上 下
285 / 385
14章 狂った歯車

1話 "なりそこない"

しおりを挟む
「よう……ただいま」
「ジャ、ジャミル!! よかった、無事っ……、えっ! べ、ベル!?」
 
 ジャミルが消えた次の日。
 食堂で遅めのお昼を食べていたら壁に紫の扉が出現し、中からジャミル、そしてベルが出てきた。
 ベルはわたし達の姿を見て、目を潤ませて微笑んだ。
 
「レイチェル……久しぶり」
「うん、うん! ああ、もう会えないと思った! お別れも言えなかったし……ていうか、髪! どうしたの!?」
 
 ベルの長くて綺麗な巻き髪が、首元辺りまでのショートヘアになっている。
 疲れた顔をしているのに、あまりの変わりようについつい大声で質問してしまった。
 
「……うん。色々あって」
「……そっかぁ。えっとね、短いのもかわいいよ!」
「……ベルは、美女」
「あははっ、ほんとだね! ベルはどんな姿でも、美女……?」
 
 ルカのセリフを受けてキャッキャはしゃいでいると、ベルに抱きしめられた。
 柔らかい。いい匂いがする。
 
「ベル……? どうしたの……」
「ううん……ごめんね。これからも、よろしくね……」
「ベル……」
 
 昨日ジャミルを呑み込んだあの渦から、ベルがすすり泣く声が聞こえた。
 きっとわたしには分かり得ない、辛いこと悲しいことがあったんだ。
 でもそれはきっと、ジャミルが支えてくれる。
 じゃあ、わたしができることは……。
 
「……うん。お帰り、ベル」
 
 こうやって、ただただ普通に迎え入れることだけ。
 わたしはベルをそっと抱きしめて、頭を撫でた。色んな場面で彼女がわたしにそうしてくれたように……。
 
 しばらくしてからベルが身を離し、グレンさんの前に歩み寄り頭を下げた。
 
「隊長、あの……申し訳ありませんが、またここに住まわせてもらいたいのです」
「ああ、構わない。部屋はそのままだからな」
「それと……あたし、魔法が使えなくなってしまって」
 
 まるで罪を告白するかのように言葉を絞り出し、ベルはうつむいてしまう。
 
(ベル……)
 
 ここに来たばかりの時にベルが「自分の力は好きじゃないのに、社会で生きていくために結局この力にすがってしまう」と言っていた。
 その力が消え失せてしまうというのは、どれくらい苦しいことなんだろう……?
 
「そうか。まあ、そのうち戻るだろう」
「え? ……あ、はい」
 
 グレンさんの軽い返答にベルは拍子抜けしたように目を見開く。
 
「あ、あの……ご、ご迷惑をおかけしますが」
「迷惑? 君の癒やしの力がないなら、よそに頼ればいいだけの話だ。ちがうか?」
「そ……それは、そうですが、あの」
「……いいんだよ、ベルは今まで通りおやつ係とラーメン係やっててくれりゃ」
「……ラーメン食べたい」
「うんうん、ねえベル、またラーメン夜会やってね!」
「う、うん……」
 
 ベルはなおも自信なさげにうつむき、肩をすくめて縮こまってしまう。
 そんな彼女の目線の下にウィルが止まり、気遣うように首をぴょこぴょこかしげた。
 それを見てベルはようやく笑顔になる――でもきっと、作り笑いだ。
 早く、本当の意味で元気に笑えるようになれればいいな……。
 
 
 ◇
 
 
「あのさあ、グレン。こんな時なんだけど……やべーブツがあるんだよ」
 
 そう言いながらジャミルがテーブルの上に短剣を置いた。
 剣は灰色。色以外は普通の物に見えるけれど……。
 
「こ、これってあの……闇の剣みたいなやつ? 束に円が浮かんでる」
「ああ、まあ……"なりそこない"ってとこかな」
「なりそこない……」
 
 束に浮かび上がっている、もうあと少しで閉じそうな不完全な円。
 この円が閉じると紋章がえがき上がって、闇の剣になってしまう……?
 
