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14章 狂った歯車
9話 燃えかす
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「あー、セルジュ様じゃないですかー」
「…………」
「どーしたんですかー、あーメシ持ってきてくれたんだー。ありがとーございますー」
「…………」
「ていうか、団長をメシ運ぶ係にするなんて信じらんないなー、あいつ。不敬にも程があるや! あははは」
「…………」
「ねえねえ、今って何月何日、何時何分何秒ですか? 俺、どんくらいここにいるのかなあー?」
「…………」
「知らないかー。あはははは」
「…………」
セルジュ卿相手なのに何の体裁も取り繕えず、タチの悪い酔っ払いみたいな絡み方をしてしまう。
閉じ込められた上に誰に何を語りかけても何の言葉も返ってこないため、自分がどういう口調のどういう人物だったかすら曖昧になりつつある。
どれくらいここにいるんだろう?
もう過去の回想のストックもないから、同じことばっかりグルグル考えてる。
部屋はずっと暗い。人がいないときは自分がどこにいるのか分からず、生きている感覚がしない。
ずっと床で寝てる。床は冷たくて固いんだ。だから何かしらの感覚を味わっていたい。じゃないと、生きている感覚がしない。
口は開きっぱなしで、喉は常にカラカラ。だって口開けてないと空気入ってこないし。呼吸しないと生きている感覚がしない。
生きている感覚がしないんだ。
生きている感覚がさあ。
しないんだよ。
「ありがとー セルジュさん。そこ置いといてよー」
「…………」
「あー。そういや、知ってるー? リタ……聖女様ってねー、あなたのイトコなんですよー」
「…………」
「ゲオルク様の妹君があなたのお母さんでー……だからゲオルク様はあなたの伯父ってこと。聖女様のことは忘れても、その辺は忘れてないのかな~」
「…………」
「ゲオルク様、あんなに娘をかわいがってたのにきれいさっぱり忘れちゃってさ。みーんな『ゲオルク様にはお子さんがいらっしゃらない』とか言うんだよ。いるっつーの。信じらんないよね?」
「…………」
「あー、娘といえば。セルジュさん、お嬢さんは元気? 『セシル様』だったよねー。もうどんくらい帰ってないのかなーご家族も心配してんじゃないのかなー。お嬢さん、お父様に会いたがってんじゃない? 俺はさー、分かるよ。親に急に会えなくなるのってすっごい寂しくてつらいんだ。明日こそ会えるんじゃないかとかってさぁ……?」
「………………」
「……セルジュ……?」
トレーを持つセルジュの手がカタカタと震える。
そのまま、油の足りないブリキ人形みたいに固い動きでガクンとしゃがみ込み、地面に食事のトレーを勢いよく置いた。
前も思ったが、彼だけ他の聖銀騎士とは動きがちがう。
魔力が高いから、なめらかに操るのが難しいのだろうか……?
