるつもりだった。親に……してもらえなかったことを、全部、してやろうって……でも、何もしてやれず……それどころか」
 
 そこまで言ったところで空のような青色の瞳から涙が次々にこぼれ、彼は顔を覆い隠した。手の甲でずっと土の紋章が赤黒く光を放っている。
 
「私はあの子に……人を呪う言葉だけを教えてしまった……! 何も与えられないのに、あんなことだけを……私は……私は……」
 
『呪いは、術者が最強だと思う言葉を呪文として発動する』――彼の中で"最強"の言葉は、父に当たるこの人が今際の際に叫んだ『呪われろ』という言葉。
 1歳にも満たない赤ちゃんの時に聞いた言葉が彼の深い記憶の海に残り続けていた。
 
「……いじめられて追い立てられて、最期は1人で……痛かっただろう、苦しかっただろう、寒かっただろう……寂しかっただろう……っ、なのに私はあの子に、何ひとつ……!」
 
 ――死んでしまってもこの人の意識はずっと彼と共にあったんだろうか。
 わたしと同じくらいに若いけれど、この人は立派に人の親だ。
 
「だいじょうぶ……ですよ、お父さん」
「!」
 
 若い父親の手を取って精一杯の笑顔を作りながらそう言うと、彼は見開いた目をすぐに細めて、上下の歯を噛み合わせながらまた涙をこぼす。
 
「ずっとずっと辛いことばかり、でしたけど……もう彼は子供じゃありません。大人だから、ちゃんと自分の足で進めます。今は道を見失っているけど……友達が、仲間がいるから、寂しくなんかないわ。それにわたし……わたしも。何の力も、ないけど」
 
 何の根拠もない慰め。でもこの人の心に、少しでも光を灯したかった。
 今この闇をさまようこの人にとっての光、それは――。
 
「……わたしが必ず、彼を幸せにします」
 
 全てを失いそうな彼にとって唯一の小さな光が両親との思い出なら、この人にとっての光はきっと、我が子の幸せ。
 涙でぐしゃぐしゃになって、今上手に笑えているか分からない。
 幸せにします だって。なんだか結婚のご挨拶みたい。
 正直な気持ちを言っただけだけど、もっと何かなかったかな?
 
「ありがとう……ありがとう、どうか、お願いします……どうか……」
 
 男性はわたしの手を強く握ったあと、唇を震わせながら泣いて、少し笑ってくれた。
 最後にわたしは男性から「あること」を教えてもらって別れ、再び暗闇を歩きだした。
 お父さんに出会ったからなのか、先ほどより周辺が少し明るい。
 
 
『ちょっとしたことで全力で喜んで、その日その日を全力で生きてる。活力に満ち溢れていて、眩しかった。太陽みたいだと思った』
 
「…………」
 
 いつか彼がわたしのことをそんな風に言ってくれた。
 でもちがう。わたしはそんなすごいものじゃない。
 太陽なんかにはなれない。わたしはちっぽけで無力だ。
 だけどせめて、彼のそばで、ほんの少しでもいいから彼を照らしたい。
 彼が自分を見失わないように。
 
 わたしは彼の、灯火ともしびになりたい――。
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