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14章 狂った歯車

12話 異界の兄(前)

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「そろそろメシだって。降りて来いよ」
「…………」
「カイル?」
「…………」
「おーい」
 
 知らない"兄"が、俺の目元で手をパタパタ動かす。
 
 ――状況が全く分からないし、考える余裕もない。
 元々あまり深く考えないところに、あの1週間以上にも及ぶ暗闇での監禁生活。
 さらにショックな出来事が立て続けに起きて……思考能力を全て奪われていたといっても過言ではない。
 
 何がどうなった?
 俺の命を使って、恐らくイリアスは時間を飛んだ……それで?
 なんで俺はここにいる? この兄貴は何だ? 
 一体奴は何を改変したんだ。
 
「う……っ」
 
 頭が痛い。割れそうだ。
 
「おい、大丈夫か? 具合悪いのか」
 
 心配する兄の声――気遣ってくれているが、正直今誰とも話したくない。
 でもせめて、この兄からでも聞けることは聞いておきたい……。
 
「……ごめん、大丈夫。変な夢見ちゃって、頭が……。ここって、どこだっけ?」
「家」
「どこの?」
「どこって、家は家じゃ……」
「……だから!! どこの街の、どこの家なんだよ!!」
 
 思わず声を荒げてしまった。兄が目を丸くしている。
 駄目だ、情緒が全然安定しない……。
 
「……カルムの街だけど。……何怒ってんだよ、恐~っ」
「……カルムの、街……」
 
 俺達家族が元住んでいたところだ。
 今は引っ越してちがう街に住んでいるはずなのに……。
 
「……今って、何年の何月何日?」
「えー?」
「……何時何分何秒?」
「はぁー? "秒"って何だよお前、ガキかよ。ハハッ……」
「笑うなよ!! 今何年の何月何日、何時何分何秒かって聞いてん……痛っ!」
 
 叫んでいる途中で、兄に頭を思い切りバシンと叩かれた。
 目が据わっている。
 しまった……半笑いにイラッときたからって、今の態度はさすがに……。
 
「あ……あに、」
「……本日は! 1564年、2月23日!! 時刻は夜の、7時21分、27秒、28秒、29秒……以下永遠に続く! ……これで、満 足 で す か!?」
 
 文節ごとに兄が俺の頭を何回も指さしまくりながら、さっきの俺以上の大声で叫ぶ。
 ――兄貴がこんな怒り方してきたの久しぶりだ。って、懐かしがってる場合じゃないな……。
 
「ご、ごめ……」
「誰に向かってそんな口聞いてんだ、アホが! メシだっつってんだろ、殺すぞクソボケ!!」
「す、すみません……」
 
 のそのそとベッドから降りて、立ち上がる。
 
「……あれ?」
「何だよ、今度は」
「兄貴……背伸びた?」
 
 ここでまた、別の違和感。
 兄の背丈は、俺の目線より少し下くらい。それなのに今、全く同じ位置に目線がある。
 
「はぁ~? 伸びてませんが」
「だって、俺と同じくらいじゃないか」
「……お前と同じくらいだったら、なんで俺が背伸びたことになるんだ? 伸びてんのはお前だろーが」
「え? ……!!」
 
 そう言われたところでちょうど、部屋に置いてある姿見の鏡に映った自分の姿が目に入った。
 
「な……、え!?」
 
 かぶりつくように鏡の両端を持ち、そこに映る自分の姿を凝視する――「知らない見た目」なのは、兄ばかりではなく自分もだった。
 背が縮んでいて、年齢はたぶん、17、18歳くらい――だが、竜騎士時代の自分ともまたちがう。
 
「……今度は、どうしましたか」
 
 鏡に、そんな俺の様子をジトッとした目で見ている兄の姿が映る。
 
「兄貴……、俺今、何歳……?」
「18だろ。この前成人したとこじゃんか」
「18……?」
「ちなみに兄ちゃんは20だからな」
「20……」
 
『時間をさかのぼって過去を修正する』と言っていたから、俺はてっきり"あの日"――1558年の7月13日に飛ぶのかと思っていた。
 だが、どうやらちがう。
 今は1564年の2月23日。イリアスがあの儀式を行ったのとおそらく同じ日だ。
 もしかしたらイリアスの手によって過去は改変済みなのか?
 そして、そこから正確に時を刻んで……だから俺は18歳の姿なのか。
 