俺がトレーをこちらにたぐり寄せてからもギクシャクとした妙な動きは続き、「ヒッ、ヒッ」という呼吸音がしきりに耳に入る。
イリアスの術に抵抗しているのかもしれないが、正直言って怖い。
さっさと食べ終わって、退散してもらおう――……。
「…………ベ、…………ル」
「え……?」
何か声を発したが、聞こえない。
唇を震わせて、喉から無理矢理に声を絞り出そうとしている――ように見えるが……。
「…………ナ」
「……?」
「……タ、……ベ、……ル、…………ナ」
「!!」
『食べるな』――そう聞き取れた時にはもう、手遅れ。
いつものように固形の味もよく分からない食物を、水で流し込んだ、あと……。
「……がっ……!」
喉が焼け付くような感覚。
見ればいつもの物と、色も形も全然ちがった。
丸くて紫色の物体。これは、これは……。
「な……ゲホッ、が……っ」
『これ、うまい。……あれとどっちがうまいんだろう』
『あれ?』
『孤児院で出る、紫のだんご』
……光の塾で、行いが良ければ食べられるとされる食べ物。
麻薬すれすれの物質が混ぜ込んである、危険な――。
……知っていた。
俺は、
その、
正体を。
知って、
いたのに。
「がっ……ゲホッ、ゲホ……ッ!!」
下水と土が混ざり合ったような強烈な臭気が気道を一気に通り抜け、鼻と口の中を満たす。
兄の言ったのと同じ……いや、兄からはこんな、のたうち回るほど苦しむ物とは聞いていなかった。
もしそうであるなら、成分を調べてもらわなくとも危険物だと分かったはずだ。
「なん……で……!」
息が苦しい。
頭が痛い。
吐きそうだ。
……いつも
いつも……、
なら。
絶、 対、 に、
食べ、
……なかった。
光が、
ほと んど、
なかっ たから、
見え なかった。
生命 活動と、して、
食い物を、
摂取、
して いた、だけ。
いつも、
同じ、 味の、 ものを、
水で、
流し込む……
だけ だった。
だから、
判断、力、
なんて……、
もう、
とっく、に
尽き――……。
「……どうして、そんなに粘ってしまうのかな?」
「……!!」
鉄格子の向こうにイリアスが立っていた。首元を抑えながらのたうち回る俺を表情なく見下ろしている。
――いつの間に来たんだ。
この様子をどこか別の場所で見ていて、転移魔法で飛んできたのか?
「■■■■■■、■■■■■■……」
「……え……?」
またイリアスが例の"呪文"を唱えるが、やはり何も聞こえない。
奴の後ろでセルジュが「女神の加護の、あらんことを」とつぶやいたのみ。
そのせいか、ぎこちない動きをしていたセルジュが大人しくなった。
「……信じられないな、君は。強制的な闇と孤独の中で1週間……並の人間なら発狂するか廃人になっているところなのに。全く、テレーゼやアーテのような雑魚の馬鹿では懐柔などできるはずもなかったな。しかも、ここへ来てもまだ"思考停止の術"の呪文が聞こえないときている」
「ゲホッ……、ゲホッ……」
「血の宝玉として、かなりの逸材だ。だが、今僕が求めているのはそれじゃない」
自分の咳のせいで、何を喋っているのか今ひとつ聞き取れない。
咳き込むことで涙が出て、目の前がかすむ。
そんな中、視界に赤色の"何か"がよぎる……。
「これ……君の物だね?」
「な……!」
「おっと」
鉄格子から思い切り手を伸ばしイリアスから"それ"を奪い返そうとするが、軽やかな動きでかわされる。鉄格子に身体がぶつかった音だけが空しく響く。
「か、返せ……っ!!」
「随分と大事にしているんだね? これってお土産屋なんかで売っている物だろう?」
「お前に関係ないっ……!!」
イリアスが、俺の前に赤い布をひらひらとチラつかせる。
赤い布――そう、それは子供時代に買ってもらった竜騎士のスカーフのレプリカ。
イリアスはそれを牢の前に設置してある小さなテーブルの上に置き、手で綺麗にしわを延ばしながら広げ、興味深そうに眺める。
「ベタベタさわるな!! ふざけんなよ!!」
「古代文字で真名を縫いつけてあるのか……そしてこの銀糸の星のうちのいくつかが、聖女の手によるもの……なるほど」
「……!?」
イリアスがスカーフをひょいっと上に投げると、次の瞬間、赤いスカーフが別の赤色に包まれた。
「――……」
赤が赤に包まれて、
灰色の何かが立ち上って、
黒い何かに変わっていく。
――"何か"ってなんだろう?
分からない。
事実が、認識できない。
駄目だ、やめろ。
認識しちゃいけない。
なんにもなっていない、なんにも。
そうだ、別のこと考えよう。
別のこと。
別、の――……。
――シャキーン! カイル竜騎士団けっせーい!
――バーカ! ジャミル竜騎士団だから!
