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15章 祈り(中)

28話 フェリペの杖(3)

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「……フェリペ・フリーデン君。君の罪は重い」
「!」
 
 冷たい調子の声に顔を上げると、シリルがフェリペの頭部に手を置いているのが見えた。
 眼鏡の奥の表情は相変わらず読み取れない。これから一体、何をするつもりだろう。罪を断ずるつもりなのだろうか……?
 
「君の罪。……君は弱かった。弱さ故に弱きものを踏みつけにした。……君には勇気がなかった。間違いを間違いと認めることは自身の否定に繋がる――それ故に君は間違いから目をそらし、血の道を突き進み続けた」
『………………っ』

 やはりシリルは光の塾の内情やフェリペのことを熟知しているようだ。
 フェリペはシリルの厳しい言葉に何度もうなづく。
 うなづく拍子に涙がこぼれるが、肉体が滅んだ精神体であるため、涙にも実体はない。
 どこにも落ちず、何を濡らすこともない涙――それはまるで、フェリペ自身の心は誰にも受け入れられないという冷たい現実を表しているように思えた。

「私は君を責めることも罰することもしません。罰はもう下っている。どれほど泣いても悔いても、奪った命は戻らない。君の友は君を許さないし、謝る機会も永久に得られない。もはやこの世界には個としての君を知る者はない。多くの者にとって君は悪の象徴であり、邪教のしもべ。皆が君を嫌い、さげすみ、憎悪している。それこそが、君への罰……」
 
 そこで一呼吸置いて、シリルは「しかし」と言葉を続けた。
 
「今、この場……この円の中においてのみ、君は無垢な子供です」
 
 言いながらシリルが両手を広げる。
「円の中」とは、祭壇を囲む魔法陣のことだ。
 そこでのみ、奴は無垢な子供――そうだ、現に円のすぐ外には奴を「悪の象徴」としか思っていない人間が――俺達がいる。
 後ろに立つカイルがどういう気持ちでいるか分からないが、内心は決して穏やかではないだろう。自分を壊す要因を作った人間が目の前にいるのだから。
 
「……フェリペ・フリーデン。君の罪を告白しなさい。この私……シリル・ヒュームが見届けます。無垢な子供たる君が悔いることを、私だけは許そう」
 
 シリルが再びフェリペの頭に手を置き、静かに告げる。
 それを受けフェリペは祈るように両手を組み合わせてひざまずき、ゆっくりと言葉を紡ぎ始める――。
 
『っ……僕、フェリペ・フリーデンは、大勢の人を苦しめました。でも、その人達の名前や顔は、知りません。知る必要は、ありませんでした。その人達は僕にとって、神に仇なす者だったからです。神、……ニコライ・フリーデンの言うことが全部だと思っていました。……そう思わなければいけなかったんです。でないと、"フェリペ・フリーデン"の名前を捨てないといけなくなる……家族では、いられなくなるから……。……ごめんなさい、みんなを苦しめて。苦しめた人のことを覚えていなくて、ごめんなさい。……シモン、兄弟なのに、忘れてごめん。パオロ……友達なのに、兄弟なのに、ひどいことしてごめん、……ごめんよぉ……っ』
 
 以降、フェリペの口から漏れ出るのは泣き声と"兄弟"に対する「ごめん」という謝罪の言葉のみとなった。
 告白が全て終わったと判断したらしいシリルが、少しの間のあとまた口を開く。
 
「フェリペ・フリーデン君。………君の魂は意識の闇に回帰することはない。したとしても、自由意志を持った個体――生命として闇の湖面に浮き上がることは叶わないでしょう。君の今の言葉、思いは、友にも誰にも届かない。しかし、私だけは君の言葉を聞きました。……よくぞ、告白しました。よくぞ、自らと向き合いました」
 
 言いながら、シリルはフェリペの頭を撫でるように動かした。
 そして静かに目を閉じ、息をすぅっと吸い込み……。
 
「――フェリペ・フリーデン。私は、貴方をゆるします」
 
 その言葉と同時に血の宝玉の杖から光の粒子がいくつも舞い上がり、フェリペの身を包んだ。

「!!」

 フェリペの姿が少年から大柄な大人の男の姿へと変化した――年齢は40代から50代くらいだろうか。
 潰されていたはずのフェリペの目が開き、フェリペはシリルの方に向き直る。
 
『……ありがとう、ございます、……ありがとう……』
 
 涙混じりにそう告げ、フェリペはシリルに深々と頭を下げた。
 
「…………もう、おきなさい。貴方の意識がいずれ現世げんせいに還ってこられるよう、私は祈ります。……フェリペ・フリーデン。貴方に、女神の加護のあらんことを……」
 
 血の宝玉の杖からさらに光が羽根のように舞い上がり、杖が霧散するように消えていく。そして――。

『ありがとうございます、ありがとう……。ごめんなさい……ごめん……』

 光とともに、フェリペの姿が消えていく。
 フェリペは天を仰ぎながら感謝と謝罪の言葉を唱え、何かに祈り続ける。
 光の粒の最後のひとつが天に昇り、自らの姿が消滅するまでそれは続いた。

 「……女神の加護の、あらんことを……」

 フェリペを見送ったあとシリルは目を閉じて手を組み合わせ、静かに祈りの言葉を唱える――。

(……あれが、あれが……"赦し"……)

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