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12章 誓い

6話 やすらぎ

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「ごめんね、レイチェルさん。みっともないとこ見せちゃったね」
「いえ、そんな……」
 
 彼がわたしの家に挨拶に来た時と全く同じやりとりが繰り返され、わたしは少し笑ってしまう。
 
 ひとしきり泣いたあと、彼がわたしを2人に紹介してくれた。
 ここに来ている時点で分かっていただろうけど、「お前が結婚するなんて」ととても喜んでくれた。
 
 すっかり冷めてしまった飲み物をメリアさんが入れ直してくれて、しばらく世間話をした。
 世間話というか、彼が消えたあとの騎士団の話だ。
 
 実力者だった彼が急に行方をくらましたため騎士団は最初こそ混乱を極めたようだけれど、そもそも戦死するなどで急に欠員が出るのは珍しいことではなく、北軍将ほくぐんしょうの地位には別の人間がすぐに就いた。
 半年もしないうちに混乱は収まり、今はもう普通に回っているそうだ。
 今度の北軍将はディオール貴族の人で、グレンさんの部下だったこともある真面目で実直な人。
 グレンさんは「カラスが黒天騎士団の将軍なんて」とよく言われていたそうだけど、今度の将軍のように後ろ暗いところのない由緒正しい貴族でも、「お高くとまっている」「庶民感覚が分からない」とか、なにがしかの悪口を言う人はいるとか……。
 それどころかよく戦場に出るグレンさんと比べ後ろにいることが多い今の北軍将は「おぼっちゃまは覚悟が足りない」なんて言われてしまっているらしい。
 
「……勝手ですね……」
「そうだな。……そもそも俺が前線に立ちすぎだったから、指揮官としては彼の方が正しいんだが。……知らない者は皆好き勝手に言うから」
「…………」
「まあ、そういうことだ。だからもうお前も気にするな。北軍将の代わりはいくらでもいるが、お前の代わりはいない。ここで生きる以外の道を見つけたならそちらへ進め。……好き勝手言う奴は、たまにぶちのめしてやればいい」
 
 そう言ってガストンさんがニタァと笑う。
 ――も、申し訳ないけどちょっと……。

「……親方。レイチェルが怯えているから」
「……む、そうか」
「い、いえ、そんな……あはは」
「とにかく……俺達の評判を気にして怒りを発散できないでいたのならそんな馬鹿なことはやめろ、分かったな」
「……分かった」
 
 
 ◇
 
 
 お茶を飲み終わったあと彼はガストンさんに招かれ工房に行った。
 少ししてから戻ってきて、ちょうどカップの片付けを手伝っていると……。
 
「レイチェル、俺はこの街で一泊することになった」
「えっ」
「レイチェルは、どうす……痛っ!」
「ひゃっ……」
 
 グレンさんが言い終わるより前に、後ろに立っていたガストンさんがグワシッとグレンさんの頭をつかんで言葉を遮る。
 ガストンさんは体格の良いグレンさんよりも更に身長が高く、身体も二回りくらいは大きい。
 グレンさんは頭が小さいのに加え、ガストンさんの手が大きいので彼の頭がすっぽり納まってしまう。
 あのグレンさんが子供扱い……なんだかすごい場面に遭遇している。
 
「馬鹿か、てめえは……」
「い、痛い……」
「2人で旅行に来て嫁さんだけを先に帰らせる奴があるか」
「旅行という、わけでは……」
「うるせえ、ごちゃごちゃ言うな。お前がよくメシを食いに行っていた宿屋があっただろう。そこに泊まってこい」
「……な……」
「それがいいよ。……ほら、グレン」
「え?」
「これで何か、昼食でも買いな」
 
 メリアさんが財布から1000リエールのお札を出して彼の手に乗せると、彼の顔が一瞬で真っ赤になる。
 
「な……ま、待ってくれ、そんなものいらない、俺は26歳――」
「あたしが渡したいんだよ。持っていってちょうだい」
「…………」
「おつりは小遣いにしていいからね」
 
 その言葉を受けて、彼は「うん……」と唸りながら渋々お金を受け取りコートのポケットにしまった。
 グレンさんは肌が白くて、顔色が悪いのが際立つ――そんなわけで、赤面してもやっぱり際立つ。
 耳まで赤い。なんだか本当に子供みたいだ。正直かわいい。
 
 荷造りを済ましたあと、わたし達はマードック武器工房をあとにした。


 ◇
 
 
 パン屋に行って、メリアさんからもらったお金でパンを買った。
 彼が昔から通っていたパン屋さんだそうで、ご主人はグレンさんの顔を見て泣きそうな顔で笑った。
 結婚するんだと聞いたら「よかったねぇ」と涙をにじませ、チョコレートとホイップが挟まったパンをおみやげに5個包んでくれた。
 
 そういえば彼の住んでいるアパートは1階がパン屋だった。
 今日は臨時休業だけど、マードック武器工房は木曜日が定休日らしい。そして彼が魔物討伐や冒険に出ず完全に休んでいる日も木曜日。

 ――なんだか、不思議だ。
 ディオールには嫌な思い出がたくさんあるけれど、今わたし達と過ごしている彼は、間違いなくこの街の記憶が形作っている――。

 
「マ、マクロード将軍、ですか?」
(ん?)
 