――あのね、ミランダさまに『カイルを守ってください』っておいのりしながらぬったのよ。
――お守りだからね。ずっと着けててね……。
「…………あ」
別のことを考えたいのに、あのスカーフの思い出ばかりが頭を巡る。
結局、嫌というほど現実を直視することになってしまい、目から涙が垂れ流れる。
「…………っ」
現実。
目の前の、現実。
……燃やされた。あいつの術で。
カイル・レッドフォード、そしてクライブ・ディクソンとしての歴史を刻んできた、スカーフが。
微塵も残らず、燃えて消えた――……。
「わああああ――――……っ!!」
叫ぶことしかできない。
ほとんど光のない闇の中に閉じ込められ、もう感情も何もないような状態だった。
怒り、悲しみ、絶望――分からない、どの感情から感じて、どう表現していけばいい!?
「やはりこれが聖女の加護だったか。全く……手間を――」
「ちがう……っ!!」
「ん?」
「あれは"聖女の加護"なんかじゃない、……"布きれ"だ! 子供が戯れに巻いて使う、俺以外には何の価値もない……ただの……!」
――玉結びとか玉留めとかもなっていない、グチャグチャでヘタクソな縫い目。
古代文字がカッコイイって思って縫いつけて、兄に「だせえ」って笑われた。
リタに教わって裁縫ができるようになったから、元の自分を忘れないようにと自分が消えたあの日の日付と年号も縫いつけた。名前よりは上手にできて、1人でニヤニヤ笑ってた気がする。
誕生日にはリタが銀色の綺麗な星を縫いつけてくれた。
リタと離れてからは自分で縫おうと思って、銀の糸を求めて店を巡った。3万もする高級品で目を剥いたっけ。
あれは、そういう思い出を俺にだけ想起させるもの。
誰にも何の価値もない、安い布きれ。
でも、たったひとつしかない、思い出の品。
それを。
なんで、
なんで、
「なんで、そんなことするんだよおおおっ!! なんでぇっ……」
「……それで」
「え……?」
イリアスが、満面の笑みでこちらを見下ろしている。
「それで……?
心は、
痛んだかい?」
――そのイリアスの言葉に俺が何かの感情を抱くよりも前に、「ガシャン」という音が耳に届いた。
次の瞬間、椅子が地面に落ちる。
「っ、何を……セルジュ……!!」
「……!」
傍らにいた"人形"のセルジュが、置いてあった椅子をイリアスに投げつけたのだ。
術が解けたわけではないようで、目は相変わらず焦点がどこにあるか分からない。
だが、息を乱して拳を握って肩を震わせて……もしかして、今の行いに腹を立てたのだろうか?
怒りの感情が術を凌駕したのか?
「…………」
セルジュはその後息を乱しつつグリンと身体ごと回転し、壁に身体のあちこちをぶつけながら階段を昇っていった。
「…………?」
「フフ……"魂の前で無礼を働いてはいけない"――死体だろうが、土塊だろうが、そして"操り人形"でも同じこと……というわけか。僕としたことが……」
イリアスが、椅子が当たって負傷した顔を魔法で癒しながら感嘆したようにそうつぶやく。
そして、こめかみ辺りを手で覆いながら目を閉じた。
「――セルジュ君、聞こえている? どこに行くつもりか知らないけれど、彼を"なんとか"したら、あとで迎えに行くからね……」
「…………」
「……さあ、カイル・レッドフォード君。先に行こうか」
「!!」
イリアスが牢の中に手を差し入れて俺の髪をつかみ、額の紋章を光らせた。
「ぐ……!!」
頭の中に金属がぶつかるような音が聞こえる。
動けない。目をそらせない。
光のせいで、視界が奪われる。
なのに、イリアスの気味の悪い笑顔だけがはっきりと見える。
「さあ……カイル君。"女神の加護の、あらんことを"……!」
「あ……!!」
耳に届く、"呪いの言葉"。
光とともに、大波に呑まれるように頭の中の全てがさらわれて、消え――……。
「……リタ……、
……にい……ちゃん……」
「…………」
「どーしたんですかー、あーメシ持ってきてくれたんだー。ありがとーございますー」
「…………」
「ていうか、団長をメシ運ぶ係にするなんて信じらんないなー、あいつ。不敬にも程があるや! あははは」
「…………」
「ねえねえ、今って何月何日、何時何分何秒ですか? 俺、どんくらいここにいるのかなあー?」
「…………」
「知らないかー。あはははは」
「…………」
セルジュ卿相手なのに何の体裁も取り繕えず、タチの悪い酔っ払いみたいな絡み方をしてしまう。
閉じ込められた上に誰に何を語りかけても何の言葉も返ってこないため、自分がどういう口調のどういう人物だったかすら曖昧になりつつある。
どれくらいここにいるんだろう?