「どうしたんだ、これは」
「ちょっと色々あってさ……ベル、説明していいか? あんまり、はしょって話せねえかもだけど」
「うん。あたしも、これの原理を少しでも解明したいから」
「そっか……」
 
 ジャミルの話によると、これはベルのお父様であるサンチェス伯が所持していたものらしい。
 彼は妻であるサンチェス伯夫人――つまり、ベルのお母様と折り合いが良くなかった。
 夫人はことあるごとに夫や娘をなじり、さらに結婚前に住んでいた華やかな都会と比べて地味な田舎であるサンチェス伯領の全てが気に入らず、方々に悪口を言い回っていた。
 サンチェス伯はそんな夫人に憎悪の念を抱きはじめ、古道具屋で買ったこの剣を見つめながら夫人の死を祈るようになった。
 やがて、なぜかその剣には夫人に対する皆の憤りの気持ちが瘴気しょうきとなって集結し始め……。
 
「……とんでもない代物だな」
「ああ。聖銀騎士は今あんなだし、これ報告したらサンチェス家がヤバくなりそうだし……だからオレが譲り受けたんだ」
「剣自体はただの中古品みたいだな。ジャミルが以前持っていたのと比べると、邪悪な意思も力、も……!」
「!」
 
 グレンさんが剣を手に取ったかと思うと、瞬時に取り落とした。
 剣から何か衝撃でも走ったのだろうか、持った方の手の指がピクピクけいれんしている……。
 
「だ、大丈夫……?」
「ああ。……ジャミルが平気で持っているから、つい。……うかつだった」
「アンタが持ってもそうなんのか。……ベルの家の執事さんが持っても同じでさ、魔力が抜ける感覚があるんだって。でも持ち主の伯爵とか、術使えねえ人はなんともねえみてえで」
「なるほど。……確かに、あの沈黙魔法サイレスの手錠と同じ感覚だった。……他に何か変わったことは?」
「ああ、実は……」
「あたしがお話しします」
「ベル」
「大丈夫よ……」
 
 ベルがジャミルに代わって話し始める。
 
 お母様であるサンチェス伯夫人と激しく口論になった際、この剣が窓を突き破って飛んできた。
 剣は夫人の顔を切り裂き、その後もずっと夫人だけに切っ先を向けていた。
 夫人をかばってケガをしたベルの傷は回復魔法で癒えたけれど、夫人の傷はずっと癒えない。
 術師が祈れば祈るほど、別の力――皆の「治らないで」という思いが瘴気となって湧き上がり相殺してしまう。
 
「……闇の剣が出来上がりそうになった経緯は分かったのですけれど、どうして飛んできたのか、そしてどうして母だけを傷つけて、傷が癒えないように働きかけているのかが分からなくて」
「何か、それが呪文として発動するきっかけになった言葉はなかったのか? ……『呪われろ』みたいな」
「…………どう、でしょう。『大嫌い』と叫んだ次の瞬間でしたが」
「……それは確かに強めの言葉だが……しかし、もっと他にありそうな気がするな。例えば、皆が夫人に対して抱いていた気持ちとか」
「あ……」
 
 ベルが青ざめた顔でうつむく。少しの間の後、うつむいたまま口を開いた。
 
「『喋らないで、口を開かないで』……そう、言いました。きっとみんな……日頃からずっと思っていたことだと思います」
 
 
 ◇
 
 
「本当に、"やべーブツ"だな、これは……」
 
 グレンさんが、隊長のデスクに置いた剣を見つめてつぶやいた。
 
 あのあと、ベルの顔色があまりに悪かったために一度解散して、隊長室に場所を移した。
 ベルは自室で待機。お供――というか、見張り役にルカとウィルがついてくれている。
 見張りなんて……と思うけど、今はグレンさんとジャミルがこの剣について考えたことをとりまとめている最中――事情が事情だけに、彼女の耳にはまだ入れない方がいいと判断してのことだ。
 