 公園のベンチに腰掛けてパンを食べているわたし達に、若い男性が呼びかけてきた。
 黒髪に灰眼――ノルデン人だ。わたしやジャミルと同い年か、少し上だろうか?
 グレンさんの顔を見て泣きそうになっている。
 
「……エリオット?」
「はい。生きてらしたんですね、将軍。……よかった……」
「その呼び方はやめてくれ。もう将軍じゃない」
 
 その言葉を受けて、エリオットという人が鼻をすすりながら「すみません」と小声で謝罪をする。
 かつてグレンさんの部下だった彼は、今は新しい北軍将の副官をしているらしい。
 副官ということはかなり強いんだろう……くせっ毛でくりっとした目のかわいらしい感じの人なのに意外だ。
 
 しばらく話をしていると、「ぱぱ」と言いながら黒髪の赤ちゃんがポテポテと歩いてきてグレンさんの足元に抱きついた。
 めちゃくちゃ驚いてしまったけど当然彼の子じゃない。エリオットさんのお子さんが、黒い髪を見てお父さんだと勘違いしたようだ。
 エリオットさんがニコニコ笑いながらお子さんを抱き上げ「こらー」なんて言っている。
 
「お前、子供……というか、結婚していたのか」
「はい。へへ……可愛いでしょ? 1歳になったばかりで」
「……そうだな」
「僕、孤児でしたから、やっと自分の家を……家族を持てて幸せです」
「…………」
 
 エリオットさんが、くりくりお目々の赤ちゃんを愛おしげに見つめる。
 この人も災害のせいで孤児になってしまった人なんだろうか……。
 少しして彼の奥さんらしき人がやってきた。
 
「しょうぐ……、マクロードさん、も、結婚されるんですよね。家庭って、いいですよ。お幸せに……」
 
 エリオットさんが赤ちゃんを下ろして、夫婦は赤ちゃんを真ん中にして手をつないで去って行った。
 
 
 ◇
 
 
「ああっ、マクロードさん!? 久しぶりだ……帰ってきたんだ」
 
 彼の行きつけだという宿屋。
 ここでカイルとよく食事をしたりしていたらしい。
 
「……ありがとう。今日は泊まりに来たんだ。……空いているかな」
「もちろん! 最上階の一番良い部屋を用意させてもらうよ。……一部屋でいいかな?」
「!!」
 
「……いや、二部屋で」
「…………」
  
(何、考えてるの……)

 赤くなった顔を誰にも見られないよう、うつむいてよそを向く。 
 自分だけが変なことを考えているのかと思うと、恥ずかしくてたまらない。

 でも、だって、近くにいたいのに……。
 
 
 荷物を部屋に運んだあと、1階の酒場で食事をした。
 ソーセージや肉の煮込み料理なんかが多く、パン食が中心で米はあまり食べないようだ。
 ロレーヌとは様相がちがう――彼いわく、わたしやジャミルが作る料理はほとんど初めての物だったらしい。
 
「だから最初の頃あんなにはしゃいでたんですね」
「……やめてくれ、その頃の話は」
「えー、なんで」
「恥ずかしい」
「えー」
「無意味にはしゃいでただろう」
「まあ、言われてみれば」
「あの頃は方向性を見失っていたから」
「ほうこうせい……」
 
 ――元々あまり喋らない所に色々打ちのめされ余計に口数が少なくなり、辛うじてテオ館長と仕事の話を一言二言交わすぐらいだった。そんな中、急に年の離れた外国の若者とつるむことになったので何を喋っていいかわからず、食べ物をめちゃくちゃ褒めるみたいなことで無理矢理にコミュニケーションを取ろうとしていたらしい。
 さらに……。
 
「レイチェルに……」
「え? わたし?」
「……悪印象を植え付けたかったから、ピエロみたいにふるまった」
「な~ん~で~。なんでそんな~」
 
 口を尖らせてブーブー言っていると、彼が「ふっ」と笑みをこぼしながらわたしの方に手を伸ばしてくる。
 
「!」
 
 そして口元あたりを指で拭って、お皿に払い落とす。
 パン屑が付いていたようだ。
 
「…………」
「……馬鹿だったな、本当……」
 
 睫毛まつげを伏せて、彼は自嘲的に笑う。
 照明があまり明るくないのは幸いだ。この赤く火照った顔を見られずに済む……。
 
 その後、デザートも食べた。
「すごいおいしい」なんて言ったけど、正直味は分からなかった。
 さっき彼がわたしの口元を拭った時の胸の高鳴りが収まらなかったからだ。
 彼がわたしの顔を触るのは別に珍しいことじゃないのに、まるで初めてそうされたみたいに心臓が波打って、全然落ち着かない――。
 
 
 ◇
 
 
 食事を終えたあと、最上階にある宿泊部屋へ。
 宿屋の主人の言う通りとても良い部屋だ。広くて、バルコニーに出ると街を一望できる。だけど――。
 
 わたしの部屋の前に着いたところで、彼は足を止める。彼の部屋は、わたしの部屋の奥。
 
「……じゃあ、今日はこれで」
「いや、です」
「え……?」
「もっと一緒に、いたい……」
 
 去ろうとする彼の腕にしがみついて、わたしは懇願するように彼を見上げた。

 彼は何も言わない。
 ただその灰色の瞳の奥には、いつもとちがう情念の炎が宿っているような気がした。
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