もう過去の回想のストックもないから、同じことばっかりグルグル考えてる。
部屋はずっと暗い。人がいないときは自分がどこにいるのか分からず、生きている感覚がしない。
ずっと床で寝てる。床は冷たくて固いんだ。だから何かしらの感覚を味わっていたい。じゃないと、生きている感覚がしない。
口は開きっぱなしで、喉は常にカラカラ。だって口開けてないと空気入ってこないし。呼吸しないと生きている感覚がしない。
生きている感覚がしないんだ。
生きている感覚がさあ。
しないんだよ。
「ありがとー セルジュさん。そこ置いといてよー」
「…………」
「あー。そういや、知ってるー? リタ……聖女様ってねー、あなたのイトコなんですよー」
「…………」
「ゲオルク様の妹君があなたのお母さんでー……だからゲオルク様はあなたの伯父ってこと。聖女様のことは忘れても、その辺は忘れてないのかな~」
「…………」
「ゲオルク様、あんなに娘をかわいがってたのにきれいさっぱり忘れちゃってさ。みーんな『ゲオルク様にはお子さんがいらっしゃらない』とか言うんだよ。いるっつーの。信じらんないよね?」
「…………」
「あー、娘といえば。セルジュさん、お嬢さんは元気? 『セシル様』だったよねー。もうどんくらい帰ってないのかなーご家族も心配してんじゃないのかなー。お嬢さん、お父様に会いたがってんじゃない? 俺はさー、分かるよ。親に急に会えなくなるのってすっごい寂しくてつらいんだ。明日こそ会えるんじゃないかとかってさぁ……?」
「………………」
「……セルジュ……?」
トレーを持つセルジュの手がカタカタと震える。
そのまま、油の足りないブリキ人形みたいに固い動きでガクンとしゃがみ込み、地面に食事のトレーを勢いよく置いた。
前も思ったが、彼だけ他の聖銀騎士とは動きがちがう。
魔力が高いから、なめらかに操るのが難しいのだろうか……?