 闇の剣――その"なりそこない"の剣。
 伯爵をはじめ、多くの人間が夫人に対して抱いていた「黙れ」という気持ちが瘴気となって集結し、剣を黒く染め上げようとしていた。
 そして魔力を持つベルが激しい感情とともに「喋らないで」と叫んだために術として発動し、飛来。夫人の顔を切り裂き、物理的に黙らせようとした。
 夫人をかばって負傷したベルの傷は治ったけれど、夫人を治すための回復魔法は皆の思いで封じられた。
 矛盾する2つの思いが、術の発動を阻む。それは影の術、沈黙魔法サイレスと同じ。
 
 剣は伯爵本人やわたしみたいな術を使えない人間が持ってもなんともないけれど、グレンさんやルカなど術師の人が触ると魔力を吸われる感覚があり、術の発動のための魔力を練り上げることができなくなってしまうという。
 
「剣そのものがサイレスの術みたいですね」
「そうだな。……感覚的に、聖銀騎士に術を抑えられた時よりもその効力が強い気がする」
「そんなにか……。あのさ……これ使えねえかな?」
「使う?」
「イリアスといつか戦うってなったときにコイツ使って魔法封じられたりとかしねえかな、って」
「……それは……確かに、使えそうではあるが……」
「でもあの……この剣を持ってあの人に近づくか、触れさせないといけないんじゃ……? 剣がそう都合良く飛んできたりもなさそうだし」
「ああ。それに奴の魔力は相当のものだ。それを封じるに至る、大きな思いというのも今ひとつ……伯爵夫人に対する『黙れ』という思いのような、長年積み上がったものでなければ難しいかもしれない」
「……そっか、そんなうまくはいかねえか。……ん?」
「どうしたの?」
「いや、あっちの方でなんか光って……」
 
 そう言いながらジャミルは光のする方――応接ソファの所へ。
 机の上で光を放っているのは……。
 
「あれ? これってあの……頼信板テレグラムってやつだよな」
「えっ!? ……グ、グレンさん!」
 
 それは、グレンさんが聖銀騎士団の詰所から釈放される際、誰かがグレンさんの着替えの中に潜ませたもの。
 何を書いてもずっと反応がなかったため、放置されていた。それが今になって、光を……。
 
「……なんだ……?」
 
 板を手に取ったグレンさんが怪訝な顔をする。
 覗き込んでみると、光を放つばかりで何もメッセージらしきものが浮かび上がってこない。
 時折、点がいくつか浮かび上がるだけ……。
 
「どうしたんだこれ? 誰かが何か書こうとしてんのか?」
「誰が……イリアス? それかやっぱりセルジュ様、でしょうか?」
「あ、なんか線が出てきた」
 
 線がゆっくりと浮かび上がる。まるでミミズがのたくったような、グラグラの線だ。
 1本の線が書き上がると、別方向からまた線が浮かび上がる。
 やがて線は組み合わさって文字になり、ゆっくりゆっくりと2文字、3文字と書き上がっていく。
 そうやって、ようやく紡ぎ出された単語は――。
 
 ”た、  す、 け・て”
 
 最後の文字の末尾が何かに引きずられるようにシャッと伸び、板の放つ光は消えた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

平凡少年とダンジョン旅

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:142pt お気に入り:1

偽りの恋人達

恋愛 / 完結 24h.ポイント:653pt お気に入り:38

趣味を極めて自由に生きろ! ただし、神々は愛し子に異世界改革をお望みです

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:24,993pt お気に入り:11,875

ちーちゃんのランドセルには白黒のお肉がつまっていた。

ホラー / 完結 24h.ポイント:1,320pt お気に入り:15

盗賊とペット

BL / 連載中 24h.ポイント:362pt お気に入り:98

転生しても実家を追い出されたので、今度は自分の意志で生きていきます

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:14,265pt お気に入り:7,587

処理中です...