「……あのさあ、さっきからずーっと俺のこと"兄貴"って呼んでるけど、どうしたんだ? 成人したから呼び方変える的な?」
「え……?」
「まあいいけどさー。俺はちょっとまだ、兄貴って呼ばれる覚悟が足りないっていうか……ハハッ」
「………………」
 
 
 ◇
 
 
「……でさあ、昨日うちの課の窓口に、またあのおじいちゃんが来てさあ……」
「………………」
 
 夕食を食べながら、兄がずっと父か母に何かを話している。
 仕事のことが中心だが……どうやらこの兄は料理人ではなく町役場の職員をしているらしく、そこでの話だ。
 そういえば、料理人にならないならそっちを考えてたなんて言っていたっけ。……なんで料理人にならなかったんだろう?
 父と母は兄の話を楽しそうに聞きながら、時々自分の話もして……兄もそれに「マジでー?」なんて言いながら笑っている。
 
「…………」
 
 ――本来あるべき、家族の姿。
 
 俺がいなくなったあと、兄は塞ぎがちになってしまった。
 父と母はそんな兄を見かねて――というのは建前で、俺がいない、だけど俺の抜け殻ばかりが残された家にいるのが耐えられなくなり、この街を去った。
 以降レッドフォード家からは会話が消え、父も母も兄に話しかける時は最大限に気を遣うようになってしまった。
 兄はそれを疎ましく思って全寮制の学校へ行き、たまに家に帰った時も会話はほとんどゼロ。
 卒業後はすぐに一人暮らしを始めて、やはり実家との交流は意図的に断っている。
 
 俺が戻ってからはなんとか会話ができるようになったが、俺がいなければやはり家には帰らない。
 それについて両親から俺に、仲を取り持ってくれなんていう打診があるわけではない。年食っててもやっぱり弟だからだろうか。
 ……とはいえ、俺はやっぱり気まずいのは嫌だから、3人の会話が繋がるように適当に話題を振ったりしている。
 だが、やっぱりどこかギクシャクしている。両親も兄も大体最初に俺に話題を振ってきて、そこから会話に繋がる感じだ。
 正直言って、マードック夫妻とグレンの方がよほどに単純だと思うほど、親子の関係はこじれてしまっている。
 
 ――俺が自分を優先して元の自分に戻らなかったばかりに、このあたたかい団らんの可能性は、ついえた……。
 
「……カイル? どうしたの」
「え?」
「全然食事進んでないから」
「あ……」
 
 心配そうに俺に目をやる母。
 ここ最近俺が対峙してきた母とちがい、声の調子も表情も明るい。
 それは父も同様……俺の選択は兄ばかりでなく、父と母の人生や心も損傷してしまったんだと今更気づかされる。
 
「ごめん……ちょっと、調子悪くて。今日は、食べられそうにないや……」
 
 そう呟きながら立ち上がって、自室へと戻った。
 
「…………」
 
 ――俺の人生は間違いなんかじゃない。
 でも、俺の人生の為の選択は、多くのみんなを傷つけるものだった……。
 
 
 ◇
 
 
(どうしたらいいんだ……)
 
 自室のベッドに寝転がり、天井を仰ぐ。
 竜騎士団領に飛ばされた時、次目が覚めたら絶対この天井なんだと思いながら暮らしていた。
 だが今はもはや、全く馴染みのないものとなってしまった。
 明日目が覚めたら、またこの天井なんだろう。
 それが続いたらまた俺は昔みたいに叫び出すかもしれない――でも、もしイリアスの言葉が真実なら、俺の意識が溶け消えるのに1日もかからない。
 ……もしかして、その方がいいんじゃないだろうか?
 