俺がトレーをこちらにたぐり寄せてからもギクシャクとした妙な動きは続き、「ヒッ、ヒッ」という呼吸音がしきりに耳に入る。
イリアスの術に抵抗しているのかもしれないが、正直言って怖い。
さっさと食べ終わって、退散してもらおう――……。
「…………ベ、…………ル」
「え……?」
何か声を発したが、聞こえない。
唇を震わせて、喉から無理矢理に声を絞り出そうとしている――ように見えるが……。
「…………ナ」
「……?」
「……タ、……ベ、……ル、…………ナ」
「!!」
『食べるな』――そう聞き取れた時にはもう、手遅れ。
いつものように固形の味もよく分からない食物を、水で流し込んだ、あと……。
「……がっ……!」
喉が焼け付くような感覚。
見ればいつもの物と、色も形も全然ちがった。
丸くて紫色の物体。これは、これは……。
「な……ゲホッ、が……っ」
『これ、うまい。……あれとどっちがうまいんだろう』
『あれ?』
『孤児院で出る、紫のだんご』
……光の塾で、行いが良ければ食べられるとされる食べ物。
麻薬すれすれの物質が混ぜ込んである、危険な――。
……知っていた。
俺は、
その、
正体を。
知って、
いたのに。
「がっ……ゲホッ、ゲホ……ッ!!」
下水と土が混ざり合ったような強烈な臭気が気道を一気に通り抜け、鼻と口の中を満たす。
兄の言ったのと同じ……いや、兄からはこんな、のたうち回るほど苦しむ物とは聞いていなかった。
もしそうであるなら、成分を調べてもらわなくとも危険物だと分かったはずだ。
「なん……で……!」
息が苦しい。
頭が痛い。
吐きそうだ。
……いつも
いつも……、
なら。
絶、 対、 に、
食べ、
……なかった。
光が、
ほと んど、
なかっ たから、
見え なかった。
生命 活動と、して、
食い物を、
摂取、
して いた、だけ。
いつも、
同じ、 味の、 ものを、
水で、
流し込む……
だけ だった。
だから、
判断、力、
なんて……、
もう、
とっく、に
尽き――……。
「……どうして、そんなに粘ってしまうのかな?」
「……!!」
鉄格子の向こうにイリアスが立っていた。首元を抑えながらのたうち回る俺を表情なく見下ろしている。
――いつの間に来たんだ。
この様子をどこか別の場所で見ていて、転移魔法で飛んできたのか?
「■■■■■■、■■■■■■……」
「……え……?」
またイリアスが例の"呪文"を唱えるが、やはり何も聞こえない。
奴の後ろでセルジュが「女神の加護の、あらんことを」とつぶやいたのみ。
そのせいか、ぎこちない動きをしていたセルジュが大人しくなった。
「……信じられないな、君は。強制的な闇と孤独の中で1週間……並の人間なら発狂するか廃人になっているところなのに。全く、テレーゼやアーテのような雑魚の馬鹿では懐柔などできるはずもなかったな。しかも、ここへ来てもまだ"思考停止の術"の呪文が聞こえないときている」
「ゲホッ……、ゲホッ……」
「血の宝玉として、かなりの逸材だ。だが、今僕が求めているのはそれじゃない」
自分の咳のせいで、何を喋っているのか今ひとつ聞き取れない。
咳き込むことで涙が出て、目の前がかすむ。
そんな中、視界に赤色の"何か"がよぎる……。
「これ……君の物だね?」
「な……!」
「おっと」
鉄格子から思い切り手を伸ばしイリアスから"それ"を奪い返そうとするが、軽やかな動きでかわされる。鉄格子に身体がぶつかった音だけが空しく響く。
「か、返せ……っ!!」
「随分と大事にしているんだね? これってお土産屋なんかで売っている物だろう?」
「お前に関係ないっ……!!」
イリアスが、俺の前に赤い布をひらひらとチラつかせる。
赤い布――そう、それは子供時代に買ってもらった竜騎士のスカーフのレプリカ。
イリアスはそれを牢の前に設置してある小さなテーブルの上に置き、手で綺麗にしわを延ばしながら広げ、興味深そうに眺める。
「ベタベタさわるな!! ふざけんなよ!!」
「古代文字で真名を縫いつけてあるのか……そしてこの銀糸の星のうちのいくつかが、聖女の手によるもの……なるほど」
「……!?」
イリアスがスカーフをひょいっと上に投げると、次の瞬間、赤いスカーフが別の赤色に包まれた。
「――……」
赤が赤に包まれて、
灰色の何かが立ち上って、
黒い何かに変わっていく。
――"何か"ってなんだろう?
分からない。
事実が、認識できない。
駄目だ、やめろ。
認識しちゃいけない。
なんにもなっていない、なんにも。
そうだ、別のこと考えよう。
別のこと。
別、の――……。
――シャキーン! カイル竜騎士団けっせーい!
――バーカ! ジャミル竜騎士団だから!
――あのね、ミランダさまに『カイルを守ってください』っておいのりしながらぬったのよ。
――お守りだからね。ずっと着けててね……。
「…………あ」
別のことを考えたいのに、あのスカーフの思い出ばかりが頭を巡る。
結局、嫌というほど現実を直視することになってしまい、目から涙が垂れ流れる。
「…………っ」
現実。
目の前の、現実。
……燃やされた。あいつの術で。
カイル・レッドフォード、そしてクライブ・ディクソンとしての歴史を刻んできた、スカーフが。
微塵も残らず、燃えて消えた――……。
「わああああ――――……っ!!」
叫ぶことしかできない。
ほとんど光のない闇の中に閉じ込められ、もう感情も何もないような状態だった。
怒り、悲しみ、絶望――分からない、どの感情から感じて、どう表現していけばいい!?
「やはりこれが聖女の加護だったか。全く……手間を――」
「ちがう……っ!!」
「ん?」
「あれは"聖女の加護"なんかじゃない、……"布きれ"だ! 子供が戯れに巻いて使う、俺以外には何の価値もない……ただの……!」
――玉結びとか玉留めとかもなっていない、グチャグチャでヘタクソな縫い目。
古代文字がカッコイイって思って縫いつけて、兄に「だせえ」って笑われた。
リタに教わって裁縫ができるようになったから、元の自分を忘れないようにと自分が消えたあの日の日付と年号も縫いつけた。名前よりは上手にできて、1人でニヤニヤ笑ってた気がする。
誕生日にはリタが銀色の綺麗な星を縫いつけてくれた。
リタと離れてからは自分で縫おうと思って、銀の糸を求めて店を巡った。3万もする高級品で目を剥いたっけ。
あれは、そういう思い出を俺にだけ想起させるもの。
誰にも何の価値もない、安い布きれ。
でも、たったひとつしかない、思い出の品。
それを。
なんで、
なんで、
「なんで、そんなことするんだよおおおっ!! なんでぇっ……」
「……それで」
「え……?」
イリアスが、満面の笑みでこちらを見下ろしている。
「それで……?
心は、
痛んだかい?」
――そのイリアスの言葉に俺が何かの感情を抱くよりも前に、「ガシャン」という音が耳に届いた。
次の瞬間、椅子が地面に落ちる。
「っ、何を……セルジュ……!!」
「……!」
傍らにいた"人形"のセルジュが、置いてあった椅子をイリアスに投げつけたのだ。
術が解けたわけではないようで、目は相変わらず焦点がどこにあるか分からない。
だが、息を乱して拳を握って肩を震わせて……もしかして、今の行いに腹を立てたのだろうか?
怒りの感情が術を凌駕したのか?
「…………」
セルジュはその後息を乱しつつグリンと身体ごと回転し、壁に身体のあちこちをぶつけながら階段を昇っていった。
「…………?」
「フフ……"魂の前で無礼を働いてはいけない"――死体だろうが、土塊だろうが、そして"操り人形"でも同じこと……というわけか。僕としたことが……」
イリアスが、椅子が当たって負傷した顔を魔法で癒しながら感嘆したようにそうつぶやく。
そして、こめかみ辺りを手で覆いながら目を閉じた。
「――セルジュ君、聞こえている? どこに行くつもりか知らないけれど、彼を"なんとか"したら、あとで迎えに行くからね……」
「…………」
「……さあ、カイル・レッドフォード君。先に行こうか」
「!!」
イリアスが牢の中に手を差し入れて俺の髪をつかみ、額の紋章を光らせた。
「ぐ……!!」
頭の中に金属がぶつかるような音が聞こえる。
動けない。目をそらせない。
光のせいで、視界が奪われる。
なのに、イリアスの気味の悪い笑顔だけがはっきりと見える。
「さあ……カイル君。"女神の加護の、あらんことを"……!」
「あ……!!」
耳に届く、"呪いの言葉"。
光とともに、大波に呑まれるように頭の中の全てがさらわれて、消え――……。
「……リタ……、
……にい……ちゃん……」
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