 どうにかして元に戻ったとしても、待っているのは聖女が目覚めて強大な魔物があふれるロレーヌ、そして自らを刃物で貫いて瀕死のセルジュ……絶望しかない。
 俺はずっと、自分と何かを天秤に乗せて、俺自身を選び取ってきた。
 その結果、家族は心の傷を負ってしまった。
 
 いい加減、その天秤をあちら側に譲るべきなのかもしれない――。
 
「おーい、入るぞ~」
「!」
 
 返事を待たず、部屋のドアがガチャリと開く。
 ――兄だ。手に持ったトレーに、何か料理がのっている。
 
「……どうしたの」
「おかゆだけでも食ったらって、母さんが」
「…………」
 
("母さん"……)
 
 俺の知っている兄と親の呼び方がちがう。
 それに、この兄はさっき怒った時以外は口調が穏やかだ。役所と酒場では、出会う人間が全然ちがうからだろうか?
 
「……ありがとう」
 
 テーブルに料理を置いた兄に感謝の意を述べると、兄は歯を見せてニッと笑う。
 見た目と口調が異なっていても、その笑顔はやっぱり兄のもので安心してしまう。

 どうしたらいいんだろうか。
 戻る方法も分からないうえ、戻る意味を見つけられない。
 いっそこのまま眠ってしまって、全部なかったことに……。
 
「……おいおい、なんだ、これぇ?」
「え?」
 
 兄がしゃがみこみ、俺のベッドの脇に転がる"何か"を拾い上げた。
 
「なんかめちゃくちゃ血ついてる。鼻血拭いた紙……でもなさそうだし。なんだこれ、呪い?」
 
 そう言いながら肩をすくめ、俺にその"紙"を渡してくる――。
 
「あ……!」
「え? 何??」
「な……なんでもない。……ありがとう、兄ちゃん。ごめん、あの……食べ終わったら、食器、俺が持ってくから。だからあの……」
「ん? おお」
 
 俺の「1人にしてほしい」という気持ちを感じ取ってくれたのか、兄は退室していった。
 ドアが閉まったと同時に、俺はその紙――ぐしゃぐしゃに丸めた真っ赤な紙に目を落とす。
 
「……セルジュ……」
 
 それは、セルジュが命を捨てるほどの覚悟で俺に渡してきたあの紙くず。
 なぜこれがここにあるのか分からない。なぜあんな真似をしてまで、これを渡してきたのかも。
 何か重要な秘密でも書いてあったりするのだろうか?
 破らないように、注意深くその紙をほぐして開けてみると……。

 
 ――――――――――――
 
 名前も分からない。
 おれの名前は「クライブ・ディクソン」っていうことになった。
 全然ピンとこない
 
 
 7月20日
 
 キラキラ貴族の女の子と会った。
 なんかその子に名前言ってたみたいで名前を教えてくれた。
 おれの名前は「カイル・レッドフォード」。
 やっと色々思い出せた よかった。
 
 ――――――――――――

 
「日記……? 俺の……」
 
 紙の正体は、過去に飛ばされて一番最初に書き始めた日記の切れ端だった。
 それともう1枚……『この日記はカイル・レッドフォード、そしてクライブ・ディクソンの日常の記録』と書いてある紙。
 日記の中表紙にあたるページだ。日記を付け始めて数年経ってから、新しい日記帳の中表紙には必ずそう記してきた。どちらの名前も大事だと思うようになったからだ。
 
「名前……」
 
『クライブ・ディクソン! ……忘れるな! この名前はこちらのあなたを証明する、たったひとつの……』
 
「たった、ひとつの……呪文」
 
 ――その者の意識と存在を証明し、魂を形作る絶対的なたったひとつの呪文。
 ――名前を。真名まなを呼べば、魂は元の肉体に戻るでしょう。
 
 兄の使い魔ウィルの言葉――あちらの世界にのみ存在する"クライブ・ディクソン"という名前が、俺の魂を元の肉体へ戻す……。
 
「…………」
 
 ――駄目だ。俺はやっぱり、どうあっても天秤をあちら側に譲ることはできない。
 戻らなければいけない。
 奇跡を起こして、絶対に元の世界へ、みんなのところへ……